第四章
第四章
今日は、サルビアとしてネモフィラお兄様がお仕えしているお屋敷に行く日。
指定の服に、おそろいのマスク。
サルビアは顔を出さない。
不審がられることはない。
それがサルビアだから。
「リーファお姉様」
妹のフリージアが玄関で荷物をまとめているところにやってきた。
「どうしたの?」
何かあったのだろうか。
「ネモフィラお兄様のところに行かれると聞きました。……お気をつけて」
「うん。ありがとう」
今回の家業については、姉弟たちにも後日お父様のほうから説明があって、みんな喜んでくれた。
特に。
「レミファおねえさま。おめでとう! おねえさまのししゅうとってもきれいだから。おねえさまがほめてもらえるの、とってもうれしい! どんなふうに作られるのか見てたい!」
スノーがレミファの手をとって、くるくると回って喜んだ。
「ありがとう。スノー」
レミファ以上に喜ぶスノーに、ほほえましくみんなで見ていた。
それをさらに後ろから見ていたセリカ。
その光景を目に焼き付けようとしている。んだと思う。それぐらいしっかりとかみしめてみているようだった。
「……まだなにかあるようだけれど大丈夫?」
フリージアが少しだけうまく笑えていないのが、この子らしくないというか。
妹たち。その中でもフリージアはセリカのようになることを目標としているみたいだから、表情管理は完璧にしているのに。
「……レミファのことですが。賞の一件はセリカお姉様があの子に刺繍を教わるという方法をとってくださったので、あれ以上人が集まることはなくなって。おさまって、学園での生活も変わらずすごしていますが、どこか以前ほどの安定がないように感じられます。……今回のお兄様のことで忙しくしているのもありますので、それによるものかとも思っているのですが」
妹を想う姉の声。になる。
そのことも声に乗せられている。
私たちがいなくなれば、長女はフリージ。
実際レミファの一件はみんな様子を見ていた。
あの子自身が特別なにも話さないことが、なにもせずに見ていることを求められているということ。だから何もなくいつものように。
そうして落ち着いていたけれど。
私が聞いてしまったあの事についても、誰にも言っていない。
レミファにさぐりをいれることもしてない。彼も特別変わった様子はなかったから、あの後ちゃんと対応ができたということだろうね。
……本当にこの子たちは大人だな。
フリージアのいう通り、次の日にはセリカが横に座って刺繍を教わっているのなんていうから、みんな近づくことができなくなって、遠巻きに見てるだけになって。
そのことを触れるなんて怖い物しらずはいないし、セリカに視線がうつるようになって、レミファから分散されるようになった。
そういうことをしてしまうのがセリカ。
「セリカお姉様も姫選挙とお兄様のこともあってお忙しくされているのを拝見しています。あの子からなにもないのであれば、このまま静観しようと思っています。……あの子が今回抜擢されて本当に嬉しいんです。だから」
まっすぐ私を見る。
「お姉様方もどうかご無理をなさらないでください」
……私たちの事も気にしているとは。
……いや気にさせてしまっているのか。
ダメだな。
「ありがとう。フリージアたちがいるから私たちは頑張れる。無理はしてないよ。いいものができるように見ていてね」
ギューッとフリージアを抱きしめた。
かわいい私たちの妹。
この子たちに心配も気にさせることもしてはいけない。
それが私たちのあるべき姿。だと思うから。
「はい。お気をつけて」
にっこりとフリージアの笑顔に、私もにっこりと返す。
家族みんなに見送られて、お父様と一緒に馬車にのった。
「みんなとても喜んでくれていたね」
お父様も声が嬉しそう。
それもそうだよね。
ネモフィラお兄様にお会いするのは本当に久しぶりで。
……お母様もご一緒されればよかったのに。
採寸や打ち合わせのために同行するのは、私たち四人とお父様だけ。
