反逆と反撃
ティラナス公の領地を占領したミストレスたちも、自分たちの反乱がいずれ他領にも知れ渡る事を予想していた。
領境の村同士の親交が途絶えた事への不信や親族の住む他村への訪問、狩猟で遠出してしまった時の緊急避難、様々な理由で領内に侵入され計画が露見する可能性もあった。
だが、発覚するのはもっと先の事だと予想していた。
よしんば知られてしまったとしても、領境の村々への対応に手をこまねいて、領の中央部にまでま即座に踏み込んでは来ないだろうと考えていた。
しかしその予想は覆された。
「ガラ、まずいぞ! 他侯に仕えるミストレスたちがこぞって領地に踏み込んで、住民たちの救援を始めている! あいつら、予定よりもすばしっこい動きをしてやがる! 対応をどうするか、今すぐ決めなきゃ間に合わないぞ!」
領主の間に飛び込んできたのはこの騒乱の盟主であるガラに賛同し、共に反旗を翻した腹心の一人メイザだった。
「落ち着きなさいメイザ。……何をされたの? 連中は何処まで乗り込んできているの?」
「近くで言うなら向こう三つ隣の村にまで来ている。連中、領境の村はもう手遅れとあきらめたのか、住民の残っている村に乗り込んできては保護活動が何だと喚き散らしていやがる。いくつかの村も強奪されて、住民たちを自分たちの領地に搬送したって話も来てる」
「そう……随分手際がいいわね。最後まで人命救助を諦めない甘ちゃんばかりだと思っていたけれど、この切り替えの早さには驚愕するわ」
「驚愕って……言ってる場合かよ! どうする……打って出るか?」
ガラはしばし考え込む仕草を見せたが、何か思い当たるものでもあるのか首を振って否定する。
長く鋭い爪を自分の腕に突き立てないよう気を付けながら組み、差し迫る事態から予想した状況をかみ砕いて説明しだした。
「駄目ね。あちらは人助けを目的にやってきているんですもの。大義名分がある分、漬け込まれる可能性があるわ。こちらの反逆意志の弱い連中が引き抜かれでもしたら、数の差で押し切られてしまうもの。表立って出るのは愚策と思えるわ」
「それはそうだが……手をこまねいてばかりいては、こっちが不利になるだろ?」
メイザの杞憂にジロリと視線だけを返し、ガラは黙ってため息だけをつく。
血気ばかりがお盛んで、何の策も口に出せない腹心の存在にいらいらとしていた。
しかしガラにとってメイザは、頭の方は期待できなくても戦力としてみるなら十二分に頼もしい存在だった。他の大多数のミストレスと違い、心から自分に賛同していることを理解していたからだ。
ガラは、自分たちに従わせるためにミストレスを三人なぶり殺しにした。恐怖と暴力で自分たちの意にそぐわない同僚を殺し、他のミストレスたちからの反論させない下地を作ったのだ。
その上で領内の半数以上の住民たちに寄生茸の毒を植え付けて、見殺しにさせることで従わないミストレスたちに無力感と罪悪感を植え付け、無理矢理従わせることに成功していた。
だがそれも、犠牲者を見て見ぬふりをし見捨て続けさせることによって初めて成功する策であった。
目の前で行われる救命行為を目撃してしまっては、いつ何時誰がそれによって感化し、離反行為を行ってしまうのか予想がつかない。
そのような危険性がある以上、ガラは非従順的な味方たちを手と目の届く範囲に置きとどめておく必要性があった。
領地を、そして島を乗っ取る以上、今は何よりも頭数を維持し続ける事が、ガラにとって一番重要な戦略だった。
「とはいえ――確かに見過ごし続けるのは問題がありますね。手すきのものを何名か集めて付近の村に向かわせなさい。それとは別組も領内に放って、まだ外部の手が入り込んでいない村を見つけ次第、生き残りをひっ捕らえてかっさらってきなさい」
「一か所にまとめて閉じこもろうってか? 消極的な作戦だなあ」
「食事は茸で賄えるから問題ないわ。ただの人間を館内に引き入れていれば、あちらだって火責めに打って出ることはしないでしょう。問題は結局、煮え切らない身内よ」
