2-04 僕がハーブティーを淹れたら、筆頭魔術師様(♂)にプロポーズされました
貴族学園の中庭で、婚約破棄を告げられたエリオット伯爵令息。男なのに可愛い見た目に加え、ハーブと刺繍を愛する彼は、女よりも女の子らしいと言われていた。女騎士を目指す婚約者に「妹みたい」とあっさり捨てられ、婚約解消されてしまう。
ショックのあまり実家に引きこもっていたところ、王宮魔術塔で働く兄から助手に誘われる。魔王と呼ばれる筆頭魔術師のディルクがエリオットの淹れたハーブティーを気に入ったことから、専属の助手になってしまう……!
人嫌いで有名なディルクなのに、エリオットにいつも優しくて。
そ、そんなの、意識しないほうが無理です!
でも、男同士なのに、好きになるなんて駄目だよね!?
圧倒的俺様なディルクと恋に臆病なエリオット。
鈍感なエリオットと、好きだからグイグイ来る俺様な筆頭魔術師ディルクの恋のはなし。
エリオットのハーブティーと刺繍に特別な力があることは、まだ秘密──。
卒業を控えた貴族学園。近づく別れと訪れる巣立ちに寂しさと期待を混ぜたような雰囲気が漂う。
授業を終えた僕──エリオット・ハワードは、婚約者のアンナのもとへ急いで向かう。同じ学園にいても学科の違うアンナと顔を合わせる機会は少ない。それなのに、僕の誕生日当日に誘ってくれるアンナに心を弾ませて、待ち合わせの中庭にたどり着いた。
「ごめんなさい、エリオット。私、スティーブ様を好きになってしまったの」
「エリオット、すまない。アンナと剣を交える内に好きになっていた。お前より俺の方がアンナに相応しいと思うから、アンナとの婚約を破棄してほしい」
婚約者のアンナと学園寮で同室のスティーブに突然告げられて、頬がひきつった。
「…………わかった」
混乱する僕に構わず、二人は腕を絡ませ、頬を寄せあう。目の前の光景にショックを受けながら、僕はようやくひと言を絞り出した。
「あ〜よかった! エリオットのことは妹としか思えなくて。やっぱり結婚するならスティーブみたいな男性的な魅力がある逞しい人がいいと思っていたの」
「ははっ、せめて弟って言ってやれよ。まあ、でもエリオットは女だよな。部屋の片付けから破れた騎士服の縫い物、それから疲れに効くお茶も出してくれるもんな」
「わかる〜! 私なんて試合のお守りにエリオットが刺した刺繍のハンカチもらったもの」
僕より背の高い二人が、くすくす笑いながら僕の頭上で会話を弾ませる。
「エリオットが俺を好きなら、学園最後の思い出に抱いてやろうか真剣に悩んだくらいだからな」
「もう、スティーブったら浮気者なんだから……っ!」
「冗談だって! 俺には一緒に上を目指せるアンナしかいないから」
スティーブの言葉に僕は羞恥で全身が熱くなる。僕はただ、僕のできることで婚約者と親友に役に立てたらと思っていただけなのに。
スティーブは、騎士家系のバイガル侯爵家の三男で、騎士科に所属。学園に入学すると頭角を現し、卒業後は優秀な者しか選ばれない王立騎士団に入団が決まっている。
アンナはノルマン子爵家の一人娘で、隣の領地に住む幼馴染。幼い頃から活発で木の枝を振り回していた。昔から優秀なアンナも王立騎士団に入る。
「…………ぼ、僕、用事を思い出したから、帰るね……」
対して僕は、伝統ある魔術師家系のハワード伯爵家の次男に生まれたのに、魔力量が少なく魔術科にも通えない落ちこぼれ。
繊細な金髪、ピンク色の瞳、男にしては小柄で線の細い体躯。ハーブティーや刺繍が好きで、女の子より女らしいとよく言われる。
僕はノルマン子爵家の入婿になって、女騎士になるアンナを支えようと思っていたけど、たった今、すべて不要になった。
「わざわざ呼び出して悪かったな。お前に俺たちの気持ちをちゃんと伝えておきたくて!」
「エリオットなら分かってくれるって思ってたの。私たちの活躍を遠くから見守っててね!」
未来が広々と開け、行手が希望に満ちている二人と、なんの取り柄のない僕。誰がどう見ても、お邪魔虫なのは僕のほう。騎士を目指すアンナが、女々しい僕より男らしいスティーブを好きになるのは仕方ないのかもしれない。
それでも──。
「あ、あのさ……今日ってなんの日か覚えてる……?」
八歳から婚約を結び、十年間も婚約者だったアンナ。ずっと一緒に過ごしてきた凛とした赤い瞳と赤毛を見つめる。燃えるような恋ではなくても、寄り添っていれば愛になると信じていた。
「どうした、エリオット。驚きすぎてボケちまったか? 今日は水曜日だぞ」
「もうスティーブったら。やだ、違うわよ。ね、エリオット?」
スティーブをたしなめるアンナの言葉に、僕の心臓が期待で跳ねる。思わず、手のひらを握り、唾を飲み込む。
「今日はスティーブと私の真実の愛が実った日に決まってるでしょう」
「ああ……! アンナ、可愛すぎるだろう。俺たちエリオットの分まで最高に幸せになろうな」
「ええ、もちろんよ!」
はしゃぐアンナの言葉を聞いた瞬間、世界から色が消えていく。僕の十年間ってなんだったんだろう。
「ははっ……、そうだね……」
これ以上、二人のいる場所にいたくなくて踵を返す。後ろから声が掛けられた気もするけど、振り向かなかった。
