HUN:SOCK
武頼庵さま主催『if物語企画』参加作品。
チャン・ハンソクは1983年の春に北朝鮮のある村で生まれた。貧民だった彼の家族は脱北を計画し、ハンソクが生まれた3年後に3度目の脱北を試みた。
脱北は成功した。でも家族全員でなかった。
韓国に渡ったのは4人のうちのたった2人。母と幼いハンソクだけ。父と兄のもう2人は北朝鮮の兵士に捕まってしまった。それからどうなったかは知らない。
幼い息子を連れた母は韓国で新しい生活を過ごそうと努力した。しかし彼女が思っていた以上に脱北者への風当たりはとても厳しいものだった。韓国に来ても貧しい生活は変わりがない。彼女は脱北より僅か3年で日本への移住を決行した。
俺が母から聞いた話はそういう話だ。
でも当の俺に北朝鮮や韓国にいた頃の記憶は全くない。
気がつけば日本の学校に通っていた。
小学生の頃から俺は同世代の日本人からはぶられた。
それだけならいいのだけど、俺に手をだす輩も小学校の頃からたくさんいた。中学や高校と年齢を重ねるごとにそれは酷いものになっていく。
とうとう俺はそんな理不尽な奴らに負けて退学する事になった。
俺が同級生と喧嘩して重傷を負わせた為だ。
先に手をだしたのは相手の方だ。俺はそう何度も主張したが、誰も俺の話など聞くこともなかった。在日朝鮮人だから。たったそれだけで俺はそのキャリアを全否定された。家に帰ってから暫く塞ぎこんだが、母の説教を受けて俺は社会人となった――
「いらっしゃいませ~」
俺は母がかつて働いていた近所のコンビニで働く事になる。母はそこで働いてゆくノウハウを身につけたと話すが俺は何も得られるものはなかった。
レジが下手。陳列も下手。掃除も下手。そもそもやる気を感じられない姿勢。
毎日のように怒られに職場に行っていたと思う。
「390円になります」
「長野君」
「390円です」
「長野君ってば」
「390円を払えっていっているだろう!」
「私だよ」
「ナヨ?」
「奈央!」
目の前に立っている女子高生は中学時代に親しくしていた女子だった。
彼女は俺の仕事が終わるまで職場の近くで待ってくれていた。
「そうなのね。学校を退学して」
「そっちは高校生活、楽しそうだな」
「私でも悩む事はあるよ。だって隠しているもの」
金村奈央ことキム・ナヨは韓国生まれの日本育ちの女子だ。もっとも俺みたくハードなルーツを持っているワケではない。彼女は裕福な家庭に育ち、日本での成功を目論む実業家の両親についてくる形で来日した。俺とは根本的に違う。
「ここに座る?」
「ちょっとだけ。帰るのが遅くなるとおふくろが心配をするから」
「いいお母さんね」
「いい? 俺はもう自分一人で生きていたいよ?」
夕日に染まる河川敷のベンチで俺と彼女は色々と語り合った。
「金村さんが隠しているっていうのは意外だな。別に知られたっていいだろう?」
「…………言いづらいけどね、学校で虐められる反徒君をみて、怖くなったの」
「俺をみて?」
「うん、君は誇らしげに朝鮮から海を渡って日本に来たって中1の時に自己紹介していたけど、その瞬間から周りの目の色が変わっているのを視て……」
「俺は後悔してねぇよ。あれからやられたい放題だったけどな」
「でもね、私、長野君がカッコいいなと思ったの。自分のことを堂々と曝け出す事のできる長野君が。でもそれをしたら、きっと私も虐められるのかと思うと……」
「俺は日本人が大嫌いだよ」
「え?」
「何度でも言ってやるさ。日本人が大嫌いだ」
「私も本当は嫌い。せめて私達が私達でいられる学校があればいいのにね」
「SFみたいな世界さ。朝鮮学校を日本に置くなんて」
「でも、私は自分を曝け出したかったな」
「じゃあ日本人にならない事だよ。そろそろ帰ろうか。金村さんは良くっても、俺の家の門限はよくないから」
「あ、長野君。コレをあげるよ」
「CD? 黒人?」
彼女が手渡してくれたのは2Pacのアルバムだった。
もっとも俺は貧しくってこんなCDを貰っても聴く機材も家にない。
だけど、そのアルバムの歌詞カードとアーティストの紹介文に惹かれるものがあって、何とかコレを聴くことができないか考えに考えた。
幸いな事に彼女はまた帰り道で俺の働くコンビニに寄ってくれた。
「聴いた?」
「ごめん。俺、ああいうのを聴く物を持ってなくて」
「そうなの……じゃあコレをあげるよ」
「えっ!?」
彼女はあっさりとCDプレイヤーを俺に渡してくれた。
「ここまでしなくていいよ」
「でも持ってないでしょ?」
「そうだけどさ……」
「貰ってよ! 長野君にとってそれが何かになりそうな気がするの!」
彼女は購入した好物のライフガードを持って、颯爽とコンビニを去った。
俺は帰宅してから2Pacのアルバムを何度も聴いた。何度聴いても飽きる事なくその世界に没頭した――
それからだ。彼女は俺の働くコンビニにパッタリと来なくなった。元々そんな普段から仲良くする間柄でもなかったし、そもそも俺は携帯電話すら持ってない貧乏人だ。ただいつか彼女が俺の働くコンビニに来てくれると信じて俺は待った。
それから何年待っただろう。
彼女と再会することがないままに俺はコンビニから寿司屋のパート社員に転職した。単に生活の収入を増やしたいからだったけど、彼女ともう会う事もないと思ったからでもある。
