I'm cry……
現実世界に戻った、雪那の目に飛び込んできたのは、椎菜の怒りの目であった。
決して、雪那に向けたものではなかった。なかったが、自暴自棄になった雪那はその眼差しを自分に向けているものだと、勘違いしてしまう。
そして、視線を落とし、声。
「ごめん、用事思い出したわ。椎菜、お姉さんと一緒だから大丈夫よね?」
雪那の声は震えていた。雪那の目辺りにキラリと光るものがあった。
それを視認した椎菜は、雪那がどこかへ行ってしまう、その前に物理的に繋ぎ止めようとする。
しかし、それはかなわなかった。
それより前に、雪那が動きだしたからである。
雪那は、そのまますたすたと玄関へと向かい、外へと出て行ってしまう。
その間、ユゥ姉は、我関せずみたいな顔で、スマホに目を落としていた。
雪那が去った直後、椎菜が泣き混じり激怒。
「酷いよ! ユゥ姉! あんな闘い方ユゥ姉らしくないよ! 雪那に謝って!!」
「あー、うん。ボクもちょっとやり過ぎたかなと思ってる……」
ぽりぽりと頬をかきながら、気まずそうに言うユゥ姉。
そんなユゥ姉の反応に、椎菜はいつものユゥ姉だと、思い冷静さを取り戻す。同時に声。
「何か理由があったの?」
ジト目の椎菜に軽い口調で弁明をする。
「あー、うん。実は会わせたい人がいて……。きっと彼女なら、雪那ちゃんを成長させてくれるはず。そのために、ボクは悪役になったんだ」
「ふーん、そうなんだー」
椎菜の棒読み。
「だからー、ごめんってばーー!!」
* * *
ユゥ姉の家を飛び出てきた雪那は、近くの小さな土手で踞っていた。
東京には緑が少ない。という印象は昔のこと。近年、自然保護の影響もあって、東京に緑を取り戻そうという動きが活発化になっている。
とはいえ、商業施設が建ち並ぶところでは、思うように進んではいない。それでも、住宅地をちょっと外れた場所では、緑が生い茂るようになった。
この土手も、その一環で緑が生い茂っている。
そんな場所で、雪那は一人踞っていた。
「なにやってんだろ、雪……」
と、本日何度目かわからない、自責の言葉を呟いていると、不意に耳元から、声をかけられた。
「えっと、あなたが雪那さんで、いいのよね?」
そんな歯切れの悪い声かけに、雪那は少々八つ当たり気味に答えながら振り向く。
「そうだけど?」
キッと、睨んだ視線の先には、スーツ姿の女性の姿。
群青色の長い髪を靡かせながら、こちらへ向かって、座っている。
顔はキツめであるも、整っており、出来る女というような印象だ。
そんな女性はキレイな蒼白色のフレームの車椅子に乗っている。
その理由は、一目見ただけで明らかであった。なぜか。それは右足が根元から無いのだから。
そんな隻脚の女性を一瞥し終えた雪那。
普通の人であれば、車椅子の人を睨んだことを後悔しそうに、なってしまうかもしれない。だが雪那は違う。睨んだことを後悔なんてしない。
車椅子に乗っている人だって、椎菜のように、普通に考え、普通に暮らしているのだ。外見が違うだけで、態度を変えるのは、それこそ失礼というものだ。そう考えている。故に後悔はせず、睨み続ける。ファンサービスする気分じゃないの。あっちへ行ってもらえる? と。
しかし、隻脚の女性は、そんな雪那の思いとは裏腹に、喋り続ける。
マイペースに、抑揚のない声で。
「一時間以上、探したわよ」
「一時間以上、も、ですか? 雪を?」
雪那は驚いた。一時間以上も探したのか、と。いや、正確には、驚きより一時間以上も掛けて、探す理由のほうが気になっていた。
単なるファンなら十分ほど探したところで諦めるだろう。それなのに一時間以上も探していたのだ。
いったいなんのために。
その答えは、次の瞬間、隻脚の女性から自ずと答えが紡がれた。
「ええ、そうよ。友人に頼まれて、ね」
「友人?」
聞き返す雪那。
