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エルサーナ叙事詩(簿外作品)

エルサーナ叙事詩 ー神々の物語ー

作者: 恵美乃海

投稿済の小説「ホアキン年代記 ー神々の物語ー」

の、当初オリジナル版です。

エルサーナ叙事詩


                     ―神々の物語―




            エルサーナ叙事詩 1




草原の一部族であるアルーサの王エルラスの愛妾セルは、長らく病床に臥していた。医師より「余命幾ばくもない」と告げられたエルラスは、セルとの間に生まれた四歳の男児エルサーナと二歳の女児セレナを連れて、セルが療養するゲルを訪れた。


ゲルの入口にエルラスの姿を認めたセルの顔が一瞬輝いた。


しかし、セルの口をついて出たことばは


「あなた、どうかそれ以上は近づかないで下さい」


というものであった。


セルは伝染性の胸の病であった。


一年以上の病臥生活にもかかわらずその美しさは少しも損なわれてはいなかった。むしろその顔色は健康を失った代わりに、より白く、より透明感を増していた。


セルのことばにもかかわらず、エルラスはセルのベッドの傍らにやってきた。


「そういうわけにはいかぬ。今日はお前と最後の別れをするためにやってきたのだ。エルサーナとセレナも連れてきた」


「ああ」


セルの目から涙があふれた。


「エルサーナ。セレナ」


セルの両手がその顔を覆った。


しばし涙に暮れたあと、セルは顔をエルラスに向けた。


「あの子たちに病が移ったら大変です。でもどうか一目だけ逢わせて下さい」


「一目ではない。このベッドに連れてくる。あの子たちに母として最後のことばをかけてやってくれ。エルサーナとセレナもどんなにお前に逢いたがっていたことか。せめて最後の時くらい抱いてやってくれ。それで病が移ったりするものか。偉大なるア・アナイオンもきっとお許しになる」


セルもそのことばにすがった。信じてもよいと思った。セルはどんなにそれを望んでいたことだろう。


エルラスはゲルの入口を出てそこに佇む従者にエルサーナとセレナを連れてくるように告げた。


しばらくして、エルラスとともにエルサーナとセレナが入口から姿をのぞかせた。


「お父さま。お母さまのところに行ってもいいの」


四歳のエルサーナがおずおずとエルラスに訊きただした。今まではずっと母のゲルに近づくことをかたく禁じられていたのだ。


「ああ、今日は最後のお別れだ。行きなさい」


そのことばを聞くやいなやエルサーナは母の元に駆け寄った。セレナもあとに続く。


「お母さま」


「おお、エルサーナ、セレナ」


親子は抱き合った。


一年数ヶ月ぶりの抱擁であったが、セレナには母に抱かれた記憶はない。エルサーナにとってもそれは極めて淡い思い出でしかない。


そして、エルサーナとセレナは、セルの記憶にあった姿からはるかに大きくなっていた。


もし、逢うことが許されるなら。


セルには我が子に話したいことはいくらでもあった。しかし、それが現実になると様々な想いが胸に溢れてことばが出てこなかった。


セルは涙に暮れながらしばらくじっと二人の子供を抱きしめた。


だが、偉大なるア・アナイオンから許された時間は決して多くはないはずだ。


セルは我が子をそっと胸から放し、涙を拭きながらその全身をじっと眺めた。


セルはやっとの思いでことばを紡ぎだした。


「エルサーナ、セレナ、大きくなったわねえ」


「お母さま。僕は今度、お父さまに馬をもらうんだ。アークティカとウィングの間に生まれた初めての子供なんだよ。名前は僕がアークトゥルスとつけたんだ。」


草原の民とともに生きる馬は世界の中で、最高の能力をもつ馬である。


アークティカはエルラスの愛馬であった。そしてウィングはかつてセルの愛馬だった。ともにエルサーナと同じ年に生まれ、ともに純白の毛をもつ二頭の馬はそれぞれ、草原に存在する数多の馬のなかでも最も速く、最も賢い牡馬と牝馬であった。


「そう、ウィングが子供を産んだの」


セルはかつて自分を乗せて草原を疾走した愛馬に想いをはせた。あれからどれだけの月日が流れたのだろう。セルが病に倒れたあと、ウィングはその背に誰も乗せようとしない、ということは、セルは自分を看護する従者からすでに聴いていた。


「エルサーナももう馬に乗れるような年齢になったのね」


エルサーナが話せたのはそれだけだった。


それからあとはセレナが自分のことを話し続けた。


まだ二歳のセレナに系統だった話ができるわけではない。セレナが思いつくままに色々な話をする。セルはそれにいちいち頷きながらニコニコと聴き続けた。


それはまさに病床にある間中セルが思い描いていた光景だった。


夢はかなった。たった一度だけ。




別れの時が近づいた。


「エルサーナ、セレナ」


セルが話し始めた。


愛するわが子に最後のことばを遺さなければならない。


「私はもうすぐ、偉大なるア・アナイオンに召されて天に行きます。あなたたちの前からいなくなってしまいます」


エルサーナが目に涙をいっぱい浮かべながらもじっと聴き入った。そのことはエルサーナは既に父親から言い聴かされていた。


セレナには母のことばはまだよく理解できなかったが、兄を見習って同じように黙って頷いていた。


「病気になってしまって、私はいつも寝てばかり。あなたたちとちっとも一緒に遊んで上げることが出来なかった。でも私はいつもいつもあなたたちのことばかり考えていました。逢いたくて、逢いたくて。でも私の願いを今日、お父さまが叶えて下さいました」


