2-10 脇役覚醒者100回目のやり直し
颯はダンジョン攻略の途中、幼馴染みで思い人である凪をかばい重傷を負い、100回目の死を迎えようとしていた。颯は魔石の力で、回帰を繰り返していた。回帰を止めるには、凪が生きてダンジョン『赤富士』を攻略する必要がある。今度こそ最後の死だと思ったが、颯はまたもや『予言の日』に回帰した。
公表された予言の内容は、妖刀村正が『赤富士』攻略の鍵となること、将来、『凱風』と呼ばれ救世主となる子供が京都に居ることだ。
颯は戻って来たからには、今度こそ『赤富士』を攻略しようと決意を新たにする。颯は凪を死なせないことを優先するが故、最初の人生で親友だった夕夜を遠ざけてきた。
今回、颯は最初のように夕夜と友情を築くと決め、予言された子供を探すための潜在力判定の日に会場で夕夜を待ち伏せた。颯がいつもと違う行動をとったせいで、今まで繰り返してきた人生では起こらなかったアクシデントに見舞われてしまう。
体が、地面に沈んでいきそうなほど重い。
――血液が大量に抜けたから軽くなったはずなのにおかしいよな。
そう考えながらも、颯は経験上、もう間も無くフッと体が軽くなると知っていた。瓦礫の上で仰向けに転がり、かろうじて呼吸を続けていた。体の隅々まで痛みと苦しさで満たされている。まだ目は開いているが、霞んでしまいほとんど見えていない。
「颯」
颯の耳にはっきりと凪の声が聞こえた。
――今度もちゃんと凪を守れたんだな。
しびれている唇の脇に、凪の涙が落ちた気がした。颯は拭ってやりたかったが、両腕がもうないことを思い出した。それに元々、凪を慰める役割が自分のものではないとわかっていた。
「な…ぎ…ゆ…やと…赤…ふ…」
言い終わる前に喀血した。
「今、治癒薬を飲ませる」
夕夜の声がした。颯はいつからか、夕夜とあまり関わらないようになっていた。最初の人生では無二の親友だったというのに、回帰を繰り返すうち凪が夕夜に向ける視線に耐えられなくなってしまった。
瓶の蓋を開ける音が聞こえた。
「無……駄だ……」
颯は自分の死を確信していた。
ーー嫌というほど経験してきたからな……死ぬのはこれで最後にしたい。
今度こそ、凪と夕夜でダンジョン『赤富士』を攻略するだろう。そうすれば、颯の回帰も止まるはずだ。
唇を、こじ開けられた。口の中に甘ったるい味が広がる。
ーー最後に味わうのが、大嫌いな治癒薬とはついてない。
颯は、フッと体が軽くなるのを感じた。正確には、体の感覚が完全になくなったのだ。
凪が繰り返し颯の名前を呼ぶ声が、段々と遠ざかっていく。
ーーもし、また予言の日に戻ったら、次こそは凪に……。
颯の最後の思考は、声にならなかった。
こうして颯は100回目の死を迎えた。
気がつけば、颯は空を見上げていた。
都市全体を覆う巨大なシールドに中年男性の顔が映し出されている。男は白髪まじりで、頬には大きな古傷がある。
――また、凪たちは失敗したのか……。
21XX年8月15日正午、『幕府』が、新たに目覚めた予言者『月読』の最初の託宣を発表した。
「かつての世界大戦で日本の降伏を発表したのと同じ日に、人類を勝利に導く託宣を披露できることを嬉しく思う」
日本に点在する『藩』を束ねる『幕府』のトップは、この時点ではいつも藤堂佐切だった。颯はいつも、上空に映し出された藤堂の顔を見上げる瞬間に回帰する。また戻ってしまったことに絶望しながら、藤堂の希望を装った声を聞くのだ。そして、「前回は、何を間違ったんだろう」と、お決まりの台詞を呟く。夕夜が颯のため無駄に使った治癒薬のせいかもしれない。極限の戦闘では、一本の治癒薬が生死をわけることもある。瀕死の颯にとっては、痛みを和らげる程度の効果しかないとわかっていたはずだ。前回はあえて夕夜と親しくならなかったのに、なぜ情けをかけられたのか。颯は親しくしていた頃の夕夜を思い出して「そういやあいつは、冷たく見えても良いやつだった」と、納得した。
颯が予言の内容を聞くのも100回目だ。今ではすべて暗記している。空を見上げるのをやめ、顔を正面に向けた。12歳の体はまだ背丈が低く、視線の高さに違和感があった。すぐに慣れると颯は知っていた。周囲の人々が手を取り合って喜んでいる。数年後には絶望を味わうとも知らずに。
街並みが懐かしい。最初の厄災の日の大地震で日本中が瓦礫の山に埋め尽くされた。100年近くかけて今の完璧に整備された街ができた。それもまた、第二の厄災で瓦礫と化す。
颯は目を閉じ、空気を思い切り吸い込んだ。腐敗臭が混ざらない澄んだ空気を味わうのは、10年ぶりだった。
――戻ってしまったからには、やるべきことをやるしかない。
前回の人生を振り返り、早急に今回の計画をたてる必要がある。自宅の方角へ体を向けた途端に、気持ちがはやる。
――家族に早く会いたい。
初期の回帰では、家族をなんとか助けられないかと奔走した。しかし、一度も成功せずそのうち諦めた。かわりに、失うまでは精一杯大切にすると決めている。
藤堂の顔を空一杯に映し出すという悪趣味でしかない演出は、公表した月読の予言のみを強く印象づけるためのものだった。
