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出会ったときから変わらない

戦闘シーン、食事シーンの描写はあっさりめです。


 

「……ありがとう」

 

 小さな声で告げられたお礼の言葉に、シヴィは口布の下で笑みを抑えられなかった。

 その小さな声に込められたかすかな喜色。スープ皿を受け取って、ほっと安堵に緩んだような眉と目元。

 目の前の人が、この食事に安らぎを覚えているのだとありありと伝わってくるこの瞬間が、シヴィは大好きだった。

 食事を前にして嬉しそうにする人を見るのが、もともと好きだったというのもある。けれどこの瞬間は、特別だった。

 

 なぜなら、たった今食事を受け取ってテーブルに向かった鋭い顔つきの武骨な青年、イスト・クレメラという名の兵士に、淡い恋心を抱いているからである。




 




  

 出会いは二年ほど前。シヴィたちの住むこの町にもまだ活気があった頃だ。

 独り立ちするには早い年齢で家族を亡くしたシヴィは、町の食堂に住み込んで、そこの主人夫婦にお世話になっていた。

 いつまでもこの時間が続くわけではないと感じていたシヴィは、少しでも多くの仕事を覚えようと必死で働いた。厨房の仕事も、給仕の仕事も、苦手な勘定も。

 

 そうして過ごすうちに日々は飛ぶように過ぎ、15歳になったシヴィは、酒を出す夜の時間帯でも、忙しい店の手伝いをするようになり。

 

 そんな、ある春の夜のこと。

 

 辺境に位置するこの町は、目と鼻の先に恐ろしい魔獣たちの跋扈する荒野が広がっている。年々減ってしまっている人の住む土地を守るため、魔獣と戦う兵団の基地がこの町を拠点と定めてから、その規模を拡大し続けていた。

 

 前線のひとつに数えられるこの町の基地には、各地から兵が集まってくる。国の中央には魔獣に対抗しうる守護の力を持った魔術師もいるというが、稀有な力ゆえ辺境の守りに使われることはほとんどない。この町は、一般兵たちの地道な防衛戦と魔獣討伐によって守られていた。

 

 シヴィの働く食堂も、もはや町の住人よりも兵士たちの方が客として多いくらいだった。

 中でも、熊のようにひげもじゃの、ラウノ隊長と呼ばれている大男とその部下らしき4人組はすっかり常連で、顔なじみと言っても差し支えない。

 そしてその夜は、彼らに新しい仲間が増えたようだった。

 

「いらっしゃいませ」

「よう、嬢ちゃん。今日から5人なんだ、座れるかい?」

 

 ラウノ隊長はにこにこと笑いながら、地の底から響くような低い声でそう言った。

 シヴィはすぐさま頷き、いつも彼らが座るテーブルを示す。

 

「はい、あいています。椅子、ひとつ増やしますね」

「おう、すまんな!」

 

 ラウノ隊長に続いて、がやがやと入って来た彼らの一番後ろに、ひときわ若い青年がいた。

 短い黒髪に茶色の瞳の青年は、顔つきも目つきも鋭かった。どこか暗い表情で、ほんの一瞬だけシヴィに視線を向け、すぐにそらす。

 兵士らしく鍛えられてはいるのだろうが、若さゆえか生来の体質か、いささか線が細く他の兵士たちよりも威圧感がない。

 

 それでも、纏う雰囲気が少しだけ怖かった。

 

(今、睨まれた……?)

 

 シヴィはほんの少し身構える。

 

 基地の規模が大きくなるにつれ、いかにも荒くれものといった雰囲気の兵士が増えた。トラブルになってしまったこともある。

 けれど、ラウノ隊長たちはそんなトラブルを収めてくれる方の兵士たちだ。気を落ち着けて、シヴィは注文の品をテーブルまで運んだ。

 それでもやはり、例の青年の前に皿を置くときは、緊張してしまった。皿を持つ手がわずかに震えて焦る。

 

「鱒と根菜のシチューです」

 

 声は震えることなく、いつも通りにメニューを告げることができた。もっと怖い兵士が客として来ることだってたくさんあるのだ。

 

 そのときだった。

 

「……ありがとう」

 

 小さな声で告げられたお礼の言葉に、はっとする。

 

