モカ
皆の子供の頃の将来の夢はなんでした?
お花屋さん? ネット配信の方? プリンセス?
私の夢は当然、ケーキ屋でした――
宮坂モカは、幼い頃から、女の子なら誰しもが通るであろう夢、ケーキ屋になりたいと、思っていた。
幼い頃の夢は、憧れであり、なんの苦労も知らない子供が一時の感情が抱かせる、そんなまやかしのようなものかもしれない。
しかし、モカは違った。
両親がケーキ屋ということもあり、苦労も多祥なりに理解していた。
具体的には、母が寝る暇を惜しんで、美味しいケーキをより美味しくし、食べた人を笑顔にさせられるかの研究をしてたり、季節限定のケーキを考えるのに労力を割いたりしていたのも知っている。
父は父で、母の考えたレシピと、電卓、なんかよくわからないノートと、睨み合いっこをしていた。
今なら、父のしていた仕事が原価計算と、利益率、及び値段の設定というとてつもなく大事なことだと分かる。
幼いモカでも、父が母の考えたレシピをどうにか、実現させたくて、頑張っている事だけは理解出来た。
しかし、時にはどうしても、実現出来ないレシピがあった。その時は、父が母に泣きながら謝っていた。
母は「しょうがない」と、割り切るけど、それでも父は、「ごめん、ごめん」と、謝っていた。
その苦労している姿を見ても尚、モカはケーキ屋になりたい。いや、いつかは母を越えるケーキ屋になりたいと、思ったのだ。
故に、母に対する対抗心は剥き出しで、何度も闘いを挑み、そして負けた。
その改善点を時には母に指摘され、時には自分で見つけ出しながら、着実に成長を重ねていった。
のだが、ある時期から、負け続ける自分に自信を喪失してしまい、母にケーキバトルを挑む事がなくなった。
そんな時だ。
母の昔の仕事の付き合いで、今も親交が深い西園寺家の一人娘、西園寺しおりに、この学園にある、カフェ部の話を聞いたのは……。
聞いた当初は、モカも所詮、お遊び部活ですよね? と、鼻で嗤った。しかし、西園寺が食い下がらないので、仕方なく学校訪問で見てみることにしたのだ。
それは、カフェ部の雰囲気を見ても変わらなかった。
皆部活わいわい楽しいね。としか感じなかったが、彼女らの出す料理は本物である。
そう思った。いや実感した。
私もここで修行すれば、ママに勝てるかも? と思うぐらい美味しかった。
だが、結果はどうだ。この学園に入学してモカを待っていたのは、期待外れの現実。
モカが教えを乞いたかった先輩も、この学園を去ったと言う。
挙げ句の果て、カフェオンライン部立ち上げに集まったのは、自分以外が料理経験皆無のメンバー――椎菜はどうか知らないが――。
モカも自負が、他人に料理を出しても良いレベルじゃない、と分かっていた。
しかし、カフェ部に惹かれて、ここに入ったのだから、行けるところまで試してみたい。自分の料理がどこまで通用するのか試してみたい。
そう覚悟を決めて、この部のキッチンを担当することにした。
そんなモカがここまでやって来れたのは、一重に先輩達が、研究して研究しつくしたレシピを惜し気もなく置いてってくれたお陰であろう。
――私は、自分で言うのもあれですけど、発想はママにも退けを取らないと思うんですよ? 私に足りなかったもの、それは経験と知識だと思っていまして、それを先輩方のレシピでカバー出来てますし。
それに、錦織さんにああ、まで言わせたんですから、私も腹を括らないと行けませんね。
* * *
美冬がまず、手に取ったのは、二色のソースのプリン――二百円――だ。
ガラスの小ビンに入っているそれは、濃厚な卵黄色。それだけで、素材に使ってい卵の率が高いことが分かる。