ここまでしゃべるとセルは再び、二人の我が子を抱きしめた。


「ああ、エルサーナ、セレナ。愛しています、愛しています。私がこの世界からいなくなっても寂しがらないで。私はいつだって天からあなたたちのことを見守り続けています。今までは一緒にいることが出来なかったけれど、これからはいつだって一緒にいます」


しばらくただ抱き合う時間が続いた。


「私のことをどうか忘れないで」


エルサーナがこっくりと頷くのをセルは胸に感じた。


セルはかたわらに立つエルラスに視線を向けた。


「あなた、ありがとうございました」


エルサーナとセレナをそっと胸から放した。


エルラスが頷く。


「さあ、エルサーナ、セレナ。行こう」


エルサーナは泣きじゃくりながらも頷いた。


エルラスは左手でセレナを抱き上げ、右手でエルサーナの手をひいた。


草原の民、アルーサの王、エルラスもまた、目に涙を浮かべていたが、そのままセルに笑顔をひとつ残してベッドを離れ、ゲルの今は閉まっている扉に向かった。


夫と二人の子供の背中が一歩、一歩セルの視界から遠ざかる。


扉に着いた。


「あっ」


セルが思わず一声発した。


エルラスが振り返った。


エルサーナの頭をなでて母の方へ振り向かせた。


エルラスとその胸に抱かれたセレナとそして横に立つエルサーナと。


三人が並んだ。


エルサーナは必死に涙をこらえている。


セルは三人の姿を、その目に、その胸に灼きつけた。


永遠の一瞬が過ぎた。


セルはこっくりと頷いた。エルラスが頷き返した。


三人の姿が次々に扉から消えていく。消える瞬間、三人とも、セルに向けて、その持てる最高の笑顔を残した。


セルは目を閉じた。


今、自分の網膜にある映像を他の光景によって置き換えることを拒否するかのように。




セルは家族との最後の別れを行った翌日、静かに息を引き取った。


葬儀の行われた日の夕べ、エルサーナは独りアークトゥルスの背に乗って、ゲルの集まった領域を離れて草原を疾駆した。どこまでも、どこまでも。


彼は母と話がしたかった。


抜群の視力を誇る草原の民。彼もその例にもれなかったが、彼の視力をもってしてももうゲルは見えなくなった。


見渡す限りの草原。周囲全ての方向に広がる地平線。天はそれがありうる最も低い位置から地を覆っていた。


エルサーナはアークトゥルスの背からおりた。


エルサーナは寝転んだ。そして天を見た。そこは母のいる場所だった。


エルサーナはいつまでもそうしていた。




夜になった。


この時、月は新月の時期で、天においてはその最も鋭利な姿があった。そして雲は一片も存在しなかった。


満天に星が溢れる。その全ての星にただ独り向かい合う少年。


天と対峙するエルサーナの心中に存在したもの。それは、彼はまだ知るべくもない概念であったが「永遠」ということばが最もふさわしいものであったろう。あるいは「神」と呼ばれうるものであったかもしれない。


エルサーナが生まれて最初の記憶。それはおのれを抱く母の姿であった。彼にはもうそれが現実のことだったのか、夢の世界のことであったのか判らない淡い映像であった。彼は全てを母にゆだねていた。ひたすらな安心感。愛、優しさ、美。これらのことばが意味するものはエルサーナにとってはこの時の母の姿に他ならない。


しかし、その優しき人はエルサーナの元からいなくなってしまった。


母が病臥するゲル。その存在を意識した時、エルサーナはどんなにかその場所に憧れたことだろう。何度、その扉を開けようと想ったことだろう。それをさせなかったのは父の言った「セルもそれを望んでいない」という一言があったからであった。


憧れぬいた末にようやく逢うことが出来た母。


母はエルサーナの記憶のとおり、いやそれを超えて美しい人だった。そして優しい人だった。


エルサーナは天を見る。そこは母のいる場所だ。


「人は天から降り立ち地に生まれる。そして、死して再び天に還る」


エルサーナはそのように教えられた。エルサーナは天に行きたいと強く想った。母の元に行きたいと強く想った。


突然、エルサーナは自らの全身が何者かによって包まれたのを感じた。体が浮遊する。満天に散らばる星がエルサーナの方に近づいてくる。いや、そうではなかった。エルサーナが天に向かって飛んでいた。星がその光度を増してくる。さらに天に近づく。もう星は個々の姿としては存在せず、エルサーナの目にはただ光だけが溢れた。


光の中に飛び込んだ。


エルサーナは光につつまれた。


光の彼方に母の姿があった。母はあの至上の優しさをたたえた笑顔でエルサーナを見つめていた。エルサーナは母の胸に飛び込み、母に抱かれた。


エルサーナは母と自分をつつむ光に目を凝らした。


エルサーナのもつことばではその光景を、そして今、その心に満たされた想いを表現することは出来なかった。いや、たとえどんな碩学であっても人間には表現できることではなかった。


