episode6-2「 」
僕は急いでマスクをつけ、全力で家中の窓を開けて回った。
(霞ヶ原真奈が、僕の家にいる……)
その理解できない状況に、熱くなった頭がさらに熱を増す。足を止め、そっとドアの隙間から居間を覗く。黒髪の美少女。すっと背筋を伸ばした美しい姿勢でソファーに座っている。
「あ、あの、ありがとう。来てくれて……」
そう言いながら居間に入る僕の頭の中には、クエスチョンマークで一杯であった。なぜ彼女が家に来る? なぜ僕の家を知っている? なぜこんな時間にやって来る?? 考えれば考える程分からない。僕に気付いた真奈が立ち上がり心配そうな顔で言う。
「大丈夫? 熱は? まだ熱あるの??」
(え?)
そう言って彼女は僕の前髪をその真っ白な手でかき上げ、自分の額を僕の額に付けた。
「熱い……、まだ熱があるわ。薬飲んだの??」
(霞ヶ原真奈が、近い……)
目の前にある彼女の綺麗な顔。柔らかな手。顔が熱くなる。インフルの熱と相まってどんどん体が熱くなって行く。
「うん、飲んだ。霞ヶ原、うつるから……」
「あ、ごめんね。すぐに帰るから大丈夫」
真奈はそう言うと自分の鞄の中からスポーツドリンクと果物、そして小瓶に入ったはちみつを取り出して言う。
「食べて。元気になるよ!」
「あ、ありがとう……」
僕はソファーに座りながら、回らない頭で彼女に尋ねる。
「どうして僕の家が? 今日、学校は?」
「うん。ええっとね……」
真奈は家の住所は文芸部の入部届で調べたこと、そして学校は昨日の公演の後片付けの為今日は午前中のみで皆今片づけをしていることを教えてくれた。そこまで話した真奈が急に顔を赤くして言う。
「あ、あの、別に神崎君のことが特別心配とかじゃなくて、その、同じ文芸部だったからちょっと様子を見に来ようかなって思っただけで。本当にそれだけだから!」
いきなりツンデレ? 僕はぼうっとする頭で目の前で何やら慌てながらそう話す真奈を見てふと思った。
「ご飯は食べられている?」
僕は首を振って答える。
「ううん。リンゴぐらいしか、ごほっごほっ……」
「何か食べられそうなものはある? おかゆとか?」
「おかゆなら、多少は……、それよりもう帰った方がいいよ。インフルうつったら大変で……」
「じゃあ、作って来るね!!」
「へ?」
僕はそう言って笑顔で立ち上がる真奈を見て驚いた。おかゆをつくる? 霞ヶ原真奈が僕の家でおかゆを作る!?
(……あれ?)
僕は眩暈を覚え、そのまま自然と横になる様にソファーに身を埋める。体が動かない。だるい。高熱と言うのは本当に身体の自由を奪う……
「……食べられる? 口、開けてみて」
(ん……?)
僕はうっすら目を開けた。至近距離で霞ヶ原真奈の顔が心配そうにこちらを見つめている。寝ていた? 意識が飛んだ? 僕は直前の記憶がぼやけていることに気付き動揺した。
(いや、それよりこの状況は……!?)
頭に感じる柔らかい感触。頬を赤めて手にしたスプーンで僕におかゆを食べさせようとする美少女。
(まさか、ソファーの上で膝枕されて、さらに【あ~ん】されているのか!!??)
後に知るのだが、いつの間にかソファーで眠ってしまった僕の隣に真奈が座り、膝の上に頭を乗せ、出来立てのおかゆを食べさせてくれたそうだ。朦朧とする意識。だがそれ以上に不思議な心地良さの前に、僕の心が柔らかな沼へと沈んでいく。
「ねえ、聞いていい?」
「……うん」
真奈の優しい声が心地良く僕の脳に響く。
「遊園地、行ったことあるでしょ?」
「……うん」
「迷子になったでしょ……?」
記憶はない。だから心地良く意識を失った僕は、その後彼女と何を話したか覚えていない。いつ帰ったのかも分からない。
「お兄ちゃん、大丈夫!?」
気が付くと自室で寝ている僕に、妹の奈々子が心配そうに声を掛けていた。
『おはよ! 今日の熱は??』
『平熱だよ。36.3度。もう大丈夫』
僕の熱は翌日には下がった。体調も随分回復し普通の食事も食べられるようになった。とは言えインフルエンザ。今週は学校には行けない。
『笹川先輩と副部長さん、とっても感謝していたよ!』
学校に行けない分、スマホでの真奈とのやり取りが増えた。
『そうか。それは良かった』
『結局、あの後笹川先輩が告白して、ふたりは付き合うことになったんだって!』
『それは良かった』
リアル女子とのやり取り。恋愛クソ雑魚陰キャの僕にとっては、普通に返信することすら困難だ。
『いいよね~、お似合いのカップルって感じで』
『そうだね』
そう答えたものの僕自身、副部長さんを見たことはない。
『女の子ってあんな風に告白されるのって、憧れなんだよ』
「あんな風に告白」と言われても、その状況を知らない僕にとっては想像すらできない。まあ笹川先輩はイケメンだし、そもそも劇を利用してあんなロマンティックな告白を準備していたことはある意味尊敬の念すら覚える。
『そうだね』
先程からスマホの画面に同じ言葉ばかり並んでいる。コミュ障、酷すぎだろう。
『神崎君の告白も、良かったよ』
(へぇ!?)
僕のスマホを持つ手が止まる。
僕の告白。きっとそれは代役で出た公演のこと。舞台の上と言うのは気持ちがハイになる。照らされる照明。多くの観客の目。自分でない誰かを演じる情熱。まるで自分自身が本当にその役になったかのような錯覚を覚える特殊な状況。
劇とは言え、あの時あの貴族の男は、本気で姫を愛していた。すべてがどうなってもいい。姫がすべてだった。僕が答える。
『いや、あれは劇だし』
『分かってる。でも、すごく良かったよ』
揶揄われているのか。陰キャに冗談を言って楽しんでいるのか。それともただの劇の感想なのか。答えが出ない僕に真奈が別の話題を振る。
『そう言えば文芸部だけど、新しい恋愛相談やっているよ』
僕の頭にお節介焼きのミカの顔が浮かぶ。
『そうなんだ。上手くやってるの?』
『ええっとねえ、まあ半ば強制的なんだけど、今回の相談者は沙織さん』
沙織。文芸部で唯一きちんと本を読む部員。影が薄く居るのか居ないのか分からない存在。その彼女の恋愛相談。僕はその意外性に驚きながら返事を打つ。
『そうなんだ。沙織さんってそう言うのあまり興味なさそうに見えた』
『そんなことないと思うよ。相手はね、幼馴染の人なんだって』
幼馴染。いいなあ、僕にはそんな存在はいない。
『ミカりんが言っていたんだけど、来週、神崎君が来たら新プロジェクトを発動するんだって』
新プロジェクト。僕はもうその言葉を聞いただけで嫌な予感しかしなかった。
そして週末が過ぎ、一週間ぶりに僕は高校へ登校した。




