婚約破棄された美しすぎる令嬢は、盲目の彼を一途に想う
設定ゆるめのお話ですm(__)m
「カリナ。君との婚約は破棄させてもらう。君がそんなに卑劣極まりない女性とは思わなかった」
王城で開かれている夜会の最中。婚約者である私にそんな言葉を告げてきたのは、この国の第一王子――ロバート殿下。
「君の話はスーランから聞いている。その美しい仮面の裏に、君のそんな醜い姿が隠されていたとはな。まんまと騙されていたよ」
そう言うと、ロバート殿下は落胆した様に溜息を付いた。
ちなみに、私は仮面なんて着けていない。
彼が仮面と言っているのは、『絶世の美女』とも謳われている私の素顔の事。
つまり要約すると、『見た目は美人だけど性格ブス』と言いたいらしい。あ、ちょっと殴りたくなってきたわ。
それにしても、卑劣極まりないだなんて、酷い事を言ってくれるわね。一体何を聞かされたのかしら?
私は、ロバート殿下の後ろに隠れている女性――スーランに視線を移した。
最近になって社交界デビューした彼女は、男性達の間で人気急上昇中だとか。
聞いた話によると、私が『美しすぎる令嬢』と言われているのに対して、彼女は『可愛すぎる聖女』として注目を浴びているらしい。
聖女と言っても、彼女の存在に特別な意味はなく、「聖女様の様に尊い存在」という、ただの比喩表現で聖女と呼ばれているだけの普通の令嬢。
くりっとした大きな瞳に涙を浮かべて、少し上目遣いで子犬の様に見つめてくる彼女の姿は、さぞかし男心をくすぐるのでしょうね。
でもこの子って、ちょっと変わった所あるのよね。
少し肩が触れただけで大袈裟に転ぶし、道を塞ぐように男性と話す彼女に『ちょっとどいててくれる?』と言っただけで、『除け者にされた』とロバート殿下に泣きつくし。
なんていうか、リアクション芸と被害妄想を組み合わせた、新しいギャグなのかなって思うのよね。彼女を見ていると。
それがおかしくて時々笑っちゃうのだけど、それでまた『馬鹿にされた』って誤解されちゃうし。
馬鹿にしてるつもりはないし、むしろ彼女をリスペクトしていると言っても過言ではないわ。
人前で滅多に笑わない私を笑わせるなんて凄い才能だわ。泣いてないで、もっと誇って良いと思うの。
「カリナ。何か反論があれば聞いてやってもいい。だが私の心はもうスーランに――」
「あ、いえ。何もないです。婚約破棄を受け入れます」
何か喋ろうとするロバート殿下の言葉を遮る様に、私は何の迷いも無く、この婚約破棄を受け入れた。
すぐに踵を返し、軽やかな足取りで会場の出口へと歩き出す。
ロバート殿下は、王位継承権を持つ正式な王太子。
それなのに、事もあろうことか平民の私に一目惚れしてしまった。
そのせいで、私は半ば強引に婚約者にされてしまったのだけど、代わりに私の父は男爵の爵位を授かることが出来た。
今思えば、平民を婚約者にするわけにはいかない、王室側の根回しだったみたいだけど、育ててくれた親への恩返しが出来たのは願ってもない事だった。
ただ1つだけ、どうしても我慢できない事があった。
ロバート殿下はいずれ国王になる。つまり、私も王妃にならなければいけないという事。
それだけは絶対に嫌。王妃教育なんて、考えただけで恐ろしくて吐き気がしてくる。だって貴族の作法なんて全く知らないんだもの。
だから、スーランがロバート殿下に取り入ろうとしているのを見て、密かに応援していたのよね。
ふふっ……。本当、期待通りの動きをしてくれたわ。やっぱり彼女って最高ね。
ああ、どうしよう。嬉しすぎてスキップしたい。背中に羽が生えたかの様に体も軽いわ。
「ちょ……ちょっと待て!」
会場の外まで、あと少しだったのに。
背後から切羽詰まった様な声で引き止められて、せっかくの良い気分が台無し。
溜息と共に仕方なく振り返ると、ロバート殿下が焦った様子で追いかけてきていた。
「そ、そんなあっさりと出ていかれてはこちらの立場的にも困る! もう少し悔しがったり怒ったりとかしてもらわないと……俺の顔が立たないだろうが!」
