第三章
第三章
セリカは残り少ない監督生業務の引き継ぎと選挙のために王と打ち合わせするっていうから、書庫で待つことにした。セリカとは一緒に途中まで帰るという体にしている。初等部のときからそうしているから、だれも疑問に思わない。
そもそも疑問に思われないようにするために、ちゃんと布石をうつ。
ネモフィラお兄様から教わったことだ。
セリカ……忙しくなるだろうなあ。お兄様と選挙と引継ぎと当主と。
あの日から私も勉強しているけど、きっとそれ以上にあの子は学ぶことが多いんだろうからなあ。ああ。そういえば、スノーがバラを見に行ったから、温室のお手入れにも興味を持ち始めてて、レミファに読み聞かせしてもらってたなぁ。
四人それぞれ準備をしている。採寸の時までにある程度の方向性やイメージ図を作成している。レミファの刺繍が主体となるから、あの子。一生懸命になってる。
「……て。すごいね」
「あれなに?」
「人がおおいね」
人だかり?
家族の動向の思考から学園にもどした。
書庫とは逆だけど、人だかりは確認しておかないと。話題になるものなら尚の事。何かあるのかな……職員棟の廊下……。
掲示板や展示ケースが並んでいる。部活動のトロフィーに賞状、作品の写真があるけれど……。最近部活の大会ってあったっけ?
人の隙間から視線の先を覗き込んだ。
…………。どういうこと……。
「この子賞ってとったことなかったよね」
「これだけキレイにできるんだね」
「……ほんとに刺繍?」
聞こえてくるのは称賛の声だけ。
……喜ばしいことなのに……素直に喜ぶことができない。
だって。それは。
声になっていない悲鳴が聞こえた。
はっと振り返った。
……レミファ。
救いはその声を私以外気づいていないこと。
そして、私が人だかりの一番後ろにいたこと。
両手で口をおおって、ガタガタと震えている姿をとらえた。
私は思わず手を伸ばしかけた。
レミファ
私の視線に気づいたのか、視線が私にうつった。
その目は恐怖一色。細かく首を横にふって、その瞳には涙がうかんで。
追いかけたかった。涙をこらえていたあんな顔見たくない。あんな顔させたくない。でも。
ここではその行動はちがう。
たとえ追いかけることが正しいとしても、今の私のこの感情でしてはいけない。
……おちつけ。一番つらいのはあの子。私が怒ったところで、泣いたところで。
右手を左手で抑えつける。はぁああああ……。
うん……。あの子のところに行こう。
不自然な動きにならないように、もう少しだけ刺繍をみてから。
……うんきれいだ。
もともとの行き先だった書庫に向かう道に戻って、遠回りをして目的地に向かおう。
あの子の気持ちを受け止めるなら、私が落ち着いていないといけない。セリカはそうやって下の子たちと接していた。じゃないと遠慮させてしまうから。
自分の心よりも他人の心を優先してしまうから。
そういう子ばかりだから。私の兄妹は。
下校する子たちとすれ違いながら、いつものように笑顔をうかべて。歩く速度が速くならないように。
特別棟を抜けて、体育倉庫の前を通って。校庭を通り過ぎて、学園敷地南端にある旧校舎に向かう。その横を抜けると、中庭がある。といってもベンチが一つあるだけで他には何もない場所。そこは家族で語り継いでいる学園で、一人になれる場所。ここを知っているのは私たちだけ。
「レミファ」
「っ!」
声をかけるまで気づかなかったのか。……眼が真っ赤よ。
いつもよりも抑えた声だけれど、体が大きく反応している。
「……リー、リーファさん」
……こんな時でもこの子は……。
ああぁ。どうして
「リッ。……リーファさん?」
大丈夫。
ちゃんと後輩として動いている。
この子がそうしているのに私が崩れるなんてあってはいけない。
「あぁ……」
私はレミファを抱きしめて、何度も何度も繰り返した。
「大丈夫。大丈夫。だいじょうぶ。だいじょうぶ。だいじょうぶ……」
腕の中にいるレミファの震えが伝わってくる。
……私の怒りがこの子に伝わらないように。
「ごめんなさいごめんなさいごめ……さ……」
大丈夫。
トントントン。
レミファがスノーによくしているように。背中を優しくたたく。
大丈夫よ。
耳元で言い聞かせる。
……違う。
自分に言い聞かせている。そうしてないと……。
「大丈夫よ。レミファ」
私の大切な家族がどうして泣かないといけないの。
この子がこんなにも怖がっているのはだれのせい?
この子がこんなに傷ついているのはだれのせい?
「……っひっ。っん」
目をこすり、涙を何とか止めようとする手を捕まえた。
「だめ。……眼に傷がついてしまう。こんなにも赤くなって……」
きっと腫れてしまうだろう。
「リーファ、おねえさま。もうしわけっ、ありません。こんなことになってしまって。とりみだしてしまいました」
息を整えて、少しずつ話始めた。
「おど……ろいてしまって。もうしわけありません。大変ご迷惑を」
謝罪は聞きたくない。
思わずレミファの口を手で塞いでしまった。
何が起きたのかわからないと目を大きく開けている。
私は意識して笑顔を浮かべた。
セリカの顔を思い浮かべて。こんな風に笑っていたはず。
「悪いことをしていないのならあやまらないで」
声もあの子のように落ち着いた優しいものを意識した。
「何があったのか、無理に話さなくていい。話すべき相手がだれかは。わかっていると思う」
涙の跡をなでる。
こんなにもはっきり残っているなんて。
「おねえ……さま?」
「一つだけ教えて」
「……はい」
不安そうに私を見あげている。
ああ。私は本当にだめだ。この子に感じ取られている。
「ちゃんと納得している作品?」
私の質問にみるみる瞳は再び涙で満たされていった。
「いいえ」
その声はとても力強くて、断言したものだった。
そう……。
「どうする? あの子への説明は」
話を変える。
ここは人の来ない場所とはいえ、先生たちが見回りに来ないとは言い切れない。できることならこのまま一緒にいたいけれど、レミファは一人になりたいかもしれない。
「あの方には私の口からご説明します。それが私にできる……あの方へのすべきことだと思います。なので、申し訳ありませんが」
「わかった。私からは話さない。……きっとあの子もそれを望むと思うわ」
レミファの恐怖は、あの子に嫌われるかもというものか。
下の子たちはあの子に嫌われること、失望されることを恐れている。
それだけ……。それだけ、あの子がこの子たちにとって大きな存在であるということ。
あの子が正しい姉であろうとすればするほど。
姫であればあるほど。
あの子に認められたいと皆が思う。
「少しここで落ち着かせます。ほかの生徒の方に会わないように時間をずらそうと思います」
ぎこちないけれど、笑おうとしているのならまだ大丈夫。
「そう。ならまた後でね」
いつもの笑顔でわかれよう。
私がどれほど気にしたって、できることはない。あとはこの子自身の問題。きっとあの子がうまくしてくれる。
「はい」
少しだけ顔色もよくなっていると自分に言い聞かせて。私のすべきことをしよう。
