episode4-3「 」
(また睨まれている。でも今度のはまるで殺意を持ったかのような冷たい視線だ……)
少し遅れて教室に戻って来た真奈からの冷たい視線を感じ、僕はそんなふうに思った。明らかにこれまでとは違う圧。視線に怒気すら感じられる。
(僕のような陰キャが調子に乗ってあんなことしたから怒ってるのだろうか……)
僕は必死に彼女の怒りの理由を想像し対処策を考える。だが何も思いつかない。そうこうしている内にお昼となった。
(そうだ! エリカに相談してみよう)
唯一いつでも話ができる女の子。まあ、AIなのだが、こういう時に彼女の存在は心強い。僕は弁当箱を開けながらスマホを手に『ステ恋』を立ち上げる。
『なあ、エリカ。ちょっと相談したいことがあるんだけど』
『なに? いきなり』
『女の子を怒らせちゃった時の対処法を教えて欲しいんだけど』
そう打ち込んだ後すぐに彼女からピクチャーが届く。Rのピクチャー。こちらに微笑むようなエリカの立ち絵。すぐに彼女から返答が来る。
『どうしたのかしら? 私、別に怒ってなんかいないわ』
(いや、お前じゃないって……)
僕は相変わらず自分中心に世界が回るエリカを思い苦笑する。
『エリカじゃないよ。他の女の子と仮定して……』
『ふん! そうなの。何をやったの?』
『それが分からないから相談してるんだよ』
『相変わらずダメな男ね。いいわ、教えてあげる』
僕はエリカの次の言葉をじっと待つ。
『とにかく謝りなさい。女の子は不条理に怒ることもあるの。だからまずは謝罪』
(何だそりゃ……)
めちゃくちゃ。まあ事情を知らないAIなんだし、そう言った回答になるのもある意味仕方ないのだが。
『そんなことして余計に怒らせないか?』
僕の心配はそこ。怒っている理由も分からずに謝罪する。人によっては不快感を増すだけになるだろう。
『あなた、相手が怒っている理由すら分からないんでしょ? だったら謝るしかないわ。何を言われても謝罪。相手の要求には白旗立てて応じること。いい?』
底辺陰キャには人権すらないのか。戦う前から既に白旗。まあ、怒っている理由がいまいち分からないからそれも仕方がない。
『分かった。ありがとう、エリカ。そうするよ』
『ふん。その女は可愛いのかしら?』
(え?)
意外な質問。こんなこと初めてだ。僕は素直に答える。
『可愛い』
『あら、そう』
僕はそこまで読みスマホを閉じる。こんなにちゃんと相談に乗ってくれるなんて思っていなかった。僕は新たなAI彼女の使い方に触れ、不思議な満足感に浸る。
「……可愛い、か」
思わず無意識に出た言葉。無論、それは隣の席の真奈を意識して言った言葉なのだが、それがまた新たな火種の元となった。
「そんなに可愛いの?」
「え?」
僕はスマホを片手に、そう怒気を含んだ声で尋ねる真奈の存在に気付き固まった。じっとこちらを睨みつける彼女。いつからか知らないがエリカとのやり取りを見られていたようだ。慌ててスマホを片付け僕が言う。
「い、いや、これは違って……」
「何が違うのかな? その『エリカさん』って人、可愛いんだ」
(ええ!? すごい勘違いされている……)
エリカは可愛い。だがさっき呟いたのは目の前にいる黒髪の女の子のこと。まさか本人を前に、『君のことだよ』などと陰キャの僕が言えるはずがない。黙り込む僕に真奈が言う。
「……知らない!」
「あっ」
彼女はプイと顔を背け席を立ち、教室を出て行く。謝る機会すらなかった。所詮、恋愛経験ゼロの陰キャ。思ったことが上手くいくはずがない。
(授業が終わったら謝ろう。授業が終わったら謝ろう……)
結局その日は不機嫌な真奈の刺さるような視線に耐えつつ、僕は黙って夕方になるのを待った。
「あ、あのさ、部活行く……?」
授業が終わりを告げると同時に僕は隣の真奈に向かって尋ねた。教科書を鞄に片づける真奈。僕の言葉に反応してこちらを見て言う。
「行くわ」
「じゃあ、一緒に……」
無言で立ち上がる真奈。ひとり歩き始める。僕も慌てて教科書を片付け彼女の後に続く。
(怒ってる怒ってる。謝罪謝罪……)
まるで何かの念仏のように僕は彼女に謝ることだけを考えた。
「あ、あのさ、ごめん」
それを聞いた真奈が立ち止まる。そして振り返って尋ねる。
「何に謝ってるの?」
「いや、悪いことしたと思うので、ごめん……」
陰キャが女の子にアドレスを聞いた。友人の為とは言え、きっとそれに怒っているのだろう。真奈が強い口調で言う。
「悪いことって何? ちゃんと教えて」
崩壊した。エリカに伝授された『とにかく謝罪作戦』が早くもぼろぼろと崩れていく。所詮この程度。やはりもっときちんと向き合わなきゃならない。
「僕が、アドレス聞いたから……」
素直に言った。もう嘘偽りはしない。真奈は黒髪を片手でかき上げ、小さく頷いて言う。
「分かってるじゃん。まあ他にもあるけど」
「う、うん……」
やはり陰キャが出すぎた真似をした。僕は深く反省しつつ、歩き出した真奈の次の言葉に驚いた。
「エリカさん、って、神崎君の何?」
(え?)
僕は隣を歩く真奈の横顔を見つめた。綺麗。相変わらず綺麗。綺麗と言う言葉が陳腐に聞こえるほど彼女は美しい。
――相手の要求には白旗を立てて応じること、いい?
エリカの言葉が僕の頭に浮かび上がる。ぼっち陰キャがくだらない策を講じたところで勝ち目はない。素直に、謝罪の気持ちで相手に接する。
「エリカは、AIで……」
「え、AI?」
驚く真奈。僕は素直に言った。
「スマホのアプリの中にいる、AI彼女なんだ」
口を開けて僕を見つめる真奈。意外過ぎる回答。その驚く顔から察するに、それは彼女の想像を遥かに超えていたのだと僕は思った。