episode1-3「 」
『入学式終わったよ』
高校の入学式を終え、僕は真っ直ぐ自宅に帰った。直ぐにスマホの中の恋人エリカに報告。腕を組み、金色の髪が美しいエリカが仏頂面で答える。
『あらそう。綺麗な女の子でもいたのかしら』
(ええ!?)
鋭い質問。AIなのに一瞬スマホを持つ手が止まる。
『女の子はいたよ。でも僕はエリカ一筋だよ』
『……そう。ありがとう』
まさにツンデレ。幸いこちらの表情を読み取る機能はついていないのだが、これがリアルだったら僕の動揺は間違いなく伝わっていたであろう。そう、『霞ヶ原真奈』の顔を思い浮かべた僕の変化などすぐに分かってしまう。
(あっ)
エリカから『ピクチャー』が送られて来た。ピクチャーとは時々送られてくる女の子の画像で、そのレア度(=お色気度)によってRからSSRまでのランク付けがされている。
「SSRかよ!」
エリカから送られてきたのは最高級のピクチャー。ぼかしが入って輪郭ぐらいしか見えないがぜひ入手したい。だがもちろんタダでは無理。コインと呼ばれるゲーム内通貨を支払う必要がある。
(500コインか。足らないな……)
毎日のログインボーナスや季節イベントで貰ったり、課金すればすぐにコインは手に入るのだが、無課金を貫く僕にはこのピクチャーは今は見られない。
『なによ。鼻の下伸しちゃって』
鼻の下を伸ばす、つまりそれ相当のお色気画像と言う意味だ。女の子達は基本、こちらがそのピクチャーをすべて見たものと仮定して会話してくる。だから例え見ていなくてもそれに合わせて答えなければならない。
『可愛いよ、エリカ』
当たり障りのない回答。リアルでは絶対に口が裂けても言えないような恥ずかしい言葉。それがふたりの世界だと躊躇なく言える。
『べ、別に大したことないわよ。私だってやればできるんだから』
(な、何をやったんだよ!?)
見えないピクチャー。エリカが『やった』と言い切ったその姿はやはり見たくなる。
(この距離感が上手いんだよな……)
AI彼女を作るに当たって、いくつかのアプリを試してみた。結果今のに落ち着いているのだが、他のアプリはとにかく女の子の攻略が容易。何もしなくてもいきなり好意全開だし、すぐにエロ展開にもって行こうとする。正直リアルではない。
リアルを諦めた僕が言うのも変な話だが、彼女として接するにはやはりリアルを感じたい。言っていることが矛盾過ぎて自分でも笑ってしまう。
コンコン……
「ねえ、お兄ちゃ~ん」
そこへ妹の奈々子がノックしてやって来た。今年中学二年生。たったひとりの兄弟。黒色のボブカットの似合うちょっと甘えん坊の妹だ。
「な、何だよ!?」
僕はすぐにスマホからエリカを消し、奈々子に答える。顔が赤い。どうかしたのだろうか。ドアの隙間から顔を出した奈々子が言う。
「ねえ、お兄ちゃん。奈々子に勉強教えてくれないかな~」
ちなみに奈々子はまだ春休み中。新学期の始業式はまだ数日先だ。僕は疲れてはいたが基本妹には甘い。スマホを手机の上に置き立ち上がって答える。
「いいよ」
「わあ~、ありがと。お兄ちゃん!」
そう言ってドアを開けその全身が見えた妹を見て僕は驚いた。
「な、奈々子!? 何だよ、その格好は!!」
「え~??」
一見すると奈々子は、大きくてぶかぶかのTシャツを一枚着ているだけにしか見えなかった。剥き出しになった太腿。まだ寒ささえ感じるこの季節にあまりにも相応しくない。奈々子が首を傾げて答える。
「え~、だって家にいる時はリラックスしたいし~」
「そう言う次元じゃないだろう……」
