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反撃と対峙

 パーシから任務を託されたイタカとスコルトの二人組は、ティラナス公の寝所へ向けて脇目も振らずに直進していた。

 スコルトの表情は顔を覆った煙除けの当て布のせいで窺い知ることは出来ないが、イタカはその苛立ちや焦りの態度から心情を察することができていた。

 難敵メイザにしてやられそうになった事、相手を任せてもらえなかった事、司令塔であるパーシに背を任せてしまった事に、引け目負い目の念が籠っている風であった。

 それでも暴走や激情に駆られた短慮な行いの兆しが見られないのは、託されたものがあるからに違いない。

 目的を忘れるな。

 貴方を信頼している。

 二言の言葉がスコルトに揺ぎ無い使命感と意志の力を強固にさせて、この任務だけは絶対に成功させるという決意を固く誓わせていた。


 一方のイタカはいたって冷めた思考のままで駆け抜けた扉の数を数えていた。

 奪還に成功した後の脱出のための手順、あるいは挟み撃ちにされる可能性も踏まえた対策を、頭の中でぐるぐる巡らせていた。

 イタカの敬愛する御姉様は、何を思ったのか彼女にとっても判らぬ事だが、人対人の考え方も徹底的に叩き込んできていた。

 ミストレス()()()戦い方、ミストレス()()()()()戦い方も一切を問わずにだ。

 結果的にその時の教えが功を奏している訳だから、時勢とは判らないものだとイタカは少し自嘲した。

 幼いころに竹炭をくべ過ぎて住居が煙まみれになった経験が生きることになるとは、露ほどにも想像だにしていなかったのだ。


 いずれにせよイタカの考えた潜入作戦は概ね成功の兆しを見せていた。

 反乱に積極的なミストレスたちは外部へ散っているため数は少なく、内部で混乱し続けているのはあくまで反乱派に従わされている非協力的な優柔不断派なだけである。

 メイザを除き、迎撃の姿勢を見せる相手は誰一人として存在していない。

 目的までの障害が皆無と呼んで差し支えなく、イカタは天運に深く感謝の意を浮かべていた。


「……止まれっ!!」


 先陣を切って扉を蹴り開け進んでいたスコルトが静止の言葉を投げかけた。

 見ればスコルトが手に触れているその扉は今までの骨と革製の扉と異なり、しっかりと木製で組まれた――すなわち島主の間であることを示していた。

 スコルトとイタカは一旦呼吸を整えて、お互いの顔を見合わせる。

 覚悟は決まっていた。


「この辺りからはもう煙の害もほとんど回って来ていない様ですね。呼吸もし辛いですし、これは外しちゃいましょうかね」


 イタカは顔覆いを剥ぎ取り腰紐へと括り付ける。

 釣られてスコルトも同じように剥ぎ取った。


「お前の予想だと、ティラナス公はこの奥に閉じ込められているって話だったが、どう思うよ」

「概ね間違いないかあ。ただ、ここまで首謀者であるガラの姿や号令が存在していなかった事と、奥川に誰も非難してきていない事を踏まえると、多分ガラもこの奥にいるんじゃないかなって思うんだよねえ」

「へっ……高みの見物なんだか知らねえが、目的二つが重なっているのは都合がいいじゃねえかよ」

「多分誰も信じていないから、自分で監視する事でしか安心できないんでしょうね。……ああ、先に渡しておきます、これをどうぞ」

「ああん……?」


 疑問符を浮かべるスコルトに渡したのは、イタカの腰に佩かれた残り三振りの得物の一つ、両刃の直剣だった。

 意図せず二振りの得物を振るう機会に恵まれてしまったスコルトだが、珍妙な表情を浮かべたまま、一度は伸ばした腕を引っ込めてしまう。


「いや……あたし大剣だからなあ。片手で使うにはちょいと向いてない気がするんだ」

「たこ足の方で振り回せるじゃないですか。それに相手は凄腕なんですよね? とするならこちらの備えもしっかり済ませて置かないとだ。ほら、わがまま言ってないで持って持って」


