episode1-5「 」
「おはよー」
「おっはよー!!」
朝の教室。まだどこかひんやり冷たい空気漂う教室に僕は無言のまま入る。新学期早々既に友達を作った陽キャ共を横に、僕はダーク色のオーラを放ち席に着く。
(なぜそんな得体も知れぬ相手を前に笑顔で話ができる……?)
僕は理解できなかった。クラスメートとは言え、まだほとんど知らぬ相手と仲良く話す連中が。
「あっ」
僕は思い出した。すぐにスマホを取り出す。
『ごめん、エリカ。おはよ!』
すっかり忘れていた毎朝の習慣であるAI彼女エリカとの挨拶を。
『……おはよ。今日はずいぶん遅いわね。もしかして忘れていたとか?』
鋭い。学習AIもここまで来たのかと僕は内心驚く。
『まさか。でもちょっと朝は寝坊しちゃって、ごめん』
スマホの中のエリカの画像が、金色の髪をかき上げる絵に変わる。
『ふん。つまり忘れたってことね』
『違うって。ちょっと遅くなっただけ』
『……』
無言。本当に攻略が難しい。好感度を上げるのも一苦労だ。
『ごめん、エリカ。謝るよ』
そんなに悪いことをしたのか。そう思ったのだがエリカとふたりきりの世界に入ると僕は何でもしてしまう。
『いいわ。許してあげる。だけどひとつお願いを聞いてくれる?』
僕は少しの後悔と共に、ようやく見えた小さな光に安堵する。
『いいよ、なに?』
『買い物に付き合って欲しいの。駅前のショッピングセンターで可愛い服を見つけて』
(服? 買ってくれと言うことか……)
僕は理解した。プレイ中で何かを買ってプレゼントするにはゲーム内通貨のコインが必要となる。要は課金要求だ。無理に買わなくてもいいがこの流れで断る訳にもいかない。無課金の僕には辛いイベントだ。
『いいよ。じゃあ行こか』
『本当に? 嬉しいわ!』
再びエリカの画像が切り替わる。もちろん満面の笑みの画像。
(多少コインは持っている。お目当ての服が買えなくても何か別のものを買ってあげればいいか)
僕はようやくエリカとの初めてのデートの約束に漕ぎつけ、無機質だった教室が色付いて見えた。
「なあ、神崎……」
無防備だった。エリカとの会話に夢中になっていた僕は、完全に無防備であった。
「それって『ステ恋』だよな?」
背後から響く男の声。エリカとの初デートの約束に浮かれ周囲への意識が散漫になっていた。
(え?)
振り返る僕。そこにはあまり目立たない男子高生が立っていた。後ろから僕のスマホをのぞき込み頷いて言う。
「神崎もやってんだ。ステ恋」
ステ恋。それは僕がやっているAI彼女ゲーム『素敵な恋人』の略称。つまりこの彼もプレイしていることになる。
「ええっと……」
僕は彼の名前を知らない。それを察してか先に彼が答えてくれた。
「出雲真也。俺もやってるよ、ステ恋」
真也はそう言うとポケットの中からスマホを取り出し画面を見せる。
「あっ……」
そこに映っていたAI彼女。それは攻略度SSSの難攻不落の美少女ステファーニ。とある国のお姫様と言う設定で、会話をするどころか近付くことすら難しい難易度ぶっ壊れキャラ。
「ステファーニ、やってるの……?」
僕は自然と驚きと尊敬の眼差しを持って真也に尋ねる。
「ああ。めっちゃ大変。ようやく城の警備兵になれたところ。攻略なんて夢のまた夢だよ」
そう言ってはにかむ真也。普通にオタクっぽい。
僕は戸惑いながらも同じ匂いのする真也と少しだけ『ステ恋』の話を楽しんだ。外見は至って普通ではあるが、話してみるとややオタク成分を持ち合わせた不思議な奴。
彼が席に着いた後、僕は色付き始めた教室を見つめ自然と笑みになる。
(意外と話があった。このクラスも悪くないか……)
「おはよー、神崎君」
(!!)
