四振りのつるぎと戦働き
スコルトとパーシは息を忍ばせて、人食い鬼たちのすぐそばでじっくり観察をしていた。
人食い鬼と一口に言っても実は個体差が大きい。
一匹あるいは数匹単位で行動しているような奴は大抵小柄かやせっぽちで、体格は非常に悪い事が多い。
逆に大きな群れを形成している場合は、大型の獣を集団で狩りをしたり、時には民家を襲撃するなどして大量の餌を入手出来てしまうため、強く、太く、巨大な肉体に育ちやすい傾向があった。
事前に大きな群れだと村の狩人から連絡があったのだが、どれほどの規模なのかは彼女たちにも知らされていなかった。
おそらく狩人も身の危険を感じたのだろう。あまり深追いはせずに、早々に救援を求めたのは英断だと呼べた。
今、二人の目の前に広がる群れはかなり大規模な部類に入る。
幾度となく討伐任務をこなしてきた彼女たちの目から見てみても、上の部類に入るだろうか。
乳白色の霧の中でうごめく影は二十を優に超えている。
この規模としてはやや栄養状態が行き届いてはいないようだが、それでも十分大柄な固体の影が、ちらほらと視界を行き来する。
例えば、コシカケダケに座り込んで、未練たらしく骨をひたすらしゃぶり続ける卑しい個体。
仮に骨シャブリと名付けるならば、そいつは貪欲な欲望を体現したかのようにでっぷりとしていて恰幅が良い。
大の大人が数人がかりで手を回して、やっと囲えるぐらいに腹が太い。
それでいて筋肉はしっかりと身に備わっている。
普通の人間相手なら、三人同時に腕力勝負を挑まれても片手で一捻りできそうなほど、ぱんぱんに筋肉が張っていた。
手前で肉の切れっ端を奪い合っている若い二匹の人食い鬼ですら、末恐ろしい筋肉量を誇っている。
横に並べて見比べれば、きっとスコルトの太ももよりも太い腕が備わっているに違いない。
背丈だって頭二つか三つ分は大きい。
紛れもなく、腕力だけならミストレスのそれに匹敵するだろう。
そんな人食い鬼たちが数十匹、場合によっては三十を超える数がこの場で群れを形成していると考えれば、ただの奇襲で終わらせるわけにはいかない。
確実に、まずは一匹ずつ反撃の糸口を与える前に仕留めなければいけないのだ。
今にも襲い掛かりたい、そんなはやる気持ちを二人は抑えてまず真っ先に潰すべき相手を吟味していた。
やはり一番に狙うべきは骨シャブリ。
恰幅の良さも目を引くが、やはり手にした骨が気にかかる。
そのままでも武器に使えそうな大きさで、間違いなく危険な相手だ。真っ先に仕留めるべきだろう。
肉争いの二匹はそこまで優先することは無い。腰に獲物をぶら下げているわけでもなく、身の丈も正直言って並程度。
はっきり言えば素手でも勝てる相手でしかないため、そもそもスコルトの眼中にはない。
やはり真っ先に狙うべきは骨シャブリ。次いで襲うべき相手は……その時の状況で考えよう。
スコルトはそう結論付けた。
スコルトは自分と肉シャブリを交互に指さすことで、パーシに意図を手早く伝える。
パーシも同じように別の影と自分を指さすことで、獲物を決めたことをスコルトに伝えた。
狙いが定まれば、あとはネウチが奇襲を成功させるのを待つのみである。
あるいは、連中が決定的な隙を見せる瞬間を。
「――――!」
肉の奪いをしていた二匹のうちの片方が、何かに気付いたかのように鼻を鳴らして空を見上げた。
ばさり――そいつの頭上に影が広がったかと思えば実は脱ぎ捨てられた外套で、それは見事顔面にぶち当たって視界を奪い取っていた。