「は?」
何を言っているの。この人は。
「婚約破棄はあなたが勝手に言い出した事でしょう。婚約破棄された側の私が、なんであなたに気を利かせないといけないのですか?」
「その通りだ。見苦しいぞ、ロバート王子」
突然、私の背後から聞こえた声。振り返った先には、煌びやかな正装に身を包み佇む若い男性の姿。
長い銀髪は一括りに纏め清潔感さえ感じられる。
そして黒曜石の様な真っ黒な瞳。それは隣国であるウェンディ国の王家の証。
「な!? お前は……ウェンディ国のアストロス王子!? なぜお前がここにいる!?」
「ある噂を聞きましてね。周囲の反対を押し切り、平民の女性と婚約をした王太子が、今は別の女性に熱を上げ、その婚約を破棄しようとしていると」
そう言うと、アストロス王子は鋭い目つきでロバート殿下を睨みつけた。
そこへ、先程まで傍観していたスーランが、テケテケと小走りで駆け寄ってきた。
「アストロス様ぁ! カリナ様ったら酷いんですぅ! 誰もいないのを見計らってぇ、私に酷い罵声を浴びせてくるんですぅ! もう私……耐えられなくて……。うっううう……ひっく……」
スーランは涙を流し、お得意の上目遣いアピールを披露しながらアストロス王子に手を伸ばした。
それがアストロス王子の体に触れるよりも先に、彼の手によって払いのけられた。
「私に気安く触れないでもらいたい。それに、私の名前を呼ぶ許可もした覚えはない。初対面なのに馴れ馴れしい。お前の様な計算高い女性はこれまでに何度も見てきた。その欲にまみれた下心も全てお見通しだ」
「……!? そ、そんな……酷いですぅ! ロバート様ぁっ!」
スーランは再びロバート殿下の方へと駆け寄ると、その胸元へ飛び込みメソメソと泣き始めた。
ねえ、今何しに行ったの? 何をしたかったの? 新しいギャグを披露しようとして不発に終わったの? 気になるじゃない。
「カリナ嬢」
名を呼ばれて我に返ると、アストロス王子は私の前で跪き、忠誠を誓う様に自分の胸に手を当てていた。
「ずっとお慕いしておりました。どうか私と一緒にウェンディ国まで来てくださいませんか? 貴方には何の苦労もさせるつもりはありません。貴方の居場所も私が用意します。貴方の幸せを一番近くで見守る権利を、僕に与えてくれませんか?」
そう言うと、アストロス王子は、優しい笑顔で私を愛おしそうに見つめてきた。
彼とは、王太子の婚約者として出席した他国交流パーティーで、一度だけ会った事がある。
その彼が私に告げた言葉の意味――それが分からない程、私も馬鹿じゃない。
「ちょっと待ったぁ!」
そこへ突然、ロバート殿下の叫び声が割り込んで来た。
「やっぱり無しだ! 先程の婚約破棄は破棄する! カリナ! 君を僕の婚約者とする!」
なんでよ。さっきから一体なんなのよ?
せっかく婚約破棄されて喜んでるのに、ぬか喜びさせる気? いい加減にしなさいよ。
さすがの私もだんだんとイラついてくる。
どうせ元婚約者が、目の前で他の男性に奪われる姿を見て、急に惜しくなってきたとかいうやつでしょ?
スーランの事が好きなんじゃなかったの? 隣の彼女を見てみなさいよ。「てめぇふざけんな」って今にも言いそうな物凄い顔で睨まれてるわよ? あなたこのままだと彼女に刺されてしまうわ。
「今更何を言う! いい加減にしろ! さっきのお前の発言で、彼女がどれだけ傷ついたと思っているんだ!」
アストロス王子も、かなり怒り心頭な様子で反論している。
婚約破棄を破棄しようとするロバート殿下と、私と婚約すると言い出したアストロス王子の口論は、私を置きざりにしたまま段々とヒートアップしていく。
その横では「ロバート殿下もアストロス王子も酷いわ!」と泣きわめくスーランとそれを宥める男性陣。って、あなた達はどこから湧いてきたの?
はぁ……それにしてもうるさいわね。ていうか、何なの? この流れる様なテンプレ展開は。
最近読んだ恋愛小説の中で、全く同じ展開を何度か見たわ。流行ってるのこれ? 私ってば、流行りに乗っかっちゃったわけ?