「身内、ねえ。中心部を除いたほとんどの村を切り捨てたっていうのに、未だに心から賛同してこない連中は、これ以上抱えていても同志になれるかわからんぞ?」
メイザのぼやきをガラは鼻で笑って吹き飛ばす。
「それでもなし崩しに半数は転んだわ。五十人にも満たないけれど、十分な数よ。よその領地にだって私たちに賛同するミストレスだって現れるはず。吸血鬼風情に支配され続ける現状を打破したい、力強きミストレスたちがね」
「それだけじゃあないだろう、ガラ。……子供の事もある。結局どうなんだ」
「そうね……。まあ、今の所経過はあまり良くないかもしれないわね」
奥の間にあるティラナス公の寝室にメイザは目を向ける。
ガラはあえてそちらには顔を向けず、じいっとメイザの目元に視線を送る。
お互いに言いたい事や気にしている事は理解しているのだが、それらを態々言葉にして向け合うほど結論を早送りにするつもりはなかった。
「まあいい。子供の事は親のアンタに任せる。だが、腑抜けたミストレスたちの統括方法は任せてもらうぞ! 捕らえて引き連れてきた人間たちのうち、何人かを殺させて踏ん切りを付けさせてやる。なんだったら、他領の村にも進出させて、火付け騒ぎを起こさせてやる!」
「それは急進すぎやしないかしら……いえ、いいわ。おやりなさい。ただし、捕まるようなドジな手合いを連れまわさないようにだけは気を付けてね」
「ああ……判っている。まあ見ていな、茸に汚染されて息絶えるような無能な人間共を焼き殺して、ミストレスこそが優れた新人類だってことを知らしめてきてやるよ」
それだけを告げると、メイザは部屋に侵入した時と同じ様に挨拶も無く駆け出して部屋を飛び出して行った。
即断即決も行き過ぎればああもなるのだろうかと思いながらも、ガラもまた別れの挨拶を行わずに見送った。
彼女の懸念する内容は、外の世界には無いのだから。
腕組みを解き、椅子から立ち上がって奥の寝室へと足を運び、そっと爪先で扉を撫でる。
ガラの心は常に、愛しい息子の処へ向かっていた。
「ははぁーん、やっぱりそういう出方に出るかあ。予想の範疇とはいえ、芸の無いコト」
「芸の無いってお前なあ。変に気取られるよかマシじゃねーかよ、そういう事言うなよなあ……」
予測が当たり自慢げなイタカの言葉に対し、スコルトが諫める様に言葉を濁した。
イタカたちは今、ティラナス公の館を見下ろせる茸の丘の上に居座り反逆派ミストレスたちの動きを監視しながら、自分たちの作戦に対する対応策の批評を行っていた。
眼下では病気で枯れた巨大茸をくりぬいて作った館から、ぞろぞろとミストレスたち異形の集団が小規模な隊列を組んで駆け出していく様子が見て取れた。
「ティラナス公の所にいたミストレスの人数は、百二十人ほどでしたっけ。それで、外部の動きに反応して飛び出して行った今の数が大体五十人ほど。ふうむ……」
「領境の惨劇は火操師たちに全面的にお任せして、敵領地での救援活動にいそしむ。貴方の言う通りのやり方でここまで上手く事は運べたわけですけれど、ここからの反撃の手段をお尋ねしてもよろしいですか?」
パーシがイタカへ疑問を寄せる。
彼女はイタカに言われるがままシディアス公へ直訴を行い、領地内全てのミストレスを動員してこの作戦を決行していた。
新入りの立てた作戦では誰も従ってはくれないはずだとイタカに言われ、反逆派ミストレスたちへの討伐隊の盟主に仕立て上げられてしまい、パーシは胃に穴が開く思いに駆られていた。
元来このような役目を負うべきは、自分よりももっと経験のある歳の嵩んだミストレスにこそ相応しいと拒否したのだが、それだと自分の策を呑んではもらえないだろうとイタカに言われ、仕方がなくパーシが請け負うことになった。
そして討伐隊の盟主となったパーシは、そのままスコルトのいるウィンドウ卿の領地に赴き、この危機に対する共同作戦の盟約を取り付けて、イタカが口にした策をそのまま実行するにあたっていた。
「寄生茸の処理は~火操師の方たちにお任せして~、村に点在する生き残りの人たちは~ティラナス公配下以外のミストレスたち合同で対処してぇ~、イタちゃんはそこからどうするつもりなのかな~」
「やれることは二つかな。まずは手っ取り早い方、指導者を叩く」
「おいおい、まだ最低でも五十人かそこらは館内に残っているんだぞ? いくらなんでも難しくはないか?」
スコルトの疑問に対し、イタカは人差し指を軽く振って否定する。
その表情には余裕があった。
「反逆するにしても計画に練りが足りないんですよね、彼女ら。だから多分衝動的に裏切ったとしか思えないんだよね。とすると、首謀者を除く他の皆様方は心の底からは賛同していないと思うんですよ。だからそこを突こうかなあってね」
「衝動的に裏切るってなんだよ、おい」
「言葉の意味のままですよ。それこそしっかり策を錬るなら他領のミストレスにも同時に蜂起させたり、離反させたりといった工作をしていたはずなんですよ。ですがどちらの領でもそのような動きはなかった。最低でも同時決起は起こさないと、主人を裏切る計画としては片手落ちだなあって」
「……わたしたちの前だからいいけれど、他のミストレスの方々の前でそんな事は口にしないようお気を付けなさい、イタカさん。今の言葉は色々と刺激的すぎますし、挑発的すぎるわ」
出自不明の新人が、妙に聡い事を触れ回る危険性を危惧してパーシはイタカに忠告する。
イタカもまた時期や立場の事を理解しているのか、軽く肩を竦めはすれど、その意図は重々承知しているらしく口を横一文字につぐんで公言しない事を約束していた。
流言を触れ回る工作員や裏切り者と扱われるのも、他のミストレスたちにお互い疑心暗鬼にさせるような話を触れ回るつもりも、イタカはもとよりするつもりも無かった。
それなりに気心の知れ渡った相手にだからこそ口にした、内密の話のつもりだった。
「で、もう一個の案件なんだけど、こっちの方が重要かな。潜入してティラナス公を見つけ出し、館から連れ出してしまう」
「連れ出すって~、イタちゃんはティラナス様が生きていらっしゃると、思っているの~?」
イタカは確信をもって頷く。
彼女にはある種の計算があった。
「生命力が強靭なミストレスだって、時として寄生茸に毒されることだってある訳だし、薬係として生かしておく必要性があるんだよね、絶対。それに、ほら……種付け役となる人間の男性を寄生茸から守り続けるためにも、血錠を作れる公ら吸血鬼の存在は、彼女たちとしても絶対に必要な存在なんだよね」
言葉を濁すイタカの反応に、他三人はつい先ほどまで行われていた尋問の光景を思い出し、気分を少なからず害してしまう。
寄生茸の災禍のみでは状況証拠がやや不十分と、ウィンドウ公の配下であるミストレスの一人パルザリンが申し出て、彼女ら含む一部の否定的なミストレスたちを説得するためイタカたちはある決断を下していた。
その内容は、先の潜入決行時に叩きのめし、縛り上げ、茸の中に生き埋めにした裏切り者のミストレスの一人、キダンナに詰問するという選択肢だった。
態度や言動から恐らく裏切者たちの主流派であると判断したイタカたちは、キダンナを掘り起こしてパルザリンらへと突き出して、その真意を語らせることで災禍が人為的な行いであったことをしゃべらせた。
その際に、手足がいくつか残念な有様になってしまったが、必要な経費だったと心を鬼に職務に努めた。
しかしスザンナが話す内容の過激さに、最後の方は激情したパルザリンたちにひたすら殴打され、血祭りにされる寸前といった有様だったが、スコルトを始め何人かのウィンドウ公配下のミストレスたちが、裏切り者の処分の任は主らの命令が下されるまでは行うべきではないと説得し、何とか半死半生の所で抑えることに成功していた。
「公ら吸血鬼を排斥して血を絞りとる家畜に転落させる。一部の健康な若い男子を除いて人間を虐殺する。この島を、ミストレスたちが支配する楽園に変える……そんな絵空事を真に受けるとか、どうかしてるぜ……っ!」
「それで普通の子供が産まれたら~、やっぱり間引きとかするつもりなんだろうねえ。……やっぱり許せないなあ」
「ミストレスの子がミストレスとして産まれるとは限らないでしょうに……本当に、馬鹿な連中ね」