予想外の事態に慌てたのか、そいつは盛大に転倒する。
肉を奪い合っていたもう一匹の人食い鬼も、突然のことに思考が働かないらしく、ぎゃあぎゃあとただ戸惑いの声だけをあげている。
骨シャブリもほぼ同様だ。奥に居る他の人食い鬼たちも、もちろん同じだった。
来たか、恰好の機会が――スコルトとパーシは人食い鬼の転倒とほぼ同時に駆け出して、互い獲物へ襲い掛かり手にした武器を突き立てる。
ぶしゃりと争いの始まりを知らせる血塗られた音色が響き渡る。
スコルトの直剣は骨シャブリの腹を深々と傷つけ、その先端は筋肉と脂肪を貫いて内臓にまで達していた。
「ギャアアアアアアア!」
痛みに備える間もなく襲い掛かった激痛に、たまらず骨シャブリは悲鳴を上げる。
人間相手ならこれでけりがつくものの、相手は人食い鬼。すぐに痛みを克服して反撃の一手を打ってくることだろう。
だからそうされる前に素早く仕留める必要がある。当然スコルトはそれを実行した。
三本の腕に力を籠め、捻りを加えてさらに強くえぐる。
腕に絡みつかせた触手の力で突き上げるように前進し、さらに内臓を傷つけたところで勢いよく引き抜く。
その際に、おまけとばかりに傷口近くを蹴り飛ばせば、骨シャブリはとうとう立ち続ける気力を失い後ろへ転倒する。
「まず一匹ィ! ネウチ、よくやった! 絶好の機に飛び込んでくれたなぁ!」
返り血まみれになりながら狂暴な笑みを浮かべつつ、スコルトは彼女からすれば最大限の賛辞を贈る。
だが振り返った彼女の視界に飛び込んできたのは、外套で視界を覆われ藻掻いている人食い鬼らしき姿と、その横で武器を探して右往左往する人食い鬼の片割れ。
はてあいつ、こんな戦い方をするような性格だったかな、なんて疑問が浮かんだ瞬間、霧を引き裂く鮮烈の赤が飛び散り、次いで人食い鬼の死体が倒れ込んできた。
「うおぉすげえ! ネウチ、お前何時からそんな……ちか、らが……?」
首を半ばに切り裂かれ、そこからねじ切られている死体。
明らかにネウチとは手口の異なる死体を目撃して、スコルトは言葉を飲み込む。
よく見ると顔の表面には不気味な模様が付いている。
でこぼことしていて、まるで何か大きな腕に掴まれ乱暴に振り回しでもしたかのような痕。
こんな殺し方が出来る相手は、スコルトは一人しか思い浮かばなかった。
「こいつは違っ……くそっ、パーシッ! 新入りが先走りやがった! 援護に向かう、そこの連中はあんたが倒してくれ!」
「ちょっと、それってどういう……!」
パーシはすでに二匹目を相手にしているところだったが、少し離れた位置にいたためイタカが葬ったであろう死体を目撃できていなかった。
足元には頭を縦に割られた人食い鬼。パーシが奇襲からの一撃で作り上げた、出来立てほやほやの死体だった。
「たった今飛び降りてきたのは、ネウチじゃなかったってことだよ! とにかく、ここはあんたに任せたからな!」
「勝手に決めて……もう、判ったわよ!」
指を、肘を、膝を、太ももの肉を削ぎながら、パーシはスコルトの進言を聞き入れる。
彼女の戦い方はいたって単純、一撃で殺すか、削り落として敵の反撃を誘った所を一撃で殺すかだ。
十年以上の実戦経験がパーシの戦闘方法を先鋭化させていた。
目の前で四肢を削られていく人食いもまた、パーシの術中にはまっていた。