僕はあまりのショックに寮に戻ることも出来ず、実家に引きこもった。僕とアンナの婚約は呆気なく解消され、それからすぐにスティーブとアンナの婚約が成立。
情けないけど、二人の婚約成立を聞いた僕は高熱でしばらく寝込んでしまった。
家族の勧めに甘え、熱が下がってからも学園に戻らないまま、僕は卒業を迎えた。
「これから僕、どうしたらいいんだろう……?」
優しい両親、双子の兄姉も、僕を責めないでアンナ達に憤慨してくれている。だけど、落ちこぼれの僕がノルマン子爵家の入婿になるのが、唯一ハワード伯爵家に迷惑をかけない方法だったのに。
優秀ではないけど、学園で経済や地理、法律を学び、領地経営についてノルマン子爵から教わってきた。アンナを全力でサポートするために過ごしてきたから、婚約がなくなった今、何をしたらいいのかわからない。
いくら婚約解消の慰謝料をもらっても、王宮魔術師を務める優秀な家族と違って、僕はハワード家のお荷物まっしぐら。
途方に暮れた僕は、いつものようにハーブガーデンに足が向いていた。
アンナには地味な植物ばかりでつまらないと言われたけど、僕はハーブが大好きで、手入れも自分でしている。
ハーブガーデンの入り口。
春の初めは、ミモザの黄色のふわふわな花が咲く。優しくて甘い匂いのするミモザをハーブティーで淹れれば、心を落ち着かせ、神経性の不調を整えることができる。
ハーブガーデンを歩けば枝の伸びてきたローズマリーにズボンの裾が擦れ、清々しいグリーンの香りが立ち上った。ローズマリーのハーブティーには集中力と記憶力を高める効果がある。
ハーブティーのことを考えている時間が、僕にとって至福な時間。
魔力量が足りず、優秀な兄姉と違って魔術の勉強をする必要のなかった幼少期。僕は両親にお願いしてハーブの書物を沢山集め、読み漁った。読むだけでは飽き足らず庭の片隅にハーブを植えていたら、僕専用のハーブガーデンまで作ってくれて。
魔術の才能のない僕にも兄姉と同じように愛情を注いでくれる両親には感謝しかない。
「おっ、エリー、やっぱりここにいたな」
春先の剪定についてハーブガーデンを眺めながら考えていたら、兄上の声が聞こえた。
「兄上! こんなお昼に珍しいですね。お仕事はどうしたのですか?」
王宮魔術塔で働いているはずの兄上が、真っ昼間に我が家にいるなんて珍しい。僕と違って長身の兄上は、伸ばした金髪を一括りに結び、眼鏡をかけた涼やかな色男。今日は少しばかり目の下のクマが深い。
「エリーのハーブティーを飲みたくなってね」
「兄上、嬉しいです……っ! ハーブティーは、僕のおまかせで淹れていいですか?」
「ああ、頼む」
ハーブガーデンの中心にある僕の隠れ家に案内する。ハーブを摘んでハーブティーの美味しい配合を考えたり、刺繍やお菓子を焼いて過ごす僕の秘密基地。
兄姉は時間があるときに遊びにきてハーブティーを飲んでいく。でも、兄上が仕事の時間に訪れるのは珍しい。
「折角なのでフレッシュハーブティーを淹れますね。少し待っててください」
兄上を僕のお気に入りのこじんまりしたソファに残して、カゴを持ってハーブガーデンに戻った。眼鏡の壊し屋と呼ばれる昔から目に良いとされるアイブライトを収穫する。春先のトラブルに効果的なネトル、リラックス効果の高いカモミールやレモンバームを選んだ。
ガラスのポットに一つかみ摘んだハーブを入れ、沸騰したお湯を注いで蒸らす。ポットの中のハーブから少しずつ色が出る様子を兄上と眺めて待つ。三分ほど蒸らしたら、カップに注いで完成。
兄上はカップを手に持ち、香りを楽しんでからハーブティーを口にする。
「ああ、エリーの淹れてくれたハーブティーは癒されるな。本当に生き返る……っ」
「ふふっ、兄上は大袈裟ですね。でもフレッシュハーブティーは元気をもらえるので、僕も大好きですよ」
いつものように大袈裟に褒める兄上に苦笑いを浮かべつつ、やっぱり褒められるのは嬉しい。アンナもスティーブもなにも言わずに飲んでいたことを思い出し、胸の奥がチクリと痛む。慌てて、首を横に振って思い出したくない記憶を追い出した。
全部飲み干した兄上におかわりを勧めると笑顔で頷いたので、ポットに新しいハーブを入れる。お湯を注げば、ポットの中がゆっくり黄金色に染まっていく。
ふと、兄上の視線を感じて顔をあげた。
「今日来たのは、エリーにお願いがあってね」
「僕にお願いですか?」
「そうなんだ。エリーがハーブガーデンにずっといるのを、母上が心配しているのは知ってるだろう?」
「……はい。でも、なにをすればいいかわからなくて」
しゅん、と俯くと兄上の大きな手が頭をぽんぽんと撫でてくれる。兄上は小さな頃から、いつも僕を甘やかす。
「実は今、王宮魔術塔はとても忙しくてね……」
「ああ、だから兄上の目の下のクマがひどいんですね」
「エリーにはなんでもお見通しだな」
兄上が感心したように頷くけど、誰が見ても兄上のクマは気づくと思う。
「エリー、しばらく王宮魔術塔で魔王の助手として働いてくれないかい?」
「…………はい?」
あれ、今、とんでもない単語が混ざってなかった……?