来た道を戻って、少しだけ寄り道をして作品の前にたった。
私以外いない。
……。…………。
「はぁ」
何を考えているのだろうか。
ダメだな。
私は罪を犯そうとしている。
寄り道は正解だったけれど。
あんなこと聞いたから……。
自覚しているのだからやめるべきだ。
この伸ばしている手を下げるべきだ。
わかっている。
わかっているのに。
「……誰にも見られたくないな」
満足しているものならまだ救いがあった。
そうではないとあの子がいったものを、こんな形で評価されるのは。
「何をしているの?」
「……え……」
かけられた声の相手が誰かは考えるまでもなくわかっていたけれど。振り返って目に入ってきたのは、小さな子どもを抱えていて。
「泣きながら私に抱きついていたの。理由を聞いても答えてもらえなくて。執務室にいたのだけれど、泣きつかれたのか眠ってしまったの」
困った風に笑うセリカで。
……。
屋敷ではよく見慣れた光景だけれど……学園で見ることになるなんて。
「で。何をしているのかしら」
……笑っている顔でその声は怖いな。
まあそういうことになるのは仕方ないか。いま私がしようとしていたことをこの子はわかっている。
「さっきここで人だかりができていてね。一度見たんだけど、人が多くてあんまり見えなかったからもう一度きたの。……すっかり眠ってるね。姫どうします?」
うそはついていない。
でも話題はそらしたい。
そんなことに妹を使うのもこの子はもっと嫌な顔をするだろうけれど、学園だから抑えてくれる。お叱りはあとでちゃんと受けるので。ここは合わせて。
「……そう。この子はね、起きるまで待とうかなと思ったのだけれど、先ほど学園に迎えの連絡が入ったようなの。なかなか帰ってこないことを心配したようね。門に迎えが来たようだからおりてきたの」
ありがと。ごめんね。
「生徒が少ない時間でよかったね。すごい騒ぎになってこの子のことが噂されてしまうのは姫の望むことではないでしょうし」
寝顔を覗き込むと泣いた跡がひどい。
……大好きな姉の腕の中にいるというのに、こんな顔になるなんて。
「そのまま私も帰る予定なの。大丈夫?」
いつも一緒に帰っているから私と姫が一緒なのは問題ない。ただ、この状態を見られる方があまりよくない。
私が代わりに抱きかかえよう。その方がまだ見栄えがいいはず。
「門までかわるよ」
「なら、荷物は私がもつわ」
「まって。それはそれでまずいから」
「あらどうして? 手が空くのだから」
「姫にそんなことさせられません。もぉ。もう少し自分の立場を考えて」
「リーファさんにそんなこそ言われるなんて思ってもなかったわ」
軽口を言えるくらいには、私もどうにか心を落ち着かせて、並んで歩く。私の腕で眠っている妹の顔が見えないように隠したけれど、生徒が残ってなくてよかった。
でもなんでスノー泣いたんだろう。
「お嬢様が大変ご迷惑をおかけいたしました」
門にいたのはナゴミさんだった。
「いえ。よろしくお願いいたします」
ナゴミさんは私たちに一礼して必要以上のことをはなさず、スノーを抱えて帰られた。帰る家は同じだけれど、私たちはあえて違う道を行く。誰が見ているかわからないから。
「さて。私たちも帰りましょう。……あとで何があったのか説明してね」
笑顔で言われたけれど、怖い。
どうしようかな。話せることなんてあんまりないんだけれど。この子に嘘をつくのはできないし、隠し事をできないし、どうやって話すか。見聞きしたこと全部話したいところだけれどそういうわけにはいかないし。さて。この帰路の間でどうにかまとめないと。
「姫も。説明できる範囲でいいので教えてね」
スノーのこと。帰ったらお母様たちに聞かれるだろうし。まあセリカだけで、私は何も答えられないんだけれど。
さて。帰路はいつものように途中で別れて、私が後からつくように帰る。何があってもこの家に一緒に入っていく姿を見られないようにしないと。
少しだけ遠回りをして帰った。頭の中でまとめるのができていない。だめだなあ。お父様とお母様に落ち着いてないことがばれてしまう。なんでそんなことになっているのか。セリカはなんて説明するのかな。そもそもレミファはなんていうんだろう。
あの子。眼大丈夫かな。赤く腫れてたら、きっとセリカ、落ち着かないだろうな。
「お帰りなさいませ。リーファ様」
ナゴミさんに一番最初にあった。
「ただいまナゴミさん。あの子大丈夫でした?」
この家の二人いるメイドの一人で、長く勤めている人。
「はい。帰宅途中に目を覚まされて、奥様とお話をされて、今はお部屋にこもってます。とても小さくなってましたよ」
苦笑しながら、二階に目をむけられた。
こもってるのか。セリカは話したのかな。気になるけれど、スノーは私のこと知らないだろうし、余計なことして、あの子がさらに小さくなってしまうのはかわいそう。
「セリカ様は先ほど帰宅されて、皆様と一緒に家事をしてくださっています。リーファ様もお願いいたしますね」
はーい……。
ナゴミさんたち家の人たちには頭が上がらないのがこの家の子どもみんな共通のこと。
言われたようにできることしないといけないから、とりあえず、お父様お母様に帰宅のあいさつをしてっと。
「おかえりリーファ」
「セリカ」
「お父様とお母様なら温室よ。洗濯物部屋かけとくね」
両手いっぱいに持っている袋を軽くかかげて、二階にあがっていった。
洗濯物や個人のものは名前が刺繍されている袋に入れて部屋に配られる。その刺繍もレミファがしてくれている。名前と一緒にイメージする花をそえて。
「ありがと」
温室か。
とりあえず荷物だけ部屋に投げ入れて。
途中で手伝っている兄妹たちに手でこたえながら、中庭をぬけたさきにある温室……って。
温室のどこのエリアよ。この屋敷の温室、植物ごとに区分けされてて、エリアの数それなりにあるし、一エリアかなりひろいんだけど。
「どこだろ。ええっとセリカの様子から推定するに」
とりあえず、正規ルートで入るか。で走ってこの中を抜けるのはお行儀がわるいから、早歩き程度をこころがけて。
「お父様。お母様」
お姿が見えたから、お二人の会話が聞こえない距離で声をかける。
お二人が振り返ったところで、一度立ち止まって。
ゆっくり一礼。
「リーファ」
お父様が私の名前を呼んでくださったから。にっこりとほほ笑んで。
「ただいまかえりました」
敬愛するお父様とお母様にご挨拶をしてから、家の手伝いに向かうのが流れである。
手伝いというか、自分たちができることはするのは当たりまえ。
「おかえりなさい」
お声をくださるのはお父様だけ。お母様は静かにほほ笑んでおられる。
「あとはレミファだけかな。知っているかい?」
まだ帰ってきてないのか。
「いえ。レミファ以外は帰ってきているのですか?」
「ああ。……まあまだ時間はあるからいいのだけれど。あんまり遅いと心配だからね」
時間とは夕食の時間。
この家の決まり。特別なことがないかぎり、夕食は家族みんなで。
「そうですね」
