第三十三話 離婚の理由
「昔々、あるところに・・・」
おい?
「先輩、真面目に話す気あるんですか?」
「昔のことなんだ、仕方が無いだろう?」
「そうですか?ふざけてたら、怒りますよ」
「ああ、分かったから。今から話します。でも、つまんない話だよ」
「つまんないかどうかは、私が判断します。先輩は、気にしないでください」
「ああ、はい」
だって、私の出生に関わるかもしれないんだから、つまんない話しであるはずがない。
「先輩?」
「ああ、分かったよ」
「ええっとね、妻は、ああ、別れた妻ね」
「馬鹿にしてますか?それぐらい、私にだって分かりますよ」
「お願いだから、殴らないで」
「先輩は、私をなんだと思っていますか?」
「うが!」
とりあえず、殴っておくべきと思った。何か、私の気分の悪くなるようなことを、言われたような気がしたから。というか、ぶつぶつ言っていましたけどね。
「いま、乙女に言っては行けないことを、思い浮かべたでしょう?」
「一応言うけど、私は一般的にオヤジに分類されますので、そこはご容赦下さい。今後は、善処する方向で検討したい所存であります」
「先輩、もう一発いいですか?」
「すみません、もう言いません」
「で?」
「え?何が?」
「だ・か・ら、続きをどうぞって、言っているんですけど?」
「え?オヤジギャグやセクハラは、もうやめろでは無かったっけ?」
とりあえず、殴るのはやめて、鼻をつまむことにした。
一瞬、首を抑えつけてやろうかと思ったけど、さすがにそれはやめようと思った。
先輩が落ちたら、お話が聞けないからね。
「ねえ先輩、私、からかわれるのって、我慢ならないんですけど?」
「か、からかっていません、失念していただけです」
「じゃあ、続きを」
「は、はい」
「先輩?」
「分かってますよ。ちょっと、長くなるよ」
「はい、いいですよ」
「ええっとね、まず妻、別れた妻ね?」
分かってますよ。私の母のことでしょう?怒りますよ?
「その妻がね、夢を持っていたんだよ。お嫁さんが持つような、普通の夢をね」
あの母の夢?夢なんて、持ってたの?悪い夢でしょうね、きっと。
「夢ですか?」
「そう、夢をね」
「素敵な人と結婚し、郊外に一戸建てを持ち、小さな庭と犬を飼う。ベタだけど、これが夢なんだよ」
何それ?実現したじゃん。何が不満なの?先輩が素敵じゃなかったなら、最初から結婚なんてしないはずだし。益々、母が分からない。
「先輩は、奥様に夢を叶えて上げたじゃないですか?」
「一つを覗いてね。いや、二つかな?」
「何ですか、それは?」
「まずは、出世ね」
「出世ですか?」
「そう、出世」
「意味が分かりませんけど?」
「時代なんだろうね。バブルがはじける直前だったから、社会はまだイケイケな感じがあったんだよ」
「イケイケですか?私にはよく分かりませんけど」
「まあ、そんな時代だったからね。旦那の地位と、奥方の地位は、相関関係にあったからね」
「今は、違うんですか?」
「違うねえ。いや、今はいい時代だと思うよ。無茶な残業も無いし、手当ても付くしね、パートナーが何をしていようと、自分は自分ってね」
「でも、先輩の時は違った」
「そう。それでもまだ、希望はあった。しかしね、同期で出世しないのは私だけになったし、後輩に追い越された時は、ちょっとまずかったね」
「それの何が、いけないんですか}
「そうなるとね、リストラ対象になるということなんだよ」
「リストラですか?」
「そう、リストラ。まあ、実質的な首切りだね。だから、妻は私に愛想を尽かしたと、そういうこと」
「貧しき時も病む時もって、結婚の時に誓わなかったんですか?」
「おや、よく知ってるね。一応誓ったけど、それはそれなんだよ」
「ふざけてませんか?」
「いや、大真面目だよ」
「だとしたら、益々変です」
「まあ、そう言いなさんな。むしろ、今の時代の方が、分かりやすいんじゃないのかな?」
「だったら、最初からそう言えばいいのに」
「こうなるなんて、彼女も私も思わなかったんだよ」
「でも、それって」
「いいから、怒んなさんな」
「怒っていません。納得できないだけです」
だから、あの母は私をあの男に差し出したのか?
私よりも、あの男を信じたのか?
何それ?
