フィラデルフィアの夜に 水
フィラデルフィアの夜に、針金が解けます。
水に、酒に、顔が映り込みます。
暗く沈んだ顔が、真っ黒な影の向こうにうっすら浮かび、飲み込めない今を映しています。
度数の高い酒を飲んで忘れようにも、体が受け付けず堪らず水を入れて割ったものの、より忘れられない現実が頭をよぎり続けています。
グラスを揺らし、顔は波紋で消えますが、また元通りに。
揺らしても揺らしても、元通りに.
何も変わらないことを教えてくれるのです。
せめてこのグラスの中の液体は一気に飲み込もう。
そう思った時。
何かある。
暗い顔が映る水面の向こう。
何かがある。
塊。
氷の様にも見える。
指で顔を、水面を、酒と水をかき分け、拾い上げた。
白い、隙間だらけの、何か。
網状に編まれた針金の球体。
いつの間に。
なんでこんなものが。
そう考えつつ、針金に爪先を食い込ませていく。
引っ張り、押し込み、引っ張り上げ、パズルみたいに編みこまれた球体を解いていく。
引っ張る。長く長く、針金を引っ張り出す。
押し込んでみる。底なし沼の如く針金は、球体の中へ吸い込まれていく
解いていく。指で摘まめるほどの大きさだった球体が、無限を連想させるほどに、針金が飛び出してきた
針金を解くたびに。
それでも針金の塊を解くと。冷たい感触。
手が濡れ続ける。迸り続け、湧き出していく。
針金の塊から、水が噴出する。
手が、体が、部屋中が水に満たされていく。
それでも針金を解くのを止めない。
指先が、心が、針金を解き続ける。
針金は水と同じく部屋中に散らばり、満たしていく。
あの小さな塊から飛び出してきたと、この世の誰もが信じないほどに、水と針金が。
ついに塊は、解き終わる。
最早立っていても呼吸が難しい位に水が部屋に満ち満ち、針金もまた身動きできない量を部屋中に長く伸びている。
一体何が。
不意に冷静になるも、針金が一か所に集まりだす。
針金が人の形を作り出してくる。
自分とそっくりの姿に、変わっていく。
水がその針金の元へ、集まりだす。
自分そっくりな針金人形に水が吸い上げられて、部屋は乾く。
体が動く。
人形が動くと同時に。
真向いの人形に、自分の体が同調している。
声も出せず、表情すら変えられず。
体が動く。
見たこともやったこともない姿勢に。
右足を大きく、天に届くほど大きく振り上げる。
そして。
地面へ踏み込んだ。
部屋が、世界が揺れた。
大津波が巻き起こる。
人形の中の水と、自らが踏みしめた衝撃で部屋に残っていた水が、世界を壊し、打ち鳴らす。
左足を大きく、天に届くほど大きく振り上げる。
また。
地面へ踏み込んだ。
水と衝撃が、全てを揺るがし震わせ、世界に知らしめる。
人形と自らは、向かい合い頭を向け合う。
お互い同時に動き、ぶつかり合う。
頭蓋骨と人形は、交通事故以上のの轟音を鳴らす。
狭い部屋の中で、灼熱しだした体が言うがまま。
顔を張り、顎をカチ上げ、腕を取る。
顔から血が、人形から水が噴火の如く噴き出しながら。
崩した姿勢を急いで戻し、人形を再び押し出しにかかる。
悲鳴を上げだした足腰の叫びを無視し、壁へ人形をぶつけた。
体中、あらゆる場所が少しの隙間もなく悲鳴を上げています。
部屋は水に濡れ、何もかもが壊れました。
傷口は大きく開き、血が流れ続いています。
人形をぶつけた壁は大きな穴が開き、そこから隣人が警察への電話を片手に騒ぎ続けます。
ドアは、八つ当たりにしか思えないくらい、打楽器以上に叩かれ続ていて。
もう、ここから追い出されることでしょう。
でも、自らの中に不思議な熱があるのを感じます。
心と体の中に、灼熱が。