第五十五話 先輩のプロポーズ
仕事が手につかなかったけど、それでも時間は過ぎていく。
社の玄関前での騒動は、もう知らない人は居ないと思うけど、誰も話題にしない。
なんというか、腫物にでも触るような感じがしたけど、今はその方が楽でいいと思う。
事情を知らない者からの、アドバイスにならないアドバイスは、正直むかつくし。
「帰るか」
先輩の居る総務部のフロアに向かうと、先輩は女子社員と話し込んでいた。
私は、ちょっとムッとした。
私以外の女性と、口を聞かないでくださいと先輩に言うべきか、私の夫に話しかけないでくださいと、女性社員に言うべきか?
どっちも、ダメだ。
私って、どんどんダメなオンナになっていくなあ。
これって、もしかして先輩のせい?
「先輩、まだ終わらないんですか?」
ちょっと、声に険があったかな?
「ああ、坂上ちゃんじゃなかった、勝呂ちゃん。お疲れ様」
そう言うと、女子社員はそそくさとどこかに行ってしまった。
「先輩、もしかして不倫ですか?いい度胸ですね?」
「え?ち、違うよ」
「冗談です。先輩にそんな甲斐性は、無いですよね」
「もちろんです。はい」
なんだろう、かえって怪しいかも。
「だったら、もう帰りませんか?」
「うん、そうだね」
「残業は無いんですか?」
「なんだか皆、私に気を使ってくれてるみたいなんだよ」
「ああ、そういうお話しでしたか」
「咲良さんの方は、大丈夫だった?」
「もちろんです」
「そう。それなら、良かった」
私と先輩は、帰宅することにした。
外には、母はもう居なかった。
「まあ、居たらいたで、ちょっと怖いかも」
「何が?」
「いいえ、なんでも。そう言えば、さっき女子と何を話していたんですか?」
「ああ、大したことじゃないよ」
「大したことじゃないなら、私に話せますよね?私は先輩の、妻なんですから」
「そんな、怖い顔をしないでよ」
「普通です」
「とにかく、大したことじゃないよ。玄関前の咲良さんの大立ち回りについて、色々な感想を聞かせれただけだから」
「どうせ、私の悪口なんでしょう?」
「だから、違うって。私が咲良さんをきちんと守らないから、君があんな大立ち回りをする羽目になったんじゃないですかって、そういう話し」
「意味が分かりませんけど?」
「第三者って、そんなもんだよ」
「それで先輩は、何と答えたんですか?」
「不肖の夫で、彼女には苦労を掛けていますって、そう言ったよ」
「先輩は、悪くないですけど?」
「悪いのは、私だよ。私が君を、守らないといけなかったんだ」
「それって、昭和の発想ですか?」
「そうだよ、私は昭和生まれだよ」
「ああ、そうでしたね。世代間ギャップを感じました」
「だから、そんなつまらない話」
「私には、つまらなくないですよ」
「どうして」
私はなんだかご機嫌になり、先輩の腕を取った。
「さ、咲良さん?」
「先輩が、素敵な人って分かったから」
「うん、ありがとう」
鼻をポリポリ掻く先輩は、やっぱり可愛いと思う。
でも、先輩はもう私のモノです。
私に無断で、触らないでください。
そうだ、何か目印が必要かも。
「さ、咲良さん?」
「どうしましたか?」
「なんだか、目つきが怖いんだけど?」
やばい。考えが顔に出てしまったようだ。
「気のせいですよ」
私は精一杯の笑顔で、先輩に応えた。
先輩が、私に怯えないように。
「そういえば、君のお母さんはどうやって、私たちの勤め先や結婚を知ったんだろう?」
「多分ですけど、興信所でも使ったんじゃないんですか?」
「そうなんだ」
「母の代理人と思しき人が、私と先輩の戸籍の写しを取ったって、役所から連絡が来ましたから」
「そんなことが、あったの?知らなかった」
「手続きが必要ですけど、そういうことも出来る時代です。それだけ、個人情報にうるさい時代なんですよ」
「これも、執念かな」
「でも、新しい男と暮らしていたなんて、さすがに驚きましたよ」
「私もだよ」
「だったら、もう私なんて必要ないのに」
「それでも、親にとっては、子供は子供なんだろうね」
「私を守る気が、無い癖にですか?」
「それでもだよ」
「分かりません」
いつか、私にも分かる日が来るのだろうか?
