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私の先輩  作者: せいじ
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第二十話   私のヒーロー

 食品本部に配属されたら、須黒さんと言う男性社員が当面の私の指導をしてくれた。

 思わず、総務の勝呂さんのご親戚ですかと聞いたら、全然違うよと教えてくれた。

 そもそも、使っている字が違うと。

 年齢的に勝呂さんと須黒さんはほぼ同じで、違いは須黒さんの方がしっかりして見えることだ。


「まあ、とにかく覚えるよりも慣れることだよ」

 須黒さんは、私にそう指導してくれた。

 とは言え、慣れる前に覚えることが山ほどあり、勝呂さんがいる総務まで行って、お話を聞くような時間は無かった。

 

 総務の勝呂さんはたまに食品本部に顔を出し、何か無いかと訊ねてくることがある。

 おやつでも欲しいのかなと、その時は思ったけど、勝呂さんの役割は結構大事だと後で分かった。

 成果の出にくい仕事も、やっぱり重要なんだと思った。


 ただ、総務の勝呂さん、食品の須黒さんとややこしいので、総務の勝呂さん、もしかしたら私の父かもしれない人を、先輩とお呼びすることにした。

「いいですよね、勝呂先輩?」

「うん?何でもいいよ」

 ああ、そうだろうね。先輩はきっと、そういう反応だと思った。



「坂上さんって、純さんと仲がいいね?」

 ある時、須黒さんにそう聞かれた。須黒さんは、先輩のことをお名前の純さんと呼んでいる。とうの先輩は、食品の須黒さんと呼んでいるけど。

「そう見えますか?」

「私にはそう見えたけど、違ったかな?」

「総務で研修していた時、ご指導してくれたご縁で、何かと相談にのってもらっています。きっと、そのせいでしょう」

 もしかしたら、先輩が私の父かもしれないということは、今はまだ伏せておこう。

 いや、一生の秘密にしよう。私だけの秘密に。

「そうなんだ。あの人、意外に人付き合いが無い人だからね」

「そうなんですか?」

「忘年会も新年会も参加しないし、懇親会も参加しない人だからね」

「へ~」

「人嫌いなのかなって、そう思ったぐらいだよ」

「どうして、そう思われるんですか?」

「ああ、そうか。坂上さんは知らなかったか」

「何をですか?」

「う~ん、私の口からはね」

「秘密にしないと、いけないことですか?」

 私の出生に関わることなら、ぜひ知りたい。

「まあ、公然の秘密だから、構わないかな」

「公然の秘密ですか?」

「まあ昔ね、こっぴどい目に遭ったそうだよ」

「え?」

「奥さんと酷い別れ方をしたって、当時の社内では有名な話だったそうだよ」

「どんな、酷い別れ方なんですか?」

「それこそ、秘密だよ。というか、当事者にしか分からない話しさ。私も人伝で、聞いただけだから」

「そうなんですか」

「一応、本人には内緒で。あまり、いい気分はしないと思うから」

 だいたい、想像は付く。あの母なら、人の好さそうな先輩を散々いたぶった挙句、一方的に離婚したんだろう。前の父とのやり取りで、私はそれを見ていたから。

 とは言え、これこそが私の秘密であり、まだ誰にも明かしていない。



 それって、明かせないよなあ。



 とは言え、先輩が私を食事に誘わない以前に、そもそも他の人と一緒に食べたり飲んだりしない人だと分かったので、もし誘うなら私からにしないといけないということが、改めて分かった。