ただ同意だけして。
……レミファ。大丈夫かな。
「リーファ」
お父様に呼び止められた。
「はい」
なんだろう。
「セリカのこと、頼むね」
……。
「承知いたしました」
深く深く頭をさげて。
背筋を伸ばして、私はアルファーラとしての考えを頭に浮かべた。
わざわざお父様がセリカの名前を出されて、頼むとおっしゃった。
つまりそういうことなんだ。
アルファーラとして頼まれた。するべきことがあるということ。
スノーのこと。レミファのこと。
セリカのことだ。何もないはずがない。
「さて。私は私でいつものようにしないと」
いらない不安や心配は私は作ってはいけない。そういうのをしてはいけない。
それが私だから。
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「レミファです。セリカお姉様 リーファお姉様。お話があります」
ノックがしたと思ったら、レミファの声がした。
夕食には間に合って帰ってきたレミファは、食後お父様たちとお話をしていたのだろう、書斎から出てきたところを鉢合わせて、軽く話をして別れたのはついさっき。
セリカの部屋で私がいることも想定されているのは、まあいつもの事とはいえ、よくないな。私が入り浸ってるみたいだ。見栄えが良くない。
「どうぞ」
セリカが中に促すと、深く一礼をして入ってきた。
……さてさて。私としては席を外したいところだけれど。
レミファの眼がここにいるようにという目をしている。はあ……。
「座って。……話とは?」
妹の真剣な声にセリカはやわらかく返した。
「リーファお姉さまはご覧になられたかもしれませんが。今日、賞展示場所に私の作品が最優秀賞を受賞したとして飾られていました」
ここで区切って息を吐いた。
「身に覚えがなかったため、確認したところ顧問が提出していたとわかりました」
震えないように、左手の爪が右手にくいこんでいる。
「先日、部活動でのコンクールがありました。テーマは花でしたそのため私はコンクールへは参加しませんでした」
口が早く、より深く食い込んでいる。
この子の花をモチーフにした刺繍はサルビアで商品になっている。
だから、この子は人目につくような場所に花の刺繍は作らない。
レミファの刺繍には価値があるのだ。
それはサルビアのための価値。
部活動で人目にさらすなど、サルビアに対して失礼だとレミファは考えて参加していなかった。
見る人が見ればわかる。
同一の人物によるものだと。
あの学園では、サルビアの得意先になっている家もある。気づいた時さわぎになる。それを起こさないため、この子は基本的には不参加と決めていている。
家の事がこの子にとっては一番大事なことだから。
「私の知らないところとはいえこのような事態となり大変申し訳ありません。お父様とお母様は噂になったとしてもうまく流しなさいと。サルビアもそうすると」
「お父様とお母様がそうおっしゃったならそうしましょう。……それだけではないわね」
セリカはいつもの笑顔で優しい声でいつもの会話の延長のように。
セリカは本当に変わらない。
いつだって穏やかで、笑みを浮かべ、声色は暖かくて。
それが悲しい話であっても。
楽しい話であっても。
この子のいる空間では、この子の感情で満たされる。
だからレミファの震えも少しずつ落ち着いていく。
「その賞をとったものは、以前練習していたものを下地にして作成したものです」
「私も見たわ。とてもきれいだった。どうして部活でつくっていたの?」
「……他生徒はコンクールに参加するためテーマにそった作品つくりをしていて。活動だからと、不参加の生徒も製作するようにと」
あの顧問……。だとしても、レミファの許可なくするとは。
「一丸となってという部活の方針であればそういうこともあるわね。でも。あれは完成していたのかしら?」
ああ。そうだよね。
セリカの指摘にレミファは唾を飲み込んで。
「未完成です」
「そう」
セリカの声色が少しだけ暗くなった。
レミファは日頃から試作品を作っている。試作品だから、どれも未完成とレミファは分類わけしていて、私達でも見たことがないものが多い。
ああ。
夜が深くなったのと同時に、この子もつらくなっている。
「レミファ。姫としてカラーのあなたにできることはありますか」
淡々とした声。
ああ本当にこの子は。
どこまでも。
「そのお気持ちで十分です」
レミファの声が震えてきた。
「では。姉としてできることはありますか」
セリカの眼にうっすらと涙が浮かんでいる。
私は二人に背を向けた。
ここに私はいない。
「おねえ……さま」
レミファが泣いた。
セリカも泣いている。
でも声には出さない。
この子はそういう子。
静かに泣くの。
絶対に誰にも気づかれたくないから。
「くや……しいです」
「うん」
「わたしの花は、サルビアの花です。この家のためのものです」
「うん」
「だから。賞なんていらない。ほしいなんて思ったことないです」
「うん」
「私は私の刺繍を認めてくださったお父様に申し訳なくて」
「うん」
「未完成が評価された。不参加であっても、花を作るのであれば、他の物以上に中途半端なものは作れない。これがサルビアの……花と同じだと思われたくない。それは耐えられない」
「うん」
「サルビアの花は完璧でないと。半端なもので見られたくなかった」
「うん」
あふれるレミファの想い。
ただただ静かに相槌をうつセリカの声はとても優しくて心地よくて。
危険だ。
「レミファはなにも悪くないわ。だけどごめんなさい……。私は学園であなたを守れない。赦して」
「お姉様あやまらないで。……お姉様が悪いなんて。何も悪くなんてないのです」
「ありがとう。……あなたの苦しさを私がかわれたらいいのに」
「お姉様」
セリカの感情すべて、家族の感情につながっている。
この子が笑うのは、家族が笑う時。
この子が怒るのは、家族が否定された時。
この子が悲しむのは、家族が傷ついた時。
この子が喜ぶのは、家族が幸せである時。
レミファの涙がとまったのは、眠ってしまってからだった。
「部屋に連れてこうか?」
セリカの腕の中にいるレミファは小さくうずくまっている。
「いいえ。このまま一緒に寝るわ」
「朝起きたらレミファびっくりだね」
「私がそうしたいのよ」
「はいはい我が主の仰せのままに」
「やめて。……それでまだリーファから話を聞いていないのだけれど」
私に対しては厳しいのよね。
忘れててよ……はぁ。
「なら場所をかえよう。寝てるとはいえ、妹のそばでする話じゃないし」
セリカに求められている話は、この子の前でする話じゃない。
レミファを寝かせて、ちゃんと布団をかけると、セリカが髪を整えていた。
「寝ぐせがついてしまうわ。この子の髪はつきやすいのよね」
お母様がされていたような手つき。
気持ちがいいのだろうか。レミファの寝顔を穏やかになっていく。
「かわいいね。いい眠りになるよ」
嬉しそうにうなづくセリカと音を立てないように廊下に出ると。
「スノー」
どうしてそんなところに!
