モカの決断
二千三十九年七月四日の月曜日。
恵子の突拍子の提案を、『天使のボイス』の惨状を目の当たりにして、その場で、親に連絡。バイトの許可を貰ったモカは、その場でバイトの返事をした。
したのだが、恵子に、
「オッケー、じゃ。あとは学校と部活メンバーに話な。ほら、うちの学校、バイトオッケーだけど、ここはちょっとグレーっぽいところあるからな。あと、部活メンバーに話しとかないと、ないとは思うけど、あとあとケンカになりかねねぇからな」
と、諭され即採用とはいかなかった。
その朝。の部室内。
例のごとく、三紅はいなかったが、姫乃と椎菜はいたので話をして見ることにした。
「あ、あの、白雪姫さん、椎菜さんお話が?」
「だから、白雪姫って呼ぶなっつうの。で、どうした?」
「どうしたの?」
それぞれの作業を止め、モカに向き直る。
「あの、実は昨日、『天使のボイス』へ行き、恵子先輩にお会いしたのですが、そこで、日曜だけバイトしないかと、誘われました」
姫乃がコーヒーの仕訳を再開すると、同時に声。
「ふーん、いいじゃね?」
「ボクもモカがそうしたいなら良いと思う」
予想以上の好感触で、どうしていいかわからずに、モカは聞き返す。
「あの、どうしてって聞かないんですか?」
「別に? どうせ、先週の部長定例会義の時に、オレがいなかった時、てんやわんやだったから、それが理由じゃねぇの?」
「あー、ボクもそう思う~」
「それはそうですけど……」
口をモゴモゴと動かすモカ。なにやら納得していないらしい。
その事を悟り、ため息混じりに、めんどくせぇなぁ……と、捨て台詞を吐いたのちに、姫乃は言葉を続ける。
「あんな。そんな事、オレだってわかってんだよ。だから、誰かが言い出してもおかしくないと予想していた。オッケー?」
「そうそう、ボクも姫乃にコーヒーの淹れ方、こっそり習ってるしね!」
「そう、なのですか?」
「おう、だから、行ってこい! そして、学んで絶望してこい」
最後の言葉は、引っ掛からないではなかったが、姫乃は素直でない性格だと知っていた、モカは照れ隠しだと、思い言及はしなかった。
そして、モカは満面のキレイな大人顔負けの笑みになった。
「はい! 行ってきます!」
純粋に応援する椎菜。
「うん。行ってらっしゃい」
「はい!」
ジト目で釘を刺す姫乃。
「一応、行っておくが、本業はここの料理長だからな。バイトのせいで、本業がおろそかになったら、バイトは問答無用で辞めて貰うかんな」
「はい! 気をつけます!」
カランコロン。
どこか気だるげに鳴るドアベル。その刹那、眠そうな三紅が表れた。瞼が上がっているのか降りているのかわからない細さで。
「うーん、おはよー。みんなー、あれー、なんの話してたの~?」
姫乃が、邪悪な笑みを浮かべ言う。
「おー、三紅。モカがバイト始めるってよ?」
「ふーん、そうなんだー? ……。…………え? え!? えーーーーー!?」
数秒間、言葉を耳で咀嚼し、ようやく脳に届いた三紅は、遅まきに驚き、高周波ボイスを浴びせた。
三紅の叫びはスタングレネードめいた――光は出ないが――破壊力がある。
予想して耳を塞いでいた三人でさえ、耳鳴りが聞こえ音が遠い。そのうえ、頭が揺れる始末である。
おそらくもろに聞いていたら、良くて三半規管がしばらく機能しなくなる。悪くて気絶。最悪の場合、鼓膜が破れていただろう。
そんな凶器を自分の喉から出したとは、夢にも思っていない三紅は、甲高い声でモカを問い詰める。
正直言って、さっきの叫びによる頭痛がまだ収まっていない状態で、三紅の声を聞くのはキツいものがある。
だが、三紅に悪気はないのだ。むしろ善意の塊。本当にモカの事を心配している。
それ故にモカは、指摘出来ずにいた。
姫乃と椎菜は徐々に三紅とモカから離れて行く。その事に若干の腹立たしさを感じながら、モカは三紅の声に耳を傾けていた。
「え!? 何で!? バイト!? ここがいやになったとか!? そうだよね、モカの負担が半端ないもんね。でも、今モカにやめられちゃうと、本当に無理なんだ。だから、営業日数を減らすのはどうかな!? それなら、モカの負担も減らせるし!」
「あ、あの、そうではなくて……」
「じゃ、じゃぁ、美冬さんと、クーシーさんのお店が立ち行かなくなったとか!? それなら、あたしのお母さんに頼んで昔馴染みの銀行さんを紹介するから!? ね!?」
「い、いえ、そうでもなくて」
「じゃぁなに!? あたし達に言えないようなこと!? 何でも言って!! あたし協力するから!!」
マシンガントークで、圧倒され、モカはなかなか言わせてもらえない。
ようやく切れ目が見えた頃には、始業時刻ギリギリだったので、結局三紅への説明は、昼休みになったのである。
* * *
ところは変わって、放課後の理事長室。
昼休みに三紅への説明を終えたモカは、その足で生徒指導室に向かった。
バイト許可書を貰うためである。
貰って、必要事項を明記し、部活をしていれば、その顧問の先生に出して受領して貰えればオッケーとのことだ。
この学園では、良くも悪くも、各生徒に生じる責任は、担任より、部活の顧問のほうにある。
その理由として、担任はえらべないが部活は選べるから、という点が一番大きいだろう。
家庭の事情でバイトをしなくてはならなくても、担任が自分の保身に走るクズであれば、最悪だし、中退の危険だってある。
その点、部活の顧問のほうに責任を与えたら、そういう家庭の事業を考慮してくれる顧問のいる部活に入れば万事解決だ。
その結果、生徒思いの先生が怒られ、自分本意な先生が得をするという流れが出来ているのだが。
けれど、注意止まりだ。減給はもちろん謹慎、退職などは、特段の事情がない限りしない。
そう先代の理事長からの取り決めである。モンスターペアレントが出てきたとしても、その先生が悪くなければ徹底的に守る。
私立だからこそ、出来るやり方だが、校風に合わなければ、退学でも転校でも好きにすれば良いと思っている――その先のケアはちゃんとするが
――。
そういう風にして、善の蠱毒を繰り返して行き、勝ち取ったのが、今の校風である。
そんな学園の理事長が、部活のメンバーのために、バイトして経験を身に付けたい、というモカの想いを無下にする事など、もちろんなく、
「そ、良いわよ」
と、二つ返事で了承してくれたのだ。
のは、良いものの、やはり納得が行かないモカは、承諾してくれたのにも関わらず、反論した。
「なんでですか!? もっと慎重に考えるべきでしょ!? 理事長なんですから!?」
神坂の苦笑。
「と、言ってもねぇ? あなたは、ケーキ屋の娘で、昔から接客もしてたんでしょ? それなりに客に対する危険察知能力もあるだろうし、『天使のボイス』は《青空出版》が、経営しているお店でしょ? バイトに危険なことをさせたら、それこそ出版会社のほうに大ダメージだわ。それに、あなたを誘ったのは他の誰でもなく、天野さんでしょ? わたしは天野さんのことを信頼しているわ。以上」
「ウグッ……」
言い返そうにも、なんて言い返したら分からず、言葉にならない声を漏らすのみのモカ。
ともあれ、これで、モカのバイトは学校から正式に許可を貰ったということで……。
「他に用事はある? ないわね? じゃぁ、解散。わたしね。こう見えても忙しいのよ。妹達を愛でるのに」