「今日はみんな。よろしく頼むね」
旦那様のお言葉に、一同深くうなづいた。
道中はとても静かだった。
旦那様のお言葉だけで。ただただ静かに。といっても音や声を発さないだけで、表情はみなそれぞれで。
セリカはとても嬉しそうで。
レミファは緊張なのか表情がなくなっている。
アダンは何も考えないようにしている顔で。
三者三様で、そういう意味での音はあるのかな。
なんて思っている私が一番音がうるさいんだろうなぁ。もう楽しみだもの。お兄様におあいできるのもそうだけれど。レミファとアダン。セリカと一緒にサルビアとしてのお仕事。これがきっと最後だろうから。
それがネモフィラお兄様のため。なんだか言い表せられない感情に包まれている気がする。
目線をあげて、セリカを見た。
私の視線に気づいて、よりにっこりとほほ笑んでくれた。
……。うん。大丈夫。
セリカが嬉しいのは、レミファが認められて、サルビアのためになっているから。
新しい顧客が増えたからじゃない。
そういうためじゃない。
これは、お父様とお母様のためという意味。
子どもたちにとってお二人の役に立つことは、恩返しだと思っているから。
……私の望んだ道が恩返しになっているかは、ちょっと不安だけど。
っと。頭の中をこれからの事でいっぱいにしておかないと。お客様に失礼だ。
ゆっくりと目を伏せて、開けた次の瞬間から切り替えた。
事前に四人で話をしていたこと。
レミファの刺繍をどこまでいれるのか。
花をモチーフにするとしてもどの花をいれるのか。刺繍の範囲。花の種類。簡単なデザインを決めて。
デッサンをいくつか用意しているから、それを見てもらうってことにしている。
その帳を大事にレミファが抱えている。
面と向かって、レミファの考えを評価される。
とても大事なこと。とても怖い事。
レミファにとってはとてもいい経験。になって、自信になる。そうつながってくれればいいんだけれど。
レミファのデザイン、とってもいいなぁ。私のおすすめがあるからそれ選ばれたら嬉しいなぁ。まあ。どれが選ばれても全部いいものだから。ああ。ほんと楽しみ。お兄様どんな顔されるかな? そもそも表情に出されるかな? お兄様なら表情に出されないか。私たちにそういったことを教えてくれたのはお兄様だから。
「さあ。いこうか」
旦那様の号令に、一同深く頭をさげて。
それぞれ荷物を抱えて、後ろをついていく。
この時も音はない。
アダンもそうできてるのが意外だなぁと思いながら、足取りが軽いのを気持ち抑えて。
ああ。隣にいるセリカからも喜びが伝わってくる。ふふふ。嬉しい。
「お待ちしておりました。こちらへどうそ」
初老のメイドさんが案内してくださった。
通された部屋にはすでに依頼主は座っておられた。
「おお。来てくれてありがとう」
でっぷりと太ったおじ様。
ドカッと座っていた状態からゆっくりと立ち上がって、旦那様に座るように促された。
私たち四人とも旦那様の後ろに並ぶ。
「彼らがサルビアの職人か。……貴公の会社は子どもも雇っているとは聞いていたが、そこまで幼くはないようだな」
「サルビアでは、一定年齢以上のものを雇っています。ここにいるものたちは、みな腕のいいのものばかりです。ご満足いただけると思います」
私たちをなめるように見る目に、セリカを見てんじゃないという感情をどうにか抑えて、
旦那様を静かに見つめる。
「さて……。この度はサルビアをご指名くださりありがとうございます」
旦那様が頭を下げるのと同時に、四人も下げる。
「貴公は一見には厳しいからな。どうにかつてを使って仲介をしていただいたんだ。断られることも視野に入れておくようにと言われていたから、受けてもらえて感謝する」
言葉の通りには受け取れないほど、横柄な態度なのが少し気になる所だけれど、旦那様が表情に出されていないから私たちも出さない。
「仕事の話をしようか。依頼は結婚式の衣装をお願いしたい。式をあげるのは、私の子だ」
……。
子?
