2-15 終わった世界のその先で
なんでもありRTAによって、強制的にエンディングを迎えたゲーム世界。
そこに生きる者たちは、突然の終わりに直面し何を思うのか。
勇者、魔王、そしてもう一人。
終わってしまった世界の先で、新たな物語が始まろうとしていた。
その世界は、魔界を統べる王による侵略を受けていた。
長い戦いの果て、魔王は一人の若者と、彼の信頼する仲間たちの手によって討ち倒された。
そこに住む人々の苦難は終わりを告げ、平和な時代が訪れた。
時の王は、魔王を討ち果たした若者の功績を称え『勇者』の称号を与えた。
勝利を祝う宴は盛大に行われ、いつ果てるともなく続けられた。
その宴がようやく終わりを迎えようとする頃、そこに勇者の姿はなかった。
名もなき森の端、ぽつんと灯る焚き火から細い煙が静かにたなびいていた。
夜の空には明るい月がかかり、森からは梟ののんびりした鳴き声が聞こえてくる。
平和だ……。
焚き火の傍らに座り、勇者はじっと炎を見つめる。
魔王が居た頃は、いつ襲われるかわからない野営など、自殺行為だったのだが。
あれから、あちこちを回ってみたが、どこへ行っても魔物の気配はない。
世界は本当に救われたんだろうか……。
「勇者ともあろう者が、こんな所で、なにを浮かない顔をしておるのだ?」
不意にかけられた声に、勇者は顔を上げた。
今まで人の気配などしなかったはずなのに、焚き火の傍らに男が一人立っている。
何気なく男の姿を見た瞬間、勇者の全身に緊張が走った。
すっぽりと覆われた外套の上からでもわかる鍛え抜かれた身体。
ただそこに立っているだけなのに、気圧されるような雰囲気。
自分を恐れさせるものなどないと言わんばかりの、不遜とも思える目。
こいつは、ただものではない。
「どうした? なにを呆けている?」
男は、悠然と勇者と焚き火をはさんだ反対側に座った。
その所作には一分の隙も見出せない。
今のところ敵意は無いようだが、身体が警戒を解こうとしない。
「僕になんの用です?」
「そうだな……まあ、世界を救ったとかいう勇者をこの目で一度見てみたかったといったところか」
男は、はぐらかすように言った。
読めない男だ。
おそらく別な目的があるのだろうが、今は言う気がないらしい。
「そうか、それで感想はどうだ?」
「正直、落胆といったところだな。こんな目の死んだような男に倒されては、魔王も浮かばれまい」
「放っておいてくれ、貴様に何がわかる」
そう、誰に聞いても答えは同じだった。
自分がおかしくなってしまったんだろう。
そう信じようとしても、どうしても胸の中にある違和感が消えない。
「魔王を倒していない貴様が勇者とは片腹痛いと思っていたが、性根の方も勇者足り得ないようだな」
「なんだと」
「貴様など勇者と呼ばれる資格はないと言っておるのだ」
遠慮なくぶつけられる侮蔑の言葉よりも、勇者は男が放った一言に衝撃を受けた。
『魔王を倒していない』
それこそが、勇者の抱えるものを正面から貫いていたのだ。
「なあ、頼む。知っていることがあるのなら教えてくれ。僕はもう耐えられないんだ」
勇者は、すがりつくような目で男を見た。
男の口の端がわずかに上がる。
「まあそう慌てるな。オレも貴様がどの程度の認識を持っているのか知りたいのだ。貴様は今の状況をどう捉えている?」
「どうって……」
勇者は、男の質問の意味が捉えきれずに戸惑った。
いや、それ以前に、勇者自身もどう言葉にして良いのかわからずにいた。
二人の間に沈黙が流れ、焚き火がぱちりと爆ぜた。
「僕は魔王を倒した……らしい。でも、どんな姿で、どう戦ったのか、まるで思い出せないんだ」
勇者は慎重に言葉を紡ぐ。
「魔王を倒せと王に命じられたのは覚えている。気づいたら魔王は僕の手で倒されていた。吟遊詩人たちは、僕の知らない僕の冒険譚を歌い、立ち寄った村や町では顔も知らない人々に感謝される。まるで世界全体に騙されているみたいだった。なあ、知っているなら教えてくれ、僕はおかしくなってしまったのか?」
勇者は頭を抱え、嗚咽を漏らした。
自分でも、わけのわからない事を言っていると思う。
誰に聞いても、信じてもらえず、それどころか気味の悪い物を見るような目が返ってくるばかりだった。
きっと、目の前のこの男も呆れているに違いない。
「おおむね予想通りだ。その点については、さすが勇者と言っておこう」
勇者は顔を上げ、男をまじまじと見つめた。
「究極時空魔法というのを知っているか? 名をアルティエというらしいが」
突然の話に勇者は戸惑った。
そんな魔法は聞いたことがない。
「なんでもこの世界はフラグとかいう物に管理されているらしくてな、アルティエはこれを歪めることによって、任意の事象を『起きたこと』にしてしまう魔法だそうだ」