背丈の差のおかげで胸から上は無事ではあったが、一方的に嬲られ、傷を負い、血を流していく様には我慢がならなかい様で、威嚇でもするように雄たけびを上げながら骨棍棒を振るおうとしたのだが、その瞬間繰り出された戦斧の旋風が横脇から下顎へと突き抜けて、屈強だったはずの肉体を二分化した。
不用意な攻撃は、歴戦のミストレス相手には首を差し出す行為に他ならない。
確かな手ごたえを感じ、パーシは振り抜いた戦斧の勢いをそのまま利用して後方に跳躍する。
跳んだ先に居る相手は、今だ外套をかぶったまま藻掻いているマヌケと、ようやく武器を手に取って戦いの準備が整ったばかりのノロマだ。
距離にしてあと十五歩半先。パーシは右足から着地して――同時にその場で身を捻る。
敵に背を向け振りかぶり、左足で強く踏み込んで――戦斧、投擲。
乳白色の霧を切り裂いて飛び掛かる黒鉄色の閃光が、大きさ以外に褒めるところのない牙剣ごとノロマの肩骨を打ち砕く。
明らかな有効打。
だが分厚い頑丈な胸骨が戦斧の刃を食い止めて、かろうじて致命傷を防いでいた。
瀕死ではあるもののまだ一命を取り留めている。
しかしその持ち前の強固さも生命力も、所詮は一時しのぎの延命措置に過ぎず、日が沈むよりも早くその鼓動は止まってしまうに違いない。
ノロマも己の生命の灯が幾何かも持たない事を理解していた。ならばせめて一発でも反撃をと、胸を抉る戦斧を引き抜いてパーシに襲い掛かろうと試みる。
試みようとした――そこで終わりだった。
「遅いですよっ!」
手を伸ばし、戦斧の柄に手が触れるか触れないかの瞬間に、その指ごと踏みつけるかのように放たれた跳び蹴りが命中し、戦斧をさらに奥へと押し込めた。
飛び散る鮮血、砕かれた指の骨と死の音色。
ついに刃先は心の臓へと行き渡り、その命を奪い取る。
投擲とはただ武器を投げて当てる行為にあらず。
いかに必殺の一撃を相手に届かせるのか、その最適解の一つに過ぎないとパーシは考えていた。
そしてその答えの一つが、この――命中部位への追撃だった。
「これで三匹。スコルトが倒したのを入れて四匹になるわけね。そしてこれで――五匹」
パーシは外套を被ったままのマヌケの両脚を膝の部分で切り落とし、これで奇襲の第一段階が終わったと一息つく。
脚を落としただけでは止めをさしたとは呼べないが、流石に後輩の外套ごと斬り殺すのは少し気が引けたので無力化だけで終わらせた。
これでも十分戦力を削ぎ落とすことには成功している。
待っているのは出血死か、最後まで一匹取り残されてのなぶり殺しか、いずれにせよこの個体は死んだも同然である。
満足に戦うこともできないだろう。
次の敵に備えるか、あるいはスコルトと新人の手助けにいくか、判断を下すだけの時間稼ぎが出来あがったので、パーシはあたりの様子を見渡して、次はどう動くべきかと思案する。
と、ここで違和感に気付く。
「……妙ねこいつ」
すぐに反撃してくる相手が居ない事を確認してから、パーシはマヌケに近づいてよく観察してみる。
やはりおかしい。
すぐにほどけないようにぐるりと二重巻き以上で顔を覆われている上に、親指を除く四本の指が両手とも切り飛ばされている。
あの一瞬、ただ外套を投げつけただけだと思っていたのだが、どうやら茸か何かを重しにして上手に頭を包んだ上に、素早く武器で切り付けていたらしい。
妙に手際が良い。
嫌味な程に手際が良い。
少なくとも新入りがやったとは思えない、周到で老獪なやり口だった。