しかしエルサーナは……


全てを理解した。




翌朝、エルサーナは幼なじみのアールショーに発見された。寒さ厳しい草原で一夜を明かしたエルサーナは、瀕死の状態であった。


彼の傍らにはやはり幼い当歳馬アークトゥルスがいて、その鼻先をエルサーナの体にこすりつけていた。


三昼夜、生死の境をさまよったのち、エルサーナは生還した。


エルサーナは変貌していた。


元々、母親に似たとても美しい少年であったが、優しい心の克ったやや弱々しい印象を見る人に与えていた。


生還したエルサーナには、彼を見る人が思わず頭を下げざるをえない威があった。それはたかだか四歳の子供が、本来もてるようなものではなかった。


そして、その容姿は人を超えた神聖なるものを感じざるをえないものとなっていた。




「アイラルフィン」


いつもそうあるように、目を閉じて、理想界アナイオンにその精神を遊ばせていたアルセラフィーユの瞼が開き、傍らにあった妹の方にその精神を向けた。


「はい、アルセラフィーユお兄さま」


「あなたも感じましたね」


「ええ」


「今、アナイオンに何か別の世界のものが訪れました。六年前にもここを訪れるものがいましたが、これは……」


アイラルフィンがアルセラフィーユの精神を静かに受けとめ、その先をうながした。


「何かが始まろうとしているのか。それとも……」


アルセラフィーユは再び目を閉じた。


しばらくして、その瞳から再び光が発せられた。


「何かが終わるのか」






ラサリオン神聖記 1




ラグーン。


それは帝国の首都の名であり、帝国そのものを表す名でもある。


永遠の都。光の都。


はるかな昔、ラグーンの地に興った民族は、その長き歴史の中で周辺諸領域を征服していき、その国土は拡大の一途をたどった。


今、その国土は全世界と同義であるといっても過言ではない。


世界において帝国の命の及ばない領域はただ二つあるにすぎない。


ひとつは理想界アナイオンにつながるナルセラーサ。


そしてもうひとつは帝国の北方に広がる草原の地である。


したがって、帝国の住民にとっては、帝国ラグーンはそのまま全世界を意味した。


なぜなら、ナルセラーサは人間の世界とはかかわりのない場所であり、草原の地は豊かな森林でおおわれた帝国に居住する民にとっては「我々の世界」とは異質の別の世界であるという認識しかなかったからである。




 帝国ラグーンはほぼ、数十年に一度めぐってくる盛典を三日後に控え、活気に溢れていた。盛典とは新しい皇帝の戴冠式である。


長く政情の安定した帝国にあっては、帝位は父子継承が当然のごとくに続いていた。最近の七代については、皇帝が幼少年期に死した例はなく、皇帝薨去の際には必ず後継たる男児がいた。


新皇帝ナル・アレフローザは二四歳であった。


若く、容姿端麗で、その性も極めて温厚との評判も高い新しい皇帝の即位は帝国全土の臣民を沸き立たせた。さらなる善政への期待はいやが上にも高まったのである。


そして、そのような長期的な期待以上に貴族も、庶民も、奴隷にいたるまで、待ちこがれていたのが戴冠式のあとに続く大祝賀祭である。


帝国臣民にとってはそれは七年前、新皇帝ナル・アレフローザの皇太子時代の結婚式以来の大祝賀祭になるはずのものであった。




ダルマティスは三七歳。伯爵家の当主である。


首都内にある彼の邸宅に一人の客があった。


ガレリウス。三五歳。子爵家の当主である。


身分と年齢に若干の差があることから、常にガレリウスがダルマティスに敬意を表してはいたが、二人は数年前にとある文芸サロンで知り合い、何かと馬が合ったことから以後、急速に親交を深めていた。


ガレリウスの訪問は名目上は、二人が貴族として招待を受けている戴冠式に着用する衣服の最終的な確認であったが、その用は早々にすませ、二人は応接室で本来の目的であった雑談を楽しんだ。




「新しい皇帝陛下は極めて優秀な方で、少年時代より将来は史上稀にみる賢帝となられるであろうとの声が高かったお方であらせられますし、我ら貴族の一員として、これほど幸せなことはありませんなあ」


客が主人に向かって話しかける。


「うむ、まったくありがたい。これでさらなるラグーンの繁栄は約束されたようなものだ」


「それにつけても、戴冠式はどのようにとりおこなわれますのか。やはり伝統に則ったものになるのでしょうな」


「そう、教皇猊下は既に十日前に都にお入りになられましたし、戴冠式では古式に則り、陛下の御頭に皇帝冠をお載せになられよう」


「先代の皇帝陛下の戴冠式の際は、私は家を継いではおりませんでしたので、戴冠式への列席はかないませんでしたが、ダルマティス殿は列席されたのでしたな」


「うむ、私の父は若くして亡くなったので、幼くしてこの伯爵家を継いだのでな。今でも、教皇猊下から皇帝陛下の御頭に皇帝冠が授けられた瞬間の荘厳な情景は忘れられぬ」


「いやいや、私もこれで老後の語りぐさができるというもの。そしてそのあとは、祝賀祭が楽しみですな」


「そう、七年前の熱狂が再現されることになろうな」


今度の話題は二人が近年共通に体験したことである。二人はしばし、七年前の興奮を思い出していた。


「七年前、ナル・アレフローザ陛下の御結婚式ですか。あの時は本当に驚きましたなあ」


「驚いたというのは、皇太子妃、いや、今では皇后陛下となられるルーセイラ陛下のことかな」


「さよう」


「うむ。素晴らしく美しい方とは噂で聞いていたが、あれほど美しい方とは思わなんだ」


「さよう、さよう。あのような美しい御一対を拝見すれば臣民があげて熱狂いたすのも当然のこと」


「やはり、神に選ばれた方というのは、ご容姿からして我らとは違っておられる」


「そして、あの……」


ガレリウスが口ごもった。それまでの口調とは異なり言い淀んでいる風があった。


意を決したように話し始めた


「ラサリオン殿下のことは何かお聞き及びですか」


その名を口にする時、ガレリウスの顔に緊張の色が走った。


そして、ダルマティスもまた。


ラサリオン。新皇帝ナル・アレフローザ長男。新しい皇太子である。六歳。


「あの方はいったいどういうお方なのでしょう」


「ふうむ」


「私はまだ、一度しかお目にかかったことはありません。今年の新年の皇太子ご一家ご臨席のパーティーの時です。私はあの方をお見かけした時、あの方から一瞬たりとも目を離すことができなかった」