……ま、いいや。帰ろ。
私が再び会場を後にしようとしたその時――
「カリナ! ちょっと待て!」
「カリナ嬢! お待ちください!」
再び呼び止められてしまった。しかも一人増えてる。
どうやら、この二人をどうにか納得させないと、この会場から出る事は不可能な様ね。
私は渾身の力を込めて深い溜息をつくと、ロバート殿下の正面に立ち、真剣な表情で真っすぐ向き合った。
「ロバート殿下。私はこれまでに貴方を愛した事は一度もありません。この婚約も、貴方が強引に結んだようなもの。一度は不本意ながらも仕方なく受け入れましたが、二度目はありません。どうか自分の言葉には責任をお持ちください。それに貴方にはスーランという素敵な女性がいるではありませんか。どうか、彼女を裏切る様な発言は(刺される前に)お慎み下さい」
「う……うぐぅ」
悔しそうに口を噤むロバート殿下は、とりあえず納得はしているみたい。
それなら次はこの人ね。
「アストロス王子」
その名を呼ぶと、彼は嬉しそうに顔をほころばせた。
……言いづらいな。だけど、ちゃんと言ってあげないと。
「申し訳ありませんが、貴方と婚約は出来ません」
「……! それは、まだ貴方が私の事を知らないというだけではありませんか? どうか私にチャンスを――」
「いえ、だいたい分かりました」
「え……?」
隣国のアストロス王子は、その容姿の美しさもあって、この国の令嬢達の間で多大な人気を誇っている。
だから特に興味がなくても、彼の噂は耳にしていた。
「貴方も最近、婚約破棄したらしいですね? それも、真実の愛を見つけたとかで。もしかしてそれ、私の事だったんですか? でも私とあなたって、まともに会話した事もないですよね? 実は私達は幼い頃に運命的な出会いを果たしていた、なんて過去も一切ありませんよね? 本当に一回だけ、顔を合わせただけで。それでよく真実の愛とか言えましたね? それって、ただの一目惚れじゃないのかしら。ていうか、せっかく王妃教育から逃れたのに、貴方と婚約したらまた王妃教育が戻ってきちゃうじゃないですか。ああ、考えただけで眩暈が……う、吐き気も……。ちょっと気分が悪いので帰らせてもらいますわ」
私は口元を押さえると、アストロス王子に背を向け、再び歩き出した。
チラッと見えたアストロス王子は、なんだか白目を向いて固まっている様だったけど、見なかった事にする。
「カリナ嬢!」
ようやく会場の外へ出られた私は、長身でガタイの良い青年に呼び止められた。
「呼び止めてしまってすみません。私は王室所属騎士団に在籍する騎士でウエンツと申します。貴方が傷付いた姿を拝見して放っておけなくて……」
「自己紹介ありがとう。でもどうか、私の事は放っておいてください。さようなら」
見知らぬ男性にすぐ別れを告げ、再び歩き出した私の前に、待ち伏せしていたかの様に次々と男性が現れ立ち塞がった。
「カリナ嬢! 私はずっと貴方の事が――」
「カリナお嬢様! どうか私と共に――」
ああ、もう。さっきから次々と……一体誰なのよ?
なんでまともに話をした事が無い女性を口説こうとするのかしら?
