或る日の風景・その1
浮き出る陰影を目視できる程淡く白い月が地上を照らしている。
渇いた熱い風が土の上を吹き抜け、木々が呼応してざわめく。どこまでも続く深い森。立ち込める草の香り。
黒猫は言う。
「月が綺麗だねえ」
白ねずみは言う。
「今日は十五夜だ」
「あのね、あのね、今日みたいな丸い月の光を浴びるとね、木たちがね、秘密を喋りだすんだって」
「植物と動物は生命という点に於いては同じだろうが、口があるわけじゃない」
「いや、でも、何か不思議な方法で伝わることがあるかもしれない。木たちの秘密なんて、どんなだろう。ああ、僕に聞こえないかなあ。白ねずみは、何か聞こえる?」
「何も聞こえない」
「ああ、でも、木と木がぶつかる音がするねえ。葉っぱがしゃりしゃり言ってるねえ」
「それは声じゃない」
不意に闇が濃さを増す。雲が月を薄く覆っている。風が止む。
一瞬、完全な沈黙が訪れる。びゅうぅと音を鳴らして強い風が吹き抜ける。
ざあああ、と葉の擦れる音が音楽のように森中へ広がっていく。黒猫の耳がぴくりと動く。
「聞こえた!」
白ねずみは耳を澄ます。
「何が」
「ほら、木の声だよ!月の夜はよく飛べるだろうね、って!白ねずみには聞こえなかった?」
「聞こえなかった」
「ああ、僕飛べるのかなあ!でもこんな綺麗な光の中なら、本当に飛べそうだなあ!飛べないのがおかしいくらいだもの」
白ねずみは黙り込む。黒猫は立ち止まり、白ねずみに笑いかける。
「僕が飛べたらさ、飛び方教えてあげるよ。僕が連れて行ってもいいよ、一緒にさ」
黒猫は群青の空にぽっかりと浮かぶ満月を仰ぐ。
「あの月まで行けたらいいねえ」
黒猫は両手を天に伸ばす。足に力を込め、ゆっくりと土を蹴る。
白ねずみの動悸が速まる。
黒猫は跳ぶ。そして地面に落ちる。手も足も動かし何度も飛ぼうとする。次第に飛ぶ力が弱くなる。息をつき、黒猫は座りこむ。
黒猫は目を閉じる。飛び起きるや否や、黒猫は近くの木に突っ込んだ。そのままがしがしと天辺へ上ってゆく。
白ねずみが見上げると、大木の上で小さな黒いシルエットが手を振った。
「白ねずみー見ててねー僕飛ぶからねー!」
白ねずみは口を開ける。
黒い影が宙へ躍る。
* * *
気絶している黒猫を、白ねずみがおぶっている。
白ねずみは呟く。
「推進装置に乗った方が早いんじゃないか」
涼やかな風が草を揺らす。
―――もう秋が着いたらしいね
―――どうも楓のところのようだね
白ねずみは耳を震わせ後ろを見る。黒猫は気絶している。葉が擦れる音が絶えずさやぐ。白ねずみは頭を一つ振り、ずんずん歩いてゆく。
森の出口を抜ける。白ねずみはそっと振り返る。楓の木の根元に、まだ青い薄がまばらに生えている。
真っ暗な森の上空を二匹の翡翠が月光を浴びて泳ぐように旋回している。