「ええ、なんでも、あなたと私を引き合わせたかったみたいよ?」
その言葉で、この人物が何者なのか、大半は理解し、その場から離れようとする。
立ち上がり、すたすたと歩き出す雪那の後ろ姿に、静かな声を飛ばす。
「全く、嫌よね。天才は……。何を考えているのかわからないし、こっちの苦労を知らずに、楽しむし……」
「何がわかるって言うの!! 知ったような口で言わないでくれる!? あなたもあちら側なんだから、こちら側の気持ちなんて、わかるはずないわ!」
雪那は、立ち止まり、声を荒げた。
あちら側とは、もちろん天才側ということ。対し、雪那は凡才側。いや、絶対記憶という、特異な体質であるため、秀才と言ったところか。
それでも、秀才止まりなのである。
どんなに努力しようとも、天武の才を持つもの達には敵わない。
それがほんの数時間前、証明された。
そして、それはどんなに頑張ろうともW.C.Sには勝てないことも意味する。
いつかは勝ちたいと、そう願ってきた目標が、突如として絶対越えられない絶壁に変化したのだ。その絶望は計り知れない。
まぁ、最も、雪那が落ち込んでいるのは、そこではないのだが。イベントバトルでは、微笑みの聖剣と互角に渡り合えていた、W.C.S。それが、自分が立てた作戦のせいで、微笑みの聖剣に手も足も出なかったのが、何より辛いのだ。
そんなことが彼女に、分かる筈がない。なぜなら、この隻脚の女性は、天才型のプレイヤー、絶対零度の殺神なのだから。
絶対零度の殺神は、微笑みの聖剣と同じく、天武の才を持っている。そう思えるほどに動きが洗練されている。そう思えるほどに、凄まじい殺気を放っている。
そんな彼女に、秀才の気持ちが分かる筈がないのだ。
「私があちら側の人間? 笑わせないでくれるかしら? 私はそちら側の人間よ。努力して、あそこまで上がってきたの」
「ふざ――」
――けないで!!
雪那は、振り返りながら、怒声を浴びせようとした。だが、それは出来なかった。
振り返った雪那が見たものは、心底悔しがる女性の表情立ったのだから。
雪那が罵倒を飲み込むと、ほほ同時。女性の独り言のように呟く。自嘲を伴う反論が紡がれる。
「私が天才なら、少なくともあの子に傷を付けさせたりしなかったわ。あの子に一生残る傷をつけたのは、紛れもなくこの私の実力不足。ま、そのあと、カッとなって、脚を一本喪ったけどね」
「あの子って、もしかして、紅の天使さん、ですか?」
心底後悔しているような口調で、言う女性の表情を目の当たりにして、そういう結論を口にした雪那。あまりにも、深刻な事実に、自分の感情など捨て置いた。
女性は、眉間にシワを寄せながら、苦笑。
「さて、どうかしら?」
と、はぐらかす。そして、再び抑揚のない声に戻ると、少し話がずれたわね。と前置きをして話を自分のことから、雪那へとすり替える。
「ま、私に言わせると、あなたが立てた策で、誰かを死なせた訳じゃないし、誰かに一生残る傷を、負わせた訳でもない。たかだか負けなしの椎菜に一つ黒星を付けただけで、なんだって言うのよ。って感じよ」
確かにその通りであるが、それは本当の痛みを知った女性だから言えることだ。他の誰かに言われたら、雪那の心に響かなかった。いな、激怒していたであろう。
「それも、そうね……。雪が間違っていたわ。こんなことで諦めてやるもんですか」
「そうそ、その意気よ。それに、次の大型アプデはあなた向きのものになると、思うのだから」
「それはどういう意味ですか?」
ゲーマー魂燻る情報を呟いた女性。雪那は更に女性から情報を取ろうと試みた。
もうすっかりいつもの雪那に戻ったようだ。
「そうね。あなたは口が固そうだし、あの子が迷惑を掛けたようだし、良いわ。教えてあげる。それに、あの子ももともと、そういうつもりだったようだしね。そうと決まったら戻りましょか?」