吸血鬼と血の巡回
バチバチ、パチパチと高い音程で炭がはじけ、燃える音が響く。
シディアス公の館の離れ、鉄や衣服、様々な道具を生み出す除茸工房の中で、イタカはかれこれ五日ほど新しい鞘の完成を待たされ続けていた。
御姉様と慕うパルタマーニャから受け継いだ四振りのつるぎの鞘は、経年劣化でずいぶんと脆くなっていて、ひび割れや鯉口の欠けが入っていた。
流石に使い続けるには耐久性に難があったため、イタカは工房徒弟に頼み込んで新たな鞘をしつらえてもらっていた。
「あら、イタカさん。新入りが工房に来るだなんて、珍しい事もあったものね」
イタカが若干の蒸し暑さに辟易しながら鞘の完成を待ち続けていたところ、背後から聞き覚えのある声がかけられた。
先日の初任務時に行動を共にした、パーシがそこにいた。
「おやパーシさん。いえね、古い鞘が駄目になってたから、新しいものを作って貰っている所なんですよ。そちらは何用で?」
「細工待ちしているのね。わたしは村長たちの嘆願で、いくつかの村に配る金具類の回収にやってきたのよ」
「製鉄できる場所はここを含めて四か所しか無いんだっけ? 難儀だなあ」
茸類に覆われたこの島では、安定した温度を維持して製鉄できる場所は限られている。
胞子を完全に遮断できる環境と大量の竹炭が必要で、この二つの条件を満たせる場所は、三人の島主の館と島北東部の採掘場だけだった。
「ここでの暮らしには慣れたかしら?」
「うーん……自分でご飯の用意しなくて済むのは楽かなあ。ネっちゃん――ネウチさん以外のミストレスは、みんな遠巻きに見ているだけで、話しかけてこないのが不気味だけど」
「それも仕方のない話ね。だって貴方、ひと際大きな腕に加えて他のミストレスの装備一式を引き継いでいる、前代未聞の子ですもの。特別扱いもやむなしね」
「ぐぅぅっ、自分でも自覚がある分、否定できない……!」
パーシの言葉にイタカは身もだえする。
良くも悪くも特異な肉体に加え、島主のお屋敷以外の場所で幼少期を過ごしたという待遇。
過去のミストレスたちが使っていた武具を腰に佩く許可。
これで目立つなと言うのも難しく、イタカはやって来て早々孤立気味な立場にあった。
構わず話しかけてくれるのは、ネウチくらいのものだった。
「まあ、別に遠巻きに見られる事ぐらいは構わないんだ。心配なのは、自分自身の経験不足な点だね」
「と、言うと?」
とぐろを巻いた第三の腕に座るイタカに、パーシは問いかける。
「血錠だよ。あれの取り扱い方に自信がない。御姉様からアレの知識は授かっているけれど、処方したことは一度もない。だから不安なんだ」
経験不足。その意見にはパーシも同意した。
確かにイタカは戦闘面では申し分ない。
血の臭いにはまだ慣れていなくても十二分に優秀で、人食い鬼の群れや大隈などの相手なら一人でも相手取れる実力がある。
だがそれ以外の任務についてはどうだろうか。
乳白色の霧の濃い地域での活動。
危険な酸の水源地に生える竹の採取。
地下深くの鉱石類の採掘や住居の拡張。
どれもこれも、とてもじゃないが経験の無い新入りには任せられない案件だ。
だがそれよりも何よりも血錠――吸血鬼の血液を精製して作られる錠剤の取り扱いは、特に任せるわけにはいかなかった。
胞子に満ちたこの島では、吸血鬼を除く全ての生き物は、生存し続けるだけで茸の胞子の影響を受けてしまい、体内に少しずつ菌糸が侵食してしまう。
食事をすれば内臓を、呼吸をすれば肺や気孔を、肌に触れればその皮膚を、あるいは耳朶から脳みそを。
部位や年齢、種族を問わず、全ての生き物が茸に侵され身体を乗っ取られてしまう危険性があった。
それを予防、あるいは治療手段として用いられるのが、ミストレス達が配る血錠だった。
血錠を飲むと、人は半吸血鬼とも呼ぶべき生き物へと変貌する。
その効果は一過性だが、半吸血鬼でいられる時間のうちは菌類の侵入や増殖に強い耐性を発揮し、体内に入り込んだ菌糸をすべて死滅させることが出来た。
量が過ぎれば人に戻れなくなり、理性なく他の生き物を襲い続ける魔獣に転じるか、あるいは吸血鬼の血そのものに身体を食い蝕まれて死に至る。
少なすぎれば菌糸の増殖を抑えることができず、却って病状を悪化させてしまう。