「新入りが思いつくようなやり方じゃないわ、これ。例えネウチの入れ知恵があったとしても、こんな真似、ぶっつけ本番で行える訳がないわ……」
自分達の知らない五人目のミストレスが居たのだろうか。
そんな疑問を浮かべながら、パーシは両脚の無いマヌケに素早くとどめを刺してやった。
可能性はあくまで可能性。余計なことに意識を向けるよりも、まずは敵をすべて殲滅するべきだと思考を切り替えて、パーシは霧の中へと駆け出して行った。
一方その頃、スコルトはとんでもないものを目撃していた。
気配と争いの叫声だけを便りに闇雲にイタカの姿を探していたのだが、追いつくよりも先に二匹の人食い鬼が宙を舞う姿をみてしまい、唖然として歩みを止めてしまっていた。
「おいおいおいおい、なんだよ、強ぇじゃねえかよおい!」
イタカの戦い方は強烈の一言だ。
ぐるりぐるりとその場で身を翻し、第三の腕で身体の周りを二重巻きで守りながら、人食い鬼たちが振り下ろす棍棒や骨造りの剣を弾き返している。
技量だけでなく皮膚や筋肉、骨格が相当頑健でなければ到底真似のできない所業だが、態勢を崩した敵に向かって、イタカは腕を伸ばして水平に打ち払う事で痛烈な反撃を行う。
質量と遠心力に加え、比類なき腕力まで加えられた一撃は、防御も敵わぬ必殺の打撃。
腕をへし折り身体を吹き飛ばし、着地もままならないまま相手を地面に叩きつけることで、衝撃と苦悶により即座の戦闘復帰を防いでいた。
計算された暴力だ。スコルトは自分の認識を改める。
少なくとも真っ当な生活を送ってきた人間では思いつかない戦法だ。
同じ回転殺法でもスコルトが知るパージのそれとは趣が違う、技量と質量と暴力の合せ技に舌を巻いていた。
だがその痛烈な一撃も、数が相手では大振りが過ぎた。
人間三人分かそれ以上の体重を誇る人食い鬼数匹を相手に攻撃を当ててしまうと、流石に腕の勢いも弱まってしまう。
速度が不十分であれば、所詮それはただ長いだけの腕、掻い潜ることも造作もない。
今が好機と本能的に察したようで、人食い鬼たちがイタカへと襲いかかる。
「危ねえっ!」
警告も虚しく、人食い鬼はイタカの眼前へと迫る。
スコルトは間に合わないと自覚しつつ、それでもイタカを庇おうと駆け出し――影が踊る。
前触れもなくイタカの身体が跳ね上がる。
否、浮かんでいる。
「な、何ぃ!?」
イタカは第三の腕で地を掴み、手のひら側へと身を引き寄せることで攻撃を回避する。
まるで宙を舞う蝶々や蜂のような動きだった。
例えミストレスでも、イタカ以外には到底真似のできない移動方法だろう。
絶対の命中を確信してたはずの人食い鬼はまさかの空振りに身を崩し、勢い余って転がり倒れ、丁度スコルトの眼前で格好の隙を晒していた。
「スコルトさん、それのお相手任せます」
振り返りもせずイタカは再び跳躍――宙を踊る。
両脚を上空に、頭を下に、ぶら下がった両手には二本のつるぎ。
いわば逆立ちの要領に近い格好なのだが、それをこの大きさの腕で行うともはやただの逆立ちと呼ぶことはできない。
強靭な第三の腕は今や長き逞しい脚と化して、イタカに蜂の如き俊敏さを与えていた。
不気味なほどに伸縮自在、関節の見受けられない蛇の如き大腕脚は、肉をくねらせジグザグと動き回り、他の人食い鬼達に捕まらないように身体そのものを振り回す。
空を舞う不可思議な機動力を前に、人食い鬼たちはその姿を捉えることができない。
そして時折の剣撃――ざくざくと、切り飛ばされた鼻や耳が宙を飛ぶ。