 目が合った青年は、すっとシチューの皿に目を落とすと、わずかに微笑んだように見えた。

 その、ほっとしたような表情が嬉しくて、シヴィの緊張はどこかに吹き飛んでしまった。

 

「ごゆっくりどうぞ」

 

 ラウノ隊長たちにイストと呼ばれていたその青年は見事な食べっぷりを発揮し、仲間たちに「もっと食え」と言われるまま、お代わりを注文した。


 それから、イストはラウノ隊長たちと一緒によく店を訪れるようになった。新兵ゆえか怪我が多いようだったが、いついかなるときもいい食べっぷりは健在だ。そしてもうひとつ。

 彼は、シヴィに限らず食事を持ってきた人に対して、必ずお礼を言う。

 よほど食べることが好きなのだろう、というのが、イストに対する印象だった。

 





 


 

 初めて会話らしい会話をしたのは、一年ほど前のこと。だんだんと、より安全な地域へと移住する人が増えてきた頃だ。シヴィの働く食堂も目に見えて客が減り、おかみさんのため息が増えた。

 

 そんなある日、イストが見慣れない兵士たちと店にやって来た。

 

 いつも、決して明るいとは言えない表情の彼が、より険しい顔をしている。漏れ聞こえる会話も、イストが孤児であったということを声高にあげつらうような酷いもので、仲が良さそうとはとても思えない。

 彼らはかなり長い間店に居座った。酒や料理を運ぶシヴィは、イストが明らかに許容量を超えて飲まされているとわかっても、なすすべがなかった。

 

 そして彼らは、とうとうイストがどさりとテーブルに倒れ込むと、下品な笑い声を立てて店を出て行ったのだ。

 顔色悪く酔いつぶれてしまっているイストを残して、支払いすらせずに。

 

 シヴィは慌てて、水差しとグラスを持ってテーブルへ急いだ。

 水をグラスに満たし、勇気を出して声をかける。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 緩慢な動作で首を巡らせて、イストの顔がシヴィの方を向く。焦点の合っていない茶色の瞳がシヴィをようやっととらえて、ゆっくりと瞬きをした。澄んだ瞳には何の感情も感じられず、シヴィを不安にさせた。

 

「お水、飲んだ方がいいと思います」

 

 その言葉に反応して、彼は大儀そうに体を起こした。ふらついた頭を片手で支えるようにしながら、グラスを持ち上げ口をつける。

 一口、二口、やっと、といった様子で水を含んだかと思えば、喉を鳴らした次の瞬間には、グラスをぐいと傾けていた。

 魔法のような速さで空になったグラスが、とんと音を立ててテーブルに置かれると、シヴィは乞われる前に水を注いだ。

 

「……すまない」

 

 二杯目もすぐに飲み干して呻くように言われた謝罪には、もう一度水を注ぐことで応えた。

 三杯目の水を飲みようやくしゃっきりとしたのか、イストがまっすぐにシヴィを見た。

 

「助かった、ありがとう。……すまない、その……何か汁物をもらえませんか」

 

 今日のイストは、飲まされてばかりでほとんど食べ物を口にしていなかった。まだ残っていそうなメニューを思い浮かべる。

 

「豆のスープでよろしいですか?」

 

 奇しくも、ラウノ隊長たちと来るときにイストがよく頼んでいるスープだ。

 イストはわずかに目を瞠り、ほのかに唇の端を上げた。

 

「頼みます」

 

 シヴィは頷いて、厨房に向かおうとした。しかし、すぐに立ち止まる。

 一部始終を見ていたおかみさんが、大ぶりの皿にスープをなみなみよそって運んできたからだ。

 

「はいよ、冷めないうちにお食べ」

「ありがとうございます」

「今日は見ない顔と一緒だったね」

 

 おかみさんは一切のためらいなくそう訊ねた。シヴィがずっと気になっていたことだ。

 イストは眉をひそめておかみさんとシヴィを交互に見ると、目線を逸らした。

 

「ご迷惑をおかけしてすみません。支払いはきちんとしますから」

 

 詮索するなということだろうか。関わってくれるなとでも言いたげな態度に、おかみさんは肩をすくめた。

 

「あんたがそれを食べたら、店じまいだ。シヴィ、勘定を頼んだよ」

「はい」

 

