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忘れられなかった

 

 約束の夜、戸締りを代わると申し出たシヴィに不思議そうな顔をしながらも、幼子がいる同僚はありがたがって交代してくれた。

 

 早めに片づけを終えて、座ってイストを待つ。

 

(話って、なんだろう)

 

 まるきり見当がつかず、戸惑いは消えない。

 でも、なにか大切なことを伝えようとしてくれているのだと思って、真剣に聞こうと決心は固めてきたつもりだった。

 

 しかし、思いつめたような表情で現れたイストを見て、その決心も少し鈍る。

 何を聞かされるのか、シヴィは不安に襲われた。

 

「時間をもらって、すまないな」

「いえ」

 

 シヴィの淹れた茶を前に、イストは言葉を探すように目を伏せている。

 やがておもむろにカップを持ち上げて口を湿らせ、話を切り出した。

 

「中央に、転属することになった。新しく作る一部隊を任せてもらえるらしい」

 

 中央に、転属。

 

 それはこの国の、こと辺境で戦う兵士たちにとって、大変な栄誉だ。

 前にこの基地から中央に行くことになったラウノ隊長のときも、お祭り騒ぎだったくらいに。

 

 兵団の中央基地に属する兵士たちは、少数精鋭。

 国が持つ巨大な転移魔方陣で各地へ赴き、その土地の基地の討伐戦に加わったり、部隊単独での魔獣討伐作戦を行ったりする。与えられる武器や防具には、中央で保護されているという魔術師が幾重にも加護の魔術をかけているらしく、精鋭部隊の命を守っている。

 

 イストが、その中央に。

 ということは、シヴィとはお別れなのだ。

 

 寂しさと切なさに胸がきゅっと絞られるようで、それでもシヴィはそれを必死に押し隠した。

 

「栄転ではないですか!」

 

 無理に明るい声を出したように聞こえてしまっただろうか。シヴィの心配をよそに、イストはどこか淡々と応じた。

 

「……そうだな」

 

(笑え、笑え)

 

 自分に言い聞かせ、シヴィは必死に笑みを浮かべて見せる。

 

「おめでとうございます。この前の遠征で素晴らしい武勲を挙げられたと聞いていますから、それが中央にも伝わったんでしょうか」

「ありがとう。どうだかな、多少は戦えると思われたんだろう。中央も人が足りないらしい」

 

 他人事のような口調のイストは、迷うように何度か口を開きかけ、閉じ、ということを繰り返し、落ち着きなくシヴィへと視線を向けた。

 

「……それで、その、シヴィ。提案があるんだが」

 

 転属を知らせてくれる話ではなかったのか。シヴィは首を傾げた。

 

「はい、なんでしょう?」

「…………一緒に、来ないか」

 

 その声を、その言葉の意味を認識するのに、時間がかかってしまった。

 シヴィは戸惑いをそのまま声に乗せる。

 

「……え? ええと、どこにでしょう」

 

 まさか、そんなはずはないと思うけれど。

 

「中央に、だ」

「…………え?」

 

 信じられないことを言われ、シヴィは必死に頭を働かせる。

 

 たしか、中央基地に属する兵士には、その階級に応じて小さいながらも家を与えられると聞いたことがある。

 イストには家族がいないそうだし、知らない相手を自分の領域に入れるのに躊躇しそうなところがあった。

 ということは、シヴィに声をかけた理由は、あまり納得はいかないが家政を担う使用人として、だろうか。

 

「なぜ、ですか? 確かに料理は多少できますが、家政婦として働いたことはないので、正直お役に立てるとは思えません」

「そうではなく」

 

 シヴィの疑問を、イストは遮るように否定した。

 

 そして、深い呼吸ののち。

 その言葉は、正しく、イストの口から発せられた。

 

「……その、妻、として」

 

 驚きすぎて、声も出なかった。

 シヴィの様子に何を思ったか、イストは早口に説明しだす。

 

