episode3-1「 」
「ただいま……」
何だか心身ともに疲労困憊で自宅に帰った僕。今日は色んなことがあった。中学でもずっと帰宅部だったのに、と思いつつドアを開けると何やら美味しそうな香りが鼻につく。
「あ、おかえり! お兄ちゃん」
そんな僕を妹の奈々子が迎えてくれた。
「あぁ、ただい……」
そう言いかけた僕は奈々子の姿を見て首を振る。
「何だよ、その格好は……」
「なになに~??」
奈々子は肌の露出の多いノースリーブにほぼ太腿丸出しのショートパンツ。この間『寒い』と言っていたのにまた薄着だ。僕は靴を脱ぎながら奈々子に言う。
「お前、寒くないのか? またそんな服着て」
「大丈夫だよ。お料理してたら暑くなっちゃって」
そう言ってはにかむ奈々子は妹補正を抜いても可愛らしく育っている。膨らみかけた胸はきっと男子中学生の目を奪うだろうし、黒色のボブカットに映える白い肌、クリッとした大きな目などモテ要素満載。陰キャの僕とは大違いだ。奈々子が言う。
「今日ね、お母さんお友達と一緒に夕飯食べるから遅くなるんだって。だから奈々子がご飯作ってるの」
「へえ、そうなんだ」
今父親は出張中で不在。母親も遅くなると言うことで急遽奈々子に食事を作るように連絡したとのこと。奈々子が僕の鞄を持ちながら言う。
「ねえ、お兄ちゃん。先にご飯にする? お風呂に入る? それとも、わ……」
コン!
「きゃっ!」
僕は右手で手刀を作り軽く奈々子の頭を叩く。
「馬鹿なこと言ってんじゃないよ。まったく」
「てへ~」
奈々子の顔には『一度やってみたかった』と書かれているようだ。僕が言う。
「先にご飯食べようか。折角作ってくれたのに冷めちゃったら悪いしね」
「は~い!」
奈々子はそう片目でウィンクすると、僕の鞄を持ってキッチンへと小走りで向かう。可愛い。この間までランドセルを背負っていた奈々子だが、いつの間にかあんなに成長していたのだと感慨深くなる。
「さ、お兄ちゃん座って!」
「あ、ああ……」
元々肌の露出が多い服にエプロンをつけた奈々子。まるで裸エプロンにすら見える。僕はテーブルに並べられる妹の手料理を見て声を上げる。
「おお、美味そうだな」
「うん。これは豚の生姜焼きね」
美味しそうな香りと沸き立つ湯気が食欲をそそる。奈々子が別の皿をテーブルに置いて言う。
「はい、牡蠣の蒸し焼き」
「いい匂いだ」
そう続ける僕に奈々子は更に皿を並べる。
「これは鰻のかば焼きね。それからあさりの酒蒸し、それからご飯には山芋と生卵をかけて……」
「ちょっと待て」
僕は次々と並べられる奈々子の料理を見て言う。
「何だか料理が随分偏っている気がするけど気のせいか? これ全部食べるのか?」
「気のせいだよ。さ、お兄ちゃん、全部食べて」
笑顔でさらっと言い返す奈々子。僕はテーブルに並べられた料理を見て、これ全て食べたら興奮して眠れないぞと思ってしまう。奈々子はつけていたエプロンを脱ぎ、僕の隣の椅子に座る。
「おい、奈々子。なんで隣に座るんだ。いや、近いぞ」
隣に座った奈々子。椅子を僕の椅子に密着させるように近付ける。奈々子が言う。
「えー、だってパパもママもいないと寂しいんだもん」
たかだか数時間遅くなるだけの話。だが基本妹に甘い僕。結局、密着しながら妹の手料理を平らげた。
『ただいま、エリカ』
『ふん。ようやく帰って来たのね』
僕は食事後、リビングでコーヒーを飲みながら『ステ恋』のエリカに挨拶をする。奈々子はお風呂に行って不在。ソファーに座りながらゆっくり話でもしようとした時、バスルームから呼び出し音が響いた。
ティロリン、ティロリン……
(奈々子? 何だよ??)
