2-08 魔法陣プログラマー~異世界、修理屋として目指すスローライフ~
高校二年生の野々森直人は、突然異世界に転移させられた。
魔法が存在する世界に戸惑う直人。しかし魔法を発動させるための魔法陣は、電子回路やプログラムと同種のものだと気がつく。
修理工房の親方から魔法陣について教わり、修理ついでにちょっと魔法陣をイジることに楽しみを見出す直人だったが、魔法陣の改造・製造を行うには国家資格が必要であると知らされた。工房の監査を機に資格を取らざるを得なくなり、しぶしぶ王都に向かう。世話になった親方から「娘たちにもそれぞれ夢がある。王都に連れていってくれ」と頼まれ、美少女姉妹と同居生活をすることに。
「おかえりなさい、ナオトさん。今日の夕食はシチューだよ」
「あたしは今から湯浴みをするが……覗くなよ」
魔法陣の修理屋として目指すスローライフ。しかし修理をこなす中で、国家の虎の尾を踏んでしまったようでーー?
魔法――火や風、光などを発動させるための魔法陣は、電気回路もしくはコンピュータープログラムと同じものだ。
それに気づいたのは、この世界に転移させられてすぐのことだった。電気の代わりに魔力を使い、電子回路の代わりに魔法式を文様として描く、それが魔法陣。物理的に大きくすれば複雑なプログラムだって書ける――『円として閉じなければならない』など、魔法陣には独自の制約もあるのだが。
気付いてしまえば、中学の頃から趣味でアプリを作っていた俺にとっては簡単で。転移してから早々に、魔法陣を直す『修理屋』という楽しい仕事にありつけたのは幸いだった。
転移の理由なんて知らない。でも、学校でも家でも居場所を見失っていた俺にとってはちょうどよかった。
「親方、修理できました。確認お願いします」
「早いな」
修理したばかりの魔法陣――木の板に描かれた室内用のライトを親方に手渡す。それを眺めていた親方が、眉に深い皺を刻んだかと思うと、ぐぐっと顔を板に寄せていった。
――あ、もうバレた。
「おいナオト、またイジったろ」
「だってそのライト、ミーナさんちのダイニングのサイズと合ってないんですよ。六畳の部屋に九畳用のシーリングライトなんかいらないでしょ? 光量を絞ったほうが長持ちするし、ミーナさんも変えていいって――」
「ジョウだかシーだか知らんが、うちは『修理屋』であって『改造屋』じゃないって言ってんだろこの居候!『俺の国で直す人と書いてナオトだ』って自己紹介した奴はどこの誰だ⁉︎」
「さあ?」
「おめーだよ!」
「まあまあ試してくださいよ、完璧でしょ?」
「見りゃわかるがそうじゃねぇ!!」
狭い工房内に親方の怒号が響く。ビリッと震えてから静かになった扉がやわらかく叩かれたと思ったら、小鳥のさえずりみたいな笑い声が入ってきた。声以上に可愛い少女が顔を出す。
「今日も楽しそうだね。よくそんな記号が読めるなぁ」
「シルフィ!」
親方に渡していた板を取り上げると、それをシルフィの細い手に乗せる。強面のおっさんより可愛い女の子に見てもらえるほうがいい。
「ミーナさんからの依頼の品、修理できたからチェックしてくれる?」
「さすがナオトさん、仕事が早い」
「でしょ? もっと褒めて」
「おいシルフィ、そのお調子者を甘やかすな」
「お父さんだって、酔うたび筋がいいって褒めてるくせに」
シルフィは笑顔でエプロンのポケットから小さな魔石を取りだし、俺の渡した板の中央にはめ込んだ。美しい指が魔石の輪郭をなぞる。
「【光よ・踊れ】」
呪文を唄う彼女の声は、何度聞いても綺麗だ。
魔石から生まれた淡い光が魔法陣の記述の上を奔り、光度を上げながら木片の上を回る。流れからはぐれた光の粒たちは踊るように揺らいでから空中にとけた。部屋を照らすのに十分な光量まで増えたところで安定したのをしばらく眺め、彼女は魔石の輪郭をもう一度なでる。
「【眠れ】――うん、いいね」
光の消えた木片から魔石を外し、シルフィが笑顔を俺に向けてくれる。十六歳の美少女から可憐な笑顔を向けられて、鼻の下の伸びない男なんているわけない。俺の顔がゆるんでしまうのも、ごく自然なことだ。
「お父さんが完璧だって言うならいいよね。納品してくる」
シルフィがくるりと回って長いスカートの裾を踊らせる。それとほぼ同時に、外が騒がしくなった。
「村の北に大猪が出たぞー!」
そんな声を耳にし、俺は駆け出した。背後から親方の怒号が響く。
「おい、危ねぇぞ!」
「北側の罠、こないだ調整したとこなんで! 大丈夫、ちゃんとテストしたから」
「またか! 改造してぇなら免許取ってこい免許!!」
返事なんかしていられない。のんびりしていたら罠の発動を見逃してしまう。持ち主のテストで動くことは確認しているが、それでも見たい。
途を曲がると、大人の背丈の倍はある大猪が見えた。村の男たちが鍬や斧などそれぞれの獲物を手に、それと格闘している。大半の住人が農民というこの村では、畑のまわりに設置された罠に誘導しつつ倒すのが昔からの定石らしい。
「こっちだウリ坊!」
「誰か火ぃ持ってねえか」
――あと三歩、もうちょい斜め右!
