姉ソフィアについて思う事
稚拙な作品ですが、お楽しみになれたら、幸いです。
姉は、美しい女だった。
櫛がいらない程真っすぐなその金色の髪は光沢を放っていて、染み一つもない白い肌は透き通っている。愁いを帯びた長い睫毛に飾られた瞳は青い宝石のようで、その唇は何も塗らなくても、ピンク色に濡れていた。
が、それだけだったとも言える。姉は、日々美味しい物を食べる事や自分を飾り付けるものにしか興味を持たず、何の努力をしているようにも見えなかった。
私はそんな姉が好きではなかった。というのは、我が実家レットベリーはこの国で、農民の代表の立場にあることも関係ある。
私の実家レットベリー子爵家の祖先は、元平民出身で、彼らの代表として開墾や治水に励み、その効が認められて貴族になったアルファン国では珍しい貴族であった。 王家はレットベリー家を大事にしてくれていた。が、それは、レットベリー子爵家が農民の意見を組める家であったためで、それが出来なければ、王家の注目ははずれるだろうし、取り潰しも考えられた。私はそういう家で王家や貴族の考えと農民の考えを両方理解できるように教育された。
朝から領内の農地を見回り、彼らを労わりつつ、その苦情を聞く。昼からは、貴族階級の儀礼や情報を聞いては、贈答のやり取りなど、本当は投げ出したい面倒臭い事を皆の話を聞きながら頑張った。
夜はレットベリー家では家族で、一日会ったことを報告する。
父や母の話の後、私と弟のアレンがその一日で出会った人、その置かれている状況を話す。それぞれ意見を交わす中、姉ソフィアが話すのは、今王都で流行っている服やアクセサリーの事ばかりだった。
両親はそんな姉に理解を示した。
「ソフィアは、王都の学校に通うから必要だろう。お前は美しいから変な物を持たせられないな」
アルファン国では、貴族の嫡男は王都で教育を受ける事が求められる。
教育自体が目的でなく、王家が次期当主の能力を把握するためである。 が、そのため、貴族の嫡男との社交を求めて、貴族の子弟が王都へ自然と集まっている。
姉ソフィアは12歳の年に王都の学校に通い、王家に古くから仕えるキャンベル伯爵家の嫡子ダライアスとの婚約を決めたのは、両親の思う通りだっただろう。
私は、王都に出る事はなく、幼馴染のマクワイガ伯爵家のエドガーの所に嫁いだ。マグワイア家は王家と同じように古い家である。が、その農地は王家に与えられた物ではなく自分たちの手で開墾したものであり、それを誇りに思っている家だ。素朴な人たちであり、私にとって、温かい婚家であった。
姉が嫁いだキャンベル家は王家の信頼も厚く、アルファン国の要職に就くことが多い。姉の夫ダライアスもそうであった為、姉はずっと王都で暮らしていたようだ。
私も王都でしばらく暮らした事はある。嫡男ドミニクの就学に付いていったのだ。ドミニクと姉の嫡男エリオットは同学年であり、おなじ学園に通う事になっていた。その時期、私は、キャンベル邸にも顔を出していた。
初めて訪ねた時、姉は生まれたばかりの次男ダレンを抱いて現れた。夫似のエリオットと姉によく似たダレンと二人の男の子に囲まれた姉は、幸せに包まれて輝いて見えた。末の娘テレサはまだ生れていなかった。
私の仕事は領地にある。ドミニクが落ち着くのを待って、領地に戻った。
下の子供達の世話や夫の仕事を手伝いながら、領地で過ごす内に、数年ぶりに訪ねてきた母から姉が産んだ末の娘が病気になったことを聞いた。
「ガマガエル病よ」
姉は婚家から、レッドベリー家の血のせいだと責められているらしい。
「あの病気になった者は、キャンベル家には今までいなかったんだって。うちだって、いないわよ。元平民の子爵家だからって、悔しい」と母は泣いた。
「子供たちは大丈夫なの?」
「あの子たちは、親よりしっかりしているから大丈夫よ。エリオットは、王太子の側近になっているし、ダレンは勉強を頑張りながら、進んでテレサの世話をしているの」
その後、姉の家庭の話に触れたのは、姪の死去の時だった。
王都で行われわる葬祭に参列し、余りに幼い死にみんなが涙する中、姉を慰めもしないダライアスの態度に夫婦の溝を感じた。
私の夫婦生活は順調だったと思う。息子と二人の娘に恵まれて、三人ともとてもいい子だった。
夫エドガーは真面目な性格で、家族を大事にしてくれた。
ドミニクが結婚した年、エドガーは後を息子に譲り、老後は唯一の趣味である領地の田園での散策を私と一緒にすることで過ごした。それは、夫が身体の調子を崩し、亡くなるまで続いた。
甥のダレンの噂を聞いたのは、夫エドガーが亡くなった年だ。15歳でアルファン国を飛び出し、手に入れた船で西の大陸から東の大陸へと荷を動かして巨万の富を手に入れて帰国したというのだ。ダレンは直ぐに旅立って行ったが、ダレンが商人ギルドに一旦預けた金塊は、若者の夢に火をつけた。私の娘婿もその一人だ。
船さえ手に入れれば、巨万の富が手に入る。
それまでの過程や運などを想像しない人生経験のない若者に取りつかれやすい夢だ。何一つ持たずに国を飛び出した少年が、成功するにはそれは過酷な経験をしただろうし、才能もあるだろう。だが、何より運が味方していたに違いない。
地道に働いてきた私には、到底見れない夢だ。
私の次女エレンが嫁いだのは、王都に大店を持つ商店の跡取り息子で、ゴードン・パーカーといい、品の良い若者だった。それなりに幸せに暮らしていたと思う。
