episode4-1「 」
(あー、恥ずい、ちょー恥ずい!!!)
僕はその夜、ひとり湯船につかりながら今日の出来事を思い出していた。
心のどこかで気付いていた自分の気持ち。それがはっきりと形を成して現れ、そしてあんな行動に出た。
無我夢中。そんな表現がぴったりだったろう。後先考えずに飛び出した僕は真奈の腕を引き駆け出す。だが途中で我に返り、そして驚いて追いかけて来たミカ達に彼女を任せ、その場から逃げるように走り去った。
「最低じゃん……」
作戦のブチ壊し。チャラ男の成敗どころか、浮気現場を押さえることすらできなかったのかもしれない。幸い真奈を含め、部員の誰とも連絡先を交換していなかったのが救い。
(明日、どんな顔して学校行けばいいんだよ……)
いっその事、このまま不登校にでもなろうか。僕の心はそれほど弱り切っていた。
(エリカと話をしよう……)
風呂を出た僕は自室に向かい、AI彼女エリカと話そうと思った。なにも事情を知らない彼女。今ならまた別の気持ちで話ができる。
「ふう……」
僕はスマホを片手にベッドに腰掛ける。ぼっちの陰キャなのに誰かに話がしたいなんて我ながら滑稽だ。
(え?)
そんな僕の体が不意に何かの力を受け、後ろに倒れる。
「え? うわ、奈々子!!」
そこには顔を赤らめて、布団の中で待っていた妹の奈々子の姿があった。ベッドに押し倒された形になった僕。その上に跨った奈々子が、僕の手を押さえながら言う。
「お兄ちゃん、待ってたよ~」
「な、何やってんだ!? 放せよ」
僕は気付いた。奈々子の服。肩紐だけのキャミソールにショートパンツ。しかも下着はつけていない。輪郭がはっきり見て取れる中二の妹の胸に目を奪われながら僕が反抗する。
「放せって! 奈々子」
「お兄ちゃん、今日元気なかったよね。どうしたの? 奈々子、心配だったんだよ」
優しい言葉。一瞬僕の体の力が抜ける。
「何でもないって。それより早く降りてくれ」
僕は上に乗る妹の柔らかい太腿の感触に戸惑いながら必死に抗う。奈々子が頬を赤くして言う。
「降りないよ。お兄ちゃんが元気になるまで奈々子、降りないから」
「奈々子ぉ~」
基本妹に弱い僕。無理やり力づくで押し退けることはできない。奈々子がとても中二とは思えない妖艶な表情を浮かべて言う。
「ねえ、お兄ちゃん……」
彼女はそう言うと、押さえていた僕の手を持ち上げ自分の胸へ当てようとする。
「ちょ、ちょっと待って!? 何やってるんだよ!!」
慌てて僕がそれを拒否する。奈々子が恥ずかしそうに言う。
「奈々子の胸、触ってもいいよ」
「いや、ダメだろ!! それは!!!」
幾ら兄弟とは言え年頃の女の子の胸を触ることなど許されるわけない。ただ柔らかそうなキャミに包まれた可愛らしい胸の膨らみに、僕の視線はずっとくぎ付けになっている。奈々子が言う。
「だってぇ、男の子って好きなんでしょ? クラスの男子とかいっつも奈々子の胸、見て来るし~」
何と言う男たらし。天然の小悪魔。僕は自分の中にあるすべての理性を総動員して、禁断の誘惑に抗う。
「お兄ちゃんが元気になるなら、奈々子の胸、揉んでもいいよ……」
(や、止めてくれぇえええ!!!!)