私の部屋の前では小さな影。小さく丸まって座っているスノーがいた。
出した声がおおきなものにならなくてよかった。あまりの事に駆け寄ったけれど、音をたてなくてよかった。他の子が起きてしまうし、セリカに怒られてしまう。
「なにしてるの。風邪をひく」
寝巻姿でいる場所じゃない。
上着をかけて、抱き上げた。
「おねえさま」
私の後ろにいるセリカを見ないようにしているのがわかる。私にしがみついて、顔を隠している。
「起きて……レミファおねえさまがいなくて。っこわくなって。……ねれなくなって。それで……」
ぎゅーと顔を押し付けて、震えている。
「そう……。ねえスノー」
セリカがする優しい声を心がけて、背中をトントンとたたく。
「私のこの時間までセリカの部屋で夜更かししていたの。このことお母様たちには内緒にしてくれない?」
本来なら寝ている時間。
ノックをして私を起こそうとしたのだろうけれど、部屋にいなかったからこんなところで小さく座ってうつらうつらしていた。
私のせいでスノーが風邪をひいてしまうかもしれないし、なにより震えている妹を落ち着かせる必要がある。
「それはスノーも。スノーこんな時間にお部屋でちゃった……」
だんだん声も小さくなっていく。
とことんセリカから自分を隠そうとしているような動きばかり。……兄妹みんなこの子に嫌われるのが怖いのだ。はぁ。
「よし、きめた」
私はセリカにスノーが見えないように首だけ向けて。
「スノー。一緒に寝てくれる? いいでしょセリカ。朝みんなが起きる前にレミファに迎えに来てもらって」
仕方がないというようにセリカはうなづいてくれた。
「わかったわ。スノー。レミファには先程会ったわ。あの子眠れなかったみたい。あとでそのことを伝えておくわね」
いつものセリカの声におずおずと顔を上げて、やっとセリカと目をあわせた。
「いいの?」
「いいの」
私が即答した。
こういうときは間をあけてはだめ。
「私がそうしたいの。スノー。姉様のわがまま聞いてくれる?」
涙目だったのが少しだけ大きく開かれて。
「うん。おねえさまといっしょがいい」
私はスノーを抱き上げて軽く頬に口づけた。
「ありがとう。……じゃぁセリカ、おやすみ」
「ええおやすみ。リーファ。スノー」
私はまばたきを二回。
セリカはゆっくり一回。
これで私達は伝わる。
私達はいつもそうやってきた。妹たちに気づかれないように。互いの考えが手に取るように伝わっていく。
スノーをつれて、部屋にはいってセリカとわかれた。
「はいスノー」
スノーをベットにおろして、寝る準備をする。
「リーファおねえさま」
小さな声でか細いものだったけれど、はっきり聞こえた。
「ん? どうしたの?」
横に腰かけて、頭をなでる。
さらさらとのスノーの髪が流れていく。
「セリカおねえさま。……怒ってなかった? スノーのことお嫌いになってなかった?」
何をいっているのだろうか。
小さい妹がさらに小さくなっている。
「セリカに怒られるようなことしたの?」
聞くだけ聞く。
あの子が妹たちを嫌うことなんて絶対にないし、怒ることなんてありえない。
「うん……。ご迷惑かけた。お母様からも気を付けるようにって」
「そう」
今回のことか。
「ちゃんとごめんなさいしたの?」
「うん。した。……そうしたらお母様もおねえさまもいいよって。ゆるしてくれた」
「なら大丈夫。怒ってないし嫌いになんてならないよ」
お母様もお父様もセリカも。この家の人間は家族を嫌いになるという発想がそもそもない。
そのうえセリカは、他の何よりも家族を愛している。だから私はあの子のために在りたいって思った。
家族が笑っていること。
それがあの子第一優先事項。
だからあの子は家族のすべてを許すし、傷つけるものには容赦しない。
「あ、あのねスノー。はなせなかったの。なんでこんなことなったのか。でもおねえさま、スノーがそんなふうになることが起きたのなら、それをなくすのがおねえさまのすることだって」
あの子らしい。
「ちゃんとおはなししてないのに。おねえさま……なにかするの?」
妹に不安な顔をさせるとは……。はあ。
何事もほどほどでないといけないね。
「スノー」
私に言い聞かせているみたい。
そういう言葉を選んで。
「大丈夫よ。怖いことや嫌なことから守るってそれはセリカの口癖でしょ? それだけ大好きってこと」
スノーを膝にのせた。
コツンとおでこを合わせる。
「笑って、スノー。私達みんなスノーの笑顔が好き。スノーの楽しい声が聞きたいの」
雪の積もった晴れた日にこの子は屋敷に来た。
一切の足跡がない銀世界で陽の光に反射して一番輝いていたもの。
そして少しのことで穢れ、溶けてなくなってしまうほど繊細なもの。
それが私達のスノーだ。
この子は思いに敏感だから、セリカの感情を怖いと思っている。
「大丈夫。朝になれば、レミファが迎えに来て、いつもの一日がはじまるわ。……ほら泣いてしまっては、目が赤く腫れてしまう。……ああこすってはだめ。ほら。おやすみなさい」
スノーをそのまま腕の中で閉じ込めて、無理やり横になった。
こういうときは寝て、朝レミファの顔をみれば少しは落ち着くはず。
セリカのほうでうまくやってくれる。レミファさえ無事であれば大丈夫。
トントントン。
控えめなノックの音で目が覚めた。
眼だけ動かして、時間は……ああいいかんじかも。
そっとスノーから離れて、起こさないように。
「レミファ?」
「リーファお姉様、昨日は大変失礼いたしました」
セリカではなく、目の腫れていないレミファだった。
開口一番が謝罪なのはこの子らしいけれど。こういうときの一番は。
「おはようレミファ」
いつものように挨拶するのがいい。
「おはようございます。スノーは起きていますか」
「まだ眠ってるわ。起こさずにいく?」
「はいそうします。……リーファお姉様」
レミファがスノーを抱き上げるとぐずる声がしたけれど、すぐに規則正しい寝息にもどった。
「なあに」
「セリカお姉様が温室にてお待ちしていると言伝をあずかっています。……私のせいでご迷惑をおかけし申し訳ありません」
「謝ることなんてないよ。セリカが昨日言ってたでしょ。リーファが悪いことなんてないのよ。だから謝罪はなし。いつものようにするの。スノーが不安がるわ」
ずるい言い方をしている自覚はある。
私はまたしも末妹を理由にしてしまった。
この言葉で、私たちは私たちになる。
この家の子どもになる。
「はいお姉様」
レミファの笑顔が作られた。
ごめんね。
姉として最低だ。
それでもあの子がきっとなにもかも関係なくなっているから。
「レミファの花はサルビアの花ね」
そういったのはセリカだ。
レミファは自信がない子で、他の兄弟より自分は劣り何もできていないことに劣等感をいだいている。
私としてはそれはありえない。
私達兄弟は誰ひとりとした誰かに劣るなどありえない。
レミファは家でも、学園でも、サルビアでも自分を消す。そんなレミファの自信を持たせたいと思っていた。そんな時に、レミファの刺繍に目を留めたのはお父様だった。
以前からボタンやほつれを直していたレミファに家族の持ち物に名前を入れてほしいと。洗濯物で使っているものや、家でつかうものではレミファがしていたものもあるけれど、外の眼がつくものではなかった。
私達は家族であることを外ではださない。から。
でも。
レミファの刺繍でつながった。
気づいた学友たちは、口々にほめてくれた。
それは他の子たちもで、レミファの刺繍は第三者の評価を得た。
だから部活動で洋裁関係の部活に入った。これだけはという思いだったようだけれど。
賞はとらないでも、レミファの腕はあがったしより美しいものが生み出された。部活はいい刺激になっているようで、色もデザインも多彩になってきた。
お父様はレミファにサルビアのお仕事を任された。
季節ものを展開している中で、数量限定で白いポーチにレミファの刺繍を施したものを販売すると。
話を受けてあの子は真っ先に私たちのもとにきて、どうしたらいいか不安でどうしようと言っていたけれど、セリカが我がことのようによろこんで、抑えていたけれど、二人きりになったら、もう信じられないほどの喜びようで。
はあ……。だからこそ。
「私は私であらないと。お父様から頼まれているのだから」
温室に向かう道。本当ならちゃんと着替えてからだけれど、まだ暗いし、軽く羽織だけして隠して出てきた。
温室にいるってことだけれど。どのあたりだろう。昨日と今日とで温室で人を探すのは向いてないんだけれど。
……セリカならどこにいる?