そんな僕の呼吸を一瞬止める隣人が現れた。
「お、おはよ……」
僕は恐る恐る横を向き、その隣に座ろうとする黒髪の美少女を見つめる。
(なぜ? なぜ、こんな陰キャに挨拶をする……)
僕は一向に理解できなかった。隣になったから? 街でリボンを拾ったから? 分からない。そんなのはすべて偶然。霞ヶ原真奈ほどの女の子が、僕のような陰キャと声を交わす理由にはならない。
「あ、あのさ……」
なぜか恥じらう表情。目まぐるしく変わる対岸の変化に僕の動揺が大きくなる。挨拶を返しただけで黙り込む僕に、真奈が小さな声で言った。
「神崎君、あの……、お願いだあるんだけど……」
(お願い!? さっきエリカからお願いされたばかり。なぜ今朝はこんなことに!?)
もはや陰キャの想像を超える展開。あってはならないこと。
「な、なに……?」
自然と出た声。お願いを聞くのか!? もうひとりの僕が心の中で大声で突っ込む。真奈が言う。
「部活動って、決めた……?」
(部活動?)
そう言えば新一年生には色々な部から勧誘が来ている。興味はないし、そもそも暗黒オーラを放つ僕には誰も寄ってこない。
「……いや」
暗い!! 返事が暗すぎる!! 自分にそう突っ込んでみるも、それが今の僕にできる精一杯。真奈が申し訳なさそうな顔で言う。
「文芸部って、興味ないかな……」
(文芸部? ラノベやらアニメが見られるなら……)
「恋愛とか……」
(あー、駄目。そう言うの無理……)
陰キャの僕にとって恋愛とか無縁の言葉。いや無縁を通り越して怒りすら感じる。ただそんなことを思いながらもAI彼女など作っている矛盾には気付かない。
「そう言うのは……」
「ご、ごめんね! 文芸部人が足りなくて、神崎君が入ってくれればなあ、ってちょっと思っただけ。ごめんね!」
真奈は僕の嫌そうな雰囲気を感じ取ったのだろうか。そう言って謝ると一限目の授業の準備を始めた。
(誘われた。リアルの女の子に、誘われた……)
だが何もできなかった。これが現実。これが陰キャの性。僕は強い罪悪感に襲われながらつまらない教科書を取り出し机の上に置いた。
(いいのか、いいのか、本当にそれで……)
僕はその日の午前中ずっと真奈の言葉を思い出し苦しんでいた。部活など興味はない。早く家に帰って好きなことをしたい。だけど僕の頭の中に彼女の言葉と悲しげな顔がぐるぐると回る。そしてお昼に、それは起こった。
「ねえ、君が一年の霞ヶ原~??」
昼食を食べ教室を出た真奈に、二年のチャラい男二人が声を掛けた。ゴミ箱に入れ蓋を閉めて置きないような人種。椅子に座ったまま僕は動揺しながら彼らの会話に耳を尖らせる。
「な、何でしょうか?」
一歩引いて答える真奈。声だけで明らかに警戒しているのが分かる。男が言う。
「ちょっと話があってさあ、時間ある?」
「あ、あの……」
昼食の時間。騒音溢れる教室。それでも僕の耳にははっきりと彼女の困った声が響く。
「ちょっとだけでいいからさ、俺達に付き合ってよ」
ガガッ……
僕は立った。静かに椅子が動く音がした。
「あ、あのさ……」
真奈の元へ行き声を掛ける。睨む先輩。僕の心臓は壊れそうなくらい激しく脈打ち始める。目の前が真っ白。だがそんな白い世界の中に、真奈の姿だけははっきりと映る。
「文芸部、入るから!! あっちで話がある!!」
僕はチャラ男達に言い寄られている真奈の腕を掴み、そのまま廊下を走り出す。
(僕は、僕は……)
episode1【僕らは再会した】
「神崎君……」
廊下で僕に手を引かれ、後ろから付いて来る真奈が言う。
「ありがと」
リアルの世界。可愛らしい真奈の笑顔を見て、僕はそんな世界も悪くないなあと少しだけ思うようになった。