「ふうむ」


「あの方は、あの方は本当に人間なのでしょうか。たしかにお噂は聞いておりました。


あまりにも美しい。ひとたび書物をひもとけば、どれほど難解な書物であってもそこに書かれていることをたちまちにご理解なされ、一度で全てを覚えてしまわれる。はては、此の世に生をお受けになったとき、既に森羅万象をご存知であられた、というようなお噂までありました。あたかも人間が神そのものであるかのような物言い。たしかにあの皇帝陛下と皇后陛下のご子息ともなれば、その美しさはいかばかりかと想像はしておりましたから、あるいは噂が噂を呼ぶの類かと想っておりましたが」


ガレリウスはことばを切った。そしてしばし沈黙した後、話を続けた。ダルマティスは黙って聴き続けていた。ガレリウスのことばはそのまま、ダルマティスの思いでもあったのだ。


「美しい。あの方は美しすぎる。いや、美しいだけでなく」


「……」


「ダルマティス殿。私はあの方を見たとき、なにやら恐ろしくなったのです。皇帝陛下は美しい。それにもまして皇后陛下は美しい。しかし、それは最も美しい人間はかくもあらんという美しさです。しかし、ラサリオン殿下はそれを超えている。いかに皇族であられるとはいえ、我らと同じ人間であることに変わりはないはずです。が、殿下は」


「……」


「ダルマティス殿。あの美しさは人間のものではない。そう、あれはナルセラーサだ。ナルセラーサの美です」


「ナルセラーサはただ崇めるべし。ナルセラーサは地とかかわらず」


ダルマティスは帝国の民であれば、誰もが知っている聖句を唱えた。


「ナルセラーサはナルセラーサ。ラグーンはラグーン。現世でつながるものではないはずだ」


「判っております。それは判っているのですが」


「……」


「アサカ殿下のこともお聴きお呼びでいらっしゃいますね。アサカ殿下もラサリオン殿下と同質のお美しさをもっていらっしゃるお方であるとのご評判です」


アサカ。新皇帝の長女。皇帝ナル・アレフローザと皇后ルーセイラの元に生まれたラサリオンの妹。四歳。


ダルマティスは黙って頷いた。その面は疲労の色が濃かった。




ラグーン皇宮、戴冠の間。


壮麗を極める皇宮内における最大の広間は三千人を超す人々を容れてなお、余りあった。


皇帝玉座の元にひざまずく新皇帝ナル・アレフローザの頭上に今、教皇の手から皇帝冠が載せられた。


厳粛なる沈黙は数瞬ののち、轟き渡る歓声に換わった。


しかし、さらに続くはずであった歓声は、皇帝玉座に近い方から寄せ来る沈黙の波に再び換わった。


ありえるはずのないことが起こっていた。


皇帝玉座は大広間の床より一七段の階段の上にあり、今そこには五人のみいた。


最上段中央に二つ並ぶ皇帝玉座と皇后玉座。


その前で立ち上がって群臣の歓呼に応える皇帝と皇后と教皇。


そして、最上段の端に用意された二つの座に座る皇太子ラサリオンと皇女アサカ。


式典はこのあと、皇帝が、皇太子と皇女を中央に呼び寄せ五人が並んで群臣の歓呼に応えることになっていた。しかし、それは数分のちの予定である。


皇帝に呼ばれるより早く、ラサリオンが立ち上がった。そして、アサカも。


ラサリオンはアサカを座に残したまま、一歩、一歩ゆっくりと中央に向かって歩を進めた。


群臣は、ラサリオンが順序を間違えて中央に向かったと見た。


群臣は、一瞬、ラサリオンの年齢を思い出し、なにやらほっとする思いもあった。


しかし、ラサリオンは中央に近づくと群臣の方に向き直るでもなく、じっと両親と教皇の姿を見つめた。


気配を感じて、中央に立つ三人がラサリオンの方を向き、お互いに見つめ合う。


双方の沈黙にこれが予定にない、突発事であると群臣は気づいた。


戴冠の間を静寂がつつんだ。




「何かな、ラサリオン」


先に口を開いたのはナル・アレフローザだった。


「父上」


ラサリオンの静かな、しかしよく通る声が大広間に響きわたる。


「私は、この世界で一番偉い人は父上である、と想っておりました」


ナル・アレフローザは黙って、ラサリオンを見る。


「そうではなかったのですか。今、父上の頭上に冠を載せた方は父上より偉いのですか」


「この方は特別な方だ。ナルセラーサを奉じるつとめをなさる教皇猊下であられる」


「では、その方はナルセラーサに属する方なのですか」


「ナルセラーサに属するなどとはとんでもない」


教皇が口をはさんだ。


「ナルセラーサはこの地上にかかわるものではありません。それは理想界アナイオンにつながるもの。私は人として、ナルセラーサを奉じるつとめをなす、最高の地位にあるものです」