「なっ……」
勇者は言葉を失った。
そんな神の力に等しい魔法が実在するわけがない。
だが、この理屈に合わぬ状況も、その魔法なら……。
「まさか、魔王がその使い手だとでも」
「いや、そうではない。この世界の誰にもそのような魔法を行使することはできぬ」
「なら、なぜその魔法が使われたと知っている?」
「さる者から聞いた。なぜそんな情報を持っているかはオレも知らんが、今の状況はその魔法が行使されたとしか考えられん」
驚くべき話だった。
「いったい誰が何の目的で」
「目的は知らん、だが使ったやつは予想がついている」
「誰なんだ、それは」
「貴様らの僧侶が祈っている神をさらに超えた存在、超越神プレイヤ。アルティエはその者にのみ使える魔法だそうだ」
超越神プレイヤ……。
初めて聞く名を、勇者は口の中でかみ締めた。
「つまり、今の世界はプレイヤの都合で生み出されている。魔王は倒れたことになっているだけで、死んでなどいない」
全ての違和感が氷解するようだった。
世界中の人々が、偽の記憶に踊らされている。
いや、それどころか世界全体が、超越神プレイヤの意図で、そう作り変えられてしまっているのだ。
あまりの力に恐怖する一方で、あまりの身勝手さに怒りが込み上げてきた。
「腹が立つか?」
「当たり前だ!」
「ならば北の果て、氷に閉ざされた地下迷宮の最下層、そこで待つ魔王に会いに行くがいい」
「魔王に?」
「そうだ、貴様は自らを鍛え、その足で魔王の元へ辿り着くのだ」
本当に魔王は生きているということか。
ならば行かなければならない。
世界を救う、それが勇者の役目なのだから。
「わかった、必ず辿り着いてみせる」
「それを聞いて安心した。ならばオレの仕事はここまでだ、期待しているぞ」
おもむろに立ち上がった男は、闇に溶け込むように姿を消した。
一人残された勇者の瞳に、決意の炎が宿る。
翌朝、勇者は北へ向けて出発した。
地下迷宮で何が待ち受けているのか。
超越神プレイヤとはいかなる存在なのか。
謎は尽きない。
だが、勇者の踏み出す一歩に、昨夜までの迷いは感じられなかった。
ところ変わって、ここは地下迷宮最下層にある魔王の間。
中央に据え付けられた立派な椅子に座った魔王は、閉じていた目をゆっくりと開いた。
「勇者はいかがでしたか?」
傍にひかえた魔物が、水晶玉にかざしていた手を下ろしながら声をかけた。
ローブをまとい、不自然に頭の大きなこの魔物は、今の魔王にとって片腕とも呼べる存在だ。
「あの世界にあっても『アルティエ』の影響が小さいようだ。光るものはある、だが経験が絶対的に足りんな」
「今のままでは難しいですか」
「うむ、徹底的に鍛えてやる必要がありそうだが、その意味ではこの地下迷宮は実に都合がいい」
勇者と言葉を交わしたのは初めてだが、成果はまずまずと言ったところだ。
戦力的にはまだまだだが、切り札たりえる素質はありそうだ。
「お前の能力にも感謝している」
「もったいなきお言葉。わたくしめの唯一の特技が魔王さまのお役に立ったとあれば、これ以上の誉れはありませぬ」
「ふっ、あまり謙遜が過ぎると嫌味に聞こえるぞ。『アルティエ』の知識に始まり、地上に我が姿を投影する魔法、そして地下迷宮の結界の強化。お前の力がなければ、オレの目論見もこう上手くは行かなかったろう」
ローブの魔物は、恭しく頭を下げる。
この地下迷宮以外の場所は、『アルティエ』の影響により、魔物はおろか魔王ですら踏み入ることはできない。
現状で勇者とコンタクトを取る手段は、この魔物の魔法に頼るしかない。
「さて、勇者がここに辿り着いた時の顔が今から楽しみだな。オレと戦うことを選ぶか、はたまた手を取り共にプレイヤに挑むか、どちらにしてもこの退屈な毎日とはおさらばだな」
「わたくしめとしては、プレイヤに挑むところをぜひとも見たいものですな。魔王さまと勇者が共に戦う。さぞかし壮観なことでありましょう」
「ああ、オレとしてもこのまま引き下がっては腹の虫が収まらんからな」
魔王は、ローブの魔物を見やる。
それにしても、こいつはいったい何者なのか。
突然、オレの前に現れ、全く聞いたこともないような魔法の知識を持ち、オレに全面的に協力するという。
こいつなりの目的やメリットもあるのだろうが、それを全く読み取らせようとしない。
食えない相手だ。
「これからもオレのために働いてくれるか?」
「もちろんでございます。我が忠誠は全て魔王さまに捧げる所存です」
「今はその言葉を信じよう。だが、オレの前に立ちはだかるようなことがあれば、わかっているな?」
「承知しております」
勇者と魔王、そしてもう一人。
終わったはずの世界で、新たな物語が動き出そうとしていた。





