26話 魔眼遣いの意地
魔眼を回復させたメルティーナは、再び倉庫へ向かって出発した。
回復したと言っても、微々たるものだ。乱用していてはまた使い物にならなくなってしまう。転移ができるのは、直視で十分に安全を確認できるような、ごく近距離に限定されるのだ。
仕方なく走って移動したメルが倉庫に辿り付いたのは、ナーシアからしばらく遅れてのことだった。
(魔眼が遣えるのはせいぜい2秒×3回……サラをじっくり探す余裕はないわね)
できるのは、せいぜい、すぐ先の部屋を確認することくらいだ。
片眼鏡を外し、呼吸を整えたメルは、魔眼の能力でその先の部屋を観察する。
すぐに片眼鏡を付け直し、能力を温存。
見えた光景を思い返す。
(……いた。グレイとかいうあの男。床に魔方陣を展開してるみたいね)
だったら――と。
携行していた短剣を引き抜き、敵に狙いを定める。
一撃で倒す。
それが最善だ。
いつでも魔眼を遣えるよう、改めて片眼鏡を外し、代わりに温存のためまぶたをぎゅっと閉じる。
先ほど狙いを定めた位置に向かって――
(転移!)
魔法を発動する。
「ぐ……ぅぅっ!?」
突然の襲撃に、敵は苦悶の声を上げた。
魔眼で視認しながらの転移でなかったためか、短剣は僅かに狙いを逸れ、敵の左腕を裂いたのみだった。
温存しすぎず、ここで魔眼を使っておくべきだったか――後悔しながら、距離をとる。
「ふ……ふふ。これはこれは。あなたもいらっしゃいましたか」
「……サラは返してもらうわよ」
再び転移し、攻撃を仕掛ける。
だが、これは読まれていた。あっさりと避けられてしまう。
魔法の発動には必ず魔方陣の展開という手順が必要とされる。
自分を襲って来ることだけわかっていれば、瞬間移動による攻撃をかわすことは決して難しくないのだった。
だが、床の広域にわたって魔方陣を張り巡らせることが可能なグレイの魔法は、同じように回避することができない。
床に足をついた瞬間、ふわりと体が浮き上がる。
浮遊の魔法。重力の鎖を解き放つそれは、しかし新たな鎖で敵を縛り付ける。
天井に押し付けられる前に、メルは転移魔法によってその鎖から抜け出した。
「その魔法は……私にとって天敵だな!」
苦々しげに言いながら、グレイは背後にあった木箱に手を添えた。
すると、掌から魔方陣が拡がり、ふわりと木箱が持ちあがった。
木箱の背後に回ったグレイがそれを蹴り出すと、大きな直方体が砲弾となってメルを襲った。
「っ!」
床との摩擦――そこから解放された木箱。重力は魔法によって完全に相殺され、質量だけが残る。
最早、その前進を妨げるのは空気抵抗のみ。
そして、空気抵抗による減衰で決定する射程は、十分にメルを捉えうるものだった。
咄嗟に転移し、グレイへと短剣を突き立てる。
だが、やはり読まれていた。
のみならず――腕をグッと掴まれ、床に叩き付けられる。
「く……っ!」
立て続けの転移。
距離を取って、呼吸を整える。
床に衝突したことで、肺が圧迫され、咳き込んだ。
そこに、木箱の砲弾が再び迫る。
隙を突かれたメルは、あえなく衝突し、床を転がってしまう。
さらに、魔方陣が拡がり、体が浮遊した。
天井に押し付けられたメルは、満足に呼吸することすらできず、心気を乱す。
焦る気持ちは、魔法の発動すら儘ならないほどだ。
全身の骨が圧迫される感覚に、次第にメルの意識は遠ざかっていった。
◆
記憶の底で夢を見た。
幼い夏のある日。
ハミルトン孤児院の一室で、メルは悩んでいた。
じわじわと攻め立ててくる尿意は、耐えられるものではない。
だが、厠へ行くには、広間の前を通らなければならない。
今日だけは、それは避けたかったが――我慢の限界に達する前に、メルは4人部屋である自室を抜け出した。
今日は、フルヴィッツ孤児院との交流会という名目の催事が行われているのだった。
人付き合いが苦手なメルは、広間で行われているパーティを避け、1人で過ごしていたのである。
こそこそと階段を下り、廊下を抜ける。
広間の前を通ろうとしたとき、飛び出してきた少年とぶつかり、メルは転んでしまった。
「いってぇ……ん? おお?」
ぶつかり合って転んだ相手の少年は、メルの目を見ると、驚きの声を上げた。
メルの目は、生まれた頃はともに黄色っぽい色味だった。
しかし、3つか4つの頃には片割れが鮮血のような赤に染まってしまった。
それを凶兆と思い込んだ両親に捨てられ、メルはこの孤児院に来たのだ。
色の違う二つの目は、子供たちの好奇を呼ぶ。大人も大人で不気味がる。
教養のない者などそんなものだ――自力で『魔眼』というものの存在を調べ上げたメルは、周囲の人間を心底軽蔑していた。
ああ――まずい。
よりにもよって、この少年は、人の中心に立つ種類の性格だ。
「おーい! みんな、こっち来いよ!」
好奇という感情は伝搬する。
多くの人は、興味をそそられるものを見つけたとき、他人にそれを話さずにはいられないのだ。
それが叶わぬ孤高――あるいは孤独の申し子ほど、目の前の不可思議を自分で解き明かそうとする能力を身に着けていく傾向が高い。
孤独なるメルにとって、集まってきたフルヴィッツ孤児院の子供たちは、対極の存在なのだった。
「ねぇ、その目、よく見せてよ」
「……いや、あの」
当時のメルは、今ほど狷介な性格ではなかった。そういう風には振る舞えなかった。
少年たちに囲まれて、委縮する。
好奇の視線――いや、視線にはとどまらず、肩を掴んでくる者もいた。
恐怖。精神が硬直してしまう。
周囲の少年たちが何を話しかけてくるのかも、十分に聞き取れない。
恐慌状態におかれたメルは、ついに尿を漏らしてしまった。
「うわ、汚ねぇっ! こいつ、小便漏らしたぞ!」
「あ、あ……」
声が震える。
脚の力が抜ける。
床に広がる尿の上で、へなへなと崩れ落ちるメル。
少年たちは騒ぎ立てるが、その狂騒に、冗談みたいに大きな声が割り来んだ。
「うるさーい! 男子はどっか行けー!」
はじめにメルと衝突した男子。
彼の頬に――強烈な跳び蹴りが突き刺さる。
「大丈夫?」
両院の院長とともに現れ、男子を蹴散らした大声の少女は、美しい黒髪を振り乱し、メルに駆け寄る。
裾が汚れるのも気にせず、尿の海にしゃがみ込んだ彼女は、腰が抜けたメルを助け起こした。
それがメルティーナ・ブリューゲルとサラ・ダランベール――もとい、当時の名ではメルティーナ・ハミルトンとサラ・フルヴィッツ――後に王国一の脚本家と女優になる、2人の少女の出会いだった。