自分で言っちゃうのもなんだけど、それもこれも、全てこの美しいともてはやされている顔のせい。
結局皆、私の美しい顔しか見ていない。
ロバート殿下もアストロス王子だって。近寄ってくる男の人はみんな同じ。
ただ一人の男性を除いては――
そう、彼だけは他の人とは違う。
今までは婚約者がいるからと、この想いを封じ込めてきた。だけどその必要はもう無くなった。
ああ、早く彼に会いたい。そして今まで言えなかった私の気持ちを伝えたい。
はやる気持ちを抑えながら、私は帰りの馬車へ飛び込んだ。
翌日、私は想い人の彼に会う為、家の近くにある森へとやってきた。
森の中央を分断する様に流れる大きな川の側で、水桶に水を汲む彼の姿を発見した。
近付いていくと、私の気配に気付いた彼がこちらを振り返った。
「おはよう、カリナ。今日も来てくれたんだね」
短髪の焦げ茶色の髪からは水が滴り落ちている。
目尻を下げて爽やかに笑う彼の姿は、男らしいというよりもどちらかというと小動物の様な……いわゆる草食系男子と呼ばれる部類に入るのだろう。なんていうか、言うと怒られるかもしれないけれど、可愛いのよね。童顔だし。
「おはよう、アル。また一人で水を汲みに来てたの? 私がやるっていつも言ってるじゃない」
私はアルが持っている水桶を掴み、引き寄せようとしたけど、アルは手を放してくれない。
「大丈夫だよ。この森の事は熟知しているから。今更コケたりなんかしないさ」
「分からないじゃない。もしかしたら木が倒れてたり、道がぬかるんでるかもしれないでしょ?」
「問題ないよ。何年ここに一人で暮らしてきたと思ってるんだい? 君の力がいくら強いからと言っても、自分で出来る事を任せる訳にはいかないよ。それに、最近は僕も君を見習って体を鍛えているんだ」
そう言うと、アルは水桶を片手に持ち換え、もう片方の腕を上げてグッと力を入れてみせた。
確かに、出会った頃はヒョロヒョロとして細かった腕も、ここ数ヶ月で少し太くなり、力こぶが膨れ上がる程になった。
「本当、凄いわアル! でも、私に比べたらまだまだひよっこね」
「それは残念。もっと鍛えないといけないな。じゃあ尚更、これは僕が持っていないとね」
まあ、上手いこと話をまとめたわね。
私が仕方なく水桶から手を放すと、アルは満足そうに笑った。
彼が私に向けている灰色の瞳は白く混濁していて、その焦点は定まっていない。
幼い頃から弱視だった彼の目は、大人になるにつれて段々と見えなくなり、今は光を僅かに通すだけで、ほとんど見えていないらしい。
私とアルが出会ったのは半年前。
ロバート殿下から付き纏われ、逃げる様にこの森へやってきた私は、帰る道が分からなくなってしまった。
そんな私の前に現れたのが彼――アルベルトだった。
不思議な瞳だとは思ったけれど、その時は彼が盲目だとは気付かなかった。
だってまるで全て見えているかの様に森の中を歩くから。
彼の案内で無事に森の外へ出る事が出来た私は、後日、お礼をするためにクッキーを焼いて持って行った。
その時に初めて、私は彼の目が見えていない事を知った。
だから彼が、私の容姿に関係なく優しく接してくれた事がとても嬉しかった。
生まれて初めて、自分から男性に近付きたいと思った。
そんな思いから、私の口からとんでもない嘘が飛び出した。
『私は筋肉だけが取り柄の通称ゴリラ女だから、力仕事があればなんでも任せてちょうだい』と。
自分でもセンスの無い嘘を言ってしまったと思うけど、どうしても彼に会う口実が欲しかった。
私の顔だけを見る人じゃなくて、私の内面を見てくれる人をずっと望んでいたから。
「へえ。それは頼もしいね。じゃあ、本当に困った時にはお願いしようかな」
そんな私の提案を、アルは快く受け入れてくれた。
こうして私はアルと友達になったのだけど、肝心の力仕事は未だに任された事がない。
と言っても、実際に頼まれたとしても、その期待に応える事は出来ない。
だから素直にアルの優しさに甘えている。
「そうそう! アル、私ね。婚約破棄されちゃったの!」
「え!? それって……大丈夫なのかい? 辛い思いをしたんじゃないのか?」
アルは驚きの声をあげると、すぐに私を心配する様に眉を潜ませてジッと見つめてきた。
「え? 全っ然! むしろこんな晴れやかな気分久しぶりだわ! だって私はもう自由なの! 誰を好きになってもいいんだもの!」
「そ……そうかい。君が傷付いてないのなら良かった」
アルは安心した様に笑った。だけど暫くして、少し寂しそうに表情を曇らせた。
「君ならすぐに、相応しい相手が見つかるよ。君の事を大事にしてくれる人が」
「さあ、それはどうかしら? こんなゴリラ女を相手にしてくれる人が現れるかしら? 『君の相手は野生のゴリラぐらいにしか務まらない』って言われちゃったのよ?」
「なに? その婚約者は君にそんな事を言ったのか? それは許せないな。別れて正解だ」
アルは瞳に怒りを滲ませて、悔しそうに唇を噛み締めている。
あら? 今の、笑うところだったんだけど。
やっぱり私のギャグセンスってダメね。スーランに弟子入りしてみようかしら。
「そんな見た目だけで判断するような奴は駄目だ。ちゃんと君の優しさを分かってくれる人でないと、僕も安心出来ないな」
私の本当の姿を知らない彼は、私の容姿の醜さに耐え切れなくなった男が、一方的に婚約破棄を突き付けてきたと思っているみたい。
でも不思議ね。違う意味で発せられた言葉だけど、その中身は間違っていない。
私の周りに集まる男性は皆、私の容姿に惹かれてやってくる。
私の内面なんて誰も見ようとしない。目に見える姿だけで勝手に惚れて、勝手に幻滅していくの。
ふいに、ロバート殿下に言われた言葉が脳裏に過ぎった。
『なんで君は笑わないんだ?』
笑えないわよ。だって好きでもない人と婚約だなんて、笑えるはずがないじゃない。
それでも時々、無理して笑ってみせたけど、彼は喜ばなかった。期待外れだと言いたげな顔で私に言ったの。
『君の笑顔は不自然だな。やっぱり極力、笑わないでくれ』
あなたが笑えと言ったのに、勝手な事を言うのね。いくら好きじゃない人から言われた言葉でも、私だって傷付くのよ?