「二人を」
側に控えていたメイドさんが部屋をでて、少ししてまたドアがあいて。
「失礼いたします」
懐かしい声に、見慣れた動き。
「お呼びでしょうか。お父様」
「ここにおいで」
女性の方が横に座って、ネモフィラお兄様は後ろに控えられた。
「この方たちは……もしかして」
両手で口元を隠して、驚いた表情でこちらを見ている。
ネモフィラお兄様は、予想どおりで。
変わっておられない。
「サルビアだ。お前が気に入っていただろ? 結婚式の衣装をこちらにお願いしたいと考えていてね」
旦那様と話していた時より声色が柔らかい。
「本当ですか! サルビアなのですか! ああぁ。嬉しいですお父様。ありがとうございます」
パアと喜び、目が見開かれて、旦那様を見て、こちらを見て。
「私、ハンカチにポーチ。どちらも買いました。……この家とは取引がないため、服を仕立てていただけないと思っていたのですが。受けていただけるのですか?」
目をキラキラとさせて。
この方がレミファの刺繍を気に入られていると。
……。
「申し遅れました。サルビアと申します。後ろの者たちはうちの職人です。この度はおめでとうございます」
旦那様に合わせて、私たちも頭をさげる。
……。
ネモフィラお兄様の視線が痛い。
これはどういう感情の視線だろうか。
「そして、この度は、サルビアのご利用をありがとうございます。さっそく、デザインをいくつかお見せさせていただければと思います」
旦那様が視線だけをレミファにむけて、ゆっくりと。震えてはいないけれど、デッサンを机に並べていく手はひどく白い。
「こういったドレスの型に、刺繍をほどこしていきたいと考えています」
「どれも素晴らしくて、目移りしてしまいます」
そんな娘の様子に満足げにうなづいている。
「ねえどれがいいかしら。私としてはこの形がいいと思うのだけれど」
くるっと振り返って、手に取ったものをネモフィラお兄様に見せられた。
「確かにとてもきれいな形ですね。似合うと思います」
ネモフィラお兄様はにっこりと笑われて、うなづかれた。
「ほんと! ならそうしようかしら。で。刺繍のお花は」
またくるっと回って。レミファの並べたデッサンに目を戻して。
明るく楽しそうにしているお嬢様に対して、ネモフィラお兄様は穏やかな笑みを顔に張り付けて、静かにスッと一歩下がられた。
……お兄様は本当にどこまでもお変わりない。
「好きは花は多いのだけれど、どれがいいか……。まよってしまうわ」
レミファが用意したのは十種類の花。
結婚式の季節に咲いているものから、お祝いの意味合いのある花を選んでいる。
レミファが意味合いの良いものをと調べて選んだものたち。書庫から持ってきて、談話室でずっと見ていたものね。
だから私としては迷うのは当たり前なんだ。それだけのものを提示しているのだから。
「先に採寸してもらったらどうだ。その中でお前が好きな花を話していけばいいじゃないか」
「そうしてもいいのでしょうか」
おずおずとこちらを見るお嬢様に、旦那様は。
「構いません。そちらがよければ。こちらはあわせます」
私たちは視線だけあわせて、だれがどうつくのか再確認した。
「隣の部屋が空いていますので、そちらで」
お嬢様についていくセリカとレミファ。
「おまえはここでいいな」
「はい」
ネモフィラお兄様には私とアダン。
「しかし。本当にお面までして顔を隠したうえで、子どもを雇うとは。サルビアについては、人から聞くことの方が多かったからどうかと思っていたが。見ることができてよかった。貴公とは、これで、つながりが持てたか」
私とアダンがネモフィラお兄様の採寸をしている間、旦那様とお話されていた。
「貴公は、孤児院に多く寄付しているとか。そこの子どもかな」
ちらりとこちらに視線が飛んできた。
「年齢に問題がなければ、希望する子には働くということもあります。我々以上に未来のある子どもが興味をもってくれたのであれば、それは光栄なことですので」
旦那様の視線は下がったまま。
満足に相手と目線を合わせていないなんて珍しい。
首、肩幅、袖丈と手を動かして、アダンとお兄様の採寸をしていくなか、耳だけは旦那様の方にむけて。