怒るなって方が、無理でしょう。
「はは、ありがとう」
「先輩に、お礼を言われる筋合いじゃありません」
「うん?まあ、いいじゃないか」
「はい」
「で、続きだけど、さっきのタネ無しって、どう意味か分かる?」
「不妊症のことですよね、男性の」
「まあ、そうらしい」
「そうらしいって、調べたんですよね?」
「いいや、調べなかったよ」
「どうして?」
「さっきの続きさ。妻の夢、郊外に庭つきの一戸建て、犬を飼い、子供は二人ってね」
「よく分かりません」
「私もだよ。でもね、妻は必死だった。毎日体温を測り、妊娠できる日にちを特定し、子作りをしたわけだ」
「セックスしたんですね?」
「こら、乙女がそんなことを言うものじゃないよ」
「言葉を飾っても、同じだと思いますけど?」
「まあ、そうなんだけど。でもね、あれをセックスと呼んでいいのか、私には分からないよ」
「セックスに、違いがあるんですか?」
「私もその時までは、違いが分からなかったんだよ」
「どう、違うんですか?」
「うまく言えないけど、愛し合うとか慈しむとかの為ではなく、あくまでも子作りの為のセックスなんだ」
「どんな、セックスだったんですか?」
「随分と、踏みこんだことを聞くね」
「真面目に知りたいんです。これからの、参考にしたいからです。私も、これから経験するんですから」
「まあ、普通なら楽しくとか、快楽があるんだろうけど、あくまでも子作りの為だからね」
「楽しくないと?」
「鬼気迫るっていうか、ちょっと怖かった」
「よく、分かりません」
私には、よく分かる。あの母の、やりそうなことだ。
「とにかく、快楽そっちのけで、あくまでも妊娠目的なセックスだった訳だ。楽しむなんて、不謹慎になるよ」
「それでも、子供が出来なかったんですか?」
「ああ、その通り。最後になるとね、時間も指定されたよ。真夜中に叩き起こされ、今しましょうと言われたこともあるよ。この時間なら、妊娠するはずだって」
「子供って、自然に出来てしまうモノではないのですか?」
「そう簡単なら、世の中不妊症で悩む人は居ないと思うよ」
「私には、分かりません」
「私も頑張ったんだよ。体調管理をして、精力のつく食事に気を配ってね。お酒だって、断っていたよ」
「それで、セックスしたんですね?」
「言い方がさ、身も蓋も無いねえ。でもまあ、それでも出来る日と出来ない日があったんだよ」
「出来ないって、どうしてですか?」
「疲れていたり、残業で遅くなった時がそうだよ。風邪を引いた時もあるよ」
「病気でもですか?」
もはや、母は人では無い。鬼だろう。先輩を何だと思っている?
「何で、こんな大事な日に風邪を引くのかってね」
「無茶です」
「その時の妻の顔は、今でも忘れられないよ」
「どんな顔でしたか?」
「役立たずが、一番近いかな」
つまり、役に立つか立たないか、それがあの母の判断基準であり、価値観だったのか。虫唾が走る。
それで娘の私ではなく、あの男を選んだのか?
役立たずの私ではなく、生活の面倒を見てくれる、あの男を。
最低だ。
「だって、夫婦は共に助け合うんじゃないんですか?」
「子供を持てない夫婦は、夫婦ではないんだろうね」
「それで、別れたんですか?」
「ああ、私の二十代を返せってね」
「そんな」
だったら、私の十代を返せ。
お前のせいだ。お前が父と離婚しなければ、先輩と離婚しなければ。あの男と再婚しなければ、私はあんな目に遭わなかった。
私の貴重な十代を台無しにしたのは、母やあの男のせいだ。
「まあ、実際、子供を作るには三十代よりも二十代がいいらしいからね」
「まだ、可能性はあったんじゃなかったんですか?」
「どうだろうね。二十代で出来なかったら、まあ三十代では難しいだろうね」
「それで、タネ無しですか?」
「一応、私も離婚の際に、ごねたからね。それで、捨て台詞を吐かれた訳だ」
「それで今までよく、慰謝料を払い続けていましたね」
「おや、よく知ってるね。それも、給湯室ネタかい?」
「・・・・ええ、そうです」
そのお陰で、私はこうして居るんですから。
それが無ければ、先輩と出会えなかったかもしれない。
先輩と、こうして語り合う日が、来なかったかもしれない。
「家を手放せばよかったんだけど、バブル崩壊で家の価値は下がり、しかもローンが残っているからね。手放せなかったんだ。だから、慰謝料は結構厳しかった」
「払わなければ、良かったじゃないですか」
あんな母に、払う価値はあったんですか?そもそも、悪いのは先輩なんですか?
「それでもね、彼女の貴重な二十代を、私の為に使わせてしまったんだよ。そのぐらいは、償わないと」
あの母の二十代が貴重なら、私の十代はどうなるんだ。
私に対してこそ、責任を取って欲しい。
「先輩って、本当に優しいんですね。頭に来るぐらい」
あんな母に、優しくする必要は無い。
そんな価値が、あるはずはない。
先輩がそんなに優しいから、あの母はつけあがるんだ。
「はは、時々自分でもそう思うよ」
でも、それが先輩なんだ。
私が好きになった、好きになってしまった人なんだ。
そうなると私が、一番ダメなオンナなんだろうか。
私は聞きたいことが聞けたので、もう寝たふりをすることにした。
正直、これ以上は聞くに堪えないからだ。
母を益々、憎んでしまいそうだからだ。
「おやすみ。いい夢を」
先輩は私の頭を撫で、あやすようにおやすみを言ってくれた。
私は寝たふりをしながら、先輩の優しさに応えられない自分を、ちょっと情けなく思った。
先輩の優しさに、付け込んでいるのは私も同じだから。
先輩こそ、いい夢を見てください。
私が先輩を、幸せにしてみせますから。
先輩を、ひとりにしませんから。
それが、私の誓いです。




