第四十一話 私の中のオンナ
警察署に行ったけど、近衛さんとは会えなかった。
随分前に、本庁に異動したと教えてくれた。もしかして、出世したのかな?
あれからもう、10年は経つんだなあと思った。
柿田さんとは大学で再会したけど、滝川さんや牧田さんとは会っていない。
あえて会いに行くのも、ちょっと憚られるような気がするし。
でも、お母さんのお墓参りは、一度は行ってみたい。
いつか、先輩と一緒に行こう。
その時、すべてをお話ししよう。
警察署での事情聴取は、意外に簡単だった。
何と言っても衆人環視の中での暴行事件であり、しかも警察官が取り押さえたことによる現行犯逮捕だったので、いちいち確認とか証言は必要無かったみたいだった。
でも面倒だったのは、警察署に来ていたあのブタ野郎の弁護士だった。
正確に言えば、ブタ野郎の母親が雇った弁護士のようだ。
頭に来たのが先輩で、あっさり示談に応じようとしたことだ。
あの時の私の気持ちは、どうすればいいんだ?
だから、私が矢面に立つことにした。何と言っても、事後処理をしたのは私で、先輩は気を失って救急搬送されていたから、細かいことは分からないはずだから。いや、起きていても同じかも。
それに、簡単に済ませていい話ではない。
「ひとつ間違えれば、死んでたんですよ?」
「でも、事実として無事だったんですよね?」
そうは言ってもブタ野郎の弁護士は、先輩の包帯を巻いた頭をチラッと見た。
「結果論です。馬乗りになって、殴っていたんですよ?」
「でも、あなたをこちらの男性から守ろうと必死になったと、私は依頼人からそう伺っています」
「逆です。こちらは私の先輩でもあり、婚約者でもある勝呂さんが、私を身をもって庇ってくれたんです。ちょっかい掛けてきたのは、そちらの方です」
「婚約者ですか?」
「はい」
「では、私の依頼人との婚約は、解消されるおつもりですか?」
「そんな事実はありません。彼がしつこく、私に言い寄っていただけです」
「でも」
「失礼。弁護士さん、彼の言い分を通すと、一般的にストーカーになりますけど?」
「そんな、大げさな」
「そう、いつでも大げさと言うものなんですよ。でもね、被害が出てからでは、遅いんですよ」
「私の依頼人が、ストーカーだと?言葉には、気を付けてください。名誉棄損になりますよ」
「事実ですし、このままでは、そうなりますけど?何でしたら、証人を用意しましょうか?」
弁護士は渋い顔をしたけど、本心かどうか分からなかった。計算ぐらいは、しているだろうけど。
「そもそも、あなたの依頼人さんが、この私の結婚予定であり、私にとって大事な女性に付きまとい、しかも公衆の面前で私の婚約者に暴行を働こうとした、その事実は動きませんよ?会社には監視カメラもありますから、何でしたら確認しますか?」
「一度、持ち帰って検討します」
「はい、よろしくお願いします」
弁護士は、あっさりと引き下がった。もしかしたら、最初からそうするつもりだったのだろうか?
