promise
二千三十九年六月二十七日の月曜日。
カランコロン。
トアベルが、小さく鳴り響く。
部内は、シックな壁の色と、センスある照明、落ち着き溢れるインテリアのせいか、若干暗めな印象だ。
しかし、学校基準である照度は三百ルクスと、きちんと守っている。
それなのに、こうして、心地よい薄暗さを演出出来ているのは、匠の業というやつかしらね。
等と思考を巡らしながら、部室内に入ってきたのは、雪那である。
雪那は、椎菜と対戦し、椎菜を打ち負かした日から、時折カフェオンライン部に通うようになった。
用がなければ、即帰ることでお馴染みのあの雪那が、である。
否。昨年度までは、この部室に、つまりカフェ部に時々顔を出していたという。
だか、それはあくまで親友である甘那に用がある時のみであった。
そんな雪那が、甘那もいないカフェオンライン部に通うのは、きっとなにかがあると、嗅ぎ付けている報道部の部長、矢野。
しかし、彼女も多忙であり、雪那の相手は他の部員では、役不足と感じているので、それとなく本人に直接聞くだけに留まっている。
理由は雪那曰く、「せっかく、一年無料券を手に入れたのよ? 使わないとゲーマーじゃないでしょ」だそうだ。
もちろん、これは本当の理由ではない。
それは、矢野も、わかってはいる。わかってはいるが、今はそこにかける労力がない。そんな状況だから、あなたがそう言うならそう言うことですね。という状態である。
「いらっしゃいませー! あ、桐谷先輩! どうぞご自由な席に」
と、人懐っこく対応するのは、薄紅色のバラを思わせる、給仕服に身を染めた三紅である。
今日も、忙しそうにちょこまか動いている。汗で頬に黒髪がへばりついている。
そんな三紅を最後まで持たせるように、制御しているのは、バリスタと執事服を思わせる、給仕服を着る姫乃。
栗色の長いポニーテールをエアコンの風に靡かせながら、三紅に野次混じりの指示を出している。
その側で、手際よく、料理を次から次へと産み出して行く、モカは三紅と同じく、金髪が頬に張り付いているが、こちらはまだまだよりょくがありそうだ。
最後に、入口から見て、部室の最奥。
そこに壁一面のモニターがあり、左右に五脚ずつのゲーミングチェアと、それぞれに据え置きの【ハートバディギア】。その中央には一際目立つ一脚の純黒のゲーミングチェアがある。
そのゲーミングチェアの横に空の車イス。フレームの色は白。その使用者は言うまでもなく、純黒のゲーミングチェアに横たわり、今日も挑戦者と対峙している。
藤色のバラを思わせる給仕服を着て。
黒色の【ハートバディギア】の隙間から見える藍色の髪がなんとも幻想的だ。相変わらず右目を眼帯で覆い隠しているので、厨二感が漂ってはいる。
と、ここまでは、いつものカフェオンライン部の日常が繰り広げられていた。
だが、どこを探しても薄蒼色のバラを思わせる給仕服を着た守晴の姿はない。
営業ブリっ子属性に、部内を縦横無尽に駆け回る、あの伸ばしきった灰色の髪の守晴は、良くも悪くとも目立つ存在である。
それが見当たらないということは、何かあったのかと、事情を聞こうと、雪那は姫乃の前のカウンター席に座る。
「ここ空いてるかしら?」
「おぉ。オレの前はなんでか込み合ってても、いつでも空いてるんだな、これが」
冗談めかした口調と肩をすくめ、応じる姫乃の言葉が終わったのは、雪那が椅子に腰を落ち着かせた直後であった。
「あなたが近づくなオーラ出しているからじゃない?」
「ハッ! ちげぇねぇ」
姫乃と、雪那が軽口による挨拶を済ますと、雪那が本題に入る。
「それで、ステラがいないのは、どうしてかしら?」
「あぁ、守晴な。あいつなら、勝手に武者修行に行っちまった」
「そ、勝手ね」
姫乃が、諦め混じりの苦笑。
「ま、あいつは、もともと勝手に入ってきたもんだし、しゃぁね。パワーアップして帰ってくるんなら、ありがたいこと、この上ねえよ」
「それで? 回るの?」
「いんや、正直。厳しい。だが、さっきも言ったが、守晴は勝手に入って来ただけだ。そんな守晴が抜けたぐらいで、ダメでしたじゃ、甘那先輩に笑われちまう……」
そこまでを姫乃は自嘲の笑みを浮かべながら言い切る。
しかし、その瞳には、確かな闘志のようなものがあった。
その瞳を見た雪那は一度小さなため息を付き、「そ――」と、短く相槌をついた後に、立ち上がる。
「――ねぇ? 親指姫、今から《KAMAAGE》借りるわよ」
「別に良いが、椎菜と闘うなら、ちゃんと順番は守れよ」
「別に、コウナと闘うわけじゃないわ」
何をするかとっくにわかっている様子の姫乃だが、それを雪那の口から言わそうと、意思悪く問う。
「じゃぁ、何をするつもりで?」
見え透いた姫乃の挑発を、ため息をつき正面から受ける。
「決まっているじゃない。指導対戦よ。初心者を育てるのもプロとして、大事な役目だもの」
振り向き様に姫乃にしか聞こえないボリュームで、それに、椎菜が退屈そうだから……。と、言葉を続け、椎菜のもとへと向かった。
* * *
「いやー、ありがとうございます! 桐谷先輩! 助かりました」
満面の笑みでお礼を言うのは、床掃除をしている三紅である。
「うんうん! 本当にありがとね! 雪那さん」
テーブルを拭いている椎菜の同意。
時刻は夜七時を少し過ぎた頃。
全ての生徒達が帰り、部員達と雪那は後片付けをしていた。
「そ。でも、勘違いしないでちょうだい。あなた達が勝手に助かっただけよ。雪は指導対戦しただけよ」
「あー、わかったわかった。安心しろ、もう感謝なんかしねぇよ。それで? 明日からも指導対戦ていうやつはすんのか?」
「さあ? 雪の気が乗ったらね……」
「ケッ! そうかよ」
「それより、ねぇ? シイノ」
「ボクのこと?」
「そうよ。あなただけ、指導対戦しないだなんて、フェアじゃないから、次の日曜て予定あるかしら?」
椎菜は、目を輝かせながら二つ返事で答える。
「うん! あるよ!」
姫乃は、この時雪那の口元が仄かに緩んだのを見逃さなかった。
あー、ほんと、めんどくせ。
「そぅ。じゃ、場所は追って連絡するわね」
因みに雪那は、結局、翌日も、その翌日も指導対戦をやりに、カフェオンライン部へと足を運んだのであった。