「この時期ならあのあたりがきれいに咲いてるんだろうか」
温室はカーネリアの管轄。カーネリアが年中、温度に湿度、土や栄養。全部管理して、各ブロックごとに様々な植物を育ててる。で今ならというか、あの子なら。
「セリカ」
想定した場所にいた。
香りの圧の中にあの子が立っていた。
「あら。おはよう」
「おはよう」
ゆっくり振り返るその姿は、人の形をした別のものに見えた。
ああ……危ないなぁ。
私がこれから話すやり方を注意しないと。
「みて。カーネリアが丁寧にお世話をしているから、季節関係なく植物を愛でることができるわね」
ここは、バラだけの場所。
色鮮やかなバラの花が咲き誇り、香りが充満している。
「きれいに咲いてるわね。……あの子たちのように」
ああああ。ほんと危ない。
「セリカ。スノーをレミファが迎えに来てくれて部屋にもどった。だいぶ顔色も戻っていたし、レミファひとまず大丈夫そうね」
「ええ」
私ではなくバラを見つめている。
バラの名前は、スノー。
カーネリアがバラに名前をつけている。家族の名前だ。
スノーはスノーと同じように一切のけがれがないほど純粋な一色。
「リーファ。お話して。あの子の事でわかっていることはすべて」
……怖いなぁ。
今の状態が一晩あったのかなぁ……だとしたらレミファ、感じてないことを祈るわ。あの子がこれ知ったら余計につらくなっただろうなぁ。
「話をするのはいいけれど」
「なにかしら」
「怒らないでね。あの子が願ったように姫としても、姉としても、もうできることはないんだからね。だから」
「姫としてカラーにできること、姉として妹にできること。そして、一生徒としてあの学園にできること。これらはすべてちがうわ」
「そうだね、だからこそ、できることをちゃんと分けて考えて。私の話を聞いて、行動を起こすのはいいけれど、それが、どう、あの子に影響を与えるのか。そこが大切でしょ」
「あら。私があの子にとって害をなすことをすると思うのかしら?」
「それはないって。それは知ってるし、そんなことありえないって信じてる。でも。そう私はセリカのことを信じても、それがセリカの行動に影響を与えてるなんて考えてない。あなたはあなたであり続けるかぎり、なんだってする人だから。だから、言ってるだけ。あなたの行動はあなたが決めること。ここで考えてって言ってるのだって、言われなくてもそうするでしょ。その上であえて言ってるの」
「私はいつだってリーファの言葉を胸に動いているわよ」
「それは恐れ多い、ありがたいことね」
「信じてないのね」
「セリカ」
「ふふっ。うそよ。リーファが私を信じてないなんてそれこそありえない」
「わかってるのならやめて。……怖いわ。あなたなら何でもできてしまうのだから」
「……大丈夫よ。しないわ。ちゃんと考える」
ここまででどうにかこうにか、人型の何かから、セリカになってくれた。
昔。私は忘れてはいけない出来事があった。
私が誘拐されたこと。
後日、聞いた話だけれど。
私の帰宅がなくて、夕食の時間に間に合わなかった時点で、相当セリカは戸惑ったようで。私はどうにかこうにか、脱出して帰路の最中に、学園に誘拐の連絡を犯人がしたらしく、かなり荒れたと話を聞いている。
セリカが私が誘拐されたであろう場所から連れていかれた場所を、どうやったのか知らないけれど、たどっていって。隠れ家を見つけて。ほんとどうすればそんなことできるのかわかんないけれど。そこを通報したらしい。
私は問題なく帰ってきたけれど、セリカは私がまた誘拐されるんじゃないかって不安だったのか、より一緒にいる時間が増えた。
そんなことがあったから、何をするのかこの子は本当にわかんない。
「私が聞いた話。主観が入るから」
前もってちゃんといれておく。……まあこんなこと言わなくてもこの子はくみ取ってくれるけれど。
「わかってるわ」
ふうぅ。しっかりと息をはいて。笑顔のセリカに向き合う。
言葉を選ぶ必要はあるけれど、たぶん無理かな。ほんと耳疑ったもん。
「私が聞いたのは、レミファが所属する部活動の顧問の先生が他の先生とお話されてたこと」
レミファが自分で提出したわけではない時点で、出したのは顧問しかいない。馬鹿なふりしてどういうことか聞こうと思って職員室に向かった。
そしたらちょうど教員同士でお話されているところで、こっそり聞き耳をたてていた。
「レミファがコンクールに参加していないことに、先生は疑問に思ったらしい。普段の活動では創作の偏りはないし、良いものを作るのに、個人での参加はしない。代わりに全体で一つという時だけ。それが気になっていたらしいの」
あの子としては不出来なものを出してはいないと思うけれど、どうしても私たちはどこかで制限をしている。
本域で何かをすると、それは圧倒的に浮いてしまうから。
勉強なら、主席を。
運動なら、優勝を。
芸術なら、生計を。
それができるのが私たちで。
それがこの家の子どもの証。
でもそれは、とても異質だと考えている。
そういう人もいるけれど、私たちはそういう意味での目立ち方はしてはいけない。
ちゃんと紛れ込まないといけない。
初代アルファーラがそうであったから。
「で。あの子の花の作品をみて、これだって思ったんだって。あの子は断ったけど、レミファの才能をちゃんと評価してほしいって思って黙って出したんだってさ。未完成かどうかは気づいてない感じだった。話をしていた先生には、そんな勝手なことしてよかったのかととがめられていたけれど、生徒の才能が埋もれるのは残念なことだし、本人に自信をもってほしかったとかどうとか言ってうまくごまかすってさ。あきれてたよ相手の先生」
私も聞いていてそんなことしたのかぁって思った。レミファが望んでないことを勝手にしないでほしい。よくあれで教員なんてできてるよ。
「そう……。やはり要注意の先生のようね」
小さなつぶやきだったけれど、悪意一色。
この子には、私たちの知らない情報が入ってくる。逆もしかりだけれど。
探りをいれるか。
「姫。あの先生、この学園きたの初めてだよね。学校の数が少ないのに。他の学校がよっぽど長かったのかな。なんかあるのかな」
「あら。異動なんてわからないわ。やめられる先生だっているのだから」
声も表情も空気もすべて変わって。完全姫モード。
「学園の先生についていろんなこと耳に入ってると思うんだけれど」
「生徒の先生評価はよくあることよ。それが耳に入ることはあるわ。でもそれは生徒の評価。それに私たちが惑わされてはダメでしょ。私たちの立場で先生について評価などないわ」
「でもあの先生。王姫批判すごくない? 悪しき風習だっていってんの聞いたことあるけど」
あえて姫と呼び、私はただの一生徒になる。こういうやり方しないとセリカに余計なこと言わせてしまいそうだから。