その人の症状や体格に合わせた適量を判断して、投薬する見極めの判断がミストレスには必要だった。
「確かに、貴方に血錠を扱わせるのには、不安しかないわね」
「六日前に私がシディアス様に捧げた血の分で、血錠が精製出来たらしいけど、それをお前が配って来いと言われてもねえ」
「それで困り果てている、と。……では一つ、提案があるのですけど――」
「それで~、私をだましてこぉ~んなところまで~連れ出したのね~」
「こんなところって、何よ。お館から出てまだ村二つ超えた所じゃないの」
ぶうぶうと漏らすネウチの文句を軽く流しながら、乳白色の霧の先頭をパーシが進む。
傍らでは少し困った顔を浮かべたイタカも居るが、ネウチはそちら側には顔を向けないでいた。
さぼり癖のあるネウチを連れ出すことを条件に、パーシはイタカとしばらくの間共に任務に同行しようと取引を持ちかけたのだが、イタカにはうまい事ネウチをその気にさせる案が碌に思いつかず、ついつい騙すような形で彼女を外に誘き寄せたのだった。
「珍しい茸手料理を御馳走してあげるから、一緒に茸を取りに行かないかね~……なんて、ひどい嘘つくんだから~もぉ~」
「そ、そんなに怒るなんて思ってなくて。ごめんね、ネっちゃん」
「んもぉ~可愛い後輩ちゃんだから一回は許してあげるけど~次は無いからね~」
口では許すと言いながらもやはり茸料理が未練がましいのか、ネウチは道端の茸を恨めしそうに眺めていた。
頭の中ではあれやこれといった茸たちを使った新しい創作料理が、空想の世界で広がっているのだろう。
会心の出来が思いつく度にへらと笑うネウチの事を、二人は不気味そうに横眼で見ながら茸道を歩いていた。
「ネっちゃんは本当に食事の事しか頭に無いんだね」
「何言ってるのよもぉ~。ご飯だけじゃなくて~お布団の事とか~お風呂とか~いっぱい考えてるのよ~」
「聞くだけ無駄よ。その子、楽な生活の事しか頭に無いから。でもそうね……丁度布団の話題も出たことだし、今日はここら辺で野営の準備をしましょうか」
「えぇぇ~~~~~~っ!? 野営やだぁ~! 村まで行きたぁ~い! 焼いただけの茸以外を食べたぁ~い!」
ネウチの文句を一顧だにせず、パーシは覆い茂る茸を切り払って横道を作り始める。
完全に拠点を作る腹積もりのようだった。
「イタちゃんもこんな所で茸齧って雑魚寝するなんて嫌だよね~? 一緒に説得しよ~よぉ~」
「その前に一つ聞きますけど、次の村までどのくらい時間かかります?」
「……食べられる茸~探してくるね~」
パーシのように意見を求めず勝手に決めるか、何か非となる部分を指摘すれば、ネウチは素直に従ってくれる事をイタカはこの短期間のうちに学んでいた。
案外操縦しやすい方だなと、先輩に対する印象とは思えない感想を抱きながら、イタカは野営の手伝いに移り始めた。
寝袋になる類の大型茸は近くに生えていないようなので、弾力性のある適当な大きさの茸をいくつか切り取って運搬する。
特に背中にとても大きな腕が生えているイタカにとって、緩衝材となる茸の有無は寝心地に大きく影響がでるため最重要で採取する必要があった。
パーシが切り開いた野営地に運び込み、丁度良い具合になるように丁寧に敷き詰めた。
長いえのきを最下層に、中ぶりなナガツジキノコの真ん中部分だけを切り取って中層に、最後にとても巨大な傘を持つオオヒラマサをかぶせて完成させた。
その間パーシは地面の茸をほじくり返して、外被膜を根こそぎ剥がして一か所にまとめていた。
そうしてできた穴に携帯していた竹炭を置き、動物油をしみこませた乾燥被膜と先ほど集めた外被膜を混ぜこねて炭の上へとばら撒いた。
さらにその上に、骨子で作った折り畳み式の霧除け皮布を広げて被せる。
地面からはまるで大き目の三角錐が生えているようにも見えた。
後は皮布の隙間から手を差し入れ、火口箱で内容物に着火すれば、野営の準備はほぼ整っていた。
霧除け皮布は村から村へと移動する際、誰もが必ず携帯している野営道具の一つだった。
霧の濃度に関わらず、一度仕掛けてしまえば中で燃え続ける燃焼剤や竹炭の火が消えずに済む。
暖を取るのにも料理をするのにも、これ無しでは捗らない。
まさしく旅人たちの生命線の一つと呼べるだろう。
「パーシさぁ~ん、食べられる茸採ってきましたけど~、もう中に入れて焼き始めていいです~?」
