第四十九話 海に映る空
結局、新婚初夜は何も無かった。
先輩はぐ~すか眠っているし、私も酔った上に疲れていたから、何も出来なかった。
いたずらもしなかったし。
これが、新婚初夜なんですか?おかしくないですか?
「まあ、私たちらしいと言えば、私たちらしいかな」
部屋に、朝日が差し込んできた。
私は目が覚めたけど、先輩は相変わらずぐ~すか眠っていた。
「ホント、いたずらしちゃいますよ?」
いい気なもんだと、私は思った。
でも、これが幸せなんだろう。
あの頃は、夜が怖くて眠れなかった。
包丁を用意し、戦う準備をしていたあの夜の出来事は、今でも忘れる事が出来ない。
今は違う。
隣には、いつも先輩が居る。
先輩が、側に居てくれる。
先輩と一緒なら、安心して休める。
もう、ひとりじゃない。
ただ、不安はある。
また、ひとりになるんじゃないかと。
「ホント、いい気なもんだ」
私は思いっきり、伸びをした。
私はいつものように、先輩を起こした。
「おはようございます。もう、朝ですよ」
何と言うか、浴衣がはだけている姿は、可愛いかも。
写真撮っておけば、良かったかな。
「先輩、朝食の時間ですよ」
「もう?」
「先輩が、寝坊するからです」
「ああ、悪かったって」
「顔を洗ってきてください」
今日も、平和な一日でありますように。
私は、そう願った。
そう願わなくていい日が、いつか来るようにと。
私たちは、昨夜の食事処に向かった。
「おはようございます。昨夜は、よくお休みになられましたか?」
昨夜と同じ仲居さんだ。
この仲居さんは、いつ休んでいるんだろうか?
「はい、ぐっすりと」
「では、お味噌汁に火を点けますね」
お味噌汁の入った小さな鍋には、昨夜食べた伊勢海老の頭が入っていた。
おダシのつもりかな?
「温まったら、お召し上がりください」
アジの開きも、火の点いた小さな鉄板の上に乗せてあり、脂が焼ける音と香りがした。
いいな、これ。ニトリで扱ってないかな?
「やっぱ、海に来たらアジの開きだよね」
「先輩は、アジの開きが好きなんですか?」
「いや、別に」
「はい?」
「だって、伊豆と言ったらアジの開きと金目鯛じゃないかな?」
「そうなんですか?」
「そうなんです」
「他にも、色々あるような気がしますけど?」
「そうだねえ」
「まあ、いいです」
私だって、よく知らないし。
でも、これから知ればいいかな。
先輩と一緒に。
「でも、身が厚くて脂がのってますね。とっても、美味しいですね」
「本当だね」
「ごはん、お代わりしますか?」
「ああ、よろしく」
先輩のお茶碗にご飯を軽くよそい、先輩に手渡した。
「先輩、食べ過ぎないようにしてください」
「分かってるよ」
「先輩がこういう場所に来たら、はしゃぐということが分かったことが、私には収穫でしたけど」
「はしゃいでないよ?」
「あれだけ食べたら、普通じゃないです」
「ああ、そうだったね」
「もう」
「咲良さんは、お代わりしないの?」
「私は少しで、お願いします」
先輩によそってもらえると思ったら、お代わりしたくなった。
もしかして、こうやって幸せ太りになるのかなって、そう思ったけど。
でも、幸せならいっか。
「はいよ」
私はお茶碗を受け取り、せっせと食事を済ませることにした。
お茶も淹れてあげないと、いけないと思ったから。
朝食を終え、私たちは部屋に戻り、チェックアウトの用意をした。
「先輩!先輩!」
「なに?」
「見てください」
テラスから見える相模湾の海に、白い雲が映っていた。
海は静かに凪いでいて、鏡のような感じだった。
「まるで、海にも空があるって、そんな感じがしますね」
「ホントだね。キレイだ」
「ええ。本当に」
私は、そんな先輩にもたれ掛かった。
先輩は、私の肩を抱いてくれた。
ああ、やっと新婚旅行らしくなってきたら、内線が鳴った。
チェックアウトの催促だと思ったけど、送迎バスの確認らしい。
「先輩、歩いて熱海駅まで行きますか?」
「無理!」
「はいはい」
私は送迎バスの手配を、お願いすることにした。
記念に写真も撮ってもらい、宿からおみやげも貰った。
至れり尽くせりな宿だと思う。
また、来たいな。
先輩と一緒に。
ホテルの従業員総出で、私たちは玄関から見送られた。
白衣の人も居たから、きっとそうなんだろう。
お料理、とっても美味しかったですと、先輩は大声で伝えようとしていた。
私は手を振りながら、遠ざかる宿を見ていた。
いつまでも、宿とその後ろに見える海を、海の空を見ていた。
「つかれたあ」
帰宅後の第一声が、これだった。
「先輩、だらしないですよ」
「そう言わないでくれ」
「ほら、片付けをしますよ」
「適当にお願い」
「ホント、仕方がないだんなさまですね」
「ごめんね、およめさん」
私は荷解きをした。
「先輩?」
先輩はそれでも、ぐったりしていた。
ぐったりするような、何かしましたかねと思ったけど、優しい新妻はお茶を淹れてあげることにしました。
「ああ、ありがとう」
私もお茶を手にしながら、先輩の隣に腰掛けた。
「お疲れ様です」
「咲良さんこそ、お疲れ様」
「・・・・・」
「・・・・・」
「先輩?」
「ああ、なに?」
「あいしてます」
「え?」
ふと、口をついて出てしまった。
私は急に恥ずかしくなり、自分の部屋に逃げてしまった。
先輩は呆然としていたけど、私もすっかり動揺してしまった。
心からの思い、心からの言葉って、こんなに恥ずかしいものなのだろうか?