パーシの戦術にも似ているが、まったく質の異なる戦法が、人食い鬼たちに襲い掛かっていた。
人食い鬼たちは攻めあぐねていた。
隙がなく、捕らえられず、そもそも手が届かない。
ならばと賢い個体の人食い鬼は無い知恵を難とか絞り、地面を掴む第三の腕へと襲い掛かる。
だがイタカは器用に六本の指を動かして、逆立ちしている接点そのものを動かしてしまう。
巨大な脚が地面を滑るように動き回り、距離を詰めることが出来ない。
さしもの人食い鬼も思わず呆然とした表情を浮かべてしまった。
致命的なまでに隙だらけ。それを逃すイタカではない。
風に揺れるホウセンカガリキノコのように、ただぶら下がっていただけの本体が、黑光を煌めかせながら蛇の如く襲いかかる。
右の直剣、左の刀。けっして大きな造りではないが、鋭く刺突に向いたそれが上空から両鎖骨へと真っ直ぐに突き刺さり、両の肺腑と心臓を完全に破壊し尽くして命を奪う。
さらに念には念をと手首を捻り、さらに内蔵をずたずたにしながら引き抜けば、二条の血線が高く高く吹き荒れる。
本来、人間より体格の優れる人食い鬼がそのような角度からの攻撃を受けるはずはないのだが、めいいっぱいに伸ばした第三の腕で逆立ちするイタカにとっては、とても狙いやすい弱点にしか映らない。
ごく普通に地面に立っているだけなら人食い鬼たちの頭のほうが高い位置にあるのだが、イタカの場合はそれが逆転してしまうのだ。
人食い鬼たちは本能的に悟る。
自分たちの天敵の存在を。
自らが人を食い滅ぼす頂点捕食者では無かったことを。
「お前、とんでもねえやつだな……!」
何時の間にやらスコルトが、一匹仕留めてイタカの横にまで駆け寄っていた。
もはや素人と見くびっていた頃の見下した視線はそこには無い。
ひとかどの戦士を称える称賛の瞳がそこにはある。
「新人とか嘘ついてたな、お前。やり手じゃねえか。見ろよ、アイツラ怯えてるぜ」
「うーん、一応私、本当に初仕事なんですよね、これ」
「……まじかよ、おっかねえなあお前。まあ、嘘か真か分かんねえけど、頼りにすんよ。……背中、預けたぜ」
スコルトは直剣を構え直して人食い鬼たちと対峙する。
その背には、未だ空中を漂うイタカの姿。
地に集中すれば天が襲撃を、その逆を行えば今度はスコルトが攻撃を。
即席で組み上げたにしては、あまりにも崩し方の見つからない連携を前に、人食い鬼たちは二の足を踏み出せない。
だが人食い鬼たちの本能に、逃走の二文字はない。
殺しと食事と睡眠と、暴力と繁殖の事しか脳裏に刻まれていない人食い鬼たちにとって、闘争以外の選択肢が今この場を前にしても思い浮かばないのだ。
やがて痺れを切らした一匹が、己を奮い立たせる為に雄叫びをあげる。
続けざまに他の人食い鬼たちもだ。
この叫び声が途絶えた瞬間、奴らはきっと屍兵となり死に物狂いで突撃してくるだろう――そう予感させていた。
ならば先に攻めたてる。
機を譲らず此方から打って出る事で、相手の呼吸を乱すべきだと二人は判断した。
があがあと喚き立てる喧騒の中、イタカとスコルトは同時に前へと疾走する。
「死ねやああぁぁぁっ!」
スコルトの直剣が先頭の個体に向って振るわれる。
そいつは一歩後ろへ下がりつつ身を仰け反らすことで回避を試みるが、目測を誤り首に深々とした傷を刻まれる。
見ればスコルトが放った攻撃は、触手の先端で掴んで振るう一撃だった。
イタカの第三腕ほどではないにせよ、彼女の触手もまた相当に長い。