「まだ火を入れたばかりだから駄目よ。もう少ししてからにしなさい」
「はぁ~い、それじゃあ今のうちに~食べやすいように切っちゃいますね~」
採取し終えたネウチが戻ってきて、どさどさと白茶色の茸を火元近くに放り投げて骨小刀に手を伸ばした。
先ほどまでの不機嫌は何だったのかと言わんばかりに、鼻歌を口ずさみながら茸の外側を切り落とす。
この島の茸はそのほとんどが白か茶色かその中間色で、赤や紫、黄色といった色とりどりの色彩の茸は数えるほどしか生えていなかった。
もっと言ってしまえば、他の昆虫類や爬虫類、両生類や獣たちまで体毛の色は白か茶色のものが多い。
例外なのは吸血鬼である島主や人間たち、人食い鬼とわずかな動物位のものだった。
理由は言わずもがな乳白色の霧と茸に覆われた光景が原因である。
目立つ体色よりも保護色になりうる色彩のほうが生存確率が高いのは明白であった。
特に完全な茸食昆虫や茸食動物は真っ白な体毛になりやすかった。
「おっと、スミモクモヨウシロアゲバッタだ」
寝床の準備を作り終えたイタカが、目の前を通り過ぎようとしていた所を捕まえた昆虫も、その典型的な例の一つだった。
腹の気門の所に丸い茶色模様が入っている以外は全身が象牙色のバッタで、かなり大き目の昆虫だった。
イタカのごくごく普通の方の手のひらよりも大きく、腹をうねうねと動かして逃れようともがいている。
だがイタカはそれをさせまいと羽をもぎ取り、六本の脚も引きちぎる。
茸を捌いていたネウチもそれに気づき、やや身を引きながらもイタカに問いかけた。
「……イタちゃん、ちょっとぉ何やってるのぉ~?」
「え、丸焼きにしようかと。それともネっちゃんは生の方が――」
「イィィヤァァァァァァ! 虫ッ虫は嫌いッ! 食べない! 絶対食べないったら食べないからね!」
突然の剣幕に驚いてイタカはうっかり加工済みのバッタを落としてしまう。
バッタはこれを機に藻掻いて逃れようとするものの、脚も羽も無いため芋虫のようにのたうつことしかできないでいた。
「頭に蛙の手が付いているからって、虫が大好きだって思っているなら大間違いだからねっ! 私、虫嫌い、大っ嫌い! 絶対に食べないんだからー!」
「いや、別に無理矢理食べさせようだなんてしないけど……そんなに苦手?」
「苦手ッッッ! 近寄らないでッ! 虫嫌いッ!」
普段のおっとりとした様相とは大違いの剣幕に、イタカは面食らっていた。
食事が大好きなネウチの事だから、当然昆虫食もいけると思っていたのだが、それは大間違いであった。
イタカがパーシに視線を向けてみれば、彼女もやや後ろに引いていた。
「イタカさん、生で食べるって……本気ですか?」
パーシはネウチ程昆虫食に対して忌避感は無かったものの、流石に生食は想定外だったようだ。
「軽く火を通した方が好きかな、私は。一緒に暮らしていた御姉様は、生でぼりぼり食べてたけど」
「や……野蛮だぁ……」
「それは冗談ですよね? 生って……生きたままですか?」
「生きたままだけど。こんな風に」
イタカは落としたバッタを拾い上げ、おもむろに頭にかじりつく。
抵抗もむなしくバッタは頭部を失ってしまい、身体の痙攣も止まってしまう。
ぼりぼり、ごりごりとした音を鳴らすたび、パーシとネウチは顔を青色に染めていく。
「うん、やっぱり火を通した方が美味しい。残りは焼いて食べようかな」
「うわーうわーうわーうわー。この人本当に食べたー!」
「い、イタカさん……流石にわたしもそれは……」
本当に駄目なんだなあと思いながら、イタカはぺっとバッタの大あごを吐き捨てる。
二人はヒエッと二歩下がり、唾液にまみれた大あごを見つめていた。
「体液洩れちゃうから茸より先に火を通していいですか?」
「ぜ、絶対やだっ! 虫の汁が付いた茸とか、絶対食べたくないもんっ!」
「わたしもそれは……流石に嫌ですね」
「ああ、大丈夫大丈夫。熱の通った炭の上で転がすだけですから」
そう言うと、イタカはおもむろに第三の腕を霧除け皮布の中に突っ込んで、燃えた茸と竹炭の一部をむんずと掴んで取り出した。
そのまま六本の太い指でこすり合わせて軽めに砕くと手のひらに広げ、その上にバッタの動体を乗せるとぎゅっと握りしめて蒸し始める。
