第六話 私のお母さん
目が覚めたら、そこは知らない部屋だった。
畳の部屋にお布団が敷かれていて、私はそこで眠っていたようだ。
枕元には、私の制服がきちんと畳んであった。
制服にはアイロンが掛けてあるようで、とても清潔な感じがした。
どうしてか分からないけど、制服に顔をうずめた。
そうしていたら、ふと、昨夜のことを思い出した。
セックスしてないよね?
私は自分の身体を確認したけど、何も変化は無かった。下着もパジャマも着ていたから。でも、見たことが無いパジャマだったけど。
今私が着ているパジャマは、恐らくはこの家の人のだろう。
ちょっと、大きかったから。
私はあたりを見回したけど、誰も居ないので起きることにした。
お布団を畳むけど、押し入れらしきところにお布団を仕舞うかどうか悩んだけど、結局、畳んだままにしておいた。なるべく、きちんと。
それからパジャマから制服に着替え、一応髪を整えてから部屋の外に出た。
部屋の外の廊下から、お庭が見えた。陽光が差し込む、いいお庭のようだと思う。
お庭には季節外れの花が咲いており、よく手入れがされていた。
なんとなく、しばらく花を見ていた。
お庭を見ていたら、何か得体の知れないモノが目に入った。
得体の知れない何かを見ていたら、よく分からないけど気味が悪くなった。
落ち着いてよく見たら、ガラスに映る自分の顔だった。
そんな自分が、気持ち悪かった。
私は気を取り直して、人の気配のする方へ向かった。
リビングには、昨日のおじさんと見知らぬおばさんが居た。
「あら?おはよう♪」
「あ、おはようございます」
誰だろう?母よりも少し年上のおばさんだけど、母と違って、どこか優しそうな人だった。
笑顔が素敵だった。
「ああ、おはようございます。よく、眠れたかな?」
昨夜のおじさんだった。名前を忘れてしまったけど、何でそんなに丁寧なんだろう?
おじさんの方が、年上なのに。
「ああ、もう起きられましたか?」
携帯を仕舞いながらリビングに入ってきたのは、昨日おじさんと一緒にいた、きつい顔のお姉さんだった。今日は、どこか普通の顔だった。
「朝ごはんですよ、柿田さんもどうぞ」
「いえ、私は」
「遠慮は要りませんよ。どうせ、家内は柿田さんの分まで、作ってしまっているんですから」
「そうですよ。もったいないから、食べて行ってね。ああ、でも若い方には、お口に合わないかもしれないけど」
「いえ、奥様のお料理は、とても美味しいので」
「うれしい♪」
「さあ、咲良さんもどうぞ」
「遠慮なくね。自分のおうちだと思って、くつろいでね」
おじさんとかきたさんと呼ばれたお姉さんは、すでに着席していて、空いている席に私は腰掛けた。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
温かいごはんがよそわれたお茶碗が、私に差し出された。
私は何だか、恥ずかしくなったけど、黙ってお茶碗を受け取った。
お茶碗は、とても温かかった。
「ありがとうございます」
小さな声だったから、きっと聞こえなかっただろう。
それでもおばさんは、にこにこしながら頷いてくれた。
私はつい、目を逸らしてしまった。
食卓にはお味噌汁におしんこ、厚焼き玉子に野菜の煮物、それに揚げ出し豆腐に鮭の塩焼きが並んでいた。
「すごいですね」
「ああ、家内が張り切っていてね。こんな若いお客さんは、しばらくぶりだから」
私の母ならシリアルか、せいぜいパンだった。
もっとも再婚してからは、もっと手の込んだ朝食が用意されていたけど。そういえば、私はあまり食べなかった。あの男と一緒の食事は、どうしても喉に通らなかったから。
あの男は、今頃何を食べているだろうか?
あの包丁は、どうなったんだろうか?
考えても仕方がないことを、つい考えてしまう。
武器を調達しないと。
そんなことを考えながら、私は温かいお味噌汁をすすった。
美味しかった。本当に美味しかった。
本当に、本当に美味しかった。
生きてて、良かった。
生きてて、本当に良かった。
どうしてか分からないけど、私は心からそう思った。
そう思ったら、私は泣いてしまった。
「ご、ごめんなさい、本当にごめんなさい」
ダメ、泣いたら。
でも、益々涙が溢れ出てくる。
涙を止めることが、どうしても出来ない。
ダメ、みんなが私を見ている。
泣いている私を、奇異な目で見ている。
恥ずかしい。
恥ずかしくて、死にたい。
お願い、見ないで。
こんな私を、見ないで。
すると、ふわっと何かに包まれる感じがした。
おばさんが、私を抱きしめてくれた。
「え?」
「いいのよ、泣きたい時はね、思いっきり泣きなさい」
「で、でも」
おばさんは私の頭を、丁寧に撫でてくれた。
私は大きな声を出して、泣いてしまった。
どうしても、泣き止むことが出来なかった。
おばさんは、そんな私を優しく包んでくれた。
おばさんの温もりを、匂いを感じた。
とても優しくて、やすらぎを感じる。
懐かしいような、初めてのような気がする。
「おかあさん」
私は何で、そんなことを言ったのだろうか?
「うん、おかあさんよ」
ダメ、ダメなの。
私は汚れているの。
私は、私は、私は・・・・・
おばさんは、子守唄を歌ってくれた。
私はおばさん、ううん、お母さんの胸で、静かに目を閉じた。
お母さんは、ずっと私の頭を撫でてくれた。
「も、もう大丈夫です。ごめんなさい、お、おか、おばさん」
「お母さんて、呼んでいいのよ」
「でも」
「いいの。お母さんて呼んでくれた方が、私は嬉しいから」
「はい、おか・・・・あさん」
「はい♪」
「あ、あの、後で皆さんにお話があります」
私はおじさんに、私の話を聞いてくれるようにお願いした。
それまで、おじさんとかきたさんは、ずっと黙ってくれていた。
ごはんを食べずに、私が泣き止むまで待っていてくれた。
母さんだったら、私をほっといてごはんを食べ終わっていただろう。
何もせず、私をほっといただろう。
私の頭を、撫でるなんてしなかっただろう。
むしろ、私を叱ったり、怒ったりするだけの人だから。
後片付けが出来ないって。
だからこの人たちを、信用していいと思う。
ううん、私を信じて欲しい。
私は最低な女の子だけど、嘘は吐かない。
私は汚れたかもしれないけど、きっと私のことを分かってくれるはず。
「もちろん、私の方こそ、お願いします」
「そうよ、言いたいことは何でも言いなさい。この人や柿田さんが、必ず何とかしてくれるから」
私は頷いた。
「さあ、温かいうちにごはんを食べて。お腹が空いていたらね、元気が出ないからね」
私は涙を拭い、ごはんを食べた。
食べないと、元気が出ないから。
声が出ないから。
きっと、言いたいことを言えなくなるから。
お母さんはにこにこしながら、お代わりはと手を出してくれた。
「はい、お代わりお願いします。お母さん」
お母さんはにっこりと微笑みながら、私のお茶碗を受け取ってくれた。
私の本当のお母さんじゃないけど、心のお母さんなんだと思う。
だから、私は私のお母さんを信じる。
だって、この人は私が選んだ、私のお母さんだから。
おじさんもかきたさんも、私のお母さんが認めた人だから。
だから、きっと大丈夫。
もう、安心していいんだ。