last episode1-2「 」
合宿当日の朝。大きなショルダーバッグを抱えて家を出ようとする僕に、妹の奈々子が駆け寄って来た。
朝とは言え、じっとしていればじわっと汗ばむほどの暑さ。薄いキャミソールに下着という超絶無防備な妹が心配そうな顔で尋ねる。
「お、お兄ちゃん!? どうしたの?? どこ行くの???」
大きなカバン。そう言えばまだ彼女には合宿のことは話していなかったと思い出す。
「ああ、今日から部活の合宿なんだ。二泊三日で」
無論、両親には話してある。その際奈々子はいなかったので知らないのも当然だ。いきなりの話に驚愕する奈々子が僕に言う。
「何それ!? 奈々子、聞いていない」
むっと頬を膨らませ不満そうな顔の奈々子。
「そうだったな。悪かった。でも最近お前、よく部屋に籠っているだろ?」
「あ、うん。友達から恋愛相談されていて……」
思い当たる節があったのか、奈々子の声のトーンがやや下がる。
「まあ、たかが二泊三日。すぐに帰って来るよ」
そう言って勇み良く家を出ようとする僕に奈々子が言う。
「お兄ちゃん、部活の合宿なんだよね? なんか戦いに行くみたい……」
その言葉を聞き立ち止まる僕。ふうと小さく息を吐き振り向いて答える。
「ああ。戦だ」
「え? あ、お兄ちゃん!? 戦って、なに?? 何の戦??」
僕はその奈々子の問いには答える軽く手を上げ玄関を出る。
(そう、これは戦。僕にとって生まれて初めての大切な戦)
じわりと滲む汗。でもそれはきっとこの暑さのせいではないと僕は思った。
「おはよう、総士郎!」
「あ、おはようございます。ミカさん」
集合場所である駅前。夏休みの朝なので学生の姿はほとんどないが、早朝にもかかわらずサラリーマンはちらほら見かける。僕は周りを見回す。来ているのはまだミカひとり。否が応でも緊張する。ミカが僕の隣に来て、赤髪を指で耳に掛けながら尋ねる。
「迷いはないな?」
「はい」
迷い。そう、少し前の僕だったら随分と迷っただろう。迷って悩んで夜の眠れぬほど苦しんだろう。だけどもう心は決めた。迷わない。僕は僕に正直になる。真面目な僕の表情を見たミカが頷いて言う。
「分かった。じゃあ、正式に受理するよ。総士郎の『恋愛よろず相談部』への依頼。対象は霞ヶ原真奈。いいな?」
「はい」
震えた。気合を入れてきたはずなのに、改めて言葉に出されると、ヘタレな僕は体が震えてしまう。握りしめた拳に滲む汗。速くなる呼吸。だが今の僕はそれを乗り越えるだけの気持ちがあった。
「お願いします」
「うむ。分かった。善処する」
善処する。その言葉の意味は僕には分からなかったが、賽は投げられた。僕は進む。もう過去は振り返らない。前を向いて進む。
「おはよー、ミカりん!! 神崎君!!」
艶やかな黒髪を後ろで縛った真奈が笑顔でやって来る。ミカがそれに手を振り応える。僕もつられて手を振り笑顔となる。そう、僕は君に向かってまっすぐ進む。
「うわ~、涼しい~」
文芸部の皆が揃ってから乗り込んだ電車。あまりの冷房の涼しさに思わず声が上がる。
「それにしてもマナマナ。すごい荷物だな」
ミカが僕以上に大きなバックを抱える真奈を見て苦笑気味に言う。
「えー、だってお泊りでしょ? 女の子は荷物が多くなるんだよー」
「私も一応女なんだがな……」
真奈に比べて小型のリュックサックひとつでやって来たミカ。僕はそれを見て思わず笑いを堪える。
ドン……
「きゃっ」
そんな和やかな雰囲気の中。その黒髪の男が持った、大きなカバンが座席に座る真奈の肩に当たった。慌てて男が真奈に向かって頭を下げ謝る。