ゴードンがその夢を語り、我が家に援助を申し込んで来た時、私は反対した。私には海の上の事は想像できない。素朴で真面目なマグワイア家の家風を愛していたから、娘婿の言う事は博打にしか思えなかったのだ。
ドミニクがどう返事したかは長く知らなかった。教えてくれたのは、実家の弟アレンだった。
「姉上、ゴードンの船の荷が差し押さえられた事を知っていますか?」
「どういう事?」
「長い時化のせいで、借りた金を期限通りに返せなかったそうです。我が家にドミニクが借金の申し込みが来ました。ドミニクは、姉上の目があるため、直接の援助は出来ないが、借金の保証人になる事を約束したそうですよ。姉上には悪いが、断りました」
「それは仕方ないわね」
「一時的な援助に済ませとけば良かったのに、借金の保証人ですからね。一体いくらになるのか。別に、助けないとは言っていませんがね。一旦、ゴードンの負債額を確定させてからでないと、怖くて手を出せませんよ」
同じようなことを長女の嫁ぎ先やキャンベル家でも言われた。
「マグワイア家のような名門を潰すわけにはいきませんからね」
と最終的には助けてくれると約束してくれたものの、ドミニクがゴードンの商売を潰せるかどうかを親族は見ていた。
怪我が少ないうちに潰させよう。私は言葉をつくしてドミニクを説得したつもりだが、ドミニクは妹可愛さで、非情にはなれないようだった。失敗した商人に再出発を許すほど、この国は甘くないのだ。
ドミニクには四人の子供がいるが、長女のエミリーには可哀そうな事をしたと思う。大人達の拒絶を本気にして、自分の装飾品などを売っては親に渡していた。私はあえて、エミリーには何も言わなかった。ドミニク夫妻が反省するいい材料だと思っていたから。
ダレンの死の知らせが、イーグルアイ国から来たのはそんな時だ。
イーグルアイ国ではわざわざ使者を王家に出して、哀悼の意を示した。遠い外国からの使者は王都でも有名になり、それとともにダレンの死がみんなに知られる事となった。
世間は下世話なもので、そうなるとダレンが残した商人ギルドに眠っている金塊は誰のものになるのか噂した。もちろん、ダレンの遺言書の内容が外部に漏れる事はなかったが、その母である姉が相続するのだろうと自然と思ったようだ。
エミリーが、キャンベル家の領地へ行って、そこにいるエリオットの次男を害した罪で王都へ送られてきたときは、本当に驚いた。
エミリーは、借金取りの脅し文句を本気にしていたという。
「お金を返せないと、あなたがた兄弟姉妹は経済奴隷になるんですよ」
確かに平民で借金を返せないとそういう事もあるだろう。
が、我らは貴族。我らを奴隷に落とせるのは、王家のみ。
こんな基本的な事を知らないとは思わなかった。
姉のソフィアは、「あの子が死んだら、あげるから」と言って、その場を用意したという。追い詰められていたエミリーは、その話に乗ったそうだ。息子夫妻は知らなかったという。それはそうだろう。娘に犯罪を犯させる程、私の息子は腐ってはいない。
ダレンは王家に愛されていた。理由は、第三王子の命を救ったからだ。
ダレンは、兄エリオットを通じて危篤に陥った王子の命の救い方を報告し、実際にやって見せたという。 大した度胸だと思う。
その時ダレンは、キャンベル家の領地にいるエリオットの次男とそれに仕える少年の話をしたそうだ。ダレンは、その少年にガマガエル病の子供の死を防ぐ方法を教わった。そして、彼は最終的な治療方法を研究しているという。
それ以来、ガマガエル病の患者をその子に持つ親たちは、キャンベル伯爵家に注目をしていた。実際、王家が彼らの周囲を陰ながら守っていたそうだ。何度か、その少年は王都への出仕も促されていたようだが、今は動けないと断られていたという。
そんな少年たちに、エミリーは手を出した。
社交は何のためにあるのか。何のために王都の学校へ行かせていたのか。
情けなくなったが、馬鹿な娘を育てたのは私の息子だから、諦めるより他ない。
罪の決定まで、一時預かりしてくれているロレーヌ侯爵家でエミリーに会った。
「ごめんなさい。お祖母様」と泣く、化粧のしていない顔が幼くて、私は何も言えなくなった。幸い、エリオットの次男のレオンは死んではいない。それに、レオンはエミリーに同情的であるようだ。死罪になる事はないだろう。
馬鹿な孫だが、エミリーはかわいい孫だ。どんな刑を処されても支えよう。
今回の事で、マグワイア家は関係ないと認められた。ゴードンの借金がマグワイア家とその親族で賄える事を、事前に王家に報告していたからだ。
私が少女の頃、食卓で両親と弟と今日あった出来事を話し合った。
その時、両親は貴族の考え方、農民の考え方、我が家の考え方と詳しく教えてくれたように思う。私は、この孫にそれをしてあげた事はない。息子を独立させると、夫と別宅で過ごすことを選んだのだから。今度の事で、嫁は実家に帰ってしまった。誰に遠慮することもなく、本気で孫たちと向き合うのが、これからの私の生きる道だろう。
私は姉が嫌いだった。生まれつき美しい容姿を持つだけで、何の努力もしていないように思えたからだ。そして、周囲はそれを当たり前の事として許す。私には、面倒な事ばかり押し付けるのにと。
今度の事で、姉はエリオットに修道院へ送られたという。一人の少女の未来を潰したにしては、軽い刑だ。が、家族全員に見捨てられたと思えば、けっして軽い刑ではないだろう。