「いやあ、ミストレスの血族からは一応産まれやすい傾向があるって、御姉様から聞かされたからねえ。数百年と時代を重ねれば不可能でもないかな」
三人はそれぞれ言葉を濁すことなく反逆派を馬鹿にする。
その一方で、イタカは否定の文句を口にすることなく、却って肯定するかのような言葉を口にした。
「それ……本当なのかしら? いえ、たとえそれが真実だとしても、数百年後の未来の話なんてわたしたちには関係が無いわね。彼女たちの野望を止める。それでいいわね?」
「あたぼうよォ! ……で、どう動けばいいんだ? イタカ、お前はティラナス公が生きていらっしゃると言ったが、殴り込んで連れ出して、そこからどうするんだ?」
「あちらはまだ全員が全員、裏切りの覚悟を決めたわけじゃあないみたいだからね。拷問された彼女もそう言ってたし。だから、あっちの大義名分をとにかく潰して、逆にコッチが正当性を主張することで、優淳普段なミストレスたちをこっちに転ばせれば……勝ち、というわけ」
言わんとすることが伝わらず、スコルトは首をかしげる。
イタカは順序立てて説明するために指を四本立て、言葉ごとに一本ずつ折り返して内容を伝える。
「こちらからは攻めず常に人命救助に努めて、相手の罪悪感や家族愛を責め立てて心を折る。ティラナス公を救出し、向こうの寄生茸対策手段を奪って生命線を絶つ。これらによって、捕えられている生き残りの島民の命も含め、反逆派の未来はどん詰まりとなるでしょう。どうあがいても非はアチラにある訳ですからね、罪悪感もあって、まず間違いなくまともな統率も取れなくなるでしょう。その上で、最初にお話した通り敵の首魁を落としておけば……」
「強固な意志による牽引も、暴力による恐怖政治もままならず、おのずと降伏すると踏んだわけね」
「ま、全部が全部思い描いた通り上手くいくとは思わないけれど、ティラナス公の救出に成功さえすれば瓦解できますよ」
自信たっぷりに語るイタカに対し、スコルトも力強く頷いた。
理解が及び、イタカの計画に完全に乗っかる覚悟が決まったようだった。
同じくパーシも納得の表情を浮かべ、手斧に指を這わしつつも逸る血気を抑え込もうと努力していた。
やや微妙な面持ちだったのは、ネウチ位のものだった。
「でも~どうやって侵入するのかな~? いくらやる気のない相手でも~、何十人と立てこもっていられたら~正面からは難しいんじゃないかな~?」
不安そうなネウチの言葉にも、イタカは自信ありげに返事をする。
その表情は三人には、どこか困ったような、いたずらを思いついたかのような表情に見て取れた。
「昔の苦い経験を悪用しようかなってね。パーシさん、これから言う事を、別動隊の人に伝えてください。彼女たちが決行すると同時に、私たちが潜入するんです。それで、その伝えてほしい内容なんですが――」
それは、奇襲を予測していた反逆派のミストレスたちからしても予想外の方向からの攻撃だった。
シディアス・ウィンドウ公配下のミストレスたちが、自分たちが占拠しているティラナス公の館に直接的な攻撃を一度も行っていないという油断もあったが、それにしても予想外のやり口に、完全にしてやられていた。
巨大な枯れ茸をくりぬいた居住空間とはいえ、空気の循環だけはどうしようもない問題点で、ある程度の間隔ごとに通気口がしつらえていた。
特に鍛冶を行う工房や調理を行う食事処などでは大きな換気用の煙突が掘られていて、そこから大量の煤を排出していたのだが、イタカに策を講じられたパーシの命令によって、煙突先の排気穴を封じられてしまったのだ。
さらに封鎖する直前に竹炭や動物油、時には生きたままの昆虫類も投げ込まれてしまい、火花も煙も飛び交って大変な有様となっていた。
当然他の通気口からも余った竹炭を放り込まれた。たとえ途中で引っ掛かり生活空間にまで達しなかったとしても、換気を阻害するだけで十二分に効力を発揮する。
直接的な攻撃を行わず、人助けに固執している。
そう思わせておいての反撃の一手は見事に決まり、瞬く間にティラナス公の館は真っ白い煙に包まれて、まさしく地獄のような様相を呈していた。