「そうでしょうね」


ラサリオンがことばを切り、そして口元にうすく微笑をたたえた。


「あなたは人間だ。たしかに人間でしかありえない」


「ラサリオン。お前は何者なのだ。人間ではない、とでも言うのか」


ナル・アレフローザが問うた。そしてナル・アレフローザは想った。


これこそ、ラサリオンが誕生してより自らの心を占める最大の疑問であったと。


ラサリオンは笑って答えなかった。




戴冠の間を静寂がつつむ。


そこに集う群臣は全て一様に皇帝と同じ疑問を心に抱いた。




ラサリオンが自らのいた座の方を向きアサカに目で行動を促した。


アサカが歩を進めて中央に居並んだ。




「アーク」


ラサリオンが群臣に向かって呼びかけた。


「はい」


ラサリオンと同じ年頃の少年が最前列に出てきた。


「ラルフアーサ」


ラサリオンが再び呼びかけた。


「はい」


やはり、ラサリオンと同じ年頃の少年が群臣の中より歩を進めてアークに並んだ。


「こちらへ」


「はい」


アークとラルフアーサが階段を一段、一段ゆっくりと上がっていく。


皇帝も皇后も教皇も、そして広間に集う群臣も誰もが何もなさず、ただ、見つめていた。


アークとラルフアーサは一六段昇ってそこで停まった。


「どうした。そこまでか」


「はい、殿下と同じ壇上に立つことはできません」


「そうか」


アークとラルフアーサを見守っていたラサリオンに皇帝が思わず呼びかけた。


「ラサリオンよ」


ラサリオンが皇帝の方を向く。


が、ナル・アレフローザは何も言わずラサリオンを見つめるのみであった。


ラサリオンは微笑を浮かべてナル・アレフローザを見る。


ナル・アレフローザには、ラサリオンが我が息子とは想えなかった。それは何か得体の知れない、自分には及びもつかないものであった。


及ばない、そう、ナル・アレフローザには判っていたのだ。たとえ、仮にこの六歳の少年が自分の息子である、と想われているにしても自分は決してこの少年の上に立ったり、並んだりできる存在ではない、ということが。


「ラサリオンよ」


ナル・アレフローザは再び呼びかけた。


「お前に今ここで皇帝の座を譲ろう」


群臣はざわめいた。しかしそれは本来このことばの意味することに比べたら決して大きなものではなかった。人々の胸にはそれは自然なことのように感じられたのだ。


ラサリオンはゆっくりと頸を降った。


「父上、父上はこのラグーンの歴史が始まってから何人目の皇帝ですか」


「一七二人目だ」


「私に一七三人の中のひとりになれ、とおっしゃるのですか」


「で、では、ではお前は……」


ナル・アレフローザが息を継いだ。


「皇帝という称号では不足だというのか。判った。では何か、お前にふさわしい称号を考えて名乗るがよい」


「いいえ」


ラサリオンは否定した。


「私はラサリオンです。ただそれだけです。「ラサリオン」ただこのことばだけが全てを意味するのです」


皇帝は絶句した。


「どうか、父上はそのまま皇帝であり続けて下さい」




ラサリオンが右手を挙げた。


群臣がはっとしてラサリオンを注視した。


「人々よ」


ラサリオンが語った。


「皇帝に歓呼を」


こうして式典は継続した。




戴冠式の際、そこであったことはあっという間に帝国全土に広まった。


戴冠式のあとの祝賀祭は予定通り催された。


だがそこに七年前に帝国全土をおおった、底なしの興奮、陽気さはなかった。祭りの喧噪に身をゆだねる人々の心の底には常にラサリオンがあった。


そして人々は自らがよく知る時代が終わり、未知の時代が、何か想像することの不可能な時代が始まろうとしているのを予感していた。


 




           ユーム聖伝  1




二年前の誕生以来、ユームの目が開かれることはなかった。


だが、村の学校の教師である両親にとって一人息子であるユームの存在は最大の喜びであった。


物言わぬユーム。動くことのないユーム。


しかし、そのユームは目には見えない優しい穏やかな光につつまれていた。その光に誘われてやがて村人がユームを見にやってきた。


ユームを見た瞬間、人々の心にはこれまでの人生で経験したことのない優しい気持ちが生まれ、愛と幸福につつまれてしまうのであった。


「この子は何か特別な世界からこの世界につかわされてきたのに違いない」


それは両親とそしてユームを見た全ての人が一様に感じることであった。


評判は評判を呼び、ユームを見にやってくる人は村を超え、地方を超えていった。


ユームが生まれたのは帝国の最東部であった。






                列伝  1




帝国東部の農家。そこに少女メイリンは両親と住んでいた。


少し気は弱いが優しい父スオウと、美しい母アイリーン、そして活発な少女メイリン。


貧しいけれどもしあわせに溢れた一家に突然の不幸が襲ったのはメイリンが七歳の時だった。


かねてよりアイリーンの美貌に目をとめていたその地方の領主の命によりアイリーンは連れ去られた。


なすすべもなく、運命を受け入れるしかなかった父と母。


三人家族は二人家族になった。






      


      エルサーナ叙事詩  2




エルサーナが五歳のとき、草原の一部族アルーサの王、エルラスはエルサーナと、正妻であるラルフィンとの間に生まれたエルサーナより四つ上の兄であるエルラシオンの二人のために教師を都から招こうと考え、一人の若者をラグーンに派遣した。


数ヶ月後、アルーサにやってきたのはルーレアートという一七歳の若者であった。




ルーレアートはこの春、首都ラグーンで実施された高等官任用試験で不合格となった経歴の持ち主であった。


帝国政府の高等官になるためにはこの試験に合格する必要があり、帝国全土から集まってくるよりすぐりの秀才たちに対して合格者の定員は毎年、十人にすぎなかった。


したがって、この試験に合格することはすなわち、近い将来、帝国政府の最高級の官職に任命されることを意味した。


エルラスより派遣された使者がルーレアートを見いだしたのは高等官任用試験の合格者発表が行われた当日、発表の場にほど近い盛り場であった。そこでルーレアートは親友とおぼしき若者を前に快気炎を発していた。


「ラシアスよ。やはりお前だけが合格だったな」


「ああ、残念だったな。ルーレアート」


「なあに俺のもつ知識は試験にはあわぬ。別に試験のことなど考えずに、ただひたすら自分の好きな書物ばかり読み続けていただけだからな。それでも帝国の高等官任用試験くらい簡単に受かると想っていたが甘かったか。それにしてもラシアスよ。お前はさすがだ。一七歳にして合格とはな」