期待を胸に、手を握りしめる。大猪が斜め右に動くと、雷鳴とともに地面から強い光が青空に向かって奔った。前の罠より強い光。期待したとおりだ。
「よっし!」
天を仰いだ大猪が動きを止める。黒く焦げた体毛からは細い煙がいくつも上がっていた。
「……やったか?」
誰かがそう呟く。耳をぴくりと動かした大猪は、血走った目を見開いた。明らかに怒りの満ちた咆哮が上がる。
「うげ、あの出力でも死なねぇの!?」
「下がってろ」
立ち止まった俺の横を少女が駆け抜けていった。きつく結い上げられた金のポニーテールが青空に弧を描く。大猪の上に飛び上がった軽装の女戦士が、細い剣の切っ先を真下に向けた。重力の乗った剣は大猪の太い首に深々と突き刺さる。
ふら、と大猪の巨体が傾いだ。
重さを感じる地響きとともに倒れた大猪は、ぴくりとも動かない。数秒の静けさののち、大猪を囲んでいた村人たちから歓声があがる。
「さすがリズ! リズがいれば罠なんかいらないなあ」
「違いない!」
――罠は必要だろ。適当なこと言いやがって。
心の中でそうボヤきながら、俺は猪が倒れたすぐ隣――あいつが踏んだ罠に歩み寄って、その場にしゃがんだ。丈夫さ重視で、石に彫り込まれた魔法陣。あちこち黒く焦げているのは今の雷魔法の影響だろう。
「まだ出力上げてもいけるか……?」
「ナオト、おまえまたイジったのか」
「その言い方、親方と一緒」
顔を上げると、大猪から手ぶらで降りてきたリズが、あきれ顔で俺を見下ろしていた。優しげな面立ちのシルフィとは違って、眉がキリッとつり上がった、少しキツめの美少女。雰囲気は違っても、年子の姉妹だけあってよく似ている。強面の親方と親子だってほうは不思議だが。
「『直すからには、ちょっと良く』ってのが、俺の思う修理屋なんでね」
「おまえの信条に文句は言わないが、やりたいなら免許を取ってこい」
「ほんと、親方と同じこと言うね」
「そりゃ――」
言葉を切ったリズが顔を上げて振り返る。彼女の視線を追えば、シルフィが手を振りながら駆けてくるところだった。
「姉さん、ナオトさん、怪我はない?」
「ああ、問題ない」
シルフィの前でだけ、いつも釣り上がり気味のリズの眉が少し下がる。硬い声もやわらかくなるし、はっきり言ってめちゃくちゃ可愛い。俺にもあんなふうに接してくれないかと願わずにはいられない。
「よかった。ナオトさんも大丈夫だった?」
「おー、俺は離れて見てただけだしな」
「そっか、よかった。じゃあナオトさん、工房に戻ってくれる? お父さんが呼んでるの」
「親方が? なんで?」
「説教だろ」
硬い声に戻ったリズが魔法陣を一瞥し、「猪を解体してくる」と村人たちの輪に入っていく。おそるおそるシルフィを見上げると、彼女は穏やかな笑顔を向けてくれた。
「大丈夫、すぐ終わるよ」
――説教は確定なのか……。
ため息をついてから立ち上がり、重い足を引きずって工房に戻る。眉間にしわを刻んだ親方が、椅子に座って腕組みをしていた。圧が重い。
「おう。座れや」
「はい……」
なんとなく親方の前に正座する。ギロリと睨まれると、つい体が反射的にビクついた。
「いいかナオト。魔法陣の修理・複製・改造・制作をするには、それぞれ国の試験に合格しなきゃならん。理由はわかるか?」
「国が管理したいから、とか?」
親方のこめかみに青筋が浮いた。間違えたらしい。
「危ねぇからだよ! 記述ひとつ間違えただけで暴発することもあるんだ。正しい知識を身につけた奴だけが扱えるよう、認可制になってんだ」
「親方は俺に修理させてるじゃん」
「修理だけは、有資格者の管理下でなら許可されてる。でなきゃ後継も育てられんからな」
「ふーん……でも、こっそり改造したってわかんねーじゃん?」
「抜き打ちの監査がたまに入る」
「こんな小さな村に? いやいやいや、来るわけないじゃん」
この世界に転移してからまだ半年もたっていないが、この村よりもっと大きな街がたくさんあることは聞いている。監査人だって暇ではないのだから、こんな人口数十人の農村に来るわけない。俺が監査人なら、規模の大きい工房を狙う。でも親方は、
「……だといいんだがな」
とボヤくように呟いた。その直後に控え目に工房の扉がノックされ、珍しく困った顔をしたシルフィが顔を出す。
「あの、お父さん。お客さんなんだけど……監査の人だって」
シルフィの後ろから工房に入ってきた、生真面目そうな眼鏡の美人は、親方に向かって腰を折り曲げる。
「ご無沙汰しています、先生。今季の監査対象に先生の工房が選ばれました」
「おまえか……」
片手で顔を覆った親方とシルフィを見比べた俺は、目を瞬くことしかできなかった。
――もしかしなくても、今日納品した室内用ライトとか、焦げた罠とか、見られるとヤバい?
そんなことを考えていた俺は、この監査の裏の目的になんて、思いを馳せもしなかったのだった。