民衆に示されたのは、妖刀村正が赤富士攻略の鍵となること、将来、『凱風』と呼ばれ救世主となる子供が京都に居ることだけだ。幕府は『第二の厄災』に関する予言を隠していた。これから、『第二の厄災』で生き残るべき人とそうでない人の選別をすすめていく。基準はいたって単純で、特殊能力が強いかどうかと年齢だった。能力があっても、ある一定の年齢をこえていれば除外される。家族の中で颯だけが、幕府が設定した基準値を上回っているのだ。
最初の人生で凪は、潜在能力の判定をうけずに幕府の用意した壕に入れなかった。もともと潜在能力が非常に高かったのと、本人が刀鍛冶を目指し初歩的な技術を習得していたおかげで生き残りはした。しかし、第二の厄災から一年後に再会したときには壮絶な経験を経て、別人になっていた。変わり果てた凪の心を開かせたのは、颯ではなく夕夜だった。颯は、凪が生きていてくれただけで十分だと言い聞かせ続けた。最初の人生を終える瞬間にも、凪が生きていることが最後の希望だった。
初めて回帰したときも、凪を生き残らせるために努力した。回帰を繰り返し、多くのことを諦め切り捨てて行くなか残り続けたのは、『凪を死なせない』それだけだった。
颯は家に向かいながら、これから起こる重要な出来事を思い浮かべていった。
三ヶ月後には予言された子供を探すための『潜在力判定』が行われる。今回も颯は、凪を判定に参加させるつもりでいた。凪は最初のような壮絶な経験をせずとも養成所の鍛錬で十分強くなれる。早い段階で、ライバルで盟友となる夕夜と出会っておくのも重要だ。二人は切磋琢磨し成長していく。颯は血の滲むような努力をしても、二人の足手まといにならない程度が関の山だった。
能力を覚醒するのはたいてい15歳だ。颯たちが18歳の時に第二の厄災が起こり、壕に入れなかった人たちの大半が死ぬ。その年の暮れに出現するダンジョンで、颯は太古の魔法が閉じ込められた魔石を手に入れる。
颯は、魔石から願いを問われ「ダンジョン『赤富士』を攻略せずに凪が死亡した場合、『予言の日』に戻してほしい」と答えたため、回帰を繰り返すようになった。
『赤富士』は、すべての元凶であり世界で最も忌むべきものだ。
富士の麓に世界で初めてダンジョンが出現するまで、『赤富士』は吉兆とされていた。夏の終わりから秋にかけての早朝、様々な条件が揃ったときにだけ富士の山肌が赤く染まった。その富士の美しい姿は、写真や絵画、文章で今も残されている。
かつて富士は、優雅な山容と四季折々にみせる変化で、多くの人を魅了していた。今では誰もが忌み嫌う『災禍の象徴』とされている。
颯は、家族に怪しまれない程度に子供らしく振る舞いながら、着々と『赤富士』を攻略する計画をノートに書き留めていった。
凪とは、夏休みが終わるまで会わなかった。颯が12歳から27歳の間を経験するのも今回で100回目。かれこれ1500年近く片思いをしている相手との再会だ。最初に何を話すかを悩んで、結局会いに行けなかった。
久しぶりに会う12歳の凪は、相変わらず言葉遣いが乱暴だった。それから、強い意志を秘めた瞳は輝いていた。颯は凪を見て、今度も凪を守ると固く誓った。
颯は学校に通いながら密かに基礎的な鍛錬をして過ごした。すぐに、潜在力判定の日となり颯は凪と一緒に会場に向かっていた。
「本当に『鬼切丸』が見られるんだな」
凪は会場へ向かう道すがら、繰り返し訊ねてくる。
颯はその都度「ああ、絶対だ」と、返していた。最初の潜在力判定には必ず名刀『鬼切丸』が使われてきた。
今回、颯にはひとつ心に決めていることがあった。それは、最初の人生のように夕夜と親友になることだった。
会場にたどり着いた。潜在能力の判定は強制ではなかったが、対象区域に住むほとんどの子供が参加する。『藩』の幹部候補になれるまたとない機会だからだ。
もうすでに、受付の列が長く伸びていた。
夕夜は、幼い頃から剣術の天才として知られていた。皆と同じ条件で潜在能力の判定を受けるが、毎回、順番は最後に近かった。
颯は凪に受付を済ませるよう言い残し、その場を離れた。会場の入り口近くで夕夜を待ちぶせる。
夕夜が現れた時、颯は思わず駆け寄りそうになった。しかしこの段階ではまだ知り合いではなかったので、グッとこらえた。
颯は少し離れた場所で、夕夜に近づくチャンスを窺っていた。夕夜はなかなか受付の列に並ぼうとしない。それどころか、会場を離れようとした。颯は慌てて、夕夜の後を追った。
会場の裏手に入ったところで、夕夜が立ち止まった。気づかれてしまうと身構えた時、黒づくめの男が夕夜に襲いかかった。颯は思わずありったけの力を込めて地面を蹴り、夕夜と男の間に割って入った。後頭部に激痛が走る。
「大丈夫か!」
夕夜の声が響く。視界の隅の方で、夕夜があっさりと男を倒すのが見えた。
ーー要らない世話だったな……。
颯は安心してそのまま気を失った。
目を開けると、白い天井が見えた。
「目が覚めたのね!」
中年女性が顔を覗き込んできた。
「誰?」
「どうしたの颯?」
「颯?」
颯には目の前の相手だけでなく自分が誰かもわからない。それだけでなく、とてつもなく大事な何かを忘れてしまった気がしていた。思い出そうとするとこめかみに激痛が走る。颯はきつく目を閉じた。