「何を言っている。いつも俺のことを、「よくそんなくそ面白くもない書物ばかり黙って読んでいられるものだ」と言って莫迦にしていたくせに」


「なになに、それはコンプレックスの裏返しというやつよ。そういう地道な努力ができる人間が最後に勝つというのが世間というものだ」


「地道な努力か」


ラシアスはふっと視線を宙に遊ばせた。


「ラサリオン殿下」


「ん」


「ラサリオン殿下のことはどう考える」


「ああ、あの方は特別だ」


「俺はなルーレアート。どうしても合格したかった一番大きな理由は、合格すればいずれ殿下を間近で見られるようになるだろうと想ったからだ」


「成る程」


「ルーレアート。お前はどうする。また来年受けるんだろう」


「ううむ、あと一年試験に受かるために時間を使うというのはたまらんなあ」


エルラスより派遣された若者はこの会話をすぐ近くで聴いていた。


そして、二人の席に来てルーレアートに用件を伝えた。


勿論、試験に合格し、穏やかな風貌をしたラシアスの方により大きな魅力を感じていたのは事実であったが、帝国の高等官任用試験に合格した若者がわざわ草原にくるはずもない。したがってルーレアートの方に狙いを絞ったのだ。


「草原の王子の教師か」


そこには言いしれぬロマンの香りがあった。


ルーレアートは草原に向かった。




初めてエルラシオンとエルサーナの兄弟を見たとき、ルーレアートの体を衝撃が走った。


エルラシオンは知的で穏やかな風貌の少年であった。


が、何よりもエルサーナである。


その人間離れした美。肩まで伸びた黄金の髪、完璧な青をたたえた瞳。


その姿を見たときルーレアートはまだ見ぬラサリオンのことを想った。




最初の講義のとき、話し始めようとするルーレアートに向かってエルサーナは言い放った。


「いや、私はいい。私は講義を受けぬ」


「何をおっしゃるのです。エルサーナ王子」


「私にはこの世界のことは全て判っている」


「何が、何が判っておられるとおっしゃるのです」


「人は生まれ、そして人は必ず死ね。人にできることは、ただその与えられた生をおのれが信じ、おのれが愛することのために美しく生きるということだけだ」


ルーレアートは言葉を返すことが出来なかった。


だが、まだ訊かねばならないことがある。


「では、世界は、世界とは何なのです」


「世界というのは人が存在するこの宇宙のことか、それともアナイオンのことか」


「両方です」


「宇宙とは時間と空間で成り立つもの。人は時間と空間を元にして思考する。人は宇宙を超えたものを思惟することはできぬ。その存在は宇宙を超えることはできぬ。アナイオンは人と宇宙を超えたものに仮に付けられた名だ。だがそれは人の想像の及ぶべき世界ではない。世界などということばで呼ぶことも本来許されぬことだ。そのアナイオンとこの世界をつなぐものがナルセラーサだ」


この方は全てをご存知だ。


「教えて下さい、エルサーナ王子。この世界は何のために存在するのです。人間という存在にはどういう意味があるのです。私はそれだけが知りたくて万巻の書物を読みました。しかし判りません」


「人の知りうることではない」


エルサーナは講義が行われるはずであったゲルを去った。


 


エルラシオンはこのやりとりに何も口をはさまずじっと腰をかけたままだった。


「エルラシオン王子」


「はい」


「あなたもここを出て行かれるのですか」


「いいえ、先生」


エルラシオンは穏やかな容姿に似合わずはっきりと答えた。


「どうか講義を始めて下さい。私は学びたいのです」






                列伝  2




領主に囲われることになったアイリーン。が、その翌年、アイリーンの運命にまたも大きな変転があった。


この地方に巡幸を行い、領主の邸宅に一夜の宿をとった皇帝ナル・アレフローザに見初められアイリーンは皇宮の住人となった。


ナル・アレフローザは権力者であれば、常にもつべき愛妾をもたなかった。


ナル・アレフローザは何より皇后ルーセイラを愛していた。


しかし、ラサリオンの存在がナル・アレフローザを疲れさせた。


ラサリオンの母であるルーセイラに対してもある種の緊張感を覚えるようになっていた。


ナル・アレフローザは安らぎを求めていた。


ナル・アレフローザとアイリーンの間には翌年、男の子が産まれた。


子供はイリューシュトと名付けられた。


 




            ラサリオン神聖記  2




帝国に新たな英雄が生まれた。毎年行われる帝国騎士剣技会でアル・ラーサという一七歳の若者が優勝したのだ。この剣技会で優勝することは帝国の騎士にとって最高の名誉である。帝国の記録の残る限りにおいては、長き歴史を誇るこの剣技会で十代の若者が優勝したのは史上三人目であったが、過去の二人はともに一九歳であった。




ラサリオンは帝国の人々が普段の話題にするにははばかられるあまりにも遠い存在であった。人々は身近な英雄を求めていた。


帝国全土は、この若き英雄の話題で持ちきりであった。




帝国の高等官任用試験に合格してから一年、ラシアスは帝国の官僚としての基本的な実務の習得に励んでいた。試験の合格者として皇帝ナル・アレフローザには一度、他の合格者と一緒に謁見の栄には浴したが、ラサリオンと逢う機会はまだなかった。


ある日、ラシアスの元にラサリオンよりの使者がつかわされた。


「ラシアス殿、殿下がお呼びです」


驚愕する同僚を残し、ラシアスはラサリオンのもとにおもむいた。




ラサリオンの居室には、それは常のことであったが、妹のアサカと、アーク、ラルフアーサがともにいた。


ラサリオン、アサカのあまりの美しさにかすんではいるが、アークもそしてラルフアーサも極めて美しい少年であった。やはり、「とても人とは想われない」というべきレベルの美であった。ラシアスは頭を垂れた。とても正視できなかった。