 もっともな正論を吐かれてしまうと突っ返すことも出来なく、スコルトは複雑な面持ちで受け取った直剣を腰に佩いて抜き放つ。

 ギラリと鈍い輝きを放つそれを腰から生えたたこの足で握りしめ、再度の深呼吸。

 見開かれた瞳にはもう迷いの色は浮かんでいなかった。

 同時にイタカも扉の取っ手に手をかけて、スコルトの激を待ち構えていた。


「よっシャァ! 行くぞオラァァァァァ!」


 掛け声とともにイタカは大きく扉を開け放ち、勢いよく滑り込む。

 何らかの迎撃に備え、巨大で頑健な第三の腕を前方に構えて突撃し、続けてスコルトも飛び込んだ。

 攻撃は――無し。

 否、頭部を覆う指先を広げ前方を窺うと同時に、大きく弧を描いて木製の長椅子が飛んでくる。

 避けるべきか――

 受け止めるべきか――

 そのどちらの対処法を選んでも、敵は次なる最善手を取ってくるに違いない。

 そう判断したイタカは別種の対策を実行しようと構えると同時に、スコルトに向かって指示を出す。


「左後方、大きく飛んで下がって構えてっ!!」


 説明も何もない大雑把な内容だったが、スコルトは文句も述べずに素早く壁際へと飛び退いた。

 と、同時に接触寸前まで差し迫っていた長椅子を左肩から通した第三の腕で掴むと同時に、イタカもまた身を(ひるがえ)しながらわずかに後方へと身を逸らす。

 そのまま二歩三歩とたたらを踏みながらぐうるりと回転し、飛んできた勢いを殺さず生かして横薙ぎに振り払う。

 ばぎゃあ、重い手ごたえ。

 長椅子を囮とした本命の奇襲だが、予測通りとイタカは見事その長椅子を利用して防いでみせた。

 しかし防御に留まらない。イタカはそのままお返しにと、襲撃者もろとも長椅子を地面へ叩きつけようと振り下ろす。

 だが、めきめきとした異音と共に腕にかかる重量が半減し、相手は椅子の半分ほどを砕きながら飛び退いてイタカの反撃から逃れた。


 くしゃり、長椅子だったものが地面に突き刺さる。

 もはや無用の長物と判断し、ぽいと部屋の端へと投げ捨ててみせれば、相手もまた同じように手にした残り半分の長椅子の残骸をぐしゃぐしゃに砕きながら投げ捨てていた。

 木材を容易く握り絞めて壊す両の手は、異常な形状を象っていた。

 イタカの第三の腕程ではないが人よりもはるかに大振りで、肩口から指先までが激しく剛毛に覆われている。

 太さも長さも人のそれとは比べ物にならなくて、いくら腰を落として構えている格好だとしても、真っ直ぐだらんとおろした腕の甲が、地面にべたんと付いているのはどう考えてもおかしい光景だった。

 そして何よりも、その両の上腕を覆う銀色の手甲。

 剣でも斧でも槍でもなく、彼女の振るう得物は鋼鉄の手甲そのものであった。


「勘がいいのね。若さゆえの発想力かしら。正直投げ物で返されるとは思ってもみなかったわ」

「あなたが、ガラ……」


 ごくりと唾を呑み込んで、イタカは僅かに緊張したまま問いかける。

 相手はそんな様子を目を細めながら観察して、億劫そうに頷いた。


「この銀熊(ぎんゆう)のガラを知らないとは、貴方は随分若いミストレスなのね。それでこの判断力……驚いたわ」

「いや私もあなたみたいな筋肉剛腕毛むくじゃら女が相手だなんて、聞かされてなかったですよ」

「……ああっ!? そういえば、お前にガラの事、何にも教えてなかったっけか……い、いや知ってるモンかと思ってだなあ……」


 壁から離れ、肩を並べるように近づいてきたスコルトの事を横目で軽く睨みつつ、イタカは視界から完全に外すことなくさり気無くガラの身体を観察した。

 背丈は並みの男よりも高く、腕は異名通りの熊程の大きさ。

 鋼鉄の手甲はその重さだけでも人を殺すに足る質量がありそうで、隙間から延びる長く鋭い四本の爪は黄ばみ具合から恐らく自前と判断した。

 手甲ではなくあの爪が主攻撃か――イタカはそう判断する。

 熊とは似つかぬ人とも似つかぬ緩やかな孤を描いて伸びる不思議な爪は、その長さだけで人の指の二倍ほどもありそうだった。

 それで切り裂かれれば胴体の半分以上が千切れ飛ぶなと判断し、イタカは相手の脅威度をさらい一つ上げて警戒した。


「第四の腕持ちでしたか。それにしては、ヒトの腕が見当たりませんね」

「ああ、それはだなぁ――」

「そんなもの、とうの昔に切り落としたわ」


 ガラはこともなげに吐き捨てる。

 その声色からは清々したといった感情が溢れていて、まるで抜けかけの歯が取れた時のような口調で説明を続ける。


「子供のころからこの両腕の邪魔になっていたのよ。だから十の時に切り捨てたのよ。綺麗さっぱり根元からね。今ではこれが私の両腕……いいえ、これこそが私本来の腕だったのよ」