「職人にも面をかぶせているのか」
「この面がサルビアの証のようなところがありますから。店舗でもみなつけています」
「顔を隠す理由がなにかあるのかと、根も葉もない噂話で憶測が飛び回っていたが。貴公とつなげてくださったビュロウ氏から話が聞けたらと考えたが、そういったことはよくないと考えてやめた。直接話した感覚を大切にすべきと思った。貴公の商品に対しては信頼している」
「そういっていただけてなにより。喜んでいただけるものを誠心誠意ご用意させていただきます」
恭しく頭を下げる旦那様に心の中で私も頭を下げる。
完璧なものを作り上げる。
それはみんなの思いだ。
ネモフィラお兄様。
そっと目をあげて、お兄様の顔を見る。
静かなお顔だけれど、目はとても嬉しそうに笑っている。
それがわかっただけで私としては満足。
お兄様が嬉しいのがなによりだ。
「貴公もなかなかな商売をするな。顔を隠している。仕立ては昔から取引のある所。一見は断る。紹介が必要。紹介があったとしても、必ずつながるわけではない。つながったからといって、取引が今後継続されるとも限らない。一回限りの可能性も。だが、一度サルビアを利用したものが他の店を利用するとは考えられないがな。まあ、うちも抱えている仕立て屋はあるが、娘はサルビアを気に入っているからな。特別な時に使わなかったというのは、いい顔をしないだろうが、サルビアなら認めるだろうか」
……声色がいいものではないなぁ。ふくみのある声だ。
「我々は我々のできることを。喜んでいただけるように。それだけにございます」
旦那様の声は変わらない。
ほんと強い。さすが。
「どこまでもその態度を崩さないか。貴公はその面のように何も変わらないのだな。それはそれでサルビアらしいともいえるのか」
サルビアらしい。
この言葉に手が止まりそうになった。
態度を崩さないも表情が変わらないのも、それは当たり前なんだ。それをサルビアらしいととらえるのも、お父様がそうしているのを正しく受け取っているだけなんだけど。
なのに。
「職人の腕で勝負をしていますので。私の顔も声も態度も。影響を与えないのがサルビアの考えですので」
この人嫌いだ。
そんな目をお父様に向けるな。
気持ち悪い。
吐き気がする。
わかったような口の利き方をするな。
お前ごときがサルビアを語るな。
「旦那様」
あ。
ネモフィラお兄様の声で感情が一気に流された。
「自分のほうは採寸が終わりました。お許しいただけるのでしたら、彼らに庭を見ていただきたいのですが、いかがでしょうか」
「庭?」
「はい。お嬢様が手入れをされている庭で、お好きなものをお伝え出来たらと思いまして」
「そうか。好きにするといい」
「ありがとうございます」
「二人とも。ぜひ行って見てきなさい」
「承知いたしました」
ここで初めて私とアダンは声を出した。
気持ち低くして、深く深く礼をして。
こんな顔見せてはいけない。
上げた時にいつもの笑みを浮かべて。
「では。失礼いたします」
音を立てずにお兄様のあとをおって。アダンも音を立てずに動くのうまくなってるなぁ。
ついて歩いて、庭にでた。
屋敷に入る時に見たけれど、丁寧に手入れが行き届いている。
「お嬢様はお花が好きで。季節に応じたものを選ばれて、ご自身の手で手入れをされています」
ネモフィラお兄様の態度はお客様に対するものだけれど、お声には私たちに向けてくださっていたものとは、また違う色の優しい声だ。
……いいなあ。
兄妹で家族だけれど。お兄様とお嬢様の関係もまた家族になるんだよね。
法的根拠のもとで。
「お嬢様はお優しい方です」
しゃがみ込まれて、花たちを眺められる横顔は心かそういっているのが伝わってくる。
「式の時期の花を僕としてはお願いしたいです」
私たちのほうは見られない。
「あの方にとってよいものを」
お兄様は一瞥も下さらなかったけれど。
それでも、お兄様のお父様への想いは伝わってきた。
だって、今の「あの方」はお嬢様ではないから。
親として祝えないからこそ、サルビアとして祝う。
サルビアにとって、よいと思うものを。
私たちは、そろえる予定がなかったけれど、そろって一礼した。