だとすると、私は当て馬扱いされたのだろうか?なんだか、むかつくと思う。
あの時、どさくさに紛れてブタ野郎を殴っておけば、良かった。
ダメダメ、それじゃ元も子もないじゃない。
ああ、やっぱり私はダメな女だ。
「先輩、あんなキモオタマザコンクソブタ野郎の肩を、持つ必要はありませんよ」
「肩なんか持ってないよ。あんまり、ああいう手合いとは、関わらない方がいいと思ったんだよ。それとも、あのイケメン君と和解したいのかな?」
「あんな奴、ただのブタ野郎で十分ですよ」
あの男のことを、度々イケメン君と先輩は言うけど、あんな奴はブタ野郎で十分でしょう。
ホント、先輩って、何であんなのにも優しいんだか。
私にだけ、優しくしてくれればいいのに。
私以外に、優しくしないで欲しい。
「とにかく、この話はもう終わり。多分だけど、慰謝料を貰って示談して終わり。イケメン君は退職で、とんとんだよ」
「何で、ブタ野郎は刑務所に行かないんですか?」
「まあまあ」
「あのブタ野郎が次に先輩に何かしたら、殺してくださいって懇願するまで、痛めつけてやりますから」
「ええっと、その場合、私よりも君が何かされると思うけど?」
「あのブタ野郎に、そんな度胸がありますか?あいつは、先輩が相手だから、あんな真似をしたんです」
「そうなの?」
「自分よりも弱い相手に、マウントを取られたと思ったから、ああも切れたんですよ。ホント、愚かな奴です。先輩の方が、何万倍もいい男なのに」
「え?」
「何か?」
「何でも」
「さ、帰りますよ」
「いや、社に行こう」
「先輩って、真面目ですね」
「違うよ、それしかないんだよ」
「だったら、まずはごはんにしましょう。私、お腹が空きました」
「じゃあ、何にしようか」
「先輩、付いて来てください」
「まあ、任せるよ」
前々から、お目当てのお店に先輩をお連れしようと思っていた。
どうしても先輩と一緒に行きたいって、そう思っていた取って置きのお店に。
「先輩、ここです」
「へ~、いい店を知ってるね」
「一応、ミシュランの一つ星レストランです」
「はい?」
「一度、先輩とご一緒したかったんです」
「おいおい。大丈夫かい?そんなに、持ち合わせはないよ」
「平気です。クレジットカードが使えますので」
「治療費でかつかつだよ」
「先輩?治療費なら、後で戻ってきますよ。と言うか、何で払ったんですか?」
「私は、知らなかったんだよ」
「だから先輩は」
「先輩は?」
「私が付いていないと、ダメなんですね」
「その通りだよ」
意外に素直な先輩に、私の胸はキュッとなった。
先輩の髪の毛を、くしゃくしゃにしてやりたいという衝動を抑え、私と先輩は、一つ星レストランに入店することにした。
「先輩、きょろきょろしないでください」
「だってさ、こういった店に入ることが、私の人生で最初で最後だと思うと、感慨深いんだよ」
「ちょくちょく、来ればいじゃないですか?」
「私には無理だよ」
「どうしてですか?」
「場の雰囲気がね」
「意味が分かりません」
「まあ、何と言うかね」
「要領得ません。もっと、はっきりと言ってください」
「とりあえず、料理が来たから食べようか」
「・・・・はい」
ホント、先輩って面倒。
「いやあ、美味しかった」
「じゃあ、また来ましょう」
「そうだね」
「先輩、ありがとうございました」
「うん?何のこと」
「私を暴漢から、守ってくれたことです」
「暴漢って、イケメン君のことかな?まあ、そうなんだろうけど」
「一度殴られてから、反撃しようと思っていましたけど」
「ああ、そう」
「でも、うれしかった」
「そう。それは良かった」
「それに、私のことを最愛の女性って、言ってくれて」
先輩が、頬をポリポリ掻いていた。
恥ずかしそうにしている先輩も、可愛いと思う。
本当に先輩の髪を、くしゃくしゃにしたいんですけど。
「本当に、嬉しかったんです」
だから私は、改めて先輩にプロポーズした。
もう、フリとかではなく、本気なんですって。
「先輩、私を先輩のお嫁さんにしてください」
「本気なんだね?」
「冗談で、こんなことは言いません」
「分かったよ。なら、近いうちにご両親に、ご挨拶に伺おう」
「必要ありません」
あの男と母に挨拶って、先輩はそんなに血が流れるような現場を見たいんですか?
「何で?」
「どうせ、あの人たちは好き勝手やっているんですから、ほっといてもいいんです」
「そうはいかないよ、一応、親せきになるんだから」
「私が、嫌だと言っています」
「理由は?」
「言いたくありません」
「でもなあ」
「いつか、お話します」
いつか、すべてを話そう。
もしその時、先輩が私を嫌ったら、私は先輩を遠くから見守ろうと思う。
それでも私は、先輩の幸せを願いながら、先輩が私以外の女性と一緒に居ることを、認めたくないと思う。
私の嫌な部分だ。
私の中のオンナが、私を醜い人間にするんだろう。
それだけは、先輩に知られたくない。
でも、先輩にこれ以上、隠し事を持ちたくない。
私は、どうすればいいんだろう?
この気持ちを隠すことって、本当にダメなんだろうか?
それって、いけないことですか?
天国のお母さん。
愚かな私に、教えてください。