「昔ながらの人間毛嫌いですか。随分とまあつまらない理由で人間を滅ぼしにかかったもんですね。実はあなた、見た目が似ていて言葉が喋れるだけで、本当は人食い鬼の娘か何かじゃないんですか?」


 イタカの挑発もさして気に障ることもなく、ガラは鼻で笑って一歩詰める。

 若さに油断して飛び込んできてくれた方が楽なのに、などと思いながらもイタカも構え、距離を詰める。

 緊張が走る中、互いに機を図るため、舌戦は止まらず続けられる。


「人などという劣等種と同一視されるよりは、人食い鬼扱いの方がまだ良いわ。彼らもあれでいて中々愛嬌があって可愛いもの」

「うわぁ……あれが可愛いとか、趣味の悪い。人間、歳を召されると好みが変わってくるものなんですかねえ、スコルトさん」

「そこでアタシに振るのかよ。……いや、人によるんじゃねえのか? アタシは普通に顔の良い男の方が好みだけどさ」


 一歩進めば相手が一歩、相手が進めばこちらも一歩。

 交互に歩みを繰り返し、その一挙手一投足から互いの間合いを推し測る。

 だがその距離を測りきる前に、先手必勝と言わんばかりにスコルトが飛び出して、両手で握る大剣を天から地へと真っ直ぐに振り下ろす。

 ガラはこれには応じずに、脚を半歩浮かせた状態で歩みを止めて、危なげない距離で一閃を躱す。

 当然この程度の対応はスコルトも読んでいる。


 大剣を地面に叩き付けたと同時にえいやと地を蹴り身をひねり、背を向け尻を向けてそこから生えたたこの足を振るい剣戟跳撃。

 防御を考えない捨て身仕立ての一撃だが、初手でこれに反撃を合わせられる相手はそう居ない。

 どころか、むしろ反撃こそ望むもの。

 迎撃に集中してくれるのであればイタカの追撃が間違いなく刺さるはずと数の利を活かした戦法で、小手調べとしては些か痛烈過ぎる二連攻撃を繰り出したのだ。

 ガラはこれを、受け止めない。大きく左へ逸れて回避しつつも迫りくるイタカに対して攻撃の一手を講じようと腰溜めの構えを取ろうとするが、しなるたこ腕が剣の軌線を僅かに歪め、追い縋る様にガラへと迫る。


 さしものガラもそれ以上完璧な後退を行うことも出来ず、右の手甲で弾くように反らすのが精一杯だった。

 その隙を逃すイタカでもない。

 刺突細剣を胸元で構え、ガラへと向けて一直線に突き上げる。

 それと同時に第三の腕で()()()()()()()()、腕を真っ直ぐ伸ばすことで鋭く強く踏み込んだ。

 ガラはこれにも対応を、だがしかし間に合わない。両の脚で駆けるよりも素早く突き出されたその一撃はさばき切れずに、服を貫き肉をわずかに引き裂いた。

 それでも致命打には程遠い。

 むしろ負わせた手傷に対して隙だらけだと、ガラは両の手を振るう。

 果たしてその攻撃は――方や構え直した大剣がなんとか受け止め、もう片方は背の腕を引くことで後退し、見事に空振りを見せていた。

 