「あ、熱くないの……?」
「この腕鈍感だからねえ。触覚くらいしかまともに機能してないし、その触覚も大分鈍いよ。無駄に頑丈だし、このくらいは平気かな……っと、これで完成」
ぷしゅう、ふしゅうと気門から蒸された空気を漏らすバッタの蒸し焼きを摘まんで、指で炭をぱっぱと払い落としてかぶりつく。
熱でぱんぱんに膨れ上がった胴体を、イタカは実にうまそうに頬張っていた。
体表のばりっとした張りのある食感と、中のもちもちとした独特の弾力が歯に伝わる。
スミモクモヨウシロアゲバッタは渋みの強い茸を好んで食べる生態のためか、昆虫独特のねっとりとした甘みに交じってほろ苦さと渋みが合わさり、熱を通すと茸にも似た薫りを放つのでイタカ的には大層お気に入りの味だった。
もぐもぐと咀嚼しながら、食べるかい? と言いたげにバッタの蒸し焼きを差し出してみるが、二人はブンブンと首を横に振って拒絶したため残りも全部イタカの腹の中に納まった。
五口で食べきり、ふうと息をつく。
「もう数匹、近くに潜んでないかなあ」
「まだ食べるのッ!? 茸でいいじゃん、気持ち悪いじゃん!」
「意外とおいしいですよ、これ。蛇肉や鹿肉なんかと違ってかなり味わい深いかな。もしかしてネっちゃんは完全茸食派?」
「お、お肉も食べるけど……」
見かねたパーシが助け舟を出す。
「イタカさん、誰しも特異苦手な食べ物はありますよ。特に私たちは、蛙やカマキリの特徴を持って生まれたミストレスですからね。まだ親元で暮らしていた頃、蛙の子なのだからきっと昆虫が好きに違いないと、食事に生きたまま与えられそうになったりとか――」
「やーめーてぇー! 昔の事は思い出したくないのー! わさわさと顔の上を這いまわる感触思い出して、見てよこの肌、びっしりとサブイボがたって……ああ、思い出しただけで気が遠くなるよぉ~」
両肩を抱きすくめ、ネウチはその場で座り込む。
よほど嫌な思い出があるのか、頭から生えた蛙の手のひらで目元を覆って完全に丸くなってしまった。
イタカはネウチの意外な弱点を知ってしまい、彼女に悪いなと思いつつも少しだけ面白くも感じていた。
とはいえそのまま放置して、貴重な知人に嫌われるわけにもいかないので、イタカは何とか挽回しようと努力し始めた。
「へ、蛇なら食べられるんだよね? 今から何匹か捕まえてこようかな?」
「そう言って、中に虫を詰め込むんでしょ~」
「流石にそんな意地悪はしないよ……あ、茸! さっきネっちゃんが採ってきた茸を焼こうか!」
「そう言って、中に芋虫を挟んでるんでしょ~」
「だからしないってば。ほらほら、茸焼くからね」
ネウチが採ってきた茸に串を刺して火であぶり始めると、瞬く間に香ばしい香りがあたりに広がる。
カオリダケ。その名の通り、熱を入れると強い芳香を放つ茸だ。
香りの薄い茸などと一緒に焼くことで、匂移しをして味見に深みを出すことが出来る。
イタカは鼻をくすぐる芳香に覆われたまま、さらに他の茸も火に当て始めた。
イカンダケ。他の茸のうま味を引き出す成分を持つ。
オオニリンアタリダケ。熱を入れると中の菌糸が溶けだして、天然の茸汁を作り出す風変りな種。
カサタテ。柄の部分から斜めに生える風変りな傘を持つ茸。ヒダの部分がパリパリに焼けるのが特徴。
イボエリンギ。表面はぶつぶつとしていて舌ざわりが悪いため、切り落として中身だけを食べる。
ハナダマシ。植物の花弁にも似た傘を大量に付ける特徴的な茸。甘みが強く単体では食べ辛い。
多種多様な茸を次々に焼いて、ネウチに向かって差し出した。
「はい、焼き茸。塩と乳脂と蛇油なんかは自分で調整して付けてね」
ネウチは無言で受け取ると、そのままむしゃむしゃと食べだした。
食事をする元気があるなら大丈夫と判断し、イタカはほっと胸をなでおろして追加の茸を火に当てる。
「それにしても、すいぶん色々な茸を採ってきたものですね」
「その子、茸探しの名人だから。美味しく食べられる茸を見つけることに関してだけは、昔から得意なのよ」
「……えへへ~」
パーシの誉め言葉と美味しい茸にありつけた事で、ネウチはようやく機嫌を直して顔をほころばせる。
気分屋のネウチと他人を気にせず自由気ままな言動をとるイタカへの、これからの扱い方を想像して、パーシは頭を悩ませていた。




