アジアの片隅で・玉山紀行
モノレールの車窓から見える運河は鉛を溶かして流したような灰褐色であった。それでも空港に着くまでに、岸辺から竿を出している者を数人確認できた。季節がら釣れるのは落ちハゼだろう、などとぼんやり考えるうちに終点に着きドアが開いた。スーツケースを曳きターミナルの最も奥に向かう。そこには、この空港で唯一の国際便カウンターがあり、それゆえ集合場所としては適していた。
チャイナエアラインだけが羽田空港に乗り入れているのは外交上の理由らしいが、近いとはいえない成田空港で待ち合わせるよりはずっと良い。
上司からは、特別なお客だからきっちりエスコートするように、と申し渡されていた。エアチケットとメンバーリストを確認すると人数は四人。いずれも老齢といえる女性である。「特別なお客」とは、美智子妃殿下の女学生時代にテニスを指導した人や某自動車メーカーの社長夫人であった。あとのふたりも、いわゆる「いとやんごとなき人たち」であるらしい。
カウンターに着いて、スーツの左胸ポケットに社名の入ったネームプレートを挟んだ。十分もしないうちに彼女たちは現れた。身なりはごく普通の老女たちに形式的な挨拶をし、自己紹介を終えてからチェックインを済ませ、スーツケースにタグを付けて預けた。ビジネスクラスの搭乗券を手渡し、手荷物検査、イミグレーションを経て搭乗ゲートに向かった。飛行機に乗る前から免税店で買い物をする客は珍しくなかったが、彼女たちはそうしなかった。法的には既に国内ではないので、安く買えるセブンスターをカートンで買いたかったが、彼女たちに合わせて素通りし、搭乗ゲートに着いた。円形に配置されたベンチに座り、搭乗時刻を告げるアナウンスを待つ。
四人組のリーダー格は、妃殿下にテニスを指導した人である。緩くカールした白髪を肩に垂らした彼女が私に訊ねた。
「台湾は暑いかしら」
「はい、亜熱帯の国ですから。でも今回は標高の高い所に行きますから、この季節の日本より冷えるはずです」
「そうですか。あなたは今までに何度台湾に行かれたの?」
「さあ、数えてはいないので」
ツアー客の殆どから訊かれる質問に常套句で応えた。初めて行く国であっても似たような応対をするが、あの地への渡航回数はパスポートに押されたスタンプを数える気になれないほど多かった。
中正国際空港までの四時間弱のフライトで、ビジネスクラスは過去に経験がなかったが、ファースクラスではないところに、やんごとなき人たちの所作が顕れているように感じた。しかしこの路線にはファーストクラスがないようである。
ボーイング747は滑走路を加速しながら疾走し、離陸して旋回した。四隅に角がない機窓から東京ベイエリアを見下ろすうち、機体は上昇し、やがて水平を保ち西へ向けて航路を取った。
ターンテーブルに色とりどりのスーツケースが流れてくる。タグを確認し、彼女たちのスーツケースをピックアップして床に置く。
「お疲れではないですか?」
「大丈夫よ」
「わたしも平気。案外早く着いた気がするわ」
「空港から出た途端に暑くなることをお伝えします」
到着ロビーから出口に向かう。心配なことがあったが杞憂におわった。現地取引業社のロゴ入りステッカーを掲げて我々を待ち受けていた者は青年といえる風貌であった。この地はかつて日本が統治していたことがあり、業者から派遣されるツアーガイドは当時に日本語の教育を受けた者が多く、殆どは老人であった。しかし今回の旅程はそういう者には向いていない。手配時に「歳若い人を」とリクエストされているはずだが、着いてみると希望通りになっていないことは珍しくない。
「よろしくお願いします。若い方で安心しました」
「はい、こちらこそ。この旅程だと若輩の私でもお役に立てるはずです」
翁たちとは違って訛りが感じられるが、それは取るに足らないことである。
名刺を交換し、ポーターに頼んでスーツケースを駐車場に停まるチャーターバスまで運んでもらう。歩きながら四人の様子を観察したが、問題はなさそうである。
マイクロバスが走り始めてすぐに、彼女たちに今回付いてくれるツアーガイドの黄さんを紹介すると、パチパチと拍手が起きた。
台北市街地にあるアンバサダー・ホテルがこの日の宿である。チェックインしてスーツケースのタグにルームナンバーを記し、部屋の鍵を得るまでは黄さんが済ませてくれた。英語が通じない国際空港はないが、アジア圏のホテルは、香港やシンガポールを除き通じることの方が稀で、ホテルでのやりとり以外でも、現地の言葉を話すガイドの良し悪しは、そのツアーが上手く行くか否かの重要なポイントのひとつである。今回は予算にゆとりがあるようなので、観光スポットでツアーバスに乗り込んで来て、粗末な民芸品や怪しげな漢方薬を売り、おそらくはツアーガイドにキックバックを払うような者も現れないはずである。
