第三十話 先輩と楽しいひととき
「意外に大きいですね」
先輩のお家に着いたけど、予想以上に大きい家だった。
「そりゃ、どうも」
とは言え、外は真っ暗なので全貌は分からないけど、家の後ろには森みたいなのがある。
まさか、あれも先輩のお家の敷地ですか?
あれだけの広さがあったら、お母さんから貰った、かすみ草の種を蒔けると思った。
ここに住めたらだけど。
ううん、住もうと決めた。
私は玄関から招き入れられたけど、お家の中に入ったら、なんとなく汚い感じがした。
そっと、指でへりをなぞった。
「あの~、掃除してますか?」
先輩は躊躇うこともなく、かつ振り向きもせずに私にこう答えた。
「気が向いたら、たまに掃除をするよ」
何となく、後ろから蹴ってやろうかと思ったけど、それはやめておいた。楽しみは、これからだから。
教育のし甲斐があるなあ。
私はこぶしをギュッと握り、そう決意することにした。
「たまにって、具体的にどのぐらいですか?」
「ええっと、大掃除の時ぐらいなか?」
「それって、一年に一回ということですか?男のひとり暮らしって、そんななんですか?」
「はははは」
「毎日とは言いませんけど、せめて一週間に一度ぐらい、掃除をしてください」
「ああ、分かったよ」
「先輩、また嘘ですね」
「仕方ないでしょう。男の一人暮らしなんだから」
「再婚はしないんですか?」
「相手がいないよ。そんなことはいいから、ほら、リビングはこっちだから」
私は、料理をすることにした。一応、それなりの広さのキッチンだけど、どこか痒い所には絶対に手が届かないような、そんな嫌な造りになっていた。
やれやれ。
先輩らしい。
「ええ?いいよ、私がやるから」
「あのですね、私はちゃんとしたモノを頂きたいので、夕食の支度は私がやります。先輩こそ、休んでいてください」
「私だって、ちゃんとしたモノぐらいできるよ」
「先輩のおっしゃる、ちゃんとしたモノを期待する程、私は先輩に期待していません」
「ああ、さいですか」
「そんなことより、お風呂の用意をしてください」
「風呂の用意?スイッチひとつで、風呂は沸かせるよ?風呂は、我が家の自慢なんだよ」
「そのお風呂は、キレイなんでしょうね?まさか、私を残り湯に入らせるつもりですか?」
「そ、そうだね、お風呂の掃除をしてきます」
「はい、お願いします」
恐らく、先輩は浴室に向かったようだ。
なんとなく、ここから逃げ出したように見えるのは、気のせいだろうか?
ホント、先輩って面倒!
さて、何にしようか?
冷蔵庫の中身を見ると、何と言うか統一感が無い。
どうする気だ?
何を食べたくて、こんな品ぞろえになっている?
「ベーコンに卵があるから、ああ、あった」
私は鍋にお湯を張り、火にかけた。
フライパンにオリーブオイルは無いから、サラダ油を入れ、刻んだベーコンを入れてから火を弱めにしてかけた。
「にんにくがあれば、言う事ないんだけど」
全卵三個と卵黄二個を混ぜ、そこに粉チーズをたっぷり入れる。
茹であがったスパゲティをベーコンを焼いているフライパンに入れ、ざっと混ぜる。
最後に火を止め、卵液をまぶして出来上がり。
黒コショウは無いから、代わりにテーブルコショーをさっと掛けて出来上がり。
「さあ、召し上がれ!」
「これは何?」
先輩はスパゲティをフォークで器用に持ち上げ、何だか胡散臭いもののように眺めていた。失礼しちゃうわ!
「一応、カルボナーラです」
「うちにそんな、お洒落なのがあったのか。知らなかった」
「色々工夫をしたので、あくまでも一応です」
「ふ~ん、あ、美味しい」
あ?やったあ!
今すぐ、私をお嫁さんにしてください!