 それはそれで、面倒な人だなあ。

 先輩からアプローチしてくれた方が、何かと聞きやすいのに。

「まあ、何かあったら純さんを頼るといいよ。あの人、いざという時は結構やる人だから」

「いざという時とは、どんな状況でしょうか?」

「ケースバイケースだよ。でも、覚えておいて。上にはあまり知られていないようだけど、我々現場の人間の間では、周知の事実だから。困った時の、総務の勝呂さんてね」

「はい、ありがとうございます」

 どういう状況で、しかも何がどう頼ればいいのか分からないけど、一応覚えておこう。

 いつか、そんな時がくるかもしれないから。



 でも、それは案外早くやってきた。



 須黒さんによる研修を終えると、私はある男性社員とバディを組むことになった。

 社内ではイケメンで通っている、いけ好かない若手男性社員だ。


 この男は初対面から私に対して馴れ馴れしく、しかも私のことをこう呼んでいた。

「咲良ちゃん!」と。

「あの~、私は坂上です。サクラという、名字ではありません」

「咲良ちゃん、固いなあ。いいじゃないか。ビジネスライクでいこうよ」

 お前、いつの時代の人間だと聞きたいけど、それだと私がこの男に興味を持っているように見えるから、そこはあえて無視した。

「咲良ちゃん。これから、飲みに行かない?」

 一緒に仕事をするので、ランチだけは我慢するけど、仕事を終えたら勘弁願おうと思う。正直、この男と一緒に食事をすると、何故かごはんがまずいし。

 だいたい、毎回毎回何かにつけて私に触れようとするし、飲みに行こう、食事に行こうと、果ては休日に遊びに行こうと言い出す始末だ。

 家に遊びに行ってもいいかと聞いてきたので、プライベートですのでお断りしますと返したら、じゃあ、僕の家に来なよと言ってきた。

「行きません」

「ええ?母も咲良ちゃんに、会いたがっているよ?」

 あんたの母なんて、私は知らんよ。

「結婚したらさ、麻布のマンションに住もうよ。いい所だよ。都会なのに自然も豊かで、大使館もあってさ」

「おひとりでどうぞ」

「しばらくしたらさ、子供も出来るからその時は実家に住もう。子育ては、大変だろうから。それに実家はさ、白金にあるんだよ。それにうちは結構大きい家だし、なんなら二世帯住宅に改築するよ。母もさ、理解がある人だから」

 お前は馬鹿か?何を一人で盛り上がっている。はっきり言わないと、ダメな男かな?

「私、結婚する気はありませんので」

「子供は三人。男の子二人と女の子一人がいいね」

「希望が叶うといいですね」

 そんな毎日に、正直うんざりしていた。


 ある日とうとう、私の都合を無視して勝手にレストランの予約をしてきたので、さすがにきっちりと断った。

「私がいつ、あなたと食事に行くって約束をしましたか?」

「したよ」

「だから、いつ?」

「前世からだよ」

「はあ?」

 中二病って、初めて見た。こんな人って、本当に居るんだ。よく今まで、生きて来れたな。

「僕たちはさ、運命の仲なんだよ。これはさ、前世から決まったことなんだよ」

「運命の人とやらは、私以外の人と思いますので。では、失礼します」

「咲良ちゃ~ん!」

 肩に触れてきたので、私は思いっきり振り払った。

 そのまま私は、食品本部のフロアを出た。一応、化粧室か給湯室に逃げ込もうかと思ったから。

 何というか、セクハラで訴えるか転職するか、検討しようか。


 そう言えば、セクハラの相談窓口って、総務部にあったなあ。

 これは、いい口実になる。

 先輩を、食事にでもお誘いしよう。


「先輩」

「ああ、坂上さん。どうしたの?」

「ちょっと、ご相談があります」

「うん?何かな?」

「ここでは、ちょっと。お仕事が終わりましたら、お時間頂けませんか?」

「いいけど。残業が無かったらね」

「はい!ありがとうございます!」

 何だろう、私の心が軽くなってきた。

 こんなの初めてだ。

 やばい、スキップしたくなった。


 しかし、すぐにそれが打ち砕かれた。

 しかも、その原因が私にあった。


「どうするの?」

「いえ、これは。私、確かに直しておきましたけど」

「でも、現に直ってないじゃないかな?」

 数字を一桁多く間違えて、発注を掛けてしまった。でも確かに、数字は修正したはず。しかし、現実に品物は倉庫に届いてしまい、すぐに対応しないといけない事態になってしまった。