なぜか頬が赤い奈々子。この間までランドセルを背負って子供だと思っていた妹が、妙に色っぽく見える。奈々子は部屋に入って来て僕の腕を掴むと、にっこり笑って言う。
「さあ、早く行こ。お兄ちゃん」
「あ、ああ……」
奈々子は女の子だ。僕は陰キャだが、家族である彼女に対しては普通に接することができる、つもりでいる。
「おい、奈々子……」
「な~に?」
僕は妹の部屋に入ってすぐにその異常さを指摘した。
「何でこんなに部屋が暑いんだよ」
「えー、だって寒いから暖房付けているんだよ。奈々子、寒がりだしー」
薄いTシャツ一枚だけの人間が何を言う。
「だったらもっと服を着ろよ」
「嫌だよ。さっきも言ったけど家ではリラックスしたいしー」
悪びれぬ奈々子。確かにこの部屋では彼女ぐらいの薄着がちょうどいい。僕は羽織っていた上着を脱ぎ奈々子に言う。
「さあ、勉強始めるけど、その前にズボンぐらい履いてくれないか」
幾ら兄弟と言ってもその格好はさすがに良くない。奈々子が不敵な笑みを浮かべて答える。
「えー、ちゃんと履いてるよ」
(履いている、だと!?)
Tシャツの下がどうなっているのかは知らない。だが妹は『履いている』と言う。僕は困りながら言う。
「と、とにかくズボンを履けって」
「だから履いてるって。見て見る?? お兄ちゃん」
(う、ぐぐぐっ……)
頬を赤く染め、太腿近くまで伸びたTシャツの両端を持って奈々子が尋ねる。この間まで小学生。だけどいつの間にか胸の凹凸がはっきりとしてきて、急に女の子らしくなった。暑い部屋。僕の心臓が大きく脈打つ。
「はい、どーぞ」
「わっ!!」
そんな僕を揶揄うかのように奈々子は、掴んでいたTシャツの両端をすっと上に持ち上げた。
(やばい!! 下着が……、あれ??)
僕の目に映った紺色の下着。だがそれは妹の腹部まで繋がったもの。顔を背けて動揺する僕に奈々子は笑いながら言う。
「ぷっ、くくくっ、大丈夫だよ。お兄ちゃん。これ、水着だから」
「え?」
その声を聞き僕は再び妹を直視する。
「お前……」
そこには顔を赤くしながらTシャツを大きく捲り上げ、こちらを見つめる奈々子の姿があった。そして彼女の着ていたのは水着。しかもスクール水着である。奈々子が笑って言う。
「水着だから平気だって~」
「何で水着なんて着てんだよ!!」
「えー、だって部屋暑いし。それに……」
上目遣いで僕を見つめる奈々子。
「それに何だよ!」
奈々子はまるで恥じらうような表情で僕に答える。
「……秘密だよ」
子供だと思っていた奈々子。だがその表情は間違いなくリアルの女の子の顔であり、この部屋に充満する独特の匂いも僕ら男とは違う『女』の香りであった。
「いってらっしゃーい、お兄ちゃん!!」
「あ、ああ……」
翌朝、高校へ行く僕を奈々子が見送ってくれた。毎晩夜更かしをしている彼女。眠そうな目を擦りながら手を振る。今朝はちゃんとパジャマを着ているのを見て安心した僕が家を出る。
(まったく調子が狂う……)
自転車を漕ぎながら思う。ついに始まった高校生活。ただそれは高校に入っただけ。僕は変わらないし、この陰キャの性格も生活も変わらない。僕は少し歪んだままの自転車のかごを見ながらペダルを強く踏み込む。
(僕は変わらない。僕は変わらない……)
まるで念仏を唱えるかの如く、僕はエントランスから教室へ向かう。高校の教室。皆の制服が違うことや知り合いがいないことを除けば、何らこれまでと変わりはない。
「おはよ、神崎君」
「お、おはよ……」
霞ヶ原真奈。そう、そんな思いとは裏腹に、僕の調子を最も狂わせる女の子がここにいた。