「存外に、やるわね……ッ!!」


 舌打ち交じりに後退しながらガラは抉られた部分に軽く触れる。

 出血量もさほどない。本当に文字通りひっかいた程度の負傷だが、それでも傷は傷である。

 まさか相手よりも先にて傷を負わされるとは思ってもみなかったようで、彼女の表情には警戒と企みの色が見て取れた。

 かといって、イタカたちにも余裕の色は浮いていない。

 まずは初手と振るった攻撃ではあったが、お互いに必殺の手ごたえを感じて放った攻撃だった。

 だがそのどちらも命を削る一撃には届きそうもなく、手数の一つを明かすだけに留まっていた。

 お互い有効打ならず。

 血と汗と体力を削る効果はあったにしろ、緒戦としてはほぼほぼ引き分けの結果で終わっていた。


「惜しいわね、貴方たちのような手練れが身内に居れば、この島を支配するのも容易いというのに」

「冗談じゃねえや、自分の事を何様だと思っていやがるんだ?」

「進化した人類。選ばれた存在よ」

「……はぁ!?」


 軽口のつもりで返した応えに予想外の返事が返ってきたことに驚いて、スコルトはすっとんきょうな声をあげてしまう。

 隙を突くのなら格好の機ではあったものの、ガラにも何やら思うところがあったのか、ふぅと大きく息をついて呼吸を整え、考えの続きを口にする。


「恵まれた生命力、常人以上の筋力。他の生き物であればたちまち毒されてしまうような、胞子の濃い霧の中でも歩くことができる能力に、第三あるいは第四以上の腕の力。選ばれし新人類、環境により適応した新人類と呼んで何が差し支えあるのかしらね?」


 ある種の強引なこじつけ感はぬぐえないものの、その言葉の内約を一言で否定しきることはスコルトには難しく、何も言い返せないまま淀んでしまう。

 二度目の隙は見逃さず、ガラは跳ねるように床を蹴り出しそして――イタカたちとは反対方向、奥へと続く扉へと駆け出した。

 咄嗟の事にあっけを取られるスコルトと、憎々しげにガラの背を睨むイタカの顔が見事に対比していた。


「まずいですね、扉の所で応戦されたら、一人づつしか攻撃ができません」

「おいおいおい不味いだろそれ! くそっ追いかけるぞ」


 追いすがるように二人も駆けだすが、数呼吸分遅れた上に二人の足並みは揃わない。

 巨大な第三の腕が生えている分足の速さが他のミストレスよりも遅いため、イタカの速度に合わせるとなると自然とスコルトも七分の脚力で走る他にない。

 だがそれだと全力で疾走するガラには追い付けないのだが、スコルト一人が突出するとなると各個撃破の憂き目に合う危険性もあるため、本気の追走には出られない。

 結果僅かに先行する事しかできないスコルトの走力では全力のガラには追い付けず、扉を開け放ち隣部屋へと逃げ込む行為を許してしまう。

 スコルトは舌打ちしながら歩幅を短く速度を緩めて武器を構え、ガラに向かって怒鳴りつける。


「進化だなんだ言っといて、やることはセコいなクソババア! そんなにアタシらが怖いかあぁん?」

「あら、言ってくれるわね。けど別に貴方たちの事なんか怖くなんかないわ。ただ、そこで戦ったら必要以上に怪我を負ってしまいそうになったから、少し戦い方を変えただけよ。それに……別に、出入り口で一対一に持ち込もうって訳でもないわよ」


 ガラは顔だけ覗かせスコルトの声に応えを返す。

 その声色には含むところはあるけれど、嘘の気配や嘲笑の類は混じっておらず、却ってイタカたちは警戒心を高める。

 果たして何の目的があるのかと、用心を重ねて扉から離れた所で布陣する。

 スコルトの脳裏をよぎるのは、持久戦からの時間切れ狙いかという考えだった。

 時間をかけすぎれば放り込んだ竹炭の煙が途切れ、潜入作戦は失敗する。

 どころか脱出すら困難になり、待つのは袋叩きか挟み撃ちからの斬殺かという未来だが、安易に踏み込む事は出来そうもないと、苦虫をかみつぶしたかの表情で扉の囲いを睨みつけていた。

 だが、先にしびれを切らしたのは――否、奥への逃げ込みの目的を吐露したのはガラの方だった。


「ふふっ、用心に越したはいいのだけれど、そちらは時間が無いのでしょう? 私も貴方たちに見せたいものがあるのだから、こんな扉の所でにらみ合っていないで、入っていらっしゃい。私も奥まで下がってあげるから、心配の必要はないわよ」


 それだけを言い残すと、ガラは本当にふっと顔を引っ込めて、気配が遠ざかっていくのを感じる。

 行動の一貫性に見当もつかず、イタカとスコルトは顔を見合わせる事しかできない。

 だが相手に地の選択権があること、最低でも目的の一つは果たさなければならない事を考えるに、二人は踏み込む以外の選択肢を選ぶことができなかった。


「……次は、私が前を」


 ガラに聞かれぬ様にイタカは耳元へ顔を寄せ囁くように小声で話す。

 スコルトも黙って首を縦に振り、二人は念には念を入れて忍び足で扉に近づく。

 意外にも扉をくぐる際、ガラは何の飛び道具も用いてこなかった。

 どうやら本当に中で何か見せたいものがあるんだなとスコルトは思い馳せるが、部屋へ三歩踏み込んだあたりから漂う不快な臭いが鼻をつき、異臭に反応して思わず武器を構えてしまった。

