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年の瀬に寄せて

作者: 秋本そら

 久しぶりに踏んだ故郷の地は、夜の帳に閉ざされていてしんと静かだった。

 自動改札機の機械音は、余韻も残さずすっと静寂の中に消えていく。大みそかまで続いた仕事の疲れと一日分の着替えの詰まったリュックを背負って、実家へと向かう。ここしばらく多忙すぎて帰省が叶わなかったが、社会人三年目の今年、ようやく故郷の地へと戻ってくることができたのだ。

 あと少し。あと十五分も歩けば実家に着く。

 そう気合を入れなおして歩き始めようとした、そのとき。

「――お前らさぁ、最近どうなの?」

「えー、変わらず。地元で仕事して酒飲んでーって感じ」

「最近酒飲む機会増えたよなー」

「まあなー、年末だしなー」

 懐かしい声に背中を押された気がして、思わず振り返ろうとして。

 けれど、そうするほどでもないと思って、ぐっとこらえて前を向く。

 ――小学校時代の同級生だ。近所に住んでいた、男子の。友達……というわけでもない。


 あぁ……友達、か。

 そういえば、最近連絡を取り合っている友達なんていたっけ。


 私の仕事は、小売店での販売員。休みが取れるのは一週間に二日で、大体が平日だ。年末は繁忙期だから有給が使えないし、一応五月から八月にかけては多く有給がもらえるけど、その有給のほとんどはシフトに割り振られた固定のもので、自分の都合で動かすことも難しい。

 そんな調子だから、土日に休みの多い友人とは遊べる機会がない。

 かつてはよくメッセージを交わしていた子とも、最近はめっきり連絡を取らなくなった。というか、勤務時間が長いので返す暇がなくなってしまったのだ。

 年賀状も、以前は送っていたけれど。相手も引っ越したものか、年賀状が不達で戻ってくるようになり、送る相手が減り、今年に至ってはもう自分から年賀状を送ることをしなくなってしまった。

 ……私に友達って、今はいるんだろうか。

 分からないな。


 暗闇の中、重い足取りで歩く、歩く。

 この三年で失ってしまったものは、きっと大きくて。

 そして、背負い込んだ仕事疲れも、重くて、重くて。

 黒々としたアスファルトに落ちる影が長くて、帰ろうとする私の足を引っ張っているような気がした。


 就職した先はそこまで大きくない店で、その分従業員も少なくて。つまりは、常に人員不足に悩まされるようなところだった。

 片手の同級生たちの声だけが響く暗闇のはず、なのに、耳の奥底には自分(店員)を呼び止める人々(お客様)の声が未だ聞こえるような気がしてならない。レジ打ちをしている時や事務作業中や、売り場の整頓をしている時……相手は自分のタイミングを見計らうなんてことはしない。するわけがない。

 そんな時に限って電話が鳴り、ラッピングの作業が入り、店員がいないと出すことのできない商品の問い合わせを受けることになり……。

 忙しいほど儲けが出るからありがたい、なんて言って他の疲れていそうなひとを元気づけようとしたけれど、実際のところ、自分も今に溶けてしまいそうなくらいにへとへとで。

 よくないと分かっていて、けれど、いっそガラガラに空いてくれればいいのにと思う。そうすれば、年末の事務作業だってゆっくりできるのに。ずっとレジに拘束され続けることなくやりたいことができるのに。

 仲の良い同期も、ずっとレジ業務に追われて辛そうだったな、と、ふと思い出す。

 彼女は最近風邪をひいて、やっと治って。でも咳は残ってしんどそうで。ありがとうございました、という言葉と次のいらっしゃいませの声の間に響いた重く彼女の体力を奪っていくような咳の音が不意に鮮明に蘇って、私の胸の奥をずしりと沈ませる。

 今日はやらなければならない事務作業が多かったとはいえ、少しくらい変わってあげられなかったかな。……もしかしたら、恨まれてるかもな。

 もう少し、周りを見て行動できなかったかな。

 ――唇が痛いのはきっと、あたりが寒すぎるせいだ。きっと、そうだ。


 なんだか、だんだんと海の中に入っていくように息苦しくなってきて、つと空を見上げて息継ぎをひとつ。

 明かりの少ない夜空には、眩い星がいくつも、いくつも。目で追いかけて繋げていけば、オリオン座や北斗七星が出来上がっていく。


 ああ、どうせ離れられやしないのだ。

 人間は、人と関わらなければ生きていけない。

 失ってしまったように思える友人とも。

 時々煩わしく思ってしまうけれど心優しい言葉をかけてくださることもあるお客様とも。

 今日、心の片隅に留めておきながらも気遣うことのできなかった同期とも。

 そして、これから再会するはずの家族とも。

 バラバラな星のように見えて、でも緩やかに形を作る星座のように。


 ……離れられないなら、どうしようか?


 誰かのことを思う時、胸の中にどうしようもなく暗いモヤモヤとした気持ちが立ち込める。

 連絡を取らなくなった友人たち――そもそも最初に返事をしなくなったのは、自分ではなかったか?

 たくさん訪れてくださるお客様――自分のことに気を取られてお客様の気持ちをおざなりにしていないか?

 疲れを滲ませていた同期――疲れていると分かっていたのに手を差し伸べられなかったのは、私ではないか?

 ずっと帰らずにいた実家――帰るべきタイミングは年末だけではない。五月でも、八月でも有休のある時に帰ればよかっただけではないのか?

 思わず、ため息をひとつ。

 白く口から立ち上って消えていった息を見て、もう一度ため息。


 この気持ちを吹き飛ばすには――空に瞬く星座を隠すよう雲を消してしまうには、どうしたらいい?


 ――凍るような北風が、頰を撫であげて過ぎていく。

 思わず身を縮めてやり過ごして。

 けれど、目が覚めたような心地がして。

 そうか、と小さく口の中で口ずさむ。

 風を吹かせればいいのだ。

 私が、風を起こせばいい。

 私が誰かのことを思って、相手のために動くことができたなら、そうしたらきっと、この胸の中のわだかまりをどこまでも飛ばしてくれるような風が吹く。

 そうすれば、周りの人々も、そして私も……少し、今よりも幸せになれないだろうか。


 今度は後ろから吹いてきた北風に、導かれるように空を見上げる。

 星座は、まるで私の道標になってくれるかのように、そこで光り輝いていた。


 いつの間にやら同級生たちの声は聞こえなくなっていて、その代わり、懐かしい我が家が目の前に建っていた。

 玄関に行けば、近くのリビングで流しているであろう年越し特番の音が流れてきて……ああ、もうこんな時間か。待たせてしまったな。

 三年間使ってこなかった鍵を手に取り、玄関を開けて。


「ただいま!」

 テレビから、新年の明ける音がする。


 自分も、周りの人も、幸せにしていくための一年が、ここから始まる。

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