俺はそのぐらいから一人暮らしも始めた。それまでは母親と家事を分担して、毎日のように流れる日々をただ過ごしていた。その生活から一歩まえに進みたくなって母に打ち明けたところ、それを快く認めてくれたのだ。
そうは言っても、結局自分が生まれ育った神戸を離れる事もない。ただここに来てやっと遊ぶ事を覚えるようになった。
2Pacを聴き続けた俺はクラブへ遊びにいくようになったのだ。
女を口説く事を求めてじゃない。酒を浴びるように飲む事でも。危ない遊びをしたくって行くワケでも。ただヒップホップが大好きで。DJが流すその音楽やMCが歌うソイツの人生の歌を聴いて揺られたくて――
「おい、いつもの兄ちゃん! ラップしてくれや!」
「えっ!?」
「せっかくだから遊ぼうで!」
「いや、俺は聴くだけでいい」
大阪から来た陽気なDJが俺にマイクを無理やり渡した。
思えばそこからだと思う。
俺は2Pacにハマった時からノートにいくつもの歌詞を書いてきた。そこのネタからちょっと出す感じでラップしてみたところ、会場で凄くウケてしまった。
それだけで終わればいいと思ったけどさ、それから俺にオファーが入るようになった。どのイベントも10人くればいいぐらいの規模だったけど、だんだんとその規模はあがった。
いつしかラップバトルの全国大会の予選に出場してみた。
いや、本当はそんな気なんてなかったよ。
ただ、そこで優勝してしまった。その年の年末に東京であった全国大会じゃあ1回戦で負けたけども。でも俺を知って貰うには充分な機会だった。
その全国大会に出場していたMCでは勿論、大会の関係者や観客までに自身が実は在日コリアンである事を俺に打ち明ける人が沢山いた。
中学時代の放課後にそっと俺に声をかけてくれたアイツみたいに。
俺はその全国に隠された秘密を知って驚いた。こんなにも自分と同じ境遇の人たちっていうのがいることに。
俺はそれからその全国大会に出ることはなかったのだけど、自分の中で自分がしたい何かを見つける事ができた。その為に自分がラッパーとして音源をとにもかくにも世にだす事とライブをやる事。自分のようなルーツを持った人間がこの国に少なくない事も知ったし、それを楽しんで聴いてくれる日本人がいることも知った――
ヴィベックスとの契約はその独力の結果だと思う。
俺が神戸や関西を拠点に開催したイベントは回数を重ねるごとに大盛況して、ラップで気軽に遊べるようなムーブメントを作れたと思う。今の俺はメジャーが戦場だからそっちで具体的に何かを考えて行動する事はできないのだけど、多分俺が想像する以上にこのヒップホップっていうのは可能性がある文化だと思う。
「すごいドラマだね」
「本当にあった事さ。でもこれまで話した中で1つだけ驚きの事実がある」
「何?」
「俺に2Pacのアルバムを渡してくれたナヨって女の子だけどさ、いなかったんだよね」
「え? 何それ? 作り話を私に話したって事?」
「ちゃうちゃう。ちゃんと母校にも探しに行ったし、調べる事はちゃんと調べた。でもどこ探したって、金村奈央って女子はいなかったの。俺の記憶にはちゃんと残っているのにね」
「ハンソックのイマジナリーフレンドだったって事?」
「そうかもしれないね。でも、この現実って可笑しい事ばかりでしょ?」
「例えば?」
「俺と彼女が話した『朝鮮学校っていうのがあったらいいのにね』っていうことだって、この現実の何かがちょっと違うだけで、そういう事実になる。だけど、その事実がある事で厄介な問題がまたその世界ではあるのかもしれない」
「難しい話をするなぁ~」
「ミオタさん、頭が良さそうなのになぁ。こういう話がダメなのかなぁ」
「まぁ~わかり易く言えば仮想現実ってことか? 私もハンソックも誰かに創られ生きているみたいな?」
「否定はできないよね」
「まぁ~こういうネタで歌を作るのは難しいね。でも、誰しもが何かのトラブルメイカーになりうるし、そんなトラブルメイカーだからこそ惹かれてしまう事もあるのかも」
「おぉ~おもしろい! それで1本映画が撮れそうだね!」
「作るのは映画じゃなくて歌だけどな」
「楽しみにしているよ! 俺も頑張ってリリックを書くわ!」
「ねぇ、ちょっと聞いていい?」
「ん?」
「もしかして、ハンソックって彼女がいた事ない?」
「あるよ。3人か4人ぐらい。今はいないけど」
「そうなの。一途そうにみえるけどね」
「そういうミオタはどうなの?」
「秘密♡」
「おい、そりゃあ卑怯だぞ?」
「ねぇ、もう1ついいかな?」
「一方的じゃねぇか」
「今も日本や日本人は嫌い?」
「………………」
「あぁ~コレは難しかったかな?」
「大好きでもあり大嫌いでもある」
「ふうん」
「じゃあ作業に入ろうぜ? ボス」
都内のヴィベックス社スタジオにて俺達は新曲の打ち合わせをした。
あの人気アイドル、ジストペリドとのコラボだ。
『Trouble maker』
まぁそう言われたって悪い気はしない。
なぁ? どうよ? この物語は?
∀・)読了ありがとうございました♪♪♪かなり攻めたテーマだったんじゃないかな(笑)僕主催の歌手になろうフェス参加作品にもなります。『歌ウ蟲ケラ』の関連作品になると思うんですが、そっちの方で彼はほとんど登場してないので(笑)多分スピンオフとかには該当しないと思う。多分。
∀・)彼の新曲(っていうか実質ジストペリドの新曲)のトラブルメイカーは悠月星花さまに草案を送っております。彼女のほうから何か発信があればご覧いただけると思います。お楽しみに☆☆☆彡