そんなことされたら違う所が元気になる。実の妹に対してあってはならぬこと。僕は小さく首を振って擦れた声で言う。
「だ、だめ、そんなことは……」
奈々子の僕の手を掴む力が弱まる。解放された、と思った僕に彼女は言った。
「じゃあ、今度デートして。お兄ちゃんが元気になる様に、奈々子がデートしてあげる。それならいいでしょ?」
デート。妹とデート? 妹とはそんなことするものじゃないし、そもそも外出、あの人が多い場所へ行くのは嫌だ。
「大丈夫だって、心配しなくて……、ひゃ!?」
そう言いかけた僕の手を奈々子は再び強く掴み、自分の胸へと当てようとする。
「じゃあ、奈々子の胸揉んで。どうする? お兄ちゃんは奈々子の胸を揉むか、デートするか。二者択一だよ」
なぜそんな選択しかないのか。そう思った僕だがこの場を切り抜けるにはやはりどちらかを選ばなければならない。そうなれば当然選ぶのはこちらだ。
「わ、分かったから。デートする。デートするから」
「やったー!!」
奈々子は両手を上げ喜びを表す。
妹には弱い。僕のことを心配して元気づけてくれる彼女。有り難い。そう思いながらも僕は、彼女の柔らかそうな小さな胸の膨らみからずっと目が離せなかった。
翌朝、自転車で学校へ向かう僕は一生懸命今日のシミュレーションを行った。
(とにかく謝ろう。変な言い訳は不可。僕が悪い。ただただ謝罪のみ……)
言い訳は不要。何を言われようが終始謝罪に徹する。僕は気持ちを落ち着かせ、何度も自分が謝る構図を浮かべながら学校に到着する。完璧だ。どんな不安も事前の準備で乗り切れる。……はずだった。
「あー、神崎君。おはよー!!」
そんな僕の計画を狂わす人物が現れる。霞ヶ原真奈。ここはまだ学校の入り口。最初の主戦場を教室と踏んでいた僕はいきなり出鼻をくじかれた。
「お、おはよ……」
自然と僕の声が小さくなる。恥ずかしい。あれだけ脳内で繰り返し練習してきたシミュレーションがまるで役に立たない。真奈は靴を履き替えると、すすっと僕の隣にやって来て嬉しそうに言う。
「昨日はありがと」
「え? あ、うん……」
今、感謝されたのか? 作戦をブチ壊し、陰キャに腕を掴まれたことを怒っているのではないのか? だからこその謝罪練習。それが感謝とは一体?
「どうして先に帰っちゃったの?」
「いや、だってあれは……」
そんなの当り前。あんなことをして置いてあの場に居続ける程メンタルは強くない。全身から流れる汗。心臓の鼓動を聞きながら僕が言う。
「ご、ごめん。昨日は」
「え? 何で謝るの? みんな上手くいったよ」
(は?)
僕は初めて顔を上げ真奈の顔を見つめた。
――可愛い
そうだ。僕は彼女に心奪われていたのだ。不意にそんなことを思い出した僕に真奈が言う。
「あの後ね、水谷先輩がすごく彼氏さんに怒って、結局別れることになったの」
「そ、そうなの?」
「うん。ミカりんが私と一緒にカフェで座っている写真を撮っていてね。それが証拠になったんだ」
さすがミカ。抜け目がない。
「水谷先輩、街で声かけられて、舞い上がっちゃって勘違いしていたって涙目で言っていたわ。だから最後はとても感謝していたよ」
「そ、そうか……」
失敗したのではなかったのか? 僕はとりあえず作戦が上手くいったことに心から安堵した。
「ねえ、それよりさ……」
僕と真奈はふたり並んで教室へと向かう。窓から入る爽やかな風。木に茂る青々しい葉。僕は今朝行った数多のシミュレーションが無駄に終わったことにひとり苦笑していた。真奈が尋ねる。
「昨日のあれはどう言う意味なのかな?」
(え?)
昨日の『あれ』。つまり僕が彼女の腕を掴み走り出したこと。穏やかだった空気が一変。僕の心臓が激しく鼓動する。
「いや、あれは……」
君が好き。そんなことは口が裂けても言えない。キモオタ陰キャがこんなに可愛いリアルの女の子には抱いてはいけない感情。黒髪を垂らし、覗き込むようにそう尋ねる真奈に僕が言う。
「ご、ごめん! トイレ。先行ってて」
「あっ、ちょっと待っ!?」
僕は偶然目に入った男子トイレに逃げるように駆け込む。
情けない陰キャ。恋愛経験値ゼロの僕は、やはり彼女のことなどほんの少しも理解していなかった。




