23話 商会の内乱
ブロルとの二度目の交渉には、とジルもついてきた。
「……幽霊工場を落とした……か」
驚いた様子で腕を組むダグラス。
彼の手下が淹れた飲み物を口に流し、俺とメルはブロルの発言を待つ。
「たしかに、あの工場を手にすれば、それなりの収入は見込める。実際、だからこそおれも狙っていた」
「じゃあ」
「だが足りんな」
内心、予想はしていたが。
答えは不満足なものだった。
「……とか言って、実はどれだけ金を積まれてもサラを返すつもりはないのでは?」
「それはない。おれはな、悪事ははたらくが、約束を違えることはない」
ダグラスは言う。
もちろん、他に大金を生む商売の案でもあるというなら、今すぐ現金を積む必要はないぞ――と。
俺もメルも、黙り込んでしまった。
そんな簡単に思いつくなら、今頃俺は大金持ちだ。
ダグラスは余裕たっぷりに、急かすこともなく葉巻を吹かす。
一方で、俺とメルは追い詰められていった。
「どうやら、名案は思い浮かばな――」
「……ある」
ダグラスが勝ち誇った、そのときだった。
俺のものでもなく、メルのものでもない声が、細々と響く。
いったい誰が――と考えて、ジルが目を白黒させながら一歩進み出ているのに気が付いた。
「は……? ジル……?」
どこに隠し持っていたのか、ジルは数枚の紙を取り出し、ブロルに手渡す。
受け取ったダグラスは、目を丸くしてその表題を読み上げる。
「……温泉宿計画書?」
こくりと頷いたジルは、か細い声で、死刑の回避を懇願するかのように必死の説明を試みる。
内容をまとめるとこうだった。
先日、スク水を求めて奔走したあの一件で、俺は秘密の温泉を手に入れた。
基本的に、このアルディラにおいて、土地の権利というのははじめに主張したもの勝ちだ。つまり、あの温泉の権利者は、現状、俺ということになる。
だが。
あの温泉は、通うには少しばかり遠く、また洞窟内ということで足場も悪く、湯船に辿り付くまでが少しばかり不便だった。
ならば、ブロル商会に譲渡し、本格的に療養施設としての体裁を整えてもらった方がいい――というのがジルの意見なのだった。
「……案外、この子、やるじゃない」
「俺もびっくりだ」
唖然とする俺やメルの隣で、珍しく人前ではっきりと自己主張をしたジルは、もじもじと黙り込んでしまった。頑張りが限界を迎えたらしい。
いつの間にこんな計画書を準備したんだろう。
基本的に指示をするまで動かないジルが、まさか、俺の知らぬうちにこんなことをするなんて。
「……え、えっと。どうですかね、ダグラスさん」
計画書に目を通したダグラスは、困ったように顎鬚を撫で、それから、敗北を認めた表情で呟いた。
「現場を見てみるまで、最終的な判断は下せない。だが、事と次第によっては……サラの解放を約束してもいいかもな」
「本気ですか、大旦那様」
俺たちよりも早く反応したのは、ダグラスの後ろに控えていたグレイだった。
ダグラスは、どこか悔し気な笑みを浮かべて、「……顔を合わせるくらいはいいだろう。グレイ、彼らをサラのもとに案内しろ」と命令した。
ジルのおかげで、唐突に舞い降りた幕引き。
思考が追いついていないのは俺だけか、と隣を見れば、メルもまた口をぽかーんと開けていた。
振り回されるまま、俺とメル、そして立役者のジルは、グレイの案内で廊下に連れ出された。
巨大なブロル商会本部の建物を数分ほど歩く間、誰もが無言だった。言葉を話せるほど、余裕がなかったのだ。
狐目のグレイは、ある部屋の前までやってくると、「ここでお待ちを」と俺たちを残し、扉の奥に入っていった。
取り残された俺たちは、ひたすら無言のまま、その場で立ち尽くす。
そんな中、もじもじしていたジルが口を開いた。
「ご、ご、ごめんなさい」
「…………は?」
なぜ謝るのか、と顔を上げて問うと、ジルは半泣きで「だって、御主人、喋らないから……お、怒ってると思って」と口ごもる。
「そんなわけないでしょ……僕もこいつも、びっくりしてただけよ」
声の出し方を思い出しかけているメルの隣で、俺はこくこくと頷くことしかできない。
なんとか声帯を復活させたのは、それから数秒後だった。
「じ、ジル……ありがとうな。でも、俺、ぜんぜん気づかなかったよ。俺が気づいてあげられなかっただけで、実は俺が指示してないような仕事も、こなしてくれていたのか?」
「……そういうわけじゃ、ない、けど」
