モカの日常①
ここは、《星空出版》経営のメイド喫茶、《天使のボイス》。
その店内。メイド喫茶とはいえ、外装はともかく、店内はゆるふわでお花畑の空間ではなく、ちょっとしたおしゃれな喫茶店だ。
カントリー風なデザインを基調とする椅子やテーブル、カウンター。最近はめっきり減った木材を使った家具家具が暖かみが感じられる空間になっている。
そこに、メイド服の給仕がいるだけという感じである。
因みに、メイドコースと通常コースの客は、メイドコースの客にダメージがないように、入店場所もスペースも別れている。
通常コースは、地上にある入り口から。メイドコースは、地下駐車場にあるトイレがある小道の突き当たり。そこにある一見、バックヤードとも見間違いそうな、金属製の扉。
そこを入ると、すぐ前にあるエレベーターで、地上に上がると、そこは主人を待つメイド達が出迎える店内。
ちょっと秘密基地っぽいところも、ある意味、男性心燻る点である。
モカが今いるのは、通常コースではなく、メイドコースの空間である。
可愛らしい呪文を唱えながら、客を手玉に取るメイド達。
そんな中、モカは肩身が狭い思いをしていた。
別に、好きでメイドコースに来た訳ではない。メイドコースには、好きなメイドを呼び出せるというオプションを無料でつけることが可能だ。
モカは、そのオプション目当てで来ている。
呼び出すのは勿論。
と、ちょうど昼食時ということもあり、オムライスを注文して、早、数分が経過した。
場の空気に慣れなさすぎて、モカの体感時間では、永遠にも感じられた。
ついに、待ちに待ったその瞬間が訪れた。
「お待たせしっました~。ご注文の、オムライスでぇす。ご主人さ……」
ノリノリの営業スマイルに、営業トークでオムライスを持ってきたのは、頬にソバカスが目立つメイド――恵子――である。
恵子は、モカに気がつき、言葉を静止。
若干のひきつりを見せるも、営業スマイルと営業トークは絶やさない。
「え? ご主人様!? メイドの業務にご興味があるんですか!? でしたら、こちらへどうぞ! ご主人様にメイドの業務の適性があるか、審査しますので~」
モカがとりつく島もなく、恵子に半ば強引に、バックヤードに押し込んだ。
押し込むと、恵子は素の口調となり、厨房で働くメイド達に、断りを入れてからさらに奥へと、もかを連れ込む。
「っす。すいません。先輩方、ちょっと休憩スペース借りるっす」
「はーい、あなたは働きすぎだから、たまにはサボりなさいな」
「こっちは、あたし達がなんとか、時間を稼ぐから、ゆっくりしてらっしゃいなー」
と、少々情けない了承をいれる、先輩方の言葉を後ろに、休憩スペースへとモカを投げ入れる恵子。
壁際に二歩、三歩とよろめくモカ。なんとか立て直し、振り替えると、瞬間。
ドンッ!
という音と共に、左肩近くの壁に手が飛んで来た。
同時に、恵子が物凄い剣幕の声。
「おいおい、どう言うことだ。後輩……。まさか恵子のことをからかいに来たんじゃ、ないだろうな」
いつもなら、剣幕もどこを吹く風と、何食わぬ顔をするモカであるが、さすがに先輩の逆鱗に触れては、その限りではない。
「い、いえ……」
「じゃあ、なんだって言うんだ? あぁん!?」
「そ、その……先輩に頼みたいことがありまして」
モカがそこまでをなんとか、言葉にすることに成功する。
恵子が、モカの『頼みたいこと』という言葉に強く反応し、剣幕を懐におさめると、改めて問う。
「恵子に頼み事?」
「は、はい。でも、せ、先輩の住所わからないですし、仕事を終わるのを待って、お時間を作って貰うのも、おとうさんのこともありますし、それで……」
恵子が、モカの最後の言葉を奪い取った。
「それで、オプションを使って恵子のことを呼び出したって言うのか?」
こくこくと、高速で首を縦に動かすモカ。
その反応をみた恵子は、視線を落とし、しばし硬直。
「あ、あの……せん、ぱい?」
無言が耐えられなくなったモカが呼びかけると、突然恵子の肩が震えだす。
怒らした!
