守晴がいなくなった日
二千三十九年六月二十一日の火曜日。
この日のカフェオンライン部は、守晴はいないは、姫乃が部長会合出席のために、いないわで、てんやわんやだった。
モカはいつも通り、一人で鬼のような注文表を捌いていた。が、通常運転はここまでだ。
ホールは三紅一人で回し、椎菜チャレンジは臨時休場。変わりに椎菜は姫乃の変わりに、見よう見まねで、コーヒーを作っていた。
コーヒー豆の選別においては、姫乃に勝っているものの、やはりというべきか、それまで止まりだ。コーヒーを惹いて、淹れることは、長年の経験の差が出てしまう
つまり、味は姫乃の淹れたコーヒーに劣るし、慣れないことをしているので遅い。
しかし、その反面。たどたどしさが見られるということもあり、コーヒーを頼むお客さんがあろうことか、増えたのだ。
これは、配置を決めた姫乃も計算外。
姫乃の予想では、味は劣るは出てくるのが遅いはで、コーヒーを頼む人は少なくなる……。予定だった。
だが、椎菜人気を忘れていて、椎菜はあまりの注文の多さに、目を回していた。こうしている間にも注文表がどんどん溜まっていく。
三紅も、足にだいぶ疲労が溜まって、営業開始わずか三十分で、動きが遅くなっていた。
オープン当時の運用に戻っただけなのに、関わらず、だ。
いかに、三紅は守晴に頼っていたことが理解出来る。
否。
そうではない。実のところ、三紅は無駄な動きが多い。それを姫乃が軽口を浴びせながら、疲労がたまらないように、制御をしていた。
三紅の体力を終業まで持たせていた。
それは、カフェオンライン部全員が承知の事実だった。
三紅も、姫乃には感謝している。無駄が多く、体力がすぐキレる自分を、最後まで持たせてくれるのだ。最後まで働かせてくれるのだ。最後まで役立ててくれるのだ。
姫乃がいなかったら、役立たずになる自分なのは分かっている。軽口での制御なので、軽口で応対する。か、不満はない。むしろ感謝しかない。
そんな訳で、姫乃が不在の今、ゲーマーな椎菜が三紅の動きを制御する予定で、椎菜をコーヒー担当に任せた。訳だが、そのコーヒーが大盛況過ぎてるせいで、制御頭である椎菜が機能していない。
と、なると、残るはモカだが……。
モカもモカで、料理の行程等は、頭の中で、即座に組み立てられるものの、それをいざ口に出そうとしたら、頭の中がごちゃごちゃになる性質を持っている。
従い、この場をまとめるものが不在となっている。それが、今のカフェオンライン部の現象だ。
「三紅さーん、注文お願い」
「三紅ちゃん、お会計したいんだけどー」
「ちょっと待っててくださーい。順番に対応していきますんでー」
三紅は言いながら、いそいそと出来上がったばかりの暖かい料理を、運ぶ。
「三紅! えっと、その……。頑張って!」
「うん! 頑張る! 椎菜。もう一つ、コーヒー追加!」
「わわわ! 三十分待ちなんだけど!? そんなコーヒー誰が頼むの!?」
「椎菜さん。焦らないで大丈夫よー? ゆっくりで良いからねー」
椎菜の初々しい勇姿を見つめながら、そんな声援を飛ばす、生徒の顔は、すっかり緩みきっていた。
「に、錦織さん。あまり、ピューンしないでください。まず、あれをドーンして、そしたら、これをガーてあれして、それで、それをビュンビュンしてください!」
「ごめん! モカ。何行ってるかわからない……」
「宮坂さん頑張れー」
「そうそう、あまり気負いすぎるなよ?」
「モカちゃんは頑張らないでもいいんだよ?」
そんな暖かな声援に、心安らいだモカ。部室に来てくれているお客さんを見渡し、軽く会釈と同時に声。
「ありがとうございます」
続く椎菜にも、同様な声援のおかげで、心にゆとりが生まれる。
刹那。
「ありがとう、みんな! ボク頑張るから応援してね」
と、ブイサインを付きだし、満面の笑みで答える。これには、椎菜ファンの生徒達も一発、ノックアウト。
椎菜のあまりにもの愛くるしさに、燃え尽きるもの、顔が弛みきるもの、さらには、鼻血を出すものまでいた。
それらの対処のせいで三紅がさらに忙しくなるのは言うまでもない。
そんな三紅にも、黄色い声援が……。
「錦織さん、おそーい。もっと、頑張りなよー」
「三紅さん、私達もっと三紅さんを困らすからねー!!」
「みくみくー、ここのテーブル片付いてないんだけどー」
黄色い声援が……。
「はぁ……。ほんと、三紅ちゃん小さくてかわいいわ」
「ほんとほんと、疲れさせて、動けなくなったところを、お持ち帰りしたいよぉ」
「えー、その場で襲わないの?」
声援が…………。
「三紅ちゃんお勘定まだー?」
「三紅さん、ちゅうもーん」
「錦織さん、あたしを投げてくれない?」
飛ぶことはなかった。
「何で、あたしだけ何もないの!? 泣くよ! グレるよ!! みっともなくガン泣きするよ!!」
涙目になりながらつっこむ三紅。これにより、場がよりいっそう和やかムードに包まれた。
もちろん、カフェオンライン部員達を除くという、枕詞はつくが……。
「姫乃! 守晴!! 甘那せんぱーい! 早く戻ってきてーー!!!!」
三紅が懇願に近い、奇声を上げながら、料理を運ぶ。
その道中、ついに疲労が限界まで蓄積したのか、足がもつれてしまい、前に倒れる。その勢いで、料理が宙を舞う。
それらを空中で鮮やかにキャッチする何者かの影。
無事、料理を溢すことなく、トレイの上に戻すことに成功すると、何事もなかったかのように、立ち上がる。同時に小さく息を付く。
そこまでの動作までに掛かった時間、僅か二秒。一方の三紅は言わずもがな、床に顔面ダイブ。
「いったーーい!!」
そんな悲鳴が落ち着くのを見計らって、突如表れ、料理を救った英雄が、ため息を一つ。
「はぁ……。あぁ、お客さん方、すまねぇが、三紅をいじめるのは、オレがいる時にしてくれね? です。じゃないと、こいつ怪我するんで……」
「労ってくれてありがとね! でも、どうせなら、受け止めてくれないかなぁ!? 姫乃はあたしの体と、料理、どっちが大事なの!?」
自力で起き上がりながら、声を荒げる三紅に、姫乃は、んなもん決まってるだろ? と言わんばかりの表情と声。
「お前の体に決まってるだろ?」
不意打ち気味に告白されたみたいに、顔を赤らめ、声にならない声を三紅が上げていると、姫乃はいつものような笑みになり、言葉を続ける。
「お前に怪我されたら、オレが働かなくちゃいけなくなるからな。ま、逆に、怪我しない程度なら料理のほうが大事だ、てことになるか……」
「グレるよ!!」