「先の遠征に同行していた中央の兵士長が、直属の上官になるらしいんだが。その人に言われたんだ。自分の戦い方は、危ういと。捨て身でいることで強さを求めていてはいずれ頭打ちだから、守るための……生きて帰るための強さを求めた方がいい、そのためにも、中央の兵士として、年齢的にも妻帯した方がいいと」

 

 珍しく冷静さを欠いたイストの様子に、シヴィの方が落ち着いてきた。喜んではいけない、と冷静な声が頭の中で囁く。

 

「……そういうお話なら、中央に行かれてから、良家のお嬢様を紹介していただけるのではないですか?」

「……」

 

 否定しないということは、すでにそういう話があるのかもしれない。

 

 イストは見知った相手には打ち解けた様子を隠さないが、そうでない相手にはかなり警戒心をあらわにしていたように思う。

 

(だから、私? この基地では年も近くて、なんだかんだ知った相手だから? 全然見も知らぬお嬢様よりは、ってこと?)

 

 シヴィは泣きそうな心を叱咤して、笑みを浮かべた。

 

「そうでなくとも、イストさんならよりどりみどりでしょう。何も私を連れて行かなくとも、心配いりませんよ」

「そんなことを言うのは君だけだろうな」

「そうでしょうか」

 

 イストは自己評価が低いように思う。

 にこにこと顔に笑みを貼り付けたままのシヴィをちらと見て、イストは細く長くため息をついた。

 肩を落としたその様子に、シヴィの心がざわめく。

 

「嫌か。なら、無理にとは言わない。急にこんなことを言ってすまなかった」

 

 すっかり消沈した様子でそれだけ言うと、イストは音もなく立ち上がった。

 帰るのだろうか。イストの様子に戸惑いながら、シヴィはつられて立ち上がる。

 

「嫌というわけじゃ……」

 

 小さくこぼれたシヴィの本音に、イストは振り向いて彼女をじっと見つめた。

 

「……では、一度だけでいい、真剣に考えてはくれないか」

 

 あまりに真剣な表情と声音に、シヴィの心が期待に膨らむ。

 跳ね回る胸の鼓動に、問う声が震えた。

 

「な、なぜ、私なんですか」

 

 イストは、なぜそんなことを聞くのかとでもいうように目を瞬き、やがてしまった、と額に手を当てた。

 

「……ああ、肝心なことを言い忘れていた。君を好いているからだ」

 

 なんでもないような口調でとんでもないことを言われて、シヴィは腰が抜けてしまった。立ち上がったばかりの椅子に、ふらふらと座り込む。

 

 その様子をどう捉えたのか、イストは自嘲の笑みをこぼす。

 

「俺は、君にも好いてもらえているのだと……自惚れていたんだな」

 

 シヴィの想いは伝わってしまっていたらしい。

 

「……な、何を仰っているんですか」

 

 状況を受け止めきれず動揺しきりなシヴィに一歩近づいて、イストが訥々と語りはじめる。

 

「妻帯しろと言われたとき、頭に君の顔が浮かんだ。帰ると君が家にいて、温かいスープの匂いがして……出迎えてくれる笑顔を想像した。……それは、なんて幸せだろうと、思ったんだ」

 

 言われて、シヴィの頭にもその想像が広がった。目眩がしそうなほど、幸福な未来の夢。

 

「イストさんが、私のことを……本当に?」

 

 頬を染めて自分を見上げる少女の瞳をまっすぐ見つめながら、イストは視線を合わせるように膝をついた。

 

「先の遠征から生きて帰ってこられたのは、シヴィのおかげなんだ。いつかの日、君は俺に礼を言っただろう」

 

 言葉を切って、一呼吸。表情が真剣さを増す。シヴィは魅入られたようにイストの瞳を見返した。

 

「この町を守ってくれて、ありがとうと」

 

 刹那、あの日の風が吹いたような気がした。シヴィの記憶にも、あの恐ろしい夜が明けた日のことは、鮮明に残っている。

 

「その声が……忘れられなかった」

 

 イストも同じだったのだ。

 そこまで言って、イストはほんの少し言いづらそうに目を伏せた。言葉を探す沈黙の後、再び口が開かれる。

 