人の手よりも遥かに長い攻撃は人食い鬼の目測を誤らせ、確実な死のくちづけを押し付けたのだ。
そしてそのくちづけは、人食い鬼の首の傷から赤い喜びを解放させる――迸る鮮血として。
「そのまま前進を、どうぞ」
「おうよ! 暴れさせてもらうぜ!」
触手から右腕へと武器を持ち替えながら、スコルトは首を切った相手の横をすり抜け更に前へと突き進む。
それに呼応してイタカもまた宙を翻り、身体と腕を捻りながら回し蹴りを振り下ろす。
常識外の軌道を描いて側面の人食い鬼の顔に叩き込まれる。
遠心力と加重の乗った一撃は脳を強く揺さぶり容易く相手を昏倒させる。
如何に人食い鬼の骨格が堅固でも、中身まではそこまで頑丈には成れない。
頭蓋骨を陥没させる事には失敗したが、意識を狩るには十分な威力が込められていた。
「オラオラどうしたぁ! 人間サマがお相手だぞぉ! お前ら、人間が食いたいんじゃあなかったのかぁ!?」
浅く深く、多数の人食い鬼へ刃傷を作り上げながら、スコルトは挑発的な台詞を吐く。
もちろん人食い鬼たちにその言葉を理解するだけの知性は持ち合わせていないのだが、侮蔑的な意味が込められていることは察したらしく、さらなる奇声を挙げながら躍りかかった。
当然無策だ。故に、二人の相手では無い。
一つ、二つ。上からの黒い閃光が走り、二匹の人食い鬼の肉体を縦に刺し貫く。
イタカの投げた二本の得物の一撃だ。
激痛に二匹が止まる。と同時にスコルトが両者の首を撥ね、もうひと駄賃とばかりに奥の敵へと直剣を振るう。腹を横薙ぎ、大腸が飛ぶ。
イタカもまた攻撃の手を緩めない。三振り目、四振り目の剣を引き抜いて、別の敵へと応戦する。
今度の得物は片刃の直剣と、拳護りの付いた刃先が広めの曲刀。
上下左右に身を揺らし、時に大きく弧を描きながら想定外の位置へと攻撃を振るう。
その姿は目で追うだけでも酔いが回りそうな勢いで、まばたきを一つする間に見失ってしまうほどだ。
そうして首をきょろきょろと振って姿を探してしまうと、上空で捻り、宙返り、きりもみしながら放つ刃が、そのうなじや両腕を切って落とすのだ。
戦いはもはや一方的で、ただの殺戮の場へと変貌していた。
呼吸が百を数えるよりも速く、またたく間に人食い鬼たちの死体の山が築かれる。
もう動いている敵はいない。おそらく、この付近の人食い鬼たちはすべて狩りつくされてしまった。
イタカもスコルトもこれといった負傷は受けておらず、ほとんど無傷で勝利していた。
だが、強いて難点をあげるならば、それは――
「ううん、手がべとべとだ、気持ち悪ぅ」
「おいおい、返り血ってのは勲章みたいなもんだぞ? それをお前気持ち悪いって……まあ確かに気持ち悪いけどさあ」
「御姉様と暮らしてた時も、軽めに野生動物の狩りはしたことあったけどね、ここまで血生臭い経験は無かったなあ……ううえええ、吐きそう」
「おう待て待て待て! いや待て吐くなよ、絶対吐くなよお前! というかお前本当に素人だったの――ああああああああッ!」
その頃丁度、イタカとスコルトを探してうろうろ彷徨っていたネウチとパーシが二人を見つけられのは、水っぽいような、卵をうっかり岩の上に落とした時のような、びしゃぶしゃとしたあまり耳触りのよくない不快な音に交じって、ひときわ大きな悲鳴を上げたスコルトの声に気付いたからであった。
数呼吸後、二人は駆け付けたことを後悔する。
色々な意味での惨劇を目撃してしまう事になったからだ。