僕はスマホをテーブルに置きバスルームへと向かう。脱衣所のドアの前に立ち、やや大きめの声で中にいる奈々子に尋ねた。
「どうした?」
「あー、お兄ちゃん! タオルを脱衣所に忘れちゃって。取って!」
(……マジかよ)
妹とは言えもう中学二年生。最低限の気遣いは必要だ。僕はゆっくり脱衣所のドアを開け、彼女がそこにいないことを確認してから中に入る。
(うっ……)
見えない。だがバスルームのすりガラスの向こうに、ほっそりとした妹の姿が映る。細いのにその凹凸ははっきりと分かるなんともえっちなシルエット。僕は目を伏せながら棚にあるタオルを探す。
(ぐはっ!!)
そんな僕の目に同じく棚に無造作に置かれた奈々子の下着が目に入る。ネットで見るような豪華な大人の下着とは全く違う、可愛らしさ溢れるジュニア用の下着。しかも純白。それが脱ぎたてなのかこれから付けるものなのか分からなかったが、僕は見てはいけないものを見てしまった背徳感に全身を震わせる。
「お兄ちゃん~」
「ぎゃああ!!」
僕は思わず声を上げて振り返った。
「な、奈々子!?」
そこにはバスルームのドアを少しだけ開け、顔を出す妹の姿。僕はすぐにタオルを掴んで彼女に投げるように渡して言う。
「ちょ、ちょっとタオルを探していて!! じゃあ!!」
目も合わさず脱衣所を出る僕。完全に見られた。妹の下着をガン見する情けない兄の姿を。
「ただいまー」
午後九時過ぎ、やや酩酊した母親が帰って来る。高校時代の同級生との食事だったらしい。奈々子が母を迎える。
「おかえり。お母さん」
「ただいま。ちゃんとご飯食べた?」
母親は靴を脱ぎながら奈々子に尋ねる。同じく玄関にやって来た僕に奈々子が聞く。
「ちゃんと食べた? お兄ちゃん」
「ああ、奈々子が作ってくれたから」
僕は妹の目を見ないようそう答える。母親は嬉しそうにリビングに向かいながら言う。
「ありがとうね、奈々ちゃん」
「うん!」
母親に向ける笑顔。それは屈託のない子供が親に向ける顔。僕に向けるそれとはどこか違う。リビングのソファーに座った奈々子が言う。
「お兄ちゃん死んじゃったら困るしー」
「死なねえよ」
その程度で僕は死んでしまうのか。そうぶっきらぼうに答える僕の隣に、やはり密着するように座り奈々子が答える。
「死んじゃうよー」
奈々子の髪から漂うシャンプーの甘い香り。それを見た母親が笑って言う。
「奈々ちゃんは本当にお兄ちゃん子だね~」
「そんなことないよー」
そう言いながらも更に体を寄せる妹。立ち上がろうとした僕と奈々子に母親が思い出したように言う。
「あの時も大変だったわよね~」
「あの時?」
僕は母の顔を見て尋ね返す。
「そうよ、あの時。あなたがほら、遊園地で迷子になっちゃった時よ」
(えっ)
僕はそれを聞いて体の力が抜ける。
「『お兄ちゃんがいないー!!』って奈々ちゃん大泣きして大変だったんだから」
「そんなの覚えてないよー」
奈々子が恥ずかしそうに小声で言う。だが僕の頭の中にはある一点ことが占めていた。
「ねえ、母さん」
「なに?」
僕は小さく深呼吸してから尋ねる。
「その遊園地って、城ケ崎遊園地?」
母はにっこり笑って答える。
「そうよ」
それを聞いた僕は、何かの点と点が線となり繋がったような感覚を覚えた。




