第十一話 約束された未来に
滝川さんの家に着いた。
以前来た時は、どこか明るい感じがしたけど、今は暗く感じる。
家の中は、以前来た時と違って、どこか乱雑としていた。
ああ、本当にお母さんは亡くなったんだと、そう感じるように。
「いらっしゃい」
玄関では、滝川さんが迎えてくれた。いつもの、優しいお顔だった。
「先生、すみません」
「いいんですよ。いつか言わないと、いけないことでした。柿田さんには、悪いことをしました」
「いいえ、私は何もしていません」
「さあ、咲良さん。こちらにどうぞ」
私は滝川さんに案内され、家の奥に入った。
そこには仏壇が置いてあり、写真が飾ってあった。
お母さんの写真だった。
「無理だったら、もういいんですよ」
私が部屋の入口で茫然としていたから、滝川さんは心配そうに声を掛けてくれた。
ダメ。しっかりしないと。
「手を合わせても、いいでしょうか?」
「もちろん。家内も喜びますよ、娘が来たって」
私は線香をあげ、手を合わせた。
何を言えばいいのか、どう祈ればいいのか、私には分からなかった。
ただ、涙が止めどなく溢れてきた。
おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん、おかあさん・・・・。
わたしを、わたしをひとりにしないで。
心の中でいくら呼び掛けても、返事が来ることはない。
「おかあさん」
私はそう、呼び掛ける事しか、出来なかった。
写真のお母さんは、ただ微笑んでいた。
「すまなかったね」
「いいえ。突然、すみませんでした」
「せめて、咲良さんの受験が終わるまで、家内も頑張るつもりだったんだけど」
「え?」
「咲良さんに心配を掛けたくない、これ以上、あの子に涙を流させたくないって」
「そんな」
「家内はね、君は幸せにならないといけないって、ずっと言っていたんだよ」
「私は」
「本当はね、君を引き取りたかったんだ」
「私は」
「でもね、家内は長くは生きられないから」
「私は」
「咲良さんのお母さんに、本当はなりたかった、なってあげたかったって」
「私は」
「ずっと、見守ることが出来ない」
「私は」
「それだとまた、咲良さんが不幸になるって」
「それでも、私は」
「家内はね、咲良さんを本当に心配していたんだよ」
「せめて、お見舞いぐらいは」
「ガンだったからね。ガン治療でね、家内はすっかりやせ細っていてね。以前の面影は、まったく無かったんだよ」
「だったら」
「だからだよ。そんな姿になった自分を、君に見せたくないって」
「そんな。私はそれでも」
「いつか、君にも分かる日が来るよ」
「お母さん」
私は、顔を覆ってしまった。
涙を止めたいんじゃなく、崩れ落ちそうな何かを止めたい。
止めたかったんだ。
滝川さんは立ち上がり、タンスを開けて何かを取り出していた。
「これを」
「なんでしょうか?」
小さな小瓶に、何か入っていた。
「私にはよく分からないけど、花の種らしい。家内が、君にって」
「お母さんが、私に?」
「将来、君が結婚し、幸せになったら庭にでも蒔くといいよ」
「私の将来ですか?」
「家内とね、そんな話をしていたんだよ。咲良さんは、どんなお嫁さんになるんだろうって」
滝川さんの目にも、光るモノが溢れてきた。
でも、すぐにそれを拭った。
滝川さんは、いつもの優しい顔になった。
それを見た私は、かえって動揺してしまった。
何で、そんなに平気なの?
どうして、そんなに冷静なの?
私だけが、こんなに動揺している。
私だけが、おかしくなりそう。
違う。
私がお母さんに、何も出来なかったからだ。
それなのに、お母さんはこんなにも私を思ってくれてる。
私はお母さんに、何もしてあげれてないのに。
「わ、わたしは、お母さんに何も返せてません」
滝川さんは目を閉じ、また開けた。
真っすぐ、私を見つめていた。
その強い視線に、私はちょっと、たじろいでしまった。
でもすぐにまた、いつもの顔に戻った。
少し、笑っているようなそんな顔に。
「家内もね、君が幸せになることを一番に願っていたんだ。だからね、君が幸せになることが、家内に対してのお返しになるんだよ」
「どうして?」
「それが大人の責任であり、親の気持ちなんだよ」
「私には、よく分かりません」
「だから、それが分かるまで、君は頑張んなさい」
私は種を貰い、滝川さんのお家を後にした。
柿田さんに、施設まで送ってもらった。
柿田さんはずっと、無言だった。
「先生を恨まないでね」
「え?」
「何でもないわ」
「それはどういう」
柿田さんは、何も答えてくれなかった。
私も何だか、それ以上聞いてはいけないって、そんな感じがしたから。
「滝川先生も、転勤になったから」
「そうなんですか」
「元々、先生は奥様のお側に居たいという理由でここに居たんだけど、もうそれも終わりだから」
私には、よく分からない。
きっと、それが大人の事情なんだろう。
私には、どうにも出来ない。
子供には、どうにも出来ないから。
いつでも私は、子供だったから。
早く大人になりたい。
違う、早く大人にならないといけない。
滝川さんも柿田さんも、そしてお母さんも居なくなる。
そうか、私はひとりになるのか。
私は施設に戻り、滝川さんに渡された、袋を開けて見た。
そこには、小さな手紙が入っていた。
お母さんからだ。
「この手紙をよんでいるとき、お母さんはもうこの世に居ないでしょう。でもね、さみしがることはないわ。お母さんはいつだって、咲良ちゃんのそばに居るから。必ず、幸せになってね。お母さんより」
短い手紙だった。
字が乱れていたのが、切なかった。
震える手で、手紙を書いたに違いないから。
「追伸 そのタネは、かすみ草といいます。タネをまくまで、冷ぞう庫に入れて保かんしてください」
いつか、かすみ草の種を、将来私の住む家の小さな庭に蒔こう。
叶うかどうかではなく、叶えて見せるんだ。
そこでは、家族みんなが笑顔で過ごす、そんな幸せな家を、家庭を私は作るんだ。
それが、お母さんに対する、たったひとつの恩返しだから。
これは、夢ではない。
絶対に、成すんだ。
それが私の、約束した未来だから。