こんな恥ずかしいセリフだけど、自然と出てしまった。
止める事って、出来ないものなのだろうか?
私は、知らなかった。
愛することを。
愛されることを。
熱海で買ったおみやげが会社に来たので、私と先輩はおみやげを持って、関係部署にあいさつ回りをした。
すると、先輩女子社員が声を掛けてきた。
「聞いて、坂上ちゃん!」
「え?どうしましたか?」
「あの男、既婚者だったんだよ」
「ええっと、誰ですか?」
「ほら、あの合コンで出会った」
「合コン?」
「ああ、違った。披露宴で出会った、素敵な男性よ」
そうですか。やっぱり、合コンだったんですね。
私たちは、当て馬でしたか。ええ、ええ、ええ、分かってましたとも。私だって、大人ですから。
「それで、その素敵な男性が、どうかしましたか?」
「私が今の旦那と別れるから、一緒に結婚しようって言ったら、自分は既婚者で妻を愛しているから、結婚出来ないとか抜かしやがるんだよ。信じらん無いでしょう」
「あの、その方とはどのようなお付き合いを?まだ、数日しか経ってないですよね?」
「運命の出会いに、時間は関係ないよ」
「ああ、そうですね」
確かに、時間は関係ないけど、いいのかそれで?
「ねえねえ、坂上ちゃん」
「はい、何でしょうか?」
「もう一度、披露宴やってよ」
「無理ですよ」
「そう言わずに」
「先輩、どうしますか?」
「却下」
「だそうです」
「ええ、そんな」
「披露宴なんて、そうそうやるものじゃないですよ」
「ふたりはいいわよ。幸せな新婚なんだから。私はどうなるよ」
そんなことを、私たちに言われても。旦那さんと話し合ったら?
「そのうち、合コンでもセッティングしてもらったらどうですか?」
「そうね。坂上ちゃんも、合コン来るよね?」
「行きません」
「ええ、つめたい!」
「こう見えても、私は人妻ですよ」
「知ってる?人妻って、もてるんだよ」
「なら、先輩ももてるはずですよね」
「そうなのよね、おかしいわ」
「話が続くようなら、あいさつ回りは私がしておこうか?」
あ?先輩、逃げる気ですね。妻を置いて。
「いえ、これは夫婦でするものですから」
せっかくの逃げる口実を、逃してたまるもんですか。
「そうなの?」
「では、先輩、急ぎますので」
「ああ、もう!」
「先輩、助かりました」
「何で、あんなに出会いを求めているんだ?」
「さあ?」
でも、出会いに絶望するよりは、いいとは思うけどね。
いい出会いは、本当に貴重だから。
「先輩、帰りますよ」
退社時刻になったので、新婚の二人は堂々と定時で帰ることにしました。
新婚の特権です。嘘です。頑張っただけです。そんな甘い、会社ではありませんから。
「ああ、そうだね」
「今日は、残業は無かったんですね?」
「無かったよ。咲良さんは?」
「私は大丈夫です。こう見えて、優秀ですから」
「うん、そうだね」
「先輩、そういう時は、突っ込みを入れるものですよ?」
「そうなの?」
「そうです。これぞ、夫婦漫才って感じで」
「私には、難易度が高いよ」
「修行してください」
「ああ、はいはい」
「先輩?」
「ああ、分かったよ」
ホント、先輩って、可愛い。
私は思わず、先輩の手を取った。
こういう時、先輩は抗わないんだよなあ。
ギュって、握ってくれるし。
私と先輩が会社から外に出ると、そこには中年の女性が立っていた。
記憶にある。
年を取って容姿が少し変わったけど、間違いなく母だった。
何で?
私は、すっかり動揺してしまった。
「あれ?どこかで見たような」
私は不安になり、繋いでいた先輩の手を強く握った。
母は私のそんな思いを無視し、私の手を取ろうとした。
「咲良、帰るわよ」
「母さん」
「あなた、私の娘をどうするつもりですか?」
これは、私の罪だ。
きっと、罪を贖う日が来たのかもしれない。