 厨房の片づけに戻っていくおかみさんの背を見送ってから、イストの方に顔を向ける。

 彼はもうすっかり目の前のスープ皿に顔を向けていて、食事に没頭していた。

 あっというまに平らげてしまうと、小さくご馳走様と言う。そして、シヴィを見た。

 

 イストは宣言通り、彼を酔いつぶして置いていった兵士たちの分まで支払いを済ませ、さっさと店を出て行く。

 見送りがてら表の看板を片付けようと、シヴィは後を追った。

 続いて店を出てきたシヴィを振り返って、イストは軽く頭を下げた。

 

 暗い夜道を吹き抜ける風は、ひんやりと冷たい。目の前の青年の表情もとても暗く見えて、シヴィはつい話しかけてしまった。

 

「ずいぶん、意地悪な人たちですね。お友達なんですか」

 

 イストは目を見開いた。

 

「そんなわけないだろう。君には関係ない」

 

 ほとんど反射だったのだろう、イストは険しい表情で鋭く言い返してきたが、すぐに顔を横にそらし、ふんと鼻で笑った。

 

「おせっかいで、似たもの親子だな」

「親子じゃありません」

 

 今度はシヴィがぴしゃりと言い返した。思いのほか声が響いて、シヴィの心がしんと冷える。むきになってしまったことにばつの悪い思いだった。

 

 イストは思わずといったようにシヴィを見つめ、目を伏せた。ひそめた声で謝られる。

 

「……すまなかった」

「いえ」

 

 素っ気なく人を突き放すようなひねくれた態度だけれど、やはり悪い人には思えない。

 親がいないと知った相手に謝られることに慣れ切っているシヴィは、にこりと笑ってみせた。

 気遣われたのを気まずく感じたのか、イストは何度か瞬きをした。やがて、何か言いたげに口を動かし、とうとう話し出す。

 

「前から疑問だったのだが、君のような歳で、酒場で働いていていいのか」

 

 仕返しだろうか。子供扱いされることは嫌いだ。小柄で童顔であり実年齢よりも幼く見えると自覚のあるシヴィは、この人もか、とむっとした。

 

「あなたも、それほど年上には見えませんけど」

 

 つっけんどんな言い方だったが、イストは気に留めなかったようだった。

 

「俺は18だ。君は?」

「……15です」

 

 しぶしぶ、シヴィは年齢を口にした。もう一か月後なら、成人とみなされる16と答えられたのがよけいに悔しい。

 

 驚いたイストの表情に、悔しさが増す。

 もっと下だと思っていて、驚いたのだろう。その表情もシヴィにとっては癪だった。

 成人前であることに変わりはない、とでも思い直したのか、イストは眉を寄せる。

 

「やはり」

 

 次に何を言い出すか、想像できないシヴィではなかった。遮るように、言葉を重ねる。

 

「いいんです、私は。ここの養い子なので。それに、夜はあまり給仕に出なくていいように、おかみさんたちが見てくれていますから」

「……そうか」

 

 きっと睨むシヴィの言葉を真正面から受け止めて、イストは小さく頷いた。しばし黙り込んだかと思うと、真面目な表情で口を開く。

 

「余計なことを言って、悪かった」

「え……いえ、いいんです」

 

 相手の真剣な声音に、シヴィはかえって気まずく思った。慌てて首を横に振る。

 イストは小さく頷いた。

 

「今日は、水をありがとう。……だが、あまり酔っ払いに親切にしないほうがいい」

 

 最後にまた、親切なのかひねくれているのか、どちらにも思える言葉を落として、イストはくるりと背を向けた。

 すっかり酔いもさめたのか、確かな足取りで迷いなく基地の方へ去っていく。

 

 小さくなっていくその背に向けて、シヴィは小さく返事をした。

 

「……大丈夫ですよ」

 

 店で突っ伏す酔っ払いみんなに、水を持って行っているわけではない。たいていは、主人かおかみさんを呼んできてたたき起こしてもらう。

 顔見知りで、気のいいラウノ隊長の部下で、給仕にいちいち礼を言うようなイストだから。

 

 思えばこの頃にはすでに、イストはシヴィの心の中にいたのかもしれない。


 

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