27話 彼女を求めて
夜風の冷たい中、酒を飲み過ぎた大人のように浮かれるサラは、なぜかメルを外に連れ出した。
「あんなの、気にする必要ないよ」
孤児院の遊び場に置かれている切り株の上でくるくると回りながらサラは言う。
「あたしも馬鹿だからいろいろ言われるけど。気にしてちゃきりがないよ。っていうか、気にならないよ。馬鹿だから」
すとん、と着地したサラは、柵にもたれかかっていたメルの隣に立った。
あまりにも能天気な笑顔を直視できず、足元に目を落としながらメルは問う。
「どうして……あなたはそんなに笑えるの?」
問われたサラは、一瞬、きょとんとしていたが、すぐに笑顔を咲かせて、大声で言った。
「夢があるから!」
彼女は語る。
演劇が好きだ。大好きだ。
だから女優になりたい。女優になって、きらきらと輝きたい。
極めて簡素な彼女の話は、奇妙にメルの心の奥に刺さった。
「キミにはないの? 夢?」
「夢……考えたこともないわ」
不思議と、メルは自分のことを話し始めていた。
孤児院の大人にも話していないことだ。
夢というわけではないが、メルは、王都を出て魔法都市リンドと呼ばれる街に移住しようと考えている。
そこでなら、この奇妙な片目について、知識を得ることができるはずだ。
「そっか! じゃあ、それは立派な夢だよ!」
「そうかな。ただの目標よ」
「ううん。それが生きる気力になったとき、目標は夢になるの!」
「夢、か」
サラの言っていることはよくわからなかったが、メルは彼女に救われたような気分だった。
彼女は、淀みのない清流のようで、雲一つない空のようで。
もしもこの子になれたなら――と、メルはつい考えてしまった。
「ねぇ。お互い、きっと夢を叶えようね!」
迷いなく、サラはメルの手を握り、微笑む。
向けられたことのない温かさに困惑するメルは、結局、答えることができなかった。
それよりも早く、サラの腹が巨大な音を立てたからだ。
「あ。はらへった」
私ご飯食べてくるよー、と、サラは嵐のように去ってしまう。
待って、と呟く声は小さすぎて、彼女の背に届くことはなかった。
結局、この夜は、それっきりだった。
2つの孤児院は毎年この交流会を行っていたが、次年の交流会が行われるより早く、経営の悪化したハミルトン孤児院は廃業。メルは単身、本を書き写して売る商売で金を稼ぎ、魔法都市リンドに移り住んだのだった。
数年が過ぎた。
魔法遣いの集まる巨大都市で、魔眼の研究者に師事したメルは、師の紹介で王立劇場に勤めることになり、王都に戻って来た。
当時のメルは、師の養子となっていたため、姓はすでに変わっていた。
王都で真っ先に向かったのは、フルヴィッツ孤児院だった。
名前も知らぬあの明るい少女は、今でもメルにとって太陽だ。素直にお礼を言えるとは思えないが、それでも会いたかった。
しかし、魔眼で様子を探ったメルは、彼女の姿がないことに気づく。
孤児院の子供たちに話を聞けば、彼女はなんと、どこかの金持ちに買われていったのだという。
孤児院からは、美しい娘が金持ちに見初められ、下女として買われていくことが稀にある。
だが、それは実質的に奴隷と変わらぬ立場だ。
失意の底で、メルは王立劇場に向かった。
メルの仕事は、劇場専属の脚本家の部下として、事務仕事を行うことだった。
が、ゆくゆくは、彼の技能を盗み取り、己が脚本家となるつもりだった。
働き始めてしばらくした頃、メルはサラ・ダランベールなる女優が、じわじわと人気を集め、脇役から昇格しようとしていることを知る。
サラという名に反応したメルは、迷わず接触を試みることにした。
ダランベールというのは、孤児院出身であることを隠すための偽名なのだろうと思った。
しかし。
夜遅くまで稽古をしているという彼女に会いに行ったメルは、結局、話しかけることができなかった。
そこにいたのは、間違いなくあのサラ・フルヴィッツであったが……彼女は泣いていたのだ。
あの明るい彼女が泣いていた。
それだけで、高揚感は消え、メルは話しかける勇気を失ってしまった。
結局――あっという間に売れっ子になってしまったサラに、裏方のメルが接触する機会は、すぐになくなってしまった。あったとしても、直接話しかける勇気など、奮い立たせることができなかった。
サラが何らかの鳥籠に囚われていることに気づいたメルが、独自に調査をし、ブロル商会に辿り付くのは、それからすぐのことだった。
サラを自由の身にするため多額の金銭を要求されたメルは、血の滲むほどの努力を重ね、正規の脚本家として富を得られる立場にのし上がったのだった。
◆
(あたしは……あのときのことを、サラにお礼しなきゃいけないのよ!)
必死に力を振り絞ったメルは、転移魔法を発動する。
移動先は、建物の外だ。
魔眼による目測がなかったため、転移先は安全な場所でなく、木の枝の間だった。
「ぐ……う……っ!」
地面に落下し、うめき声を上げながらも、ふらふらと起き上がる。
逃げ出したわけではない。
魔法の発動を読まれ、かわされるならば、敵の視覚外から攻撃しようというだけのことだ。
「……よし」
魔眼の能力は……もう温存しない。
ここで視力を失うとしても。
倉庫の内部を探ったメルは、敵の位置を正確に把握する。
そして。
短剣を片手に。
転移した。
「ぐ……おおおおおおおおっ!?」
メルの一撃は、見事、敵の胸を貫いた。
刃の先を全力で押し込み、ぐりぐりと抉る。
グレイが吐血し、白目を剥いて気絶すると、メルは短剣を引き抜いた。
途端に、ドッと疲れが押し寄せ、ふらふらと倒れ込む。
「はぁ……はぁっ……」
肩で息をしながら、瞼を触ると、べっとりと血がつく。
視力は残っているようだが、眼球周辺の血管がめちゃくちゃに切れてしまったようだ。
――護身用に持っている短剣だが、実際に使うのは初めてだった。
人の肉を抉りとる感触。
不快であり、そして、どこか甘美ですらある。
今になって恐ろしさが沸き上がった。
必死で作り上げ、気丈で頑なで高飛車な自分が、崩れようとしている。
ゆっくりと、脚が自分の脳の支配下にあることを確かめて、立ち上がる。
背後の木箱の山の中に、ふと、ナーシアの肢体が乱雑に転がされていることに気が付いた。
「ちょっと。ねぇ、ちょっと、あんた」
返事はない。
気絶しているようだ。
だが、何度か呼びかけると、瞼がぴくぴくと動いた。そう深刻な状態ではなさそうだ。じきに目が覚めるだろう。
と。
安堵のため息をつき、サラを探そうと歩き出すメルの背後から。
ゾッとするほど冷たい声が聞こえた。
「……行かせませんよ」
直後、硬い指先が、がっしりとメルの首を締め、全身を持ち上げた。