「ごめんなさい! 大丈夫だった?」
「え? ああ、大丈夫です……」
イケメン。そして対話した相手を包み込むような包容力を持った男。同じ高校生ぐらいだろうか。珍しく真奈がその男をじっと見つめている。男が頭に手をやり、恥ずかしそうに言う。
「ちょっとみんなとはぐれてしまって……」
「あ、の……」
そんな彼に別の車両からやって来た男が声を掛ける。
「廉太郎、何やってんだよ。こっちだぞ!」
「ああ、ごめん」
はにかむ廉太郎と呼ばれた男。そして真奈に笑顔を向けながら言う。
「ごめんね。じゃあ」
「あ、はい……」
軽く手を上げ友人らしき男と去っていく廉太郎。僕はそれを見ながらなぜか一抹の不安を覚えた。
「絹ぅー!! 何やってんだよ!!」
山中にある保養施設までは、いつもの文芸部らしく賑やかな移動となった。電車内でノンアル片手にゲラゲラ笑うミカ。携帯用カラオケマイクを取り出し、電車内でゲリラライブをはじめ車掌に叱られるララ。地味な文芸部とは思えないほど移動を楽しみ、そして電車からバスを乗り継いで保養所最寄りのバス停へと到着した。
「あ~、これは涼しい~!!」
バスから降り立ったミカの第一声。続いて降りた僕らもその涼しさに思わず声が出る。
「ほんと、涼しい!!」
「天然のクーラーね」
移動の疲れも吹き飛ばす心地良い風。日差しは強いが、ここで過ごせるなら合宿も悪くはない。
ブロロロロロ……
そこへやや遅れて別のバスがやって来て、近くのバス停で止まる。
「うわ~、ここでいいのかな~??」
そのバスから降りてきた一人の男子高生。黒髪に爽やかなイケメン。真奈が思わず声を出す。
「あ、あの人って……」
僕らに気付いたその黒髪のイケメンがこちらに駆け足でやって来る。
「あれ~、君達って。電車で一緒だった……」
そう彼は行きの電車で一緒になった廉太郎と呼ばれた男。廉太郎は頭に手をやり、はにかみながら言う。
「この近くの保養所で合宿するんだけど、俺、昔っからすぐ迷っちゃう癖があって。保養所とか知らないかな?」
僕の心臓が大きく脈打つ。廉太郎の話を腕組みしながら聞いていたミカが答える。
「偶然だな。我々もその保養所で合宿をするんだ。一緒に行くか?」
「マジで!? そりゃ助かるよ!!」
屈託のない笑顔。間違いなくモテる男。僕は自分と真逆にいる廉太郎と言う存在を見て一瞬眩暈がする。
(え? 霞ヶ原……?)
隣にいた真奈の視線が廉太郎に向けられる。僕は分かった。その視線が普通でないことを。
「じゃあ、行くぞ~」
ここから保養所までは徒歩。それほど遠くはないので歩きとなる。
「あの……」
僕と一緒に歩き出した真奈が、少し前を歩く廉太郎に声を掛ける。振り返るイケメン。笑顔で答える。
「俺、廉太郎。よろしくね」
「あっ、わ、私、霞ヶ原、真奈って言います」
僕の不快指数がどんどん上がる。黙ってふたりの会話を聞く僕の表情が強張っていく。真奈が尋ねる。
「あの、廉太郎さん。廉太郎さんはよく迷子になるって言ってましたけど、昔からなんですか?」
僕の全身から汗が噴き出す。嫌だ。それ以上は聞きたくない。そんな僕の気持ちとは別に、廉太郎が少年のような笑顔で答える。
「そうなんだよ~。恥ずかしいけど子供の頃からすぐに迷子になっちゃって。遊園地とかプールとか。いや~、マジでダサダサだよね~」
遊園地で迷子。その言葉を聞いた真奈の表情が明らかに変わったことに僕は気付いた。呼吸が深くなり、全身汗だくになる。僕らが目指す保養所が間もなく見えて来た。