本能的にそう悟ったモカは、素早く弁解を試みる。
「あ、あの、やっぱり迷惑でしたよね! すみません。私帰りますね!」
そこまでを一息で言うと、逃げるように退散しようとするモカ。
だが、間一髪のところで、恵子の次の行動があり、そのおかげで、モカが退散することはなかった。
「ハハハハハハハハッ……!!」
「へ?」
腹を抱えて笑う恵子。その光景を目の当たりにして、理解が追い付かずに、モカの口からは気の抜けた声が漏れ出た。
その後、モカは、恵子の笑いが収まるまで口が空いたまま固まっていた。
しばらくして、ヒューヒューと息をあげながら、まなじりに溜まった涙を指で拭う。
と、同時に声。
「いやー、ワリワリ。そんなことでメイドコースの空間に来たのかと、思ってな……」
「い、いえ……」
モカは混乱のあまり、その一言を出すのだけで精一杯だった。
「じゃあ、あの空間にいるの辛かっただろ?」
「い、いえ!!」
今回は本気で否定するモカ。何があろうがそこで真剣に働いている人がいるのだ。そんな場に自分から足を運んでおいて、辛かったとは、なんとも失礼なことである。
脳をフル回転させ、モカは全力で否定をする。
想いを汲み取った上の、恵子の苦笑。
「気を使わなくて良いって。恵子もここで働いている先輩達も、なんでメイド喫茶なのか、わからんねぇからな」
「は、はぁ……」
「いや、恵子も悪かったしな。どうやって恵子に会うか伝えてなかったしな」
「いえ、そんな……」
「次から恵子に会いたい時は、通常コースの入り口から入って、店員に言って呼びつけてくれたらいいからな」
仕事の休憩時間を使って会いに行くからなと、恵子はにかっと気前のいい笑みで、応じる。
これにモカが表情を曇らせる。
「そ、そんな悪いですよ……」
恵子は、モカの罪悪感を払拭させるべく、極々普通のことのように、男前な言葉を紡ぐ。
「いや、マジで良いって。後輩の悩みを聞くのは先輩の仕事のうちだからよ。それに、アイツを説得する材料になるかもだしな――」
恵子の『アイツ』という言葉。それが誰を指すのかは、モカは言及しなかった。いや、それだけではない。その事事態の話題に関して、相づちを打つのも避けたのである。
それほどまでに、カフェオンライン部における『アイツ』の存在はナイーブな問題である。
「――それに、後輩たちが頼れる先輩は恵子しかいないからな。今は! 恵子は嬉しいんだわ、恵子を頼ってくれて」
歯を出しながら満面の笑みで、告げた恵子の言葉を真っ正直から受け止めたモカは、心がいっぱいになる。
「せん、ぱい……」
「で? 恵子に頼み事ってなんだ?」
モカが少し声のトーンを落として本題に入る。
「先輩は、その……。二つなで……」
「ん? あぁ、《オールラウンダーのバリスタ》か?」
「はい、その《オールラウンダーのバリスタ》ということは、視野が恐ろしく広く、誰が欠けても代わりに入れていたって言うことですよね?」
「まぁな! ん? なんだなんだ。後輩。恵子みたくなりたいっていうのか?」
と、恵子が、モカの言いたいことをそれとなくフォローしている。
「は、はい。今のカフェオンライン部は、誰が欠けても回らない。そんなギリギリな状況でやってることが、痛いほど実感しました。私が、代わりにやろうとしたのですが、上手く行かす……」
「なるほどな。それで、恵子に教えを乞おうと?」
「は、はい! お願いできますか?」
眉間にシワを寄せながら、頼み込むモカ。これに、恵子はしばらくうーんと、唸り声を上げながら考え込む。
その末に、恵子が出した答えは。
「なぁ、後輩。ここで働く気はねぇ?」
という、予想外の答えだった。
あまりにも予想外すぎる答えに、モカは気の抜けた声で「はい?」と聞き返した。
「いやなに。毎日とは言わねえよ。日曜だけで良いし、もちろん友人の約束等が入れば、そっちの方を優先してくれても構わねえ」
「あ、あの……」
「そうすれば、恵子の時間も浮くし、後輩にも金が入る。ウィンウィンだ。どうだ? 悪くない提案だろ?」
「あの、そんな大事なこと、勝手に決めていいんですか?」
「あー」
恵子は唸るような声を上げたのちに、ま、ついてきてみ? と軽く苦笑をモカに飛ばす。
そのまま、身を翻し、来た道を戻り始めたのでモカもそのあとを追う。
「戻りました~」
恵子が軽い口調で、モカを連れバックヤードに戻ると、瞬間的にモカは絶句する事となった。
惨状。という二文字でしか表せないほど、バックヤードは荒れていた。
まだ、恵子が離れてから三十分も立たずに、だ。
その状況をモカが飲み込むのを待ったかのように、恵子は後ろ目でモカを見ながら苦笑。
「な? これが、今のこの店の現状というやつだ。恵子がいないと、回んねぇんだわ。とくに日曜の厨房は……」