「恩があると言ったのは、そのことだ。俺はそれまで、ただ目の前の魔獣と戦うだけで、何のために戦うかなんて考えたことがなかった。生きていくには、戦うしかなかったし……自分はじきに戦場で死ぬだろうと何の疑問もなく思っていて、それを嫌だとも悲しいとも感じなかったから」

 

 その語り口には、イストのこれまでの生き方が表れているように暗さが滲んでいた。

 シヴィの胸が痛む。そうして生きてくるしかなかったイストのことを思うと、自分のことのようにつらく感じてしまう。

 しかし、顔を上げて再びシヴィと目を合わせたイストの表情は、晴れ晴れとしていた。

 

「でも、あの日、シヴィと話して。俺が守っているものが何だったのか、わかった気がした。そのために戦うのかもしれないと思った。守った何かが、君という姿で目の前にいた気がした」

 

 あの日の記憶を思い返しているように、一言一言、大切に紡がれるイストの想い。

 シヴィが膝の上で無意識に握りこんだ手に、そっと、イストが手を重ねた。

 

「もう一度聞きたいと思ったから帰ってこられた」

「イストさん……私」

 

 言葉にならず唇を震わせるシヴィに向けて、イストは優しい頷きを返した。

 そして、唐突にも思えることをぽつりと言う。

 

「人が最初に忘れるのは、相手の声なんだそうだ」

 

 剣だこのある硬い手が、シヴィの手をきゅっと握る。

 どこかすがるようなその手と眼差しが、シヴィの心をとらえた。

 

「俺は、君の声を忘れたくない。だから、できることなら……一緒に来てくれないか」

 

 沸き上がる嬉しさと気恥ずかしさとで、シヴィの顔はかあっと熱を持った。

 涙がみるみる目に溜まって、溢れないように瞬きをした拍子に一筋頬を流れ落ちる。

 悲しみの涙などではないことは、明らかだった。

 

 ためらいがちに、イストの指がシヴィの頬を拭っていく。

 

「そんな顔をされたら、俺はまた自惚れる。いいのか」

 

 意地悪な言い方をしている自覚があるのだろう。唇の片端を持ち上げて皮肉げな笑みを浮かべてはいるが、その目には期待の光が瞬いていた。

 シヴィは、観念して答える。

 

「……いいです、自惚れてください」

 

 もう互いの想いは、確かめるまでもないはずだ。

 それでも、シヴィは確かめずにいられなかった。臆病者だと呆れながら、おそるおそる問いかける。

 

「その代わり……私も、思い上がりじゃないって思って、いいんですよね……?」

 

 伺うように目を合わせたシヴィに対し、イストは目を細めて頷いた。

 

「もちろんだ。俺の……」

 

 想いのこもった声で、今までになく優しい微笑みで。

 

「帰る場所になってほしい」

 

 告げられたその言葉は、シヴィの心に温かな光を灯した。

 

「……はい。はい……!」

 

 泣きながら頷いて、シヴィは重ねられた手をぎゅっと握り返す。

 イストに空いた手で涙を拭われて、シヴィは照れ笑いを浮かべた。その表情に目を瞠ったイストは、まだ涙を流しているシヴィの頭をそっと胸元に抱き寄せる。

 

「……そんなに泣くな」

「嬉しくて、とまりません」

「仕方ないな……」

 

 イストが口の中で「どうしたらいいかわからん」と小さくつぶやいたのが、くっついているシヴィにはしっかり聞こえてしまって、またくすくすと笑いがこぼれた。

 

「イストさん」

「なんだ」

「ありがとうございます。私も……好き、です」

 

 ささやくように告げたシヴィの髪を、イストの手がぎこちなく撫でる。

 

「こちらこそ、ありがとう」






 

 


 この日、柔らかく結び合った手のように、二人の暮らしは遠くない未来に始まって、優しい声に彩られて続いていく。

 そしてきっと、大切な互いの声を、生涯忘れずに生きていくのだろう。

 

 確かな予感に温められた心を、そっと大事に抱えて。夜の帳がおりた静かな町を、二人は初めて手をつないで歩いた。








 


 完


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