殿下は常にそのお三方とともにいらっしゃる。従者を除いてそれ以外のものが居室に呼ばれることはない、ということはラシアスも聞き及んでいた。


が、その時はあと一人、すでに居室に呼ばれている者がいた。見れば評判の英雄、アル・ラーサである。ラシアスもそうであったが、アル・ラーサもまた、何故呼ばれたのか判らないようであった。その全身に緊張が見られた。


ラシアスはアル・ラーサの隣に立った。


「ラシアス」


「は」


「昨日、昨年そなたが試験の際に提出した帝国の政務に関する論を読んだ」


「は」


「見事であった」


ラサリオン殿下が私の論を読み、かくのごとき評価を与えて下さった。


ラシアスは感激にその身を震わせた。


「ラシアスよ。そなたに訊ねる。政治の要諦は何か」


「は、お答えいたします。人々を飢えさせないこと。人々の日々の生活の安全を保証すること。人々の言論が自由であること。この三点です」


「判った。ラシアスよ」


「は」


「そなたを帝国宰相に任ずる」


帝国宰相、それはかつて存在した帝国最高の官職である。帝国宰相はただ、皇帝にのみ責を負う。その権力のあまりの強大さにここ百年以上、その職に任じられたものはいない。


「お待ち下さい」


「何か」


「それは、あまりにも常識をはずれたおことばです。私は去年任用試験に受かったばかりの一八歳の若輩者です。誰がそのようなものの命に服しましょうか」


「ラシアスよ」


「は」


「そなたを帝国宰相に任ずると帝国全土に布告を出す。ラサリオンの名でな。ラサリオンの名あるものに誰が異議を挟むというのだ」


そうだ、この方は皇帝を超える存在の方だ。この方が決められたことに異議を挟む者がいるわけがない。


「おことば、謹んでお受けいたします」


「うむ。」


ラサリオンはラシアスの傍らに佇むアル・ラーサにその視線を投げた。


「アル・ラーサ」


「は」


「そなたを帝国元帥に任ずる。帝国元帥は軍令において全権をもつ。軍政を含んでその余のことは帝国宰相が全権をもつ」


「殿下」


「何かなラシアス」


「殿下へのご報告はいかようにいたせば宜しいのでしょうか」


「報告は不要。全てそなたたちの考えるとおりに行えばそれでよい」


ラサリオンはことばを切った


自らのの傍らに座し、今のやりとりを静かに微笑みながら見守っていた三人の方を見た。


「私はこのものたちとアナイオンにいかねばならぬのでな」


「は」


「そう言えばラシアス」


「は」


「そなた、ルーレアートなるものを知らぬか。そなたと同郷なのだが」


「親友でございました」


「今、何をしている」


「草原にまいりました。草原の部族アルーサの王子の教師をしております」


「そうか、彼の論もまた見事であった。いささか精緻さに欠けるが、気宇の面ではそなたを上回っておった。彼にもそなたと並ぶ権限をもたせようと考えたがやむをえまい」


「今のおことば、ルーレアートがいかばかり喜びますことか。草原に使いを発し、呼び戻したく存じます」


「いや、よい」


ラサリオンはことばを継いだ。


「そうか、草原の部族アルーサの王子の教師か。それもまたよし。以上」


「は」




 こうしてラグーンに一八歳の帝国宰相と一七歳の帝国元帥が誕生した。






            エルサーナ叙事詩  3




草原の一部族セイルーンの王女エルには判っていた。その人がいつか自分を迎えにくることを。


その人はやってきた。


白馬を疾駆させ、身の丈と変わらぬくらいに伸びた黄金の髪を風になびかせながら。


「やあエル。迎えにきたよ」


このとき、エルは五歳。エルサーナは九歳になっていた。


セイルーンを最後に、エルサーナは草原の全部族を統一した。


自らの部族アルーサをただの一騎も傷つけることはなく、また他の部族もただの一騎も傷つけることなく。


エルサーナは、自らの姿を見せることにより草原の全部族を統一した。






            ラサリオン神聖記  3




ラサリオン一一歳のとき、ラサリオンの命により、帝国全土より九名の少女がラグーンの皇宮に呼び寄せられた。


少女は全てラサリオンが指名した。


九人の少女の名前はエセル、リセラ、トワ、ユーナ、シーナ、ルオ、ナオ、アスカ、セリン。年齢は五歳から一一歳までであった。


集められた少女たちはナルセラーサに属するとしか想えない美少女だった。




ラサリオンが少女たちが集まった広間に入ってきた。




「少女たちよ。君たちはやがて私とともに別の世界に行く。それまでここにとどまるがよい」




少女たちは決められた部屋に向かい、ひとりひとり去っていった。






             ユーム聖伝   2




アナイオンに思いをはせるアルセラフィーユの元にひとつの精神が届いた。


「ユームか」


「はい」


「とうとうここまできたか」


「はい、ようやくアルセラフィーユ様のところまで届きました」


「三年前にナルセラーサを司るセーラス・ルーファがユームの精神が私の所まで達したとのメッセージを寄越してきたときから予測はしていたが、そうか、早届いたか。未だ九歳にしかならぬのになあ。しかもユームよ。私のことがはっきりと判るのだな」


