episode7-5「 」
翌朝。真奈に具合を尋ねるメッセージを送ろうと思った僕の手が止まる。発熱時の辛さは自分も良く分かっている。僕は病気の彼女を慮り、送るのを控えることにした。
玄関を開けると昨夜の雨が嘘のように青空が広がっていた。だがそんな澄んだ空とは対照的に僕の心には曇り空が広がっていく。
ガラガラ……
ひとり教室のドアを開ける。
突き刺さる視線。僕を排除しようとする無の圧。そんなこと全て気のせいかもしれないが、長年心に沁みついたこの負の感情を拭い去ることは容易ではない。僕は黙って自分の席に着くと小さく息を吐き、目に映る景色を見る。
(灰色だ)
色のない教室。意味もなく響く誰かの声。そのすべてが僕を否定する。僕は顔を机の上に伏せ、耳を塞ぎ思う。
(嫌だ嫌だ嫌だ……)
僕の周りだけ止まる時間。虚無の空間。再び訪れた悪夢のような空間に僕はひとり耐え続けた。
「総士郎、一緒にマナマナの見舞いに行くか~??」
放課後、ひとり部室にやって来た僕にミカが尋ねた。片手にはノンアルの缶、もう片方にはお菓子が入った袋がある。部室にいたララと沙織が僕の顔を見つめる。
「あ、あの……」
行きたい。行ってお見舞いしたい。彼女が僕を見舞ってくれたように僕も。だが沙織が感情のない声で小さくつぶやく。
「迷惑でしょう。異性が部屋に来られたら」
(あっ)
そうだと思った。ララが続く。
「う~ん、そうかもね~。総士郎君は仲がいいけど、やっぱり男の子。病気中の女の子は見られたくないかもね~」
ミカも赤髪に手をやりながら言う。
「まあ、そうかもな。幾ら彼氏でもむくんだ顔とか見られたくないよな。よし、じゃあ私達だけで……」
「ミカさん、ひとりで行ってきなさいよ」
さらりと沙織が言う。ララも続く。
「そうよ~、病人の部屋に大勢で押しかけてどうするのよ~。ほんと脳筋なんだから~」
「え? ああ、そうだな。分かった、私ひとりで行って来るよ」
基本優しい性格なのだが、細かな所には気が回らない。結局文芸部の代表としてミカが真奈の見舞いに行くことになった。
(霞ヶ原……)
僕はずっと黙ったままのスマホを見つめ、何もできない自分に苛立ちを覚えた。
その日の夜。ようやく熱が下がったとの連絡が真奈から来た。随分体も楽になってご飯も食べられるようになったらしい。ミカが来てずっと喋り続けていたことや、食べられない量のお菓子を持って来てくれたことを教えてくれた。
『見舞いに行けなくて、ごめん』
僕は素直に彼女に伝えた。
『いいよ~、今の私、可愛くないから!』
可愛くない『霞ヶ原真奈』などあるのだろうか。僕は一緒に送られて来た鹿が照れるようなステッカーを見て、ふとそんなことを考えた。
まだ咳が止まらないとのことで真奈はその後数日学校を休んだ。真奈の居ない学校。それでも僕はスマホで彼女と毎日やり取りをした。少し前の自分では考えられないこと。スマホでなら不思議と少しだけ自分を出すことができた。
そしてその朝がやって来た。
「行ってきます!」
僕はいつも通りジェットストーム・エクスプロージョン改2に乗り学校に到着する。灰色の空間。虚無の世界。つまらない学校と言う一日が今日も始まる。はずだった。
ガラガラ……
教室のドアを開けた僕。その目に黒髪が美しい女の子が、他の女子と楽しそうに会話する姿が映った。
「霞ヶ原……」
僕は小さくその名前を口にした。
「あ、神崎君! おはよ!!」
僕に気付いた真奈が笑顔で駆け寄って来る。僕は気付いた。
(色がついた……)
灰色だった世界。そこに『霞ヶ原真奈』が加わったことで、すべてに美しき彩りが溢れ出す。教室の黒板。机の木。窓の外の空。級友の声。そして真奈と言う存在。
「お、おはよ……」
戸惑い。緊張。震える手。だが、心地良かった。
「もう、大丈夫なの?」
「うん。元気になったよ! ありがとう。それでね、前に借りたこの傘をね……」
(ああ、そうか。高校に入ってから消えていたあの虚無感)
「ずっと返せなくてごめんね。だからお礼にね……」
(彼女が、霞ヶ原真奈が、僕に彩りを与えていてくれてたんだ……)
真奈は鞄から傘と一緒に、小さな袋に入ったチョコレートを取り出す。
「これ、すっごく美味しいの。神崎君、甘いもの好きでしょ? 良かったら食べてみて!」
(そうだ。ならば僕は言わなきゃならない。伝えなきゃならない、僕はこの言葉を)
episode7【ありがとう】
「あ、あの、ありがと……」
僕は消え入りそうな小さな声で真奈に感謝を伝えた。顔が熱い。体が火照る。そんな僕を見て真奈が笑って言う。
「いいよー、だだのチョコだし。それにお礼を言うのは私の方だよ。応援に来てくれて、傘も貸してくれ……」
「ありがとう。本当に、ありがとう」
「神崎、くん……?」
僕の目頭が熱くなる。人を前に、人に対して初めての経験。止まらない。抑えられない。僕は俯き真奈から目を逸らす。彼女が僕の耳元でそっと囁いた。
「あれ~、そんなに嬉しいんだ。私に会えて」
きっと心のスピーカーがあれば『嬉しい!』と大音量で僕の声が響いていただろう。だけど僕は残っていた僅かな理性で返事をする。
「ち、違う。チョコが、嬉しくて……」
「チョコレート、好きなの?」
そう尋ねる真奈に、僕は顔を上げ彼女を見つめて答えた。
「好き」
風邪が治って良かった。
またこの素敵な教室で彼女と一緒に過ごせる。




