episode8-4「 」
(暑い。汗が止まらない……)
僕は放課後の電車の中で、真奈とふたり並んで座っていた。まだ帰宅には時間が早いのか人もまばらない電車内。だが僕の体は隣にいる美少女のせいで、熱く火照りが止まらない。
(もっと冷房効かせろよ!!)
汗を流す僕の隣に座る真奈が言う。
「寒いね。人が少ないから冷房効きすぎてるのかな」
(ぐおぉオオオオオ!!!!)
これが非モテ陰キャとカースト上位の美少女キャラの違い。とにかくこの二人きりと言う状況に僕は必死に耐え続けた。しかし本当の試練はもちろんこの後にやって来る。
「うわ~!! 可愛いのがいっぱいある!!」
駅前のショッピングセンターに着いた僕と真奈。本格的な夏休みを控え、水着売り場が設けられたフロアに足を運ぶ。一面色とりどりの花のように飾られた水着の群れ。そのほとんどが女性用。平日の午後だと言うのに結構な人で賑わっている。
(め、眩暈が……)
恋愛クソ雑魚陰キャの僕にとって、女性の水着売り場ほど体に悪いものはない。もちろん水着は嫌いではないのだが、リアルの女性がいる水着売り場は考えるだけで恐ろしい場所だ。今日約束している姫野とはここで合流する予定。ただ時間はまだある。真奈が言う。
「ねえ、ちょっと私、見て来ていい?」
「あ、ああ……」
とにかく早く終わらせたい。できれば真奈と二人だけで選んできて欲しい。男子意見が欲しいなど、ああ、考えただけでも倒れそうだ。
「あれ?」
その時、真奈が持っていたスマホが鳴る。聞き覚えのある着信音。すぐに電話に出た真奈が、驚きの顔をする。
「え? 本当なの!? ミカりん」
ああ、きっと嫌なことが起こっているんだろう。僕の第六感がそう告げている。文芸部に入部後、ある程度の耐性はついた。だがリアル女子の水着選びと言う高難易度試練はまだ無理のようだ。
そんなことを考えていた僕に、電話を終えた真奈が困った顔をして言った。
「神崎君。姫野さん、今日来ないんだって」
「は? なんで??」
主役が来ない。一体どう言うことだ??
「それがね。昨日、彼氏の浮気が発覚してみたいで、大喧嘩して別れちゃったんだって。だからもう水着は要らないって。さっき謝りに部室に来たらしいの」
(マ、マジか……)
何というタイミング。何と言う急展開。そう思いつつも、これで水着選択イベントが終わったと安心した僕があることに気付く。
(あれ? 今日って部活休みじゃなかったのか……?)
部活は休み。なぜその部室に姫野は行ったのか。黙り込んで考える僕に真奈が顔を赤くして言う。
「ね、ねえ。神崎君……」
「……ん? なに」
部活の謎に全集中していた僕には、その彼女の発する言葉に対して全く無防備であった。
「じゃあさあ、私の水着選んでくれる?」
(え?)
僕の頭にあった色々な考え事が一気に吹き飛んだ。目の前の、超一級イベント誘発に頭が混乱する。真奈が言う。
「ほら、もうすぐ夏休みでしょ? 私も新しい水着、欲しいなあ~って。選んでくれる?」
「あ、いや、それは……」
リアルの女の子の水着を選ぶと言う高難易度試練が、リアルの『美少女』の水着を選ぶ超高難易度試練に変わってしまった。真奈が僕の手を引き小悪魔的な顔で言う。
「そー君は断れないよ! だって昨日忘れたスマホ、誰が届けてあげたと思ってるんだ~??」
「うぐっ……」
僕の外堀は埋められた。
「さ、行こ!」
(うぎゃっ!!)
躊躇う僕の腕に手を回し、真奈は嬉しそうに水着の海へと駆け出した。
「……以上だ。今回のマナマナの件も十分にその可能性が考えられる」
一方、文芸部の部室。ミカが半年前に起こった事件の説明をする中、今回の依頼人である姫野がやって来て彼氏と別れたことを告げた。驚く一同であったが泣きそうな姫野を慰め、今回の水着選びはキャンセルとなった。姫野が帰った後すぐにミカが真奈に電話。そして再び事件の話へと戻った。
「十分怪しいわね~。まあほぼ間違いなさそう」
ララが足を組み直して言う。無言の沙織。興味なさそうではあるが、思い出したのか顔には怒りの表情が見て取れる。ミカが言う。
「可愛い後輩の為だ。私達先輩が力を貸してやるべきだと思う」
「まあ、そうだね~。本当なら、ちょっと許せないしー」
「異論なし」
ララも沙織も同意する。ミカが拳を握りふたりに言う。
「じゃあさっそく調査開始だ。徹底的にやる!! 目星はついているからな!!」
気合の入ったミカ。それだけ彼女を真剣にさせる理由はあった。
「で、でさ。そー君は、どんな水着が好みなのかな……」
真奈が僕を呼ぶ名前。『神崎君』と『そー君』。その場や彼女の感情によって使い分けされていると推測するが、『そー君』を使う場合もっぱら機嫌が良いことが多い。
「そ、それは……」
などと冷静に分析している余裕などない。目の前に起こっている『リアル美少女の水着選び』イベントを前に僕の蟻のような小さな脳みそはとっくにキャパオーバーとなっていた。真奈が言う。
「どうせ今日は姫野さんの選ぶつもりだったんでしょ? じゃあ、代わりに私の選んでくれてもいいじゃない?」
どうせもクソもない。恋愛クソ雑魚陰キャの僕にとってこの水着売り場はまるで毒の沼地。居るだけでHPが削られていく。真奈がややむっとした表情で言う。
「あー、そうなんだ! 全然知らない姫野さんのは選べて、私のは選べないんだ! そーなんだ、そーなんだ!!」
「ち、違うって。違うから……」
真奈が怒った。客観的に見れば彼女と一緒に楽しく水着を選べば済む話。想いを寄せる相手。嫌なはずはない。だがどうしても陰キャとして体に刻み込まれた悪の刻印が体の自由を奪う。真奈が言う。
「じゃあ、選んでくれる?」
「う、うん……」
小さな声。これが精一杯だ。真奈が嬉しそうに近くにあった水着を手に取り尋ねる。
「ねえ、じゃあこれとこれ。どっちがいいかな??」
青のビキニとフリルのついた白のワンピース。どちらでもいい。似合うに決まっている。ただ僅かに残った僕の思考回路が青のビキニを指さす。
「こ、こっちかな……」
純粋に肌の露出が多い方を選んだ。情けない男の性。人間追いつめられると自分でも信じられない選択をする。真奈がビキニを見つめながら言う。
「へえ~、こういうのが好きなんだ。ビキニ、好きなの?」
僕は水着を持った真奈から視線を外し、小さく、本当に小さく頷く。
「なるほどなるほど。じゃあ、試着してみるね!」
(ええっ!?)
着るのか!? 今ここでそれを着るのか!? 僅かに残った僕の理性が完全に吹き飛ぶ。真っ赤になった顔で真奈が恥ずかしそうに言う。
「……ちゃんと見てよね」
多分意識が一瞬飛んだ。想像もできない展開に僕の思考回路は煙を上げて崩れ落ちた。さすがに真奈も恥ずかしいのか、試着室に移動しながら前を向いて言う。
「神崎君」
「な、なに……」
この時の言葉の意味を、僕はもっと真剣に考えるべきだった。
「水着買っても、予定ないんだ~。あー、どうしようかな~」
立て続けに起きる想定外の出来事に揉まれた僕。彼女のその言葉の意図や気持ちなどに全く気付くこともできず、ただただ無難に水着選びを終えることに全力を尽くした。




