30話 新しい始まり
聖麗山ホーラ・リムはこの大陸で最も高いと言われる霊峰だ。
その麓に構えられた石造りの大聖堂は、神の威光を求め、大陸中の人がやってくる。この聖堂への巡礼者だけは、国境越えも容易に認められるのだった。
「聖女様、ご準備はできましたか?」
しかし、今日は礼拝が禁止されていた。
慌ただしく聖堂内の人員が動き、行おうとしているのは――聖女とともに旅立つ旅団の形成。
聖女と侍女、聖堂騎士団などから構成される、総勢100人にも及ぶ旅団が、今にも旅立とうとしている。
騎士団が装備を確認している隣の部屋で、聖女は首を傾げた。
「ごじゅんび? 準備はみんながやってくれてるでしょう?」
「いや、そうではなくて。『例の件』ですよ」
「あー、うん。あれですか。そっちはばっちりですよ。あなたも準備はできてるみたいね」
「心の準備は……まだですが」
侍女の瞳には、不安と罪悪感が揺れていた。
一方で、奇怪な外見の杖を片手に立ち上がった聖女は、机の上にあった果実をのんびりとかじり、ぽんと侍女の肩を叩く。
「大丈夫ですよ。責任はあたしが持ちます。この計画は、信頼のおける数名に伝えてますから、彼らがうまくやってくれますよ。あなたは堂々としてればいいんです」
「……堂々と」
「うん。お願いできますね?」
「……はい。わかりました。聖女様のために、この大命――必ずや、成し遂げてみせます」
「がんばってくださいねー」
窓際に立ち、聖女は朝靄の世界を眺める。
その唇から、侍女に届かぬほど小さな言葉がこぼれた。
「救恤の魔筆・リベラリタス、ですか。楽しみにしておきますよ、異界から来た宮廷画家さん」
聖女は、手の中の杖をグッと握りしめる。
明らかに現代とは異質な古代文明の衣装は、何百年何千年という時を経ても、いまだ瑞々しく美しい。
聖女の名は、フローラ・ホーリーベル。
握る杖の名は――『節制の聖杖・テンペランティア』。
◆
王都の東の壁外には、犯罪と悪意の渦巻く貧民街が形成されている。
その一帯は日常的に"黒い"取引が行われているが、だからといって王都内で同様の取引がないわけではない。
今日もまた、薄暗い路地裏で、1人の男と1人の男が、後ろめたい取引を行う。
「そんな……その値段は、ちょっと横暴じゃないかい!?」
「嫌ならいいんだぞ。これは限定3つの特別生産だ。高くつくのは仕方ないだろう」
「ぐ……わかった、わかったよ。払えばいいんだろう!」
取引と言っても、それは一方的なものだ。
悔し気に硬貨を手渡すのは――貴族の青年であるランド・デューラー。
売人の男は、意地の悪い笑みとともに、『それ』を手渡した。
「まいどあり」
それは。
売人――もとい俺――が丹精込めて作った、サラ・ダランベールのフィギュアだった。
「おお……おお! やはり素晴らしい出来だ! 恩に着るぞ、親友」
「随分態度変わったなぁ、お前。はじめは平民がどうこうって見下してたくせに」
俺こと蓮杖龍一郎は、漫画家志望のフリーターであった。が、オタクの嗜みの一環でガレージキットを趣味としていた俺は、この技能を活かして商売をすることにしたのだった。
ちなみに、サラはリアル志向で難しいので、先に練習として『魔法少女アイリーン』のフィギュアを売りさばき、手法を確立した次第である。
アイリーンはそれなりにヒットしつつあり、民間で勝手な二次創作の動きもあったりするようなので、このフィギュアはなかなかの売れ行きだった。
「そ、そのことは言わないでくれたまえ。重要なのは今だろう?」
「まぁな。そうだ、この後、サラと飯を食うんだ。庶民向けの店だから口に合わないかもしれないけど、よければ来るか?」
「ぜひ!」
ちょうど男手がほしいと思っていたところなので有難い。
というのも。サラの発案で、第二次紙芝居計画を始動させようとしているのだ。題材は『魔法少女アイリーン』。
ランドを『春風』に連れ込んだ俺は、さっそくメンバーに加えた。
「ど、どうして僕がこんなことをしなきゃならんのだ!」
「まぁまぁ、落ち着いて」
「う……ぐ……サラ様が言うなら」
メンバーは、以下の通りだ。
総監督、サラ。
脚本、メルティーナ。
作画、俺&ジル。
ボイスアクター、エリシア&モニカ&ランド&俺。
思えば、俺の交友関係も随分と広まったものだ。
「楽しいなぁ」
練習中、ふと、呟いてしまう。
皆の分の飲み物を用意していたジルだけが、俺の呟きに気づいたらしく、きょとんと首を傾げた。
アイラとナーシアは、例によって国内視察で王都を離れているけれど。
友達もたくさんできたし、やるべきことはたくさんある。
地球に居た頃は考えられないくらい充実していた。
自然、笑みがこぼれる俺の隣で、居眠りしていたメルが「うーん」と呻いた。
平和な日々。安穏の日々。
きっと、孤児院を巡業するこの紙芝居講演も、大成功することだろう。
――サラの事件から2ヵ月。
俺たちの平穏の裏で、新しい事件が――そして、俺以外のアーティファクト所有者が――動き出そうとしていた。