上にはレモンソースであろうか。柑橘系の匂いを漂わせる、透明に近い黄色のソースと、下にはアメジストのように輝く紫のソースで挟まれている。
そこまでをじっくり観察した美冬は、苦笑に近い微笑。
「……。これは、モカが考えた創作プリンね」
独り言のように、あるいは確認するように、静かに呟いた美冬。それに、三紅は先ほどの怒りなど、感じさせられないくらいの純粋さで、首をこてんと傾けながら問いを向ける。
「わかるんですか?」
「そりゃね……。モカは発想だけは良いもの。私が嫉妬しちゃうぐらい……。あとは知識と経験を詰むだけ、アイデア勝負なら、私はとっくに負けているわ」
「え……?」
美冬があっさりと口にした、敗北宣言。それに、モカは単純な嬉しさは一割しかなかった。大半は、私はまだママに勝てたって思ったことなんて、一度もないよ? という戸惑いと、なんであっさり認めちゃうの!? という怒り。それから、私、これから何を目標にしよう? という焦燥感が複雑に絡み合っていた。
「でも、モカは言ってました! お母さんのケーキ勝負には一度も勝ったことないって……」
その言葉を聞いた横のクーシーが肩を震わせる。と、同時に横目でクーシーを睨みを利かせる美冬。
「それは、この人がいっつも私を贔屓していたからよ。私から言わせてもらったら、いくつかのケーキはあなたの方が美味しかったわ……」
「え!?」「えーー!?」
明かされる驚愕の新事実に、三紅とモカは絶叫。
気まずそうに素早く流暢な日本語で弁明をするクーシー。
「それはあれですよ? あー、ワタシは、そうモカを甘やかさないようにするためにした訳です。獅子が子どもを崖から……」
「ウソ。あなたは、私が作った料理なら毒でも美味しいって言うでしょ?」
「そ、それは当然です。ワタシは美冬サンの夫ですので、あなたの作る料理はなんでも一番に決まってます。あ!」
自分から墓穴を掘ったクーシーは、瞬間的に青ざめる。
それに、美冬は容赦なくトドメをさす。
「ほらね。だから、この人に審査を求めても無駄」
助けを訴える視線で、三紅、西園寺、モカの順で見るクーシーだが、いずれも反応が冷たかった。
そんな、クーシーはほっておいて、プリンの上のソースだけスプーンに付けて舐める。
じっくり舌の上で転がし味わい飲み込む。その後、プリンを中程まで掬う。
「あら、牛乳を使っているのではないのね。豆乳を使っているのかしら?」
「はい! ここは女性。しかも、体育会系の部活している人が多いから、カロリー抑え目のデザートが多いんです!」
三紅がいきおいよく答えると、モカがすぐに皮肉混じりの註釈を入れる。
「ま、カロリー抑え目と言っても、微々たるものですが……」
美冬の言葉の刃が、今度はモカを容赦なく切りつける。
「えぇ、確かに豆乳でカロリーを抑えても、ソースとかで砂糖をドバドバ使ったらプラマイゼロね」
「うッ!」
「……でも、プラマイゼロということは素晴らしいことよ。そして、この舌の葡萄ソース。上のソースと混ざらないようにゼラチンでコーティングしているのね。人肌で溶ける特殊な配合のゼラチン。全く、どこでこんな知識と、技術を習得したのかしら?」
「ということは……?」
三紅が眼を輝かせながら、言うと、美冬がメガネを外し、もとのふわふわした空気感に戻り、
「うん。美味しい、技術も本物、味も本物。ただ、私にはまだ及ばないけど、ね」
恥じらうような笑みで答えた。
その答えに、モカは普段は見せないかちきに応じる。
「いつか追い越して見ますから、それまで待っていてくださいね。ママ。いえ、師匠」
「あらあら、どの口が言ってるのかしらね? モカちゃん。いえ、この場合は、弟子と言っておきましょうか?」
笑い見つめ会うモカと美冬の間に、暖かい穏やかな暴風が吹き荒れる。