その事を思い出して、私は両手をグッと握りしめた。
悔しかった。みんなが口を揃えて『美しい』と言う、この顔が嫌いだった。
いっそのこと、傷を付けて醜くしてしまおうかとも思った。
だけどそれは出来なかった。
この美しい仮面を失った私は、本当に何の取り柄もなくなってしまうんじゃないかって。
それはまるで呪いの仮面のように――私を苦しめるくせに、それを自ら取り外す事は出来なかった。
「だいたいの男の人は、見た目ですぐ決めちゃうから駄目よ。私と結婚してくれる物好きなんて、きっともう現れないわ」
「そんなことないよ。君は素敵だ」
その言葉を、今までどれだけの男性に言われてきただろうか。
だけど、アルの口から発せられる言葉だけが、こんなにも私の胸を熱く苦しくさせる。
彼の前では、こんな美貌なんて何の役にも立たない。
それなのに、彼は私に優しくしてくれる。彼だけが、私の内面をちゃんと見てくれる。こんな私を素敵だと言ってくれる。
そんな彼だから、私はだんだんと惹かれていった。
「じゃあ、アルが私と結婚してくれる?」
「それは駄目だよ。僕と一緒になっても、君に迷惑がかかるだけだから」
「そんな事ないわ。ねえ、アルは私の事を好きじゃないの? 私はアルの事が好きよ」
「え……?」
私の突然の告白に、アルの手から水桶が滑り落ち、派手な音を立てて中の水が飛び散った。
「大変! 足に落ちなかった!? 大丈夫!?」
「あ……ああ、大丈夫だ。君の方こそ、服は濡れなかったかい?」
「私も大丈夫だけど……。アル、あなた顔が真っ赤だわ」
「え……?」
アルは耳まで真っ赤になったその顔を、慌てながら私から隠す様に伏せた。
その姿がまた可愛くて、ちょっといじめたくなってくる。
私は彼の耳元へと顔を近付けた。
「ねえ、告白の返事してくれないの?」
「それは……嬉しいけど……でも、まだよく考えた方がいい。目が見えていない僕よりも、君の本当の姿を分かってくれる素敵な男性が現れるかもしれない」
もう。そんなの目の前にいるじゃない。こういう所も草食系男子の特徴よね。もう少し自信を持ってほしいわ。
「じゃあ、婚約ならどう? いつでも婚約破棄して良いっていう条件付きで」
「そんな簡単に……て、どうせ君の事だから、何を言ってももう無駄なんだろうね」
私の提案に、呆れた表情で返す彼だけど、少し嬉しそうにしているのを私は見逃さない。
「ふふっ……。じゃあ、私達は今日から婚約者って事ね!」
「それはいいけど、本当に良い人が現れたら、すぐに婚約破棄するんだよ?」
「ええ! だけど貴方にも良い人が現れたら、その時は遠慮なく言ってちょうだい」
もちろん、今度はそう簡単に手放すつもりはないけど。
「それはないよ。僕から婚約破棄する事は絶対にない」
「あら? そんな事言ってもいいの? もしも急に、あなたの目が見える様になったら大変よ? 『こんなゴリラ女だとは思わなかった! 婚約破棄だ!』とか言いたくなるかもしれないわよ?」
「それもない。君がどんな姿だろうと、僕は君の事を――」
そこまで言って、アルはハッと口を噤んだ。
くっ……! 今のは惜しかったわね。
「でも、そうだな。君の姿を一目だけでいいから、見てみたいな」
「ふふっ。見たらきっとびっくりするわよ」
「どうかな? 一応、僕の中で君の姿はイメージ出来ているんだけどね」
「あら、ちょっとどんな姿をしてるのか、言ってみてくれる? 答え合わせをしてあげるわ」
アルは天を仰ぐ様に目を閉じ、優しい笑みを浮かべながらゆっくりと口を開いた。