なぜか、もごもごと言いづらそうにするジル。何かを隠しているようだが……それを詮索するのは、彼女にとってよくないような気がした。
「それにしても、グレイのやつ、ずいぶん遅いわね」
「そうだな。この部屋にサラがいるって、言ってたのに」
サラを部屋の外に連れ出すつもりなのか、それとも、サラの許可を得て、俺たちを部屋に引き入れるつもりなのか。
どちらにせよ、こんなに時間がかかるのは不自然だ。
「……嫌な予感がする」
首を傾げる俺やメルに、ジルがぽつりと言った。
彼女は出自のためか、人の悪意に敏感なところがある。その彼女が言うということは、きっと、何かがあるのだ。
俺とメルは、頷き合って、扉を押し開けた。
「グレイ。いつまで待てば……って、あれ?」
部屋の中には。
牢獄のように質素な生活空間があるだけで、誰もいない。サラどころか、グレイすら。
三人で唖然としながら部屋を観察すれば、窓が開いていることに気が付く。
だが、ここは4階だ。
どんな事情があっても、飛び降りるとは思えない。
と。
困っていたときだった。
いくつもの悲鳴が折り重なった、鮮烈な音が響いてくる。
「メル!」
「わかってる!」
声が聞こえてきたのは、ダグラスの私室が設けられている最奥部だった。
メルは片眼鏡《モノクル》を外してから俺とジルの肩に手を置き、魔方陣を足元に展開し、テレポートを行う。
一瞬で、ダグラスの部屋に戻った俺たちは、異様な光景を目にすることになる。
「てめぇ……何やってるんだ!」
惨状の中心にいたのは、グレイだった。
掌を広げる彼の周囲では、ダグラスやその部下の体が、天井に押し付けられていた。
まるで、重力が反転し、そしてまた強化されたかのように。
「……ほんとはもうちょっと時間をかけて、ゆっくりとブロル商会を落とすつもりだったんですけどねぇ。サラ様を解放されちゃ、困るんですよね。ごく個人的な感情の問題ですが」
天井に押し付けられたブロル商会の人間は、残らず気を失っている。死んではいないと思うが。
そして、何より、グレイの側にはふわふわとサラが浮かんでいた。彼女もまた、気を失った状態である。
グレイは、そんなサラの頬を撫で、愛しそうに目を細めた。
「っ……この変態野郎」
「変態はあなたもでしょう」
……それは、そうだが。
今それは関係ないだろう。
「くそっ。無事で帰れると思うなよ?」
「ずいぶん自信ありげですが。どうするおつもりで?」
「こうだ!」
雷撃を放とうとする俺の手から、リベラリタスがもぎ取られ、天井へと浮き上がる。
メルが瞬間移動で敵の頭上にテレポートし、蹴りを叩き込もうとするが、読まれていたのか、それは易々と回避される。
「あの工場を手に入れられたのは君たちのおかげですからね。危害を加えるのはやめておきましょう」
「ま……待ちやがれ!」
「そう言われて、待つわけがなでしょう」
俺とジルが駆け寄ろうとしたときには、グレイはサラを連れてふわりと宙に浮かび、窓から出て行った。
そのまま、宙を飛び去ってしまう。
「……浮遊の魔法。厄介ね」
テレポートキックに失敗し、着地し損ねたメルは、足を傷めたらしく、眉をしかめながら呟く。
「魔法で追えないのか?」
「相手は空中よ? 転移した瞬間、落下して死んじゃうわ」
「……くそっ!」
腹立ちまぎれに壁を蹴る俺。
ほどなく、魔法の効果が切れたようで、天井に押し付けられていた人やものが落下してくる。
その中で、おどおどと俺の裾を引くのはジル。
「ご主人。これは明白に障害事件。これなら、王国の人間が関与する正当な理由ができる」
「……ああ。メル、いいよな? ここで王国の人間に力を借りても、例の条件に影響はないな」
「え、ええ。でも、どうするの?」
ジルが取り出し、俺に渡したのは、小さな木製の笛だった。
楽器ではない。単音しか出せない、号令用の笛だ。
それを加えて、強く息を吹き込む。
人間である俺たち3人の耳には何も聞こえなかったが――倒れていたダグラスの部下のうち、獣人たちの耳がぴくりと動いた。
「……早く来てくれ、エミリア」
これはエミリアから手渡されていたものだった。
獣人の耳に届く音を、王都全域を覆うほどの広範囲に響かせる魔道具。
いったいグレイは何者で、何のためにダグラスに離反したのか。
もどかしい焦燥の仲、エミリアが駆け付けたのは、それからすぐ後のことだった。
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