 血の臭い。膿みの臭い。汗の臭い。垢の臭い。

 人の身体から漂う悪臭を煮詰めたらこんな悪臭になるのだろうかと思える臭いが充満していて、スコルトは鼻が曲がりそうな思いをしていた。


 同時に最悪な予想図が脳裏をよぎる。

 思い返すのは先の人食い鬼討伐時での醜態。

 この悪臭に耐え切れず、嘔吐でも始めてしまうのではないかとイタカの様子を窺うが、スコルトの懸念に反し、嫌悪と侮蔑が綯い交ぜになった表情で一点を凝視し続けていた。

 何を見つめているのかとスコルトはその視線の先を追いかければ、天井からぶら下がる影と、その下でもぞもぞと蠢く不気味で不可解な異形の姿が目に留まる。

 暗闇になれるにつれ、一体それが何であるかを理解して、スコルトもまたイタカと同じように顔を大きく歪めた。


「なんっ…だあれは……ッ!? こんな、馬鹿な……化け物……いや、それよりあれは、そんな、まさか、

まさか――ッ!!」


 両手を鎖で繋がれて、壁に寄り掛かるように吊り下げられている存在は、この館の本来の主であるティラナス公その人だった。

 だが彼女は――その姿は、人としての形状を失っていた。

 胸と腰の中間ほどから皮膚が破れて肉が裂け、()()()()ぼろりと溢れ垂れ下がっていた。

 かつての美貌も見る影もなく、白目を剥いて口端から血泡をぼこぼこと噴き出す度に千切れた断面が痙攣し、体液を溢れさせながら()()の兆しを見せる。

 その度に床を這いずる()()()が、体躯を伸ばして()()に向かってかぶり付く。


 ガチリ、歯が鳴る。届かない。

 ガチン。これも届かない。

 ぐじゅり。ようやく()()()()()()()()内臓に食らいつき、巨体をゆさゆさ揺らして引きちぎろうと試みる。

 ぶるり、ぶるり、巨体とティラナス公の半身が揺れ、怪物が地面に打ち付けるがごとく大きく頭を振り下ろしたとき、ぶちりぶちゅりと内臓が千切れ、ぼとぼとと肉の塊が落下する。

 怪物はそれにかぶり付く、食らい付く、かみ砕く、咀嚼する。

 吸血鬼を食らう。


「……私の息子なの」


 不穏な熱のこもった声が響く。

 無論それは――ガラの声。

 彼女は()()()()な怪物を愛おしそうに眺めながら、イタカたちに話しかけてきた。


「あの子は自慢の息子なの。どう? 可愛いかしら?」


 返事はしない。

 本気か狂気か冗談か、ガラの問いかけはどうとでも受け取れてしまい、答えを返すことがスコルトにはできなかった。

 

「今年になって産まれた子供なの。もうそれなりに歳だったから、無事に産めるか不安だったけど、ご覧の通り元気な息子が産まれたわ。ごらんなさい、元気な姿をしているでしょう?」


 怪物の咀嚼は止まらない。

 おぞましさに見ていられなくなって、スコルトはつい目を逸らす。


「確率はそう高くはないのだけれど、時折ミストレスからもミストレスの子が産まれるわ。この子はそうして生まれた子。私の母もミストレスだった。この子も同じくミストレスだった。きっとミストレスが産まれやすい家系なのね。だけどこの子は少し違った。男の子だったんですもの」


 