「私もだよ」
「先輩」
「うん?」
「ずっと、一緒に居てください」
「いいけど、条件があるよ」
「何でも言ってください。先輩がどんな特殊な性癖の持ち主でも、私は我慢して受け入れますから」
まずは、裸エプロンですね?いつでもいいですよ。いますぐ、しましょうか?
「あのさ、君は私を何だと思っているんだ?」
「愛しのだんなさまですよ」
「ああ、そうだったね」
「はい」
「で、条件だけど」
「はい」
「私に対して、一切の負い目を持たないこと」
「どうして?」
「きっかけはともかく、今はもう夫婦なんだから。私に、負い目を持つ必要はないよ」
「でも」
「君が私の支払った慰謝料で大学に行けたのは、君の実力があったから。そもそも、私は関係ないよ」
「そんなことは」
「だってさ、こんなことになっていたなんて、つい先日まで知らなかったんだから」
「それでも」
「それでも、夫婦になったんだから、それはリセットしよう。これが、私からの条件」
ホント、先輩ったら。どうしてくれようか。
「分かりました。では、私からの条件です」
「うん、なに?」
「私より、先に死なないでください」
「え?」
「私を、ひとりにしないでください」
「そんなことを言っても」
「もう、ひとりは嫌なんです」
「いや、それは無理だよ」
「無理でも、なんとかしてください」
「ええ?」
「もし、約束を破ったら」
「破ったら?」
「コロシマス」
「えええええ?」
先輩のそんな顔を見ると、益々いじりたくなります。
気を付けてくださいね。
先輩のせいですよ。
こんな私になったのは。
「分かった、約束しよう」
「ホントですよ」
「誓いましょう」
「そういえば、私、先輩からプロポーズされてませんけど?」
「そうだったっけ?」
「そうです。今すぐ、私にプロポーズしてください」
「してなかったっけ?」
「してません!」
「ああ、じゃあ、私の味噌汁を作ってください」
「作っているじゃないですか?」
「ええ?これって、プロポーズの定番だったような」
「参考までにですけど、前の奥様にしたプロポーズって、どんなだったんですか?」
「ええっと、私のみそ・・・」
「もう、いいです」
ホント、先輩って可愛い。
殴りたくなるぐらいに。
「じゃあ、気を取り直して、もう一回」
「ええ?まだやるの?」
「はい、何度でも」
「疲れたよ」
「あら、奇遇ですね。私もですよ」
「ねえ、明日にしない?」
「先輩、人は極限状況に置かれた時ほど、本音が出るものです。さあ、私に先輩の素直な気持ちをぶつけてください。私は、全力で受け止めますから!」
「ええっと」
「はっきりとお願いします」
「私のお嫁さんになってください」
「・・・・・・・・」
「咲良さん?」
「はい、喜んで!」
思わず、先輩に抱き着いてしまった。
先輩の胸に、顔をすりすりしてしまった。
ああ、そうだ。
これは、マーキングだ。
でも、何だか気持ちがいい。
「先輩」
でも、これで許したりしません!プロポーズは、女の華です!
「ちょっと、表現がストレート過ぎます。明日、もっとうまいプロポーズをお願いします」
「ダメなの?」
「一生心に残るような、グッとくるプロポーズをお願いします」
先輩の目が、きょろきょろしている。
ああ、明日が楽しみだ。
どんなプロポーズを、私に言ってくれるだろうか?
もう、明日が楽しみになったじゃない!
先輩。
何でしたら、毎日プロポーズしてくれても、私は一向に構いませんよ?
だって、毎日が新鮮なんだもん。
良かった、先輩と結婚して。
もちろん、先輩も同じ気持ちですよね?
どうなんですか?
私の愛しいだんな様♪




