第四十話 気持ち
先輩は痛みで、真夜中に目を覚ました。
その姿は、私を苦しめた。
代わってあげたいと本気で思ったし、先輩をこんな状態にしたブタ野郎を憎んだ。
だけど今は、先輩の看病に集中しよう。
私は湿布を取り換え、痛み止め薬を飲んでもらった。
額に浮いた汗を、タオルで拭った。
すると先輩が、微笑んだような気がした。
気のせいかもしれないけど、どこかホッとした。
それから朝まで、先輩はぐっすりと休んでいたけど、正直気が気ではなかった。
でも、先輩の温もりは、不安だった私を癒してくれた。
「あいたたたたたた」
「ほら、言った通りでしょう?」
「ああ、まったくだ」
「朝ごはん食べたら、警察署に行きますよ」
「うん」
「明日にしてもらいますか?」
「いや、いいよ。でも、君はどうなの?」
「私ですか?私は平気です」
「いや、仕事だよ」
「大丈夫です。せっかくなので、有休を頂きました。警察の捜査協力は、市民の義務ですから」
「そうか、すまん」
「ふ~ふですから♪」
私は先輩に向かって、軽くウィンクをしてみた。初めてのウィンクだったけど、うまく出来たかな?変じゃなかったかな?練習しておけば、良かったのかな?
「言っておくけど、ふりだからね」
「先輩は私と夫婦になるのが、そんなに嫌なんですか?」
「嫌とかじゃなくてね、倫理の問題なんだよ」
私と先輩が、父娘であるかもしれないって、知っていたのかな?まさかね。
一応、とぼけておこう。
「何ですか、それ?」
「いいかい。結婚ってね、当人同士だけのことじゃないんだ。色んな人を巻き込むんだ」
何だ、世間体のことか。安心した。そうよね、先輩だもんね。
「他人なんて、関係ないじゃないですか」
「赤の他人ならね。でもね、いわゆるステークフォルダーは、そのまんま関係してくるんだよ」
「何ですか、それ?」
「平たく言えばね、一族って奴だ」
「先輩は、誰か居るんですか?」
「私ではない、君にだよ」
「私には、そんな人は居ません。だから、何も問題はありません」
もう、縁は切った。戸籍も独立したから、あの人たちとはもう無関係だ。
ああ、そうか。
私って、天涯孤独だったのか。
今頃になって、初めて気が付いた。
それだけ私は、周りが見えていなかったのかな?
周りを見るだけの、余裕が無かったのかな?
「ところが、居るんだよ。その最大の存在が、親だ」
なんで、先輩がドヤ顔をしているんですか?その偉そうにしている鼻を、思いっきりつまんであげましょうか?親愛の証に。
だいたい親なら、益々、私には関係無い。
そういえば、先輩ってご両親はご健在なのかな?一切、そんな話は無いけど。まあ、いいや。いずれ、分かるだろう。私と先輩の結婚を邪魔するなら、それが誰であろうと縁を切ってもらいます!
「関係ありません。あの人は、今頃男とよろしくやっていますので」
「君のお母さまは、再婚したということかな?」
「まあ、そういうことです」
「なら、その再婚相手も関係してくるよ」
「関係ありません」
「結婚ってね」
「先輩の戸籍に入れば、もうあの人たちと関係ありません」
「まあ、結婚すればだけど」
「なら、問題はありません」
「う~ん、そうじゃないんだけど」
「先輩?」
「私はね、君の二十代を台無しにしたくないんだよ」
「私は先輩に、私の二十代を返せなんて、言いませんよ」
むしろ、私は先輩に捧げたいんです。私の二十代を。ううん、すべてを。だから先輩のすべてを、私にください。私が先輩を、必ず幸せにしてみせますから。
今は、言えないけど。
「そういう時は、言ってもいいんだよ」
「意味が分かりません」
「私は家族作りに、失敗した男なんだ。また失敗したら、もう償えない」
「先輩。一応、検査したらどうですか?」
「え?」
「検査して不妊症なら、養子を取りましょう。それで、いいですね?」
「ああ、そう。いやいや、君だって血の繋がった子供が、欲しくないのか?」
「出来たら欲しいですけど、絶対にではありません」
「とにかく、私は君と結婚はしない」
強く、まるで断言するような言い方に、私は傷ついた。傷ついたけど、先輩は悪くない。悪くないからこそ、私が傷つくんだ。
でも、どうしたらいいだろう?