 霧の中を歩む乙女(ミストレス)とは、その名の通り女として産まれてきた異形の存在を指す言葉。

 しかしガラが産んだその子供は、本人が言う限り男子であったと念押すように告げてくる。

 その意味を悟り、スコルトは――喉がカラカラに枯れる思いで、ガラとその怪物を交互に見比べていた。


「てめぇ……それは――」

「――ティラナスは」


 スコルトの言葉を遮って、ガラは熱に浮かされた言葉を続ける。

 彼女の瞳はらんらんと鈍く淀んで輝いて、ぐるぐると音がしそうな位の勢いで瞳孔が開いて閉じてを繰り返していた。


「この子を認めなかった。この子を私から奪い取り、生きたまま酸の湖に投げ入れた。私は水に飛び込んで助け出そうとしたけれど、皆に羽交い絞めにされ押し留められた。私は泣いたわ。泣いて泣いて泣きはらして血の涙が零れるほどに泣きわめいて泣いて、それからその場で決意したの。ティラナスを殺す。いや、殺しはせずともその生をすべて踏みにじってやることを決意したの」


 臓物を平らげた怪物は、再び餌を求めて内臓へと頭を向けた。


「そのまま一日が過ぎたわ。酸の湖のほとりには、私一人だけが残されていた。もうみんな、私が放心し諦めてしまったものだと考えていたみたい。ふふ、馬鹿な連中。私はその場でずうっと復讐の算段を付けていたって言うのに。でもその方が都合がよかったわ。不意にね、気配がしたの。水音が響いて、変な異臭と共に水辺から這い上がってくる音がしたの」


 ごくりと、誰かが鳴らす唾の音が響いた。


「息子だった。私の子供は自力で酸の湖から這い上がってきたの。ミストレスとしての強靭な生命力が、酸の毒に耐えきったの。私はその子を拾い上げた。生きている。その時、脳裏に完璧な復讐の計画がおりてきたわ! この子に、あの憎い吸血鬼どもを食らわすの! あいつらの血肉をありったけ食べさせて、育てて、疑似的な吸血鬼にして! ミストレスとしての力と吸血鬼としての再生力を生かし、私は息子をもとの身体に戻すと同時に奴らを淘汰し、家畜にし、二度とこの子に危害を与えぬように四肢をもいで自由を奪い取ってやることにしたのよ!」

「それが、お前が反乱を行った理由ってわけか……? じゃあ、島の民たちを殺した理由は……?」

「吸血鬼を主と称える愚かな連中に罰を与えてやったのよ。いいえ、もちろんミストレスの国を作るという理由は本当だわ。私の様に、悲しい思いをするミストレスはもう十分ですもの。人という劣等種を滅ぼし、吸血鬼を家畜にし、選ばれたミストレスとその子供たちだけで繁栄する地を作ろうとしたまでよ」

「馬鹿なんですか?」


 短くそして痛烈な否定の言葉が冷ややかに打ちつけられた。

 その言葉の余りの短さ故に、千の言葉を連ねた台詞よりも手ひどく相手を叩きのめした。

 ぐるりと目を剥いて睨みつけるガラに対し、言葉を発した主であるイタカは心底馬鹿にした風体で武器も構えることなくガラの行動を批判する。


「いやあ、馬鹿な事を計画したもんだなあとは思っていたんですけどね、まさかここまで愚かな理由だったとは……巻き込まれた他のミストレスの方々はいい迷惑ですなあ」

「愚か……ですって!? 小娘風情が、何を……」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そんな事、この島の住民ならみんな知っている常識ですよね、スコルトさん?」

「あ、ああ……。何時どうやって寄生されてるんだか知らないが、アタシもそうだって教わった」


 もしも視線に込められた殺意の量で人を殺せる力が発揮できるとするならば、きっと今のガラの眼力ならば十度は人を殺せるだろうなとスコルトは少し的の外れた感想を抱いていた。

 それほどまでに強烈な視線で睨みつけてくる相手を、イタカは気にした風もなくさらに馬鹿にする言葉を口にする。


「どうせ私の子供は違うとか、特別な子供なんだって勝手に思い込んで祀り上げて、頭ごなしに否定されたからむきになって反抗したんでしょう? くっだらない。貴方は私たちミストレスの事を、優れた新人類だとか進化した生物だって思っているようですが、実際は違いますよ」

「何を言っている? 私たちは霧の中を歩くことができる。強い力を持っている。特別高い生命力を持っている。それは私たち自身が証明している事。あの子だって、酸の中で生き延びた力があるわ」

「違いますよ。こんなの、本当に大した力じゃないですから。私たちは生まれる前から、母親の胎内にいたころから茸の毒に犯されて、人より古い生き物の姿を思い出さないと産まれる事さえできなかった退化した生物、ひとでなしの娘たちなんですから」


 吐き捨てるでもなく卑下するでもなく、それが事実だと言いたげに、イタカははっきりと断言した。

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