まあ、余計なことを言ってくれたら、それは私の探りがうまくいってることなんだけど。
「教師として生徒に自信を持たせたいというのはある考え方。しっかしごまかすだの言い方あるだろって」
「口が悪いわよまったく……。でもそうね。少し問題にした方がいいかしら。ああでも。そんなことをきっとあの子は望まないわ」
そうだね。レミファは優しい子だから。
「今度は私。スノーのこと教えて」
「……そうね。スノーも作品を見たようよ。あの子。あの子自身でも理解できていないようだったけれど。作品をみて、あれはレミファにとって良くないことが起きているみたいって直感したらしいの。それでいてもたってもいられなくなって私のところにきたようよ」
スノーの直感は目を見張るものがある。
どうしてかわからないけれど、あの子そういうのわかるんだよな。
「スノーにとってレミファは一番一緒にいる姉だし、あの子の刺繍とっても好きだから。レミファが傷つくことが怖いみたい」
姉の痛みに妹が悲しむ。
ごく普通の姉妹の姿なのに、それを表では出せない。
他の子たちも起きていることは知っていても、それを明日には持ち越さない。
いつものように。
冷たいように見えるけれど、私たちはそれが当たり前だから。
私はセリカをぎゅっと抱きしめた。
「あの子が助けを求めてきたらにしましょ。噂になったとしてもうまく流すって言ってたし、それぐらいできて当然でしょ。……私たちの妹なのだから」
最後を少しだけ強調して、ニッと笑って見せた。
「そうね。……そうするわ。現状あの子は私に姫としても姉としても求めていないものね」
どうにかこうにか、セリカをセリカに戻して。
この子は本当に家族を愛している。
「ねえセリカ」
「なあに」
「レミファの作品見た?」
「もちろん」
「きれいだったね」
「ええ。あの子の作品だもの。きれいであって当然だわ」
セリカの自信の言い切り。
それはそう。レミファの作品だもの。私だって言い切るわ。
「ありがとう」
「なにがぁ」
少しだけ間延びした声で返す。
「私が私であれるわ。あの子たちが望む私で」
……それが少しだけ私は嫌なんだけどな。
それがこの子の愛し方なのだから。
まあそんなこと言えるわけもなく。
さて。
この子がこの子であれるのであれば、私はそれが一番で。
私は私のすべきことをするだけ。
: : :
「ねぇねぇ」
「あの子ね」
「ちょっと」
「あっあの」
朝から大騒ぎ。
「すごい騒ぎだね」
「おはよう」
「おはよう」
レミファの刺繍を生徒のほとんどが目にしたようで、登校してすぐにあの子は人だかりにつかまった。
昨日の涙なんて嘘のように。
学園でのあの子だ。
「彼女が今や時の人。刺繍の君か」
廊下から見ている私に声をかけてきたのは、美術商のご子息。
時の人。か……。
あの子はそんなこと望んでいないのに。
「作品から感じた人物像と一致するものがあるよ」
「あらそうなの?」
その目はジッとあの子を見ている。
「ああ。繊細で静かで、でも確かに芯のある子だ。やはり作り手の性格が反映するものなんだね」
あら。見てくれているみたいね。
人も作品も。見る目はあるということね。
「君も作品を見ただろう?」
「見たよ。美しいという言葉さえ霞んでしまうほどだと思ったわ」
心からの賞賛。これを偽ることはできない。
「ああそうだね。霞んでしまう。本当に君は言葉の選び方がいいね。なんて表現しようかわからなかったけれど。そうだね。いい表現だね」
高揚している。その目も声も熱を帯びている。
美術商として多くの芸術品を見てきたこの人がいうのだから。
それほどにあの子の作品は人の心をうつのだ。
やっぱりあの子は誇り高きサルビアの職人。
妹がこれほど褒められると純粋に嬉しい。
ほころびそうになる顔をいつもの笑顔で隠す。
「この感情はあの時と同じだよ」
……。あの時とは?
「そんなことが他にもあったの?」
同じような感想をもった芸術品を見たのであれば、それ自体に興味がある。
教養として持っておいて損はない。
でも……なんか不穏に感じるのは気のせい?
「ああ。サルビアのハンカチを妹が持っていてね。それを初めて見た時と同じだ。君もしっているだろう? 数量限定で突発的に販売された」
知っているも何も。
レミファの作ったものだ。
実際に店頭で私も売り子をしていたのだから、しっかり見ている。
「ええ。話題になっていたものでしょ? ほかにも出ていたわね。残念ながら私はどちらも買えなかったけれど持っている生徒がいて見せてもらった」
お父様があの子の刺繍を施したものをサルビアの名前で売ったのだ。
「他の商品よりも安価だったから僕は疑ってしまったよ。あれほどのものならもっと高値にすることもできただろうに」
刺繍と糸はあの子の手ずからだけれど、ハンカチとかはもとから量産しているものだった。だからあの子も自分の労力分。として値段設定をしたようだった。
お父様は高値であることであの子の能力を認めるということも考えたようだけれど。より多くの人に見てほしいと思われて認めたらしい。
「妹はハンカチとしての用途はできないっていって、額縁に入れてかざっているよ。僕はその状態で最初に見たから、妹が絵でも買ったのかと思ったよ。……こんな言い方をしてはあれだけれど、家に飾ってある他の絵よりも価値があるものだと思ったし、ハンカチだとも思わなかったし」
もともとサルビアの商品を高く評価してくれていたけれど、こんな風に言ってもらえるのはやっぱり鼻が高い。
やっぱりレミファはサルビアの娘だ。
「僕は自分の感性を信じなさいと言われて育ってきたのだけれど。笑わないでくれるかい?」
「あら。なに?」
「刺繍の君はサルビアの職人で、ハンカチの方と同一人物ではないかって」
「あなたの感性を疑うことはしないけれど、そう思う根拠があるの?」
どうしてこういう感覚は当たってしまうのか。
まあ持っていて損する者ではないけれど。というかアルファーラとしてなら持っていた方がいいものだけれど。
実際声にだして、聞こえてくると心臓が一瞬止まったと思った。
……その目はそういう目なのね。
家業が家業の彼だ。言いふらしたりはしないだろうけれど、この推測は悪用される。
あの子の学園生活に大きく影響をあたえる。
「根拠かぁ。僕の感性なんだよね。恥ずかしながら僕は刺繍に関して勉強不足なんだけれど。感じ取ったものがすべて同じなんだよ。僕には絵画なんだ」
あの子に聞かせたい。
あなたの生み出すものはそう思わせるモノなんだと。
「理由はそれだけ?」
「うん。だからこの話はこれ以上ないんだけれど。それ以上に気になる点があるんだよね」
あっさり認めたけれど。
気になる点って?