 予約した倉庫に、収容し切れないからだ。

 元々が大きい取引だから、多く発注した分を他に吸収出来ない。

 どうすればいいのか、私には分からなかった。

 肝腎の須黒さんも、得意先に出かけていて不在だった。

「咲良ちゃん。僕が助けてあげようか?」

 嬉しそうな顔で私にすり寄るこの男を見た瞬間、仕掛けたのはこの男だと気が付いた。

 元々私に発注を頼んできたのは女子の契約社員だったけど、その女性は以前から、この男と関係があると噂されていた。

 しかも、黒い噂が。

 だが、証拠が無い。

「ああ、このままだと莫大な損害が出るなあ。これは、大変だ」

 したり顔のこの男の顔を、今すぐ殴れたらどんなにすっきりするだろうか。

 私の肩を触るこの男の腕を捻りたいという、そんな衝動を私はなんとか抑えた。

 今は、そんなことをやっている場合ではない。

「咲良ちゃんが困っているなら、将来の夫として、これは一肌脱がないとね」

 絶対に借りを作ってはいけない男に、借りを作ることになる。それだけは嫌だけど、会社に損害を出させるわけにはいかない。

 調べれば私のせいではないと分かるだろうけど、それだと女性契約社員に責任が及ぶ。

 それだけは、したくなかった。まるで、私が保身の為に、立場が弱い契約社員に責任を押し付けているみたいだからだ。

 少なくともこの男に、どうにかして責任を取らせない限り、私の気が収まらない。

 でも、どうしたら。どうすれば、いいのだろうか?

 その時だった。

「あれえ?坂上さんどうしたの?」

 先輩が来てくれた。でも、何で?

「え?先輩?」

「相談があるって、もしかしてこれの事かな?」

 違います。私ではないんです。でも、それは言えない。

 そんなみっともない姿を、先輩にだけは見せたくない。

 私のこんな恥ずかしい姿を、先輩には、先輩にだけは、見せたくなかった。

「ねえねえ。どういうこと?誰か、説明してくれないかな?」

 他の社員が、先輩に誤発注について説明していた。

 先輩はふんふんと頷きながら、一旦目を閉じ、再び目を開けたら、大きな音を出すように手を何度か叩いた。

「おおい!みんな!」

 部内が、がやがやし始めた。何だ、何だと、人も集まり始めた。

「あれえ?総務の勝呂さんじゃないっすか?どうしたんすか?」

「ああ、やっちまったんだよ」

 先輩は、私の机のモニターを指した、

 すると、その社員が私のモニターを見たら、ため息を吐いた。

「いやあ、勝呂さん、これまずいっすよ」

 そうこうしていたら、部内のかなりの数の社員が集まってきた。

「どうにかならない?」

「う~ん、さすがにこの数量は」

「先輩、わ、私が」

 先輩は私を手で制し、そのままやり取りを続けた。

 先輩は私の代わりに、責任を取るつもりなのだろうか?

 それは嫌だ。私のせいで、先輩を追い詰めるなんて、絶対に嫌だ。

 でも先輩は、まるで私を庇うようにして前に立ち、私の存在を回りから消してくれた。

 まるで、私の盾になってくれてるように。

 どうして?