「はい、あのアルセラフィーユ様」


「ふむ」


「私に理解できる精神をお寄越し下さりありがとうございます」


「いや、礼には及ばぬ。……ユームよ」


「はい」


「宇宙の全てをその精神の中につつみこんだ感じはどうだ」


勿論、訊ねるまでもなくアルセラフィーユには全てが判っていた。質問したのは……そう、アルセラフィーユも彼なりに会話を愉しんでいたのだ。


「これが宇宙と人間の意味だったのですね」


「そう、物事はおのれがそのはるか上に立てば全てが手にとるように判る。ユームよ。そなたは宇宙の全てをつつみこみその上に立った。で、どうする」


「はい」


 「私のところまで来るか。別の世界の人類がそうしたように」


別の世界の人類。その人類にも宇宙が与えられた。人類のためだけに宇宙が与えられたのだ。


宇宙が生まれ、人類が生まれ、そして永遠の時間のはてに人類は宇宙の全ての意味を知り、おのれの存在の意味を知り、宇宙の全てをおのれの存在の中につつみこんだ。そして宇宙はその存在を消滅させ、人類ははるかなる世界に飛翔したのだ。


「はい、まもなくおん前に参上いたします」


「誰を連れてくる」


「先ずはラサリオンとエルサーナを」


「うむ、そのふたりなら既にかつてここまできたぞ。もっとも一瞬であったし、当人達も私の存在をはっきりと意識したわけではない。しかし、宇宙の全てとアナイオンの意味を理解したことには変わりない」


「はい」


「で、ふたりだけか」


「いえ、あとはアサカ、アーク、ラルフアーサ、エル、そしてラサリオンが集めた九人の少女を」


「それだけか」


「はい」


「全ての人間を連れてこようとは想わぬのか」


「想いません」


「そうか、別の世界の人類とは違う方向へ人類を向けようと想うのだな」


「はい」


「ではナルセラーサは不要となるな」


「そのとおりです」


「で、どうする。すぐに来るか」


「いえ、私はあと少しこちらの世界にとどまりたく存じます。いずれナルセラーサと一五名のものと一緒にアルセラフィーユ様の元に参ります」


「判った。待っておるぞ」


「あの、アルセラフィーユ様」


「ふむ」


「その方がアイラルフィン様ですね」


「さよう」


「ありがとうございます」


「ふむ。アイラをつかわす。一七人でわが元へ来い」


「はい」




今日もユームのまわりに人々が集い、思い思いに幸福な時を過ごしていた。


その人々の中でユームの目が開いた。


ユームは立ち上がった。


その手には神々しき美をもつ赤ん坊が抱かれていた。






            エルサーナ叙事詩  4




エルサーナは自らの精神により神剣エターナルを造形した。




エルサーナは一一歳の時、エル、セレナ、エルラシオン、ルーレアート、アールショーとともに帝国の首都ラグーンを訪れた。




エルサーナは滞在中に開催された帝国騎士剣技会で、ここ何年も優勝を続ける無敵の騎士、帝国元帥アル・ラーサを神剣エターナルによりただの一撃で倒し、ラサリオンから優勝杯を受けた。


このとき、ふたりは初めて対面した。


そしてふたりはお互いに初めておのれと同じレベルに立つ存在を見出したのであった。


優勝杯を受けたあと、エルサーナはラサリオンに呼びかけた。


「ラサリオン」


競技場に集う群衆から驚愕の声が挙がった。そう、たしかにエルサーナはラサリオンを呼び捨てたのだ。


しかしラサリオンはとがめなかった。


「また逢おう」


そう言い残してエルサーナは同行者とともに、アークトゥルスに跨り草原に去った。






            ユーム聖伝   3




ユームはアイラをその胸に抱き、帝国最東部より帝国首都ラグーンに向かって歩を進めた。


ユームの通過するところの住民は全てユームにつき従った。


そしてスオウとメイリンもまた、この集団の中に入っていった。






             エルサーナ叙事詩  5




白き神馬アークトゥルスに跨り、腰に神剣エターナルを剣を凧き、草原を吹き渡る風にその長き黄金の髪をたなびかせ、エルサーナは丘に立つ。


エルサーナの全身はその瞳と同じ青き色の衣服でおおわれていた。


彼の元には草原全土より参集した一七万の騎士がいた。


エルサーナは神剣エターナルを抜き、頭上に掲げた。


このとき、エルサーナの黄金の髪と神剣エターナルが太陽の光を浴びて煌めいた。


エルサーナの全身が光につつまれた。


一七万の騎士はそこに自らが全霊をあげて崇拝する超越者を見た。


エルサーナが神剣エターナルを鞘に収めた。


「ラグーンへ」


エルサーナが帝都の名を発して、黄金の風となって単騎疾走した。


「ラグーンへ」


「ラグーンへ」


一七万騎があとに続いた。


 


 


           ナルセラーサ




アナイオンにつながる人、アルセラフィーユとアイラルフィンの精神を奉じるナルセラーサはセーラス・ルーファにより統治されていた。


ナルセラーサは世界の神聖と理想と創造を司る精神であったが、その世界は地に住む人々の目に見える世界ではなかったし、理解の及ぶ世界でもなかった。






            エルサーナ叙事詩  6


            ラサリオン神聖記  4


            ユーム聖伝     4


 


            アナイオン




ラグーンにて全ての人が集った。


集いし人は全てを理解した。


エルサーナ、ラサリオン、ユーム、アイラ、エル、アサカ、アーク、ラルフアーサ、エセル、リセラ、トワ、ユーナ、シーナ、ルオ、ナオ、アスカ、セリンの一七人はナルセラーサとともに、アルセラフィーユの元へそしてアナイオンへと飛翔した。




世界は神聖なるものを喪失した。




ア・アナイオン。アナイオン。ナルセラーサ。そして神聖なるものは、世界とそこに存在する人々の記憶から消え去った。




世界は、それがなかったものとして構成されたのである。







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