私相手だからこんな話をしているということ? 笑うなといったけれど、笑い飛ばしてほしいの?
「構図や糸の染色具合。マネできるところはいくらかあるし、寄せることはできる。それこそかの君がハンカチを持っていて、自分なりに研究してそっくりにまで自分の腕を磨いたってこともある。まあ色の感性も真似るとなるとそれはもはや本人ではないかと思ってしまうけれど」
色の感性……。
学園で使用するものは一般に出回っているもので。
サルビアで使用するものはあの子が染色しているもの。
だから同じ色であることはない。
でもどんな色を混ぜるのか。どこに配置するのか。どの程度使うのか。どんなふうに重ねるのか。
そういうのは出てきてしまうってこと?
「あとね。絵画や焼き物など、作者のサインが入るんだ。それが価値だったり、本物であるかどうか、完成しているのかどうかの見極めに使われたりもする。それに盗作だとか贋作だとかそういうことに影響を与えている。実際、商品とかはそうだよね。お店のマークが入っていたりする。けれど、賞を受賞した作品にはそれがなかった。部室にお邪魔したけれど他の製作物にはあったよ。名前がちゃんと」
……私たちが見た事のない作品を見たのね。
あの子は見てほしくないというから。
未完成を見せない。不完全なものは見せない。商品として並べられないものは見せない。
サルビアがそうだから。
納得のいかないものは私たちでさえ見せてもらえない。
あの子にとって部活動で作るものは、あくまで腕を磨くための練習用だから。
「……名前がなかったことは何か意味があるのかしら」
とりあえず彼にしゃべらせよう。
「一つは本人が盗作とか贋作かのように思えてサインまで入れてしまうのはと良心が止めた。そこに自分のサインがあるんだ。おかしいように思えたのかも。もう一つは未完成だった」
息をのみかけた。
だめだ。
ここで変な間を作るな。
「オマージュで作ってみたら、思いのほか似てしまった。でもだとしたらきっと賞になんて出さない。そんな生徒ではないと思うのだけれど」
あの子はそんなことしない。
そもそも同一人物なのだから、あの子がサインをいれたって問題ないけれど。
「そうなんだよ。僕としてもそんな人だとは思わない。となれば。もう一つの理由になるんだけれど。でもそれもおかしいよね。未完成のものを発表するなんて。それこそ僕が受けている印象とは全く見当外れになる」
「あらあら」
わざと楽しそうに笑う。
「あなたの感性を信じるのであれば、どちらもあり得ないということかしら」
「そうなるよね」
苦笑いを浮かべているけれど、私としてはそのまま完全なる否定に持っていきたい。
「でもここで違う疑問が浮かぶんだよ」
……。何をいいだしているの?
「ほら。今僕が挙げていったサルビアの職人かもしれないっている可能性。おかしいってことになったけど。実際何のサインも入っていないものが賞を受賞している。最優秀賞だよ。なんでかの君は賞に参加したんだろう。なんであの作品を出展したのか」
……。ほんと怖い人。
「例えば。……例えばよ。もしかしたら、提出日までの時間が足りなくて無理やり提出したとか?」
それこそありえないのだけれど。
あの子がそんなこと絶対しない。何があっても納期に合わせてそれにふさわしいレベルで完成するのがあの子。
というかそれがサルビアだ。
「それ本気で思ってる?」
私を見る目が怖いのだけれど。
思うわけないじゃん。でも。
「あら。例えばの話。私だってあの子がそんな生徒だとは思わないわ。なにより、あなたの感性でそんな子だって思うとは思えない」
「僕の感性に重きを置かないでほしいのだけれど。……まあそうだね。僕としてもそんなことをするなんて考えられない。だからこそ矛盾していく。作品の作者であることは一致するんだけどね。おかしなことが多いんだよね」
これ以上はしゃべらせない方がいいね。
「かの君が作者であることは確かなんだからいいんじゃない? 賞をとったというのも事実」
あの子に目を移す。
かけられる声すべてに対応している。
どこまでも優秀な妹ね。
「そうだね。事実だけを見ていこうか」
にっこりと笑って、二人で自分たちの教室に向かった。時間も時間だったし。
私の視線に気づいていたみたいだったけれど、落ち着いているみたいね。
: : :
学園内ではあの子のことでいっぱいで。
遠目で見ていたけれど、あの子の周りには普段いない生徒が多くいた。
「だいじょうぶかな」
ちょっと疲れているのか、顔色がよくなさそうだったけれど。
……。
大丈夫ね。
人だかりの中にフリージアの姿があったし。
この様子だと放課後にならないと難しいかしらね。
あらためて声をかけようかな。
と思っていたら。
タイミングを間違えて。
体が動かなくなった。
根を張っているの?
「人がたくさんいたから声をかけるタイミングを逃してしまっていてね」
聞きなれた声。
「君の作品を見たよ。刺繍の君。……ああ。君の事を僕はそう呼んでいるんだけれど。心が動いたよ。こんなにも美しいものが人の手によって生み出されるのかって。信じられなかったよ」
レミファの事を称賛しているのが聞こえてくる。
放課後まで待って、今日は部活休みって聞いてたから、教室いるかなってのぞきに来たら。他の生徒が帰宅しているのをすれ違いながら確認してたから、教室に人がいないのは見ながら歩いてたけど。
だめだ。盗み聞きなんてしては。
こんな私をあの子が知れば幻滅されてしまう。だめ。そんなの。
動いて。
お願い動いて。
「ありがとうございます」
「突然で申しわけないのだけれど、僕と結婚を前提にお付き合いをお願いできないだろうか」
……。
…………。
………………。
だめだ。
聞いちゃダメ。
立ち去らないと。
「あ……。あの」
ああ。この声は。
だめ。
「……っ」
え……。
手を誰かに握られた。
あ。
にっこり。と笑うセリカだった。
そのまま私の手を引っ張って。
……セリカのおかげで足が動いた。
助かった……。
危うく中に入ろうとしていた。
音もなく気配もなく、近づかれたこと。そして今足音を立てずに私を連れて行ってくれる。
やっぱりセリカにはかなわない。
「はいどうぞ」
寮長専用の談話室に招き入れてくれた。
「紅茶でいいかしら。すぐに用意するわね」
「ありがとう」
「ふふふ。ひどい顔よ? 大丈夫?」
自覚している。こんな顔。本当なら浮かべてはならない。
息をはく。
いちにいさん……。
「ごめんね。こんな姿本来なら見せてはいけないのに」
どうにかこうにか笑みを浮かべて。
「いいのよ」
……。
ここに連れてきたってことは。
……姫として対応しようとしてるってことか。
「落ち着いたかしら」
「ええ。……ごめんなさい」
さて。
どう話をしようかな。
……姫に説明することか。あるかな。ってか聞かれてない状態で答えるのもどうかって感じだけれど、何も言わないのもおかしいし。そもそも。一生徒としてどう話すのいい?