「勝呂さん、これってディスカウント出来ないですか?」

「ああ、そうそう。仕入れ値がこれなら、この金額まで下げたら、いくらか捌けますよ」

「いやいや、それだとさすがに利益出ないよ」

「でもこのままだと、かなりの赤が出るよ。それよりは、まだマシだよ」

「そうそう、薄利多売が総合商社のモットーだしね」

「でも、これは責任問題になりますよ、始末書で済めばいいけど」

 わ、私が責任をと言おうとしたら、先輩が手を大きく叩き、皆にお願いした。

「私が責任を取るから、その線で頼めないかな?」

「まあ、総務の勝呂さんが、そうおっしゃるのなら」

「総務の勝呂さんには、色々とお世話になったしね」

「ミスター総務に貸しを作る、絶好の機会だから、オレやりますよ」

「坂上さん、データ回して」

「あ、はい」

 私は同僚の言うままに、データを回した。

 すると、あれよあれよと在庫が捌けてきた。

 数字が勢いよく、減って行った。

 まるで、魔法にでも掛かったように。

「坂上さん、配送の手配をお願い」

 すると、他の女子社員が手を上げて、手配済みであることを先輩に知らせた。

「ああ、すでに手配済みですよ。総務の勝呂さん」

「お!さすが商社ウーマン」

「何ですか、それ?」

「だって、これを予測しないと、手配なんて中々出来ないでしょう?」

「まあ。でもこれ貸し、一つですよ」

「もちろん。何だってやるよ」

 すると、男性社員がガッツポーズを上げた。

「よっしゃあ!すべて捌けた!」

「でも、黒字が出ないですよ」

「赤字よりは、まだマシだよ」

「確かに」

「純さん」

 いつの間にか、須黒さんが側に来ていた。社に戻っていたようだ。というか、あの男が居なくなっていた。逃げたか?

「せっかくだから、打ち上げしましょうよ」

「私はいいよ。私は、食品の人間じゃないし」

「貸しを返してください」

「ええ?今すぐにかい?」

「だって、そうしないと純さん、すぐに忘れるでしょう?」

 部内が、笑いに包まれた。

 そりゃあ、そうだ。勝呂さんって、そういう人だよねえと。

 久しぶりに、会社のカネで飲めると。

「分かったよ。じゃあ、会社の近くの居酒屋でいいかな?」

「まあ、このご時世ですから、そんなもんでしょうね。坂上さんも、もちろん来るよね?」

「あ、はい。でも・・・」

「坂上さん?」

「せんぱい・・・」

 私はつい、泣いてしまった。

 先輩の前で、涙を流してしまった。

 情けない自分を、先輩の前に晒け出してしまった。

 涙を止めよう、止めようとすればするほど、私は涙を我慢できなかった。

「ああ、純さん、坂上さんを泣かせた」

「ええ?あの昼行燈の勝呂さんが、女子を泣かせるなんて」

「え?いやいや、私ではないよ」

「でも、純さんが坂上さんに声を掛けたら、彼女、泣きだしましたよ?何をやったんですか?」

「私のせいですか?」

「はい、責任取ってください。坂上さんは、私たちの大事な仲間なんですから」

「分かったよ。坂上さん、ちょっと待っててね」

 先輩は走り去った。

 先輩が急ぐ姿を、私は初めて見た。いつも、ゆっくり歩く人だからだ。でも何だか、私は先輩を追いかけたくなったけど、待てと言われたから大人しく待つことにした。泣きながら走るのは、ちょっと恥ずかしいし。


 私は先輩が戻るまで、手持無沙汰になっていた。


 しばらく待っていると、先輩が息を切らせて戻ってきた。

 手には、何かの容器を持っていた。

「はい、これ」

「え?」

「いいから」

 コーヒーの容器のようだ。受け取ったら、容器は冷えていた。中身は、アイスコーヒーのようだ。

 私は容器の蓋の飲み口を開けて、一口飲んでみた。

「おいしい」

 抹茶ラテだった。恐らくは、会社のビルの一階に在る、コンビニのだろう。

 スタバでもなく、エクセルシオールでもなく、コンビニというのが先輩らしい。

 私は、少しほっこりしてしまった。

 すると、先輩は私の頭を撫でてくれた。

「よく、頑張ったね」

 私は先輩を見上げると、彼は急に慌て始めた。

「ああ、ゴメン。つい、うっかり」

「いいんですよ。先輩なら、いつでもいいですよ」

 だって、先輩はもしかしたら、私の本当の父かもしれない。


 もし先輩が私の本当の父なら、今まで居なかった分、思いっきり撫でてくれないと。


 それに今日の先輩は、とってもカッコ良かった。


 あの時、颯爽と現れてくれた時、私は本当に嬉しかった。


 まるで、ヒーローのようだった。




 そうだ、先輩は私の、ヒーローだったんだ。 


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