「少し小さめな瞳……だけど丸くて可愛いつぶらな瞳だ。髪色は黒髪かな? 少し直毛で張りがあって……君の真っすぐな性格を表すような、力強さを感じる髪だ。お散歩が好きな君は、少し日に焼けていて小麦色の肌をしている。女性にしては少しガタイが良くて筋肉質な逞しい腕をした、とても頼りがいのある姿だ」
自信満々に言う彼の言葉を聞いて、私は吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
だって彼がイメージしてる私の姿って、本当にゴリラ女なんだもの。
私のアクアマリンを彷彿とさせる大きな瞳も、柔らかくしなやかで透き通るような亜麻色の髪も、日に当たっても焼けない色白な肌も、小柄な体格も何一つ、彼の思い描く私のイメージに当てはまらない。
「ふ……ふふっ。いい線いってるわよ」
本当、きっと私の姿を見たら驚くわよ。
「あとは、そうだな……よく笑う君の笑顔は眩しい太陽の様だ」
そう言ってアルは目を開き、私を愛おしそうに見つめてきた。
目が見えない彼にとって、唯一存在を確認できる太陽がどれほど大事な存在なのか――その意味を知っているからこそ、彼の言葉が嬉しくて視界が歪んだ。
貴方はきっと知らないでしょうね。
私が笑えるようになったのは、貴方のおかげ。
貴方が私の隣にいてくれるだけで、自然に笑みがこぼれるの。
私は彼の体に寄り添い、その胸に顔を埋めた。
顔が触れた瞬間、彼はビクッと震えて暫く固まっていたけど、恐る恐る私を抱きしめてくれた。
「……あれ? 君って、思ったよりも小柄じゃないか? それに髪も凄いフワフワだし……本当にゴリラ女なんて呼ばれているのかい?」
「あ……。そうだわ!もしかして私のゴリラ姿って、実は呪いがかかっていただけで、真実の愛で元の姿に戻ろうとしているのかもしれないわ!」
「え……ええ?」
突然の私の三文芝居に、彼は気が抜けたような声を漏らした。
でも私はこのまま強引にこの設定を突き通す。
「あとは愛のキスさえすれば、完全に呪いが解けて美しい令嬢の姿に戻れるはずだわ!」
「……それは……困るな」
あら、口付けの口実にしようとしたのに、逆に拒まれてしまったわ。
だけどもう、私の方は完全にその気になってしまっている。
私はアルの首に手を回し、その唇に自分の唇を重ねた。
本当に触れるだけのキス。だけど、きっと真っ赤な顔して驚いてるに違いないわ。
そんな彼の顔を見たくて、私が離れようとしたその時、背中に回されていた彼の手によって一気に引き寄せられた。
先程触れ合ったばかりの唇が再び重ねられた。
それはとても深くて、絡め取る様に私を欲しがるとても情欲的な口づけ。
彼の腕に強く抱きしめられ、私はなされるがままに身を委ねるしかなかった。
長い口づけの後、ようやく解放された私は突然の出来事に混乱したまま、暫く惚けていた。
「……君のせいだからな。もう、手放すつもりはないよ」
いつもの優しい彼の声とは違う、少し色気を感じる声に、私の胸の鼓動は速さを増すばかり。
どうやら、見た目に振り回されていたのは私の方みたい。
草食系だと思っていた彼が、実は肉食系だったなんて。
多分、私の顔はありえない程真っ赤に染まっている。
今だけは、彼の目が見えていない事をありがたく思う程に――
だけど、チラリと覗いた彼の顔は、まるで全て見透かしているかの様に微笑んでいた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
もし「面白かった!」「まさかお前が野生のゴリラだったのか!」と思っていただけたのなら、↓の☆☆☆☆☆に反応いただけるとドラミングして喜びます!!