「ゲホッ、ゴッ……げほっ、一体、何が……ゲホッゲホッ!」
「ま、まさか焼き討ち……ガハッ、ゲホッ!」
「眼が、煙で眼があっ!!」
燻しの効果は絶大だった。
防火のために煉瓦仕立ての改装を施した工房でも、投げ込まれた炭火が燃え広がる様な事態に陥ることは無かったが、逆流してきた煙に関しては何の手立てを要することもできずにいた。
外へと逃げだすもの、煙の少ない部屋に閉じこもるもの、煙の対処のために竹炭をどうにかしようと躍起になるもの、虫を追いかけるもの。
そんな中、怒号と喧噪と混乱に溢れた煙の中を、四つの影が真っ直ぐ突っ切り駆け抜けていった。
イタカら四人のミストレスたちであった。
普段ミストレスたちは用いらない、乳白色の胞子霧除けの顔当てを着けて煙を避け、奥地に捕らえられたと思われるティラナス公の救出へと向かっていた。
拷問を受けたキダンナから、首謀者であるガラというミストレスが最奥にあるティラナス公の寝室の間に居座っている事を、イタカたちは聞き出していた。
ティラナス公が捕らえられているとするならば、可能性が最も高いのはその場であると判断し、パーシたちは他の部屋には目もくれず一直線に向かうことを計画立てていた。
最悪違う部屋にいたとしても、首謀者のガラを葬ることができれば目的の半分は達成できる。
そのことも踏まえ、四人はこの竹煙強攻の策に全力を賭していた。
「……燻しの甘いところがありますね」
最後尾を駆けながら、イタカはぽつりとつぶやいた。
幾分練習する間もない突発的な策だった為、不手際も目立った。
煙に紛れて潜入する事には成功したが、混乱に対して思いの外逃げ出すものが多くなかった。
予測では三分の一は外部へ飛び出すと考えていたにもかかわらず、その場でうずくまってかばい合う者や、閉じこもるものが多かった。
監禁されているごくごく普通の人間たちを見捨てられずにいるのかもしれないと、パーシは思いつきこそしたのだが、口には出さずに別の言葉を囁いた。
「ネウチ。竹炭を散らして煙を広範囲に撒いてくれないかしら。なんだったら、少しくらいなら火付けをしても構わないわ。それと、可能なら一人で別箇所を探って頂戴。ティラナス公の所在地は確定していないから」
「うわぁ~……ま~た面倒そうなお仕事を~押し付けてくるんだから~んも~」
文句こそ口にするが、即座にネウチは一行を離れ他の部屋へと殴り込む。
イタカが振り向いて様子を窺えば、後方に漂う煙の量が気持ち増加したように見えていた。
「きちんと前を見て、イタカさん」
振り向きもしないパーシにたしなめられて、イタカは後方の確認をやめた。
気配だけで察知するとは流石だなあ、などとかなり的外れな感想を抱きつつも、三人になった彼女たちは奥へ奥へと突き進む。
後もう少し進めば――そう思われた所で、先頭を行くスコルトに、突如凶刃が襲い掛かる。
「なあっ!?」
紙一重――そうとしか呼べないぎりぎりの間合いで攻撃を躱し、スコルトは追って襲い来る追撃の一撃を抜き放った大剣で受け止めた。
ガキャッともつかない金属のうち鳴らす音を響かせて、二本の得物がつばぜり合いを始めた。
「てめぇ……ッ! その顔、見覚えがあるぜ……今や反逆派の最右翼、鱗のメイザだな!」
「黙れ、卑劣な襲撃者めッ! 混乱に乗じて仕掛けてくるとは見下げたやつめ! そのような顔当ても付けて、ミストレスとしての誇りも無いのか!?」
「なにぃ……くっ、この」
「スコルトさん――ッ!」
「パーシ……ッ、こいつは、アタシが……ッ!」
体勢も悪く、上段から押し込まれそうになるスコルトだが、何とか踏ん張り押し返そうと両腕に力を籠める。
しかしそれを読んでいたのか、メイザはふうっと力を抜いて横へと飛び退り、力の矛先を逸らされてしまったスコルトは、大剣を大きく振ってたたらを踏んでしまう形となった。
「やばっ――」
「まず一人ッ!」
スコルトに襲いかかる左右からの一撃。
だがその必殺の攻撃は、二人の間に割り込んできたパーシか振るう斧の一撃を警戒して、メイザを更に数歩後退させる事で未然に防いでいた。