どうするのが正解か。
「いつものように帰ろうと思ったのに、教室にいなかったから探したわ」
「ああ……。話題の生徒と話をしようかなって思ってあそこにいたんだ。そしたら先客がいて、声かけるタイミングどうしようかなってなっちゃったんだ」
うそではない。
「そう」
にっこりと笑うセリカ。
「うん。わざわざ迎えにきてもらってごめんね。ありがとう」
私もにっこりと笑う。
うそは言ってない。
でも全部は話してない。
何をいって。何を言わないか。
そこをうまく選択できれば、うそをついたことにはならないから。
「話題の生徒っていうのは刺繍の子かしら。賞をとっていたわね」
「うん。作品見たけど。とってもきれいだった」
「そうね。とても細やかで。繊細なのに迫力があったわ。私もお話したいなと思っていたのだけれど、今日一日たくさん人に囲まれていたから明日にしようかしらって」
「姫に評価してもらえるなんて、きっと彼女も嬉しいでしょうね」
大丈夫。
セリカの様子はおかしくない。
私も問題なく作れている。……はず。
「あら。私はいつだってこの学園の生徒たちのことを評価しているわよ。みんな得意分野があって、日々努力している。その様子は見ているわ」
「ありがとうございます。姫」
少しだけ茶化した色を声にのせる。
……それぐらいには精神安定できてきたか。よかった。
まあ全部セリカのおかげなんだけどね。
淹れてくれた紅茶で温かくなってきて、手の震えも完全になくなったし、姫として対応してくれるから一生徒になれた。
だいぶ元に戻った私にセリカも笑ってくれて。
「ふふふっ。ほんと。こんなことを言うと正しくないのだけれど。姫に対してそういった態度をとるのはあなたぐらいよ」
「ほんと? 姫はとてもお話しやすい方だってみんな言っているけれど。それこそ他学年との交流会にも足を運ばれてるって。お茶会だっけ? 参加しているんでしょ?」
「ええ。そういった場を作ることをこちら側が提案したことで始まったことだから。時折参加しているわ」
姫と王たちによる学園側との話し合いのすえ、定期的に行われるお茶会とお出かけ。自由参加だけど、毎回それなりの人数が集まっている。
私もお茶会には何度か参加している。けどセリカとはその場では会えてないんだよね。
「それでも、あなたのように私にそんな風に接してくれる生徒はいないわよ。まあ初等部のころからの付き合いだものね」
「そうだね。姫。これからもよろしくお願いいたします」
少しだけ雑なお辞儀をして。
少しだけ一生徒からさらにランクをさげて。
「……あなたらしさが出てきたようでなによりだわ」
……。
「ありがとうございます。お見苦しいものをお見せし申し訳ありません」
「ふふ。驚いたわ。あなたがそうそうにしない表情をしていたから。落ち着いたのならよかったわ。帰りましょうか」
私が落ち着くのを待ってくれていて。どうにか取り繕うことができる程度になるぐらいには私のことを待ってくれたのは、きっと姫として。
姉としてならそれはしない。
「ありがとう。かえろっか」
どこまでも正しくあろうとする私たちの姉は、本当に優しい。
翌日。セリカは私達より早く登校していった。
なにかすることがあるのかな?
……まだ選挙までは時間がある。引継ぎも順当にできているようだったけれど。
「みてあれ」
「どうしよう」
「なんで」
いつものように家族バラバラ登校して、私は少しだけ遅く来たけれど。昨日以上にざわついているのだけれど。
どした?
「ああ。おはよう」
「おはよう」
また最後尾で眺めている。
「昨日はありがとう。僕の話につきあってくれて」
「あら。面白かったからいいよ」
「なら。またつきあってくれるかい?」
……。
「いいけれど」
どうにかいつもの笑顔を張り付ける。
昨日の今日だ。
正直顔を合わせたくなかったんだけれど仕方ない。
というか。またレミファの教室に来ているのはなんで?
「その前に。この人だかりはなにかしら。見えないのだけれど」
ざわつきかたがおかしい気がする。
遠慮気味というか、抑えてるというか。
私としてはすでに登校済みであるレミファに何かあるんじゃないかとそっちが気になるんだけれど。
「ああ……。我らが姫だよ」
……。
は?
今なんて言った?
姫?
「緑の姫が刺繍の君に刺繍を教わっているようだよ」
……。
…………。
「だとしたらこんな風に遠巻きに見る必要ないでしょ」
ずかずかとわざと音をたてるけれど、するするとぬって最前列まで行く。
「おはよう。姫」
見ている全員の視線を背中に感じているけれど、どうでもいい。
この瞬間。私は私で。姫は姫だ。
「あら。おはよう」
「おはようございます」
セリカは変わらなくて、レミファは少し驚いたようで、目が見開かれた。
「すごい騒ぎだけれど?」
「あらあら。気づかなかったわ。こんなにも集まっていたなんて」
……しらじらしいなあ。
わざとこうしたんだろうな。まあ。とっても効果的なんだけどね。
牽制には。
「刺繍教わっているって聞きましたが。どうですか?」
「ええ。基本的なことを教わったところ。難しいわ。とてもじゃないけれど絵を描くことはできないわ」
「姫のご理解がとても速いので、私が教えることなどもうありません」
「あら。師匠からもうのれん分けできそうなんじゃない?」
「まだまだよ」
にこやかに笑いあう二人に、場の空気が少しだけやわらかくなった。
「突然ごめんなさい。教えてほしいなんて無理を言ってしまって。少し自分で頑張ってみるわ。教えてくれた本も借りてみるわ。……また教えてくれるかしら」
「私でよければ」
レミファが目を伏せて、軽く頭をさげた。
「ありがとう」
セリカは荷物を片付けながら、私の横に並んで。
「またね」
「はい。ありがとうございました」
レミファはとても落ち着いた様子で頭をさげた。
うん。大丈夫だね。
「こんな方法をとってくるとは思わなかった」
「あら。ただ私は、あの作品を作った彼女に師事したかっただけよ」
姫であるセリカが特定の生徒と仲良くなることはない。
例外は私だけ。
そんな中で、話題の生徒とあの距離は、レミファよりも姫の方に視線がいく。
そうすることで、時の人を変えるのか。
「まあいいんじゃない? 悪くない手だと思うわ」
「あらあらあら」
ふふふとおかしそうに笑うけれど。
笑い事ではないんだよなぁ。