出来の悪い私は、強気に出るしかできないのかな?
「さっきから、何なんですか?」
「何が」
「私が嫌いなら嫌いって、はっきり言ったらどうですか?」
言ってしまった。つい、言ってしまった。
どうしてこんなことを、先輩に言ってしまったんだろうか?
でも、どうしようか?
もし、本当に嫌いだと言われたら。
ううん。先輩は、そんなことは言わない。
だって先輩は、私の幸せを考えてくれてるんだから。だから、私の二十代を奪いたくないし、償う自信が無いと、そういうことなんだ。
だからね、私の幸せは私が決めます。
そして、私が決めたんです。
先輩の側に、一生居るって。
「いいかい、私はもうすぐ定年だ。そして君は、まだまだこれからの女性だ」
「だったら、私が先輩を食べさせてあげます」
先輩は、あんぐりと口を開けていた。まるで、マンガみたいに。
やだ、可愛いかも。
「でも何で、私なんだ?」
「先輩しか、この世界に居ませんから」
そう、先輩しか居なかった。
身体に触れられても平気だった男性は、先輩の外には滝川さんしか居なかった。須黒さんでもそうだったし、ましてやあのブタ野郎は、論外だった。
だから、先輩がもし私と結婚してくれなかったら、私は一生独身なんです。
私はそういう覚悟で、先輩に結婚を申し込んでいます。
だから、私と結婚してください。
でも、さすがに恥ずかしくて言えないけど。
「オンナって、そういう覚悟で生きています」
「私には、分からん」
「分かってもらおうなんて、私は思っていません」
「う~ん、でもなあ。君のご両親は、反対すると思うよ」
「関係ありません。私はもう、大人です」
いつか、先輩に話します。きっと、先輩なら分かってくれると信じてます。
「分かった。とにかく、保留にしてくれ」
「分かりました。でも、これは決定事項ですから。だから帰りに、市役所に行きましょう」
「どうして?」
「婚姻届けを出すためにです」
「ええ?」
「善は急げって、言うじゃないですか」
「ちょ、ちょっと待って?何か、おかしくないか?保留になってないじゃないか?」
「形だけでいいんですよ」
いずれ、本物にして見せる。
私が先輩に相応しい女性って、認めてもらうように。
「形だけって。それ、おかしくないか?」
「ふつーです」
形なんて、本当はどうでもいい。
側に居る事が出来たら。
法的に認められたら。
そうしたら、もう誰にも邪魔はされない。文句も言わせない。
だから、本当だったら娘でも良かった。
でも、先輩が死ぬかもしれないと思ったら、もう我慢が出来なくなった。
ううん。私の本当の気持ちが、あの時にやっと分かったから。
側に居るだけなんて、私には我慢できない。
先輩が他の女性と結婚どころか、仲良くするのも私には嫌なんだ。
だから、私は先輩を独り占めにする。
その代わり、私のすべてを先輩に捧げます。
私の一生を掛けて、先輩を幸せにしてみせます。
だから、私をお嫁さんにしてください。
「だって、嫌になったら、離婚すればいいだけじゃないですか?」
「簡単に言うね」
「これからはね、結婚も離婚も簡単に出来る時代なんですよ」
母がそうだったから。だから、先輩はもっと気楽でいいんです。
後は、私が頑張りますから。
「先輩は、黙って私についてくれば、それでいいんです」
私が必ず、先輩を幸せにします。
きっと、後悔させませんから。
私は決意したけど、市役所の前にまずは警察署に向かった。
片付けないといけないことをしてから、婚姻届けを出しに行こう。
まずはあのブタ野郎に、引導を渡してやろう。
嫌なことは、先に済まそう。