「た、助かったぜパーシ」
スコルトの感謝の言葉には答えず、パーシは更に踏み込んでメイザに苛烈な追撃を加える。
猛将もかくやと言わんばかりの攻撃に、スコルトは普段のパーシらしさを見失い、目を白黒とさせていた。
「パーシ、何熱くなっているんだよ、そいつはアタシが……」
「貴方はッ!」
メイザの双剣を捌きながら、振り向きもせずにパーシは叫ぶ。
顔当てのせいで呼吸がし辛く息も絶え絶えな様子だったが、それでも大声を振り絞ってパーシは言葉をつづけた。
「イタカさんを連れて、奥に行きなさい! これは、わたしが殺しますッ!」
「お前……盟主のお前がここで戦ってどうすんだよッ! ここはアタシに任せておけばいいだろ!?」
「ほぉ、お前が討伐隊の首領か。これはいい事を聞いたな……ここでお前を倒せば、外の連中はどう出るかな?」
「あっ、やべっ」
口が滑り、パーシが盟主であることを明かしてしまったスコルトのせいで、メイザの主眼がスコルトからパーシに向かう。
本来なら軽率な言動を窘めるところであるのだが、むしろ今はその方が都合がよいと、パーシは考えを改める。
そして戦斧を何度か握り直しながら、メイザを挑発しつつスコルトに激励を送る。
「そうよ、わたしを倒せば外の部隊は一時撤退する事でしょうね。それとスコルトさん、目的を忘れないように。時間は有限よ。……貴方を信頼しているの。だから、お願いするわ」
「パーシ、てめぇ……くそっ、死ぬんじゃねえぞ!! 勝てよ、絶対にな!!」
託された言葉を無碍にできるほど、スコルト直情でもなければ自分勝手な性格もしていなかった。
何よりもパーシが自分一人にこの場を任せてくれなかったという事実から、相手が相当な手練れであることも察してもいた。
メイザの得物は二振りの剣。二つ以上の武器を有するミストレスの相手は、今のスコルトでは荷が重かった。
実力の及ばない悔しさを噛み締めつつ、スコルトはメイザの脇を走り抜けた。
果たしてメイザはその行動を阻もうともせず、むしろ少し横に避けることでその行動を推奨させる始末だった。
何の抵抗もなく素通しさせることに疑問を挟むスコルトだが、それよりも任務が優先と突っ走る。
彼女には、パーシに託された責任の二文字が背負わされていた。
そのスコルトに遅れ、イタカも同様に駆け出した。
だがイタカにも思うところがあったのだろうか、腰の一振りを鞘ごと抜いて、パーシの足元に投げ捨てながらたった一言、
「お渡しします!」
双剣相手に戦斧ひとつでは不利と判断したのか、己の武器を託して走り去る。
そんな新入りの気遣いに苦笑を浮かべながらパーシはそれを拾い上げ、自分の腰に鞘を佩かせた。
対峙するメイザも不意に引き返して反撃などをされぬ様、背後に向けて十二分に警戒したまま様子を窺い、その気配がないことを確認してからやっとパーシに向けて本腰を入れた構えをとる。
その表情は竹炭の煙で幾分か苦しそうではあったものの、それでも余裕の色が見て取れた。
「ははは、卑劣な作戦は兎も角、多人数で囲まずたった一人で戦おうというその姿勢だけは認めてやろう。だが、相手を舐めすぎだな! 何をもって一人で勝てると判断したのかは知らんが、あまり甘く見ない事だ!」
「……そちらこそ、わたしたちの事をもっと脅威と捉えた方がよろしいのでは?」
ヒュウ、唇を歪めて息を吹き、メイザは嘲りの言葉を表情一つで表現する。
「ははん、何を考えているのかは知らんがなあ、さっきの連中が向かった先に居るのはあのガラだ! たかが二人のミストレスが、閉所であいつに勝てるわけがねえんだよ」
「……そうかしらね? スコルトさんはあれでいて器用な子ですし、それに……うちには脅威の新人もいますからね」
「ぬかせ! だがどちらにしても、お前は逃がさん。ここで始末してやる」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ」
お互い得物を片手ずつに構え直して、同時に息を整えるや否や、鋼鉄の殺意を振りかぶった。