いかん、いかん。
落ち着け、私。
「ホント、何も無いお家なんですね」
「仕方ないよ。長いこと一人暮らしをしているとね、必要最低限のモノしか、置かなくなるんだよ」
「それにしても、何も無いにも限度がありますけど?」
「まあ、別れた妻がね、あらかた持って行ったからね」
ああ、そういうことか。あの母なら、容赦しないだろうな。必要なモノから、金目のものまで、しかも嫌がらせついでに必要の無いモノまで、遠慮なく持って行っただろう。
あの人は、そういう人だ。
「奥さまとは、もう会っていないのですか?」
「最後に会ったのが、離婚の書類にハンコをついた時だから、20年、いや30年前か?」
「24年前では?」
「ああ、そうそう。確かそのあたり。よく知ってるね」
「給湯室でする話題は、だいたいがそんな話ですから」
嘘です。私はもしかしたら、あなたの娘かもしれません。だから、知っているんです。秘密ですけど。でも、血が繋がっているか、それだけは分かりません。
だから、今夜確認します。
「何で、別れたんですか?」
とはいうモノの、想像は付く。なにせ、あの母だから。
「興味あるの?」
「後学の為にです。私だって、いつかは結婚したいと思っていますから」
「うん、君はいいお嫁さんになるよ」
「先輩?」
それって、先輩のお嫁さんには、しないってことですよね?
どうなんです?
私の何が、ご不満なんですか?
「ああ、ゴメン、ゴメン。セクハラだったね。ねえ、お願いだから、その握りしめたフォークを置こう?」
あ?私はフォークを、無意識に持っていたようだ。気を付けよう。先輩が、怯えているから。
「先輩は、私を何だと思っていますか?」
目は口ほどにモノを言うって、先輩を見ると本当だと思うけど、乙女としてはショックなんですけどね。というか、今何かつぶやきましたよね?
「先輩?私を獣か何かと、いま思ったでしょう?」
「思わない、思わないよ。本当に」
「先輩?」
「本当にゴメン」
「悪いと思っていますか?」
「もちろん」
「なら、お詫びに私の髪の毛を洗ってください」
「お安い御用だよ、え?」
「じゃ、片付けたらお風呂に入りますので、先輩もすぐに来てください」
「何で?」
「だ・か・ら、髪の毛を洗うのは大変だから、先輩にお願いしているんですけど?」
「分かったよ」
「最初から、そう素直にすればいいんです」
「ああ、はいはい」
「はいは、一回!」
「はい」
私は使った食器を軽く洗い、それから食器洗浄機に入れてからスイッチをいれた。
つくづく、便利だなあと思ったけど、それ以外はダメだなあ。
まるで、先輩そのものみたいに。
あらかた終えた私は、先輩にお茶を淹れてあげた、一応、それを飲んでから、お風呂に来てくださいと伝言を残して。
私は、浴室に向かった。
ちょっと、ドキドキしてきた。でも、ここが勝負だと思う。
身に着けていたアクセサリーを一つずつ外し、着ていたスーツを脱ぐ。次にストッキングを脱ぐと、ああ、やっと解放されてきたと思った。
最後に下着を脱ぐと、私は自由になったような気分になった。
これで、くつろげると。
でも、ここは私の家ではなく、先輩のお家なんだ。
くつろぐには、まだ早い。
脱いだ下着を一応スーツの下に隠したけど、私は何でそんなことを気にするのかな?
ふと、洗濯機が目に入ったけど、どうしようか考えた。
いや、私一人の為に洗濯機を回すのも、何か自意識過剰なような気がしたから、それはやめておいた。
私は浴室に入った。
先輩のお家のお風呂は、想像以上に大きかった。自慢するだけはある。これは、期待できるかも♪
私は鼻歌交じりで、お風呂の蓋を開けた。
そこには、何も入っていなかった。
私は静かに浴室から出て、バスタオルを身体に巻いて、そのままの姿で早足でリビングに向かった。
「お風呂沸いてませんよ?」
私はリビングで暢気にくつろいでいる先輩のネクタイを引っ張り、ありのままの現状を報告し、責任を追及することにした。
「ゴメン、忘れてたよ。そのままだと、風邪引くよ」
誰のせいだ!
「ふん!」
先輩が動いてくれないから、というか私が先輩にのしかかったままだから、先輩は動くに動けない。
仕方が無いので、私は自分でキッチンの横にある、お風呂のスイッチを押した。
すると、お湯張りを始めますという、アナウンスが流れた。
私はそのまま、先輩の真向かいのソファーに腰を落とした。
腕と足を組み、さあ、どう責任を取りますかと。
「あの~、何か着たら?」
しかし先輩は、あろうことか私に対して、責任の所在をあいまいにしようと工作してきた。
今夜は、楽しいことになりそう。
その時の私は、そう思った。




