ポッカとミストレス
三男坊のポッカの朝はいつも早い。
毎日母や兄弟が寝床の中に包まっているうちから地下の家畜室に潜り込んで、香乳馬やカタイラ鳥の世話をしなければいけないからだ。
餌となる飼茸を家畜たちのために細かくちぎり、前日の食べ残しや糞尿の後始末をし、毛並みを整えたりゴミを地上に持ち運んで処分するのがポッカの仕事だった。
宿屋の息子としてはごくごく標準的な仕事量だったが、自分に割り当てられた仕事が終わるまで食事をとることが許されないため、ポッカは自分の待遇に不満を抱いていた。
「ちくしょう、兄さんたちめ……! 今に見てろよ、何時か兄さんたちの仕事を分捕って、僕が今やってる家畜番の役目を押し付けてやるんだからな……!」
父が作る美味しそうな朝食の薫りに胃袋を刺激されながら、ポッカは愚痴を吐きつつ階段を下る。
家畜室への階段は、ある程度形を整えたとはいえ、でこぼことしていて靴裏の安定が悪い。その上表面が湿っていて粘菌も這っているため、時折滑りやすい場所がある。
ポッカも毎日がんばって粘菌を払ってはいるものの、家畜の世話をしながらの清掃は、流石に一人では手が回らない。どうしたって、少しずつ菌の繁殖が進んでいく。
ずるずるのぬちゃぬちゃになってしまった時は、両親か近所の火操師のおじさんに頼んで焼き払ってもらうのだが、いましばらくは問題がなさそうなので気兼ねなく降りた。
いやむしろ、昨日よりも歩きやすいかもしれない。
ポッカは清掃を頑張った甲斐があったなと誇らしい気分になった。
とはいえ気分では腹は膨れない。兄たちが自分の朝食をちょろまかす前に終わらせなければと、皮張りされた骨製の扉を開けて、家畜室の中へと入る。
むわんと、香乳馬の甘い香りと糞尿の据えた薫りの混じった独特の臭いが鼻孔に広がる。
ポッカはこの匂いが苦手だった。もちろん彼の兄弟たちも苦手だった。そして当然の如く、両親も。
みんなみんな末っ子の僕に押し付けるもんだから嫌になるよ。
友達にそう愚痴ってみても、毎日新鮮な乳粥を飲めるのは宿屋の息子か地主様だけなんだから、そのくらい我慢しろよと説教じみた文句を言われ、ポッカは大層腹を立てたことがある。
「よくいうよ、確かに僕は毎日食べられるけどさ、いっつも飲めるのは冷めきった状態の粥じゃないか。くそっくそっ。毎日じゃなくてもあったかい粥が飲める方がいいじゃないか、くそっ!」
むしゃくしゃして、飼茸をむちゃくちゃに引きちぎる。
ポッカのいつもの日課。飼茸への八つ当たり。
むちゃくちゃでも丁寧でも、裂いてしまえば同じ茸。香乳馬やカタイラ鳥からしてみれば食べられる大きさであれば過程はどうでもよく、餌箱に放り投げられるたびに頭を突っ込んで旨そうに咀嚼する。
朝食の順番が家畜にすら劣る。ポッカは不満で不満でしょうがなかった。
「……うん? まだ一匹、寝込んだままの奴がいるな」
怒りながらも仕事に忠実に励んでいたポッカだが、香乳馬の寝床の奥にまだ傘がかぶさったまま膨らんでいる茸寝袋が目に入ってしまい、つい独り言を漏らしながら手を止めて凝視してしまう。
いつもなら、家畜室の扉の音が聞こえるだけで飛び出すように起き上がって餌をねだる香乳馬たちが、一匹だけ寝込んだままなのはおかしいと、ポッカは柵を飛び越えて茸寝袋に近づいた。
茸寝袋は生き物の老廃物や汗を栄養として取り込む風変わりな茸類の一つだった。
人間が使うヒラメノコという茸布団と違い、茸寝袋は馬や牛といったとても大きな動物でも潜り込んで眠れる大きさと耐久性がある。
香乳馬たちは眠りに就く時、器用に全身を潜り込ませて寝るのだが、足の一本や二本くらいはみ出たまま眠りこけているのが常である。
それなのに、今日はやけに丁寧に全身包ませて寝ているな……と近づいてみて、驚いた。
傘と根っこの間から、衣服がちらりと覗いている。
ポッカはびっくりした。家畜室に忍び込んで居眠りをしている奴がいる。
さては家族と喧嘩して飛び出したはいいけど他に行く手もなくて、仕方なくうちの家畜室で不貞寝でもしたのだろうか。
ポッカはそんな予想をし、はた迷惑な奴め、だったらこっちも大声で驚かせて夢の世界から叩き出してやる、と身体に掛かっているだろう傘の縁を両手で掴み、がばっと持ち上げながら叫び声を上げようとした。
「おらーっどこのどいつだおま……え……?」
そこに居たのはポッカの予想に反して、見知らぬ寝顔の少女だった。
背丈は母親と同じくらいだろうか、くるんと胎児の様に身体を抱えた格好のため、正確なところは判断できないが、大体それくらいかなとポッカはぼんやりとした思考で当たりをつける。
傘からはみ出ていたのは寝床に敷いたであろう外套の端っこで、よく見ればかなり上等な素材でできているのが見て取れる。
表生地はノボリオオクロアカガエルの皮膚をなめしたもので、裏地はポッカの見たこともない蛇らしき皮が使われている。
ふかふかとした十分な厚みがある事から、中にはキジムシの糸か何かが詰まっているに違いない。
少女が着衣している衣服もまた、外套に負けず劣らずの素材でできていることが見て取れる。
少なくともポッカが今着ている、オオミドリマダラアゲハハゲトカゲの皮服よりは、よっぽど上等そうだった。
だがそれよりもポッカの眼を強く引いたものは、少女の背中から伸びる灰色の大きな手。
首の付根の後ろ側あたりから伸びる、身長よりも大きく長く逞しい第三の異形の腕。
少女はそんな代物を、股の間を通してぎゅうと抱きかかえて眠りについていた。
「み……霧歩む乙女」
かすれた声で、ポッカはそれの名前を口にする。
奇妙な部位を身体からぶら下げた女たちの呼び名が、それだった。