四人が各自の部屋に入ったことを確認し、私もそうしてシャワーを浴び、ポロシャツとチノパンを着ける。夕食の予約を入れてある店に向かうまでにはまだ間があった。ベッドに横になりテレビを点けると、ニュース番組で字幕が出ている。いつも不思議に思うことで、北京語や広東語、福建語、台湾の地言葉などが在ることは知っているが、字幕が必要なほど発音が違うのだろうか。
約束の時間より早くロビーに下りると、四人と黄さんは既にソファーに座り談笑していた。黄さんの印象は良いようである。
ツアーバスが小綺麗な店に到着した。中華式の大きな丸いテーブルはないささやかな規模で、ごくありふれた長方形のテーブルに座ると、台湾で独自に発展した料理が運ばれてくる。
「あなた方、ビールでも頼んだら? わたしたちに気兼ねしないで」
「はい。では一瓶を黄さんといただきます」
小籠包や大根餅は問題ないが、魯肉飯は老婦人たちには脂が強過ぎないだろうか、との心配をよそに彼女たちは殆どの皿を残さずに空け、店をあとにしホテルに戻った。
一夜が無事に明けた。
鉄道に乗る時刻まで中正紀念堂や衛兵交代式を観る余裕があった。この地には何度も来ているが、鉄道に乗るのは今回が初めてである。降車駅はこの小さな島国の中央付近で、そこで更に山奥に向かう車両に乗り換える行程である。
総武線快速のようなボックス席に四人は座り、表情は和やかである。黄さんと私は通路を挟んで向かい側の席に座った。乗客は総武線のようではなく少ない。
列車が走り出して市街を抜けると、車窓を流れるのは延々とバナナ畑であった。小さな島国であっても、北部から中央部までの鉄道移動は結構な時間を要した。景観もいつの間に広葉樹の木々が目立つようになってきた。
降車駅に着いた。乗り換える車両はトロッコに毛が生えた程度のもので、遊園地で子供が乗る汽車の縮小版レプリカを思わせた。
トロッコに乗り換えると、木々は増え、葉の緑も平地より濃くなった。標高が上がり気温が下がってくると、前もって黄さんが上着を手荷物に入れる進言をしたことを思い出し、彼女たちにも羽織るように促した。
トロッコは原生林を縫って進む。時刻は夕方を過ぎて薄暗かった。
「次の停車場で降ります。ご準備下さい」
黄さんの声が心なしか遠くから聴こえる。降車してみると、そこは無人駅であった。今夜の宿泊施設が近くに見えるが、とても質素な造りで、他に建物は見当たらない。
ゆるい上り坂を歩く。空気が薄いせいか、少しの距離でも息が上がってくる。老婦人たちに歩を合わせ遅くしているが、彼女たちは無言で音を上げずに付いてくる。気丈な人たちである。
「あとひと頑張りです」
黄さんが勇気づける。
今夜の宿泊客は我々だけであるようだ。食事用の広間にも人影はなかった。トロッコに乗り換える駅の近くの一軒しかない売店で、黄さんが買い求めた弁当が今夜の夕食である。備え付けのジャーから熱い烏龍茶を紙コップに注いで、薄い発泡スチロールの蓋を開けると、豚の角煮や半分に割ったゆで卵が無愛想に盛りつけられていた。それは市街地のレストランで客が食事をしている間にツアーバスの運転手が食すまかない弁当のようであった。
食事が済んで、一槽しいかないバスタブで身体を温めた。老婦人たち、私、黄さんの順で湯に浸かり、各々の部屋で就寝した。
翌朝、といってもまだ暗いうちに宿を出て目的地に向かう。黄さんが懐中電灯を点けて先導する。
勾配のゆるい上り坂を歩くが、五分もしないうちに息苦しくなってくる。見上げると星が見えず、不安がこみ上げてきたが、彼女たちはうつむき加減の姿勢で黙々と付いてくる。
「ここです。着きました」
黄さんが張りのある声を発した。老婦人たちはペンキの剥げた、幼児が遊ぶ公園に設置されているようなベンチに座り、ハンカチを口に当て、息を整えている。
辺りが徐々に薄明るくなってきた。すぐに夜明けだが、ここでのそれは彼女たちにとって特別な意味を持つようである。
展望する山並みのひときわ高い稜線が光り始めた。彼女たちはベンチから立ち上がりカメラを向けた。
日は昇った。ご来光である。四人は抱き合って涙を流している。私もとても荘厳なもの見ている気持ちになった。黄さんは穏やかに微笑んでいる。
リーダー格の老婦人がいう。
「わたしたちの青春時代は、あのお山の頂が日本で一番高い所だったの。身体が動く元気なうちに、今は玉山だけど、昔は新高山と呼んだあのお山からのご来光を拝みたくて、仲良しだったお友達たちを誘ったの。いろいろありがとうね。この日はわたしたちにとって、とても良い記念になるわ」
私は黄さんに握手を求めた。
「ありがとう。お疲れ様でした」
肩を叩きその労をねぎらった。
<了>