椎菜の地獄特訓
二千三十九年六月十二日の日曜日。
この日、椎菜は休みの日にはめったなことでは外にでないでお馴染みの姫乃に珍しく呼び出され、学校に来ていた。
毎週日曜日は全部活休みだが、事前申請さえすれば、校内へは来て良い。
そんないかにも面倒臭げな手続きをしてまで、姫乃は学校に椎菜を呼び出したのだ。
理由は、言わずも体育祭本番で椎菜に勝つためである。
「はぁはぁ……。クソっ! なんで勝てねえんだよ」
神坂が用意した体育祭用の車椅子に乗り、息を切らしながら嘆く姫乃。
その両隣で同じく体育祭用の車椅子に乗った守晴と雪那が同意の声を上げる。
「同感だ……」
「まったくね……」
椎菜に一勝する度に、好きなもの買って貰える、というエサに釣られ頑張っているのに対し、雪那はゲーム内で使えそうだからという動機でやっている。守晴に至っては、ただ闘いたいという、誠実極まりない動機である。
エサに釣られた自分だけならまだ分かる。しかし、他の二人は、なぜこうまでして、練習するのか、勝利に固執するのかが分からない。
ゲームの為なら、単に闘いたいだけなら、三紅やモカのように今日のような自主練は、休んでだって良いはずだ。
「つぅか。オマエらはなんで、練習してるわけ?」
気が付いたら、そんな言葉が漏れていた。
そんな姫乃に当たり前のように、何を言ってるのか、という顔と声で二人は答える。
「雪は負けず嫌いだから、教えを乞う人にも負けるのは癪。ただそれだけよ……」
「あたいはどうせ闘うのなら、相手の土俵で闘いたい。ただそれだけだ。相手に降りてきて貰うのではなくてな……」
そんなまっすぐとした理由に、ジト目を送られずにはいられない姫乃。
「あっそ……。でも、冷やかしは入らねぇよ。とっとと帰りやがれ」
「あら、どうしてそう思うのかしら?」
「少なくともあたいは真面目にやってるつもりだぞ?」
「汗かいてねえじゃねえか!?」
姫乃の怒声に、ため息混じに指摘をする雪那。
「あんた。汗かくの嫌いって言ってたけど、汗かいていないと、努力してないって、以外に熱血なのね……」
口を尖らせながら拗ねたように視線を背ける。
「うっせ……」
「図星ね……。雪は他者が見えるとこに汗はかかない。ただそれだけよ」
「オマエはモデルか、女優かなにかか!?」
姫乃の鋭い突っ込みの後に、追い討ちを仕掛ける守晴。
「あたいは汗をかかない修行をしたから。汗はケガや失敗をまねく」
「汗をかかない修行って……。オマエは格闘系漫画の主人公かなにかか……」
改めて思う守晴の規格外さに、怒りを通り越し、呆れてしまい、姫乃がため息混じりにツッコミ入れ終わると、雪那がその話しに食い付いた。
「あら、いいわね。それ。どういう方法か詳しく教えてくれるかしら?」
「雪那先輩。あんた、どこを目指してるんだ?」
というツッコミを姫乃が口の中でし終えると、ほぼ同時に椎菜の声。
「で? どうする? まだ、練習続ける?」
「ああ!」「あぁ……」「ええ!」
三者三様の覇気ある返事に、無邪気な笑みを返す椎菜。
「うん! やろう!」
* * *
数時間後。
「くっそ……。やっぱり勝てねえ……。もう一回だ!」
「ああ、そうだな。あたいもまだまだ、椎菜の域には達していない。もう一回頼む」
「雪は――」
雪那は自身の左手を見つめ、何かを確認するとはっと、短く息を吐く。
「――うん。止めとくわ……」
「何だよ。努力の天才、【ヘカテー】様の努力は所詮その程度か?」
姫乃が煽りを入れるも、雪那はその挑発には乗ることなく、
「はぁ……。あのね。いや、止めとくわ……。せいぜい頑張ることね」
雪那がため息混じりに途中言葉を濁し、その場をそそくさと後にする。
煮え切らない言葉に姫乃が口を尖らせ、ぼやく。
「何だよ、あいつ……。言いたいことがあるなら言えよ」
「で、二人はどうする? まだやる?」
いたずらっ子めいた笑みを浮かべる椎菜。その事に姫乃も守晴も気付いていない。
「ああ!」「あぁ……」
二人は数時間前と同じく、覇気のある返事を返した。
二人の身体に変化が起きたのはこの数本後のことである。
タイヤに当たる度、手にジクジクと針でも刺さっているんじゃないか、と思うような違和感を覚える姫乃。
それを無視し、漕ぐ手を緩めない守晴。
そしてしばらくすると、プシャッと、痛みが弾けるようになくなったと、同時に水を放出。
「ぁ?」
そんな異変でようやく立ち止まる姫乃。
「む?」
しばらくして、守晴の手のひらにも同じような現象が起き、漕ぐのを辞める。
先に手の状況を確認していた姫乃の悲鳴に似た驚声が辺り一帯に響く。
「なんじゃこりゃ!」
左手のひらの生命線の根元あたりが空豆サイズに剥けていた。
「あちゃー、やっぱこうなっちゃったか……」
椎菜がわかっていたかのように、いたずらっ子めいた笑みを浮かべながら言い放った。
「椎菜! どういうこった! お前、さては理事長に何か吹き込まれやがったな!?」
車椅子を降り、ものすごい剣幕で近寄ってくる姫乃が怒声を上げている。
それに、いつもの椎菜なら、申し訳なさそうに謝るものの今回の椎菜はそうではなかった。
「ん? 姉ちゃんの作戦にボクが乗ると思う? それに、ボク言ってたよね? 『どうする? まだやる?』って……」
「う……。そ、それは言ってたけど……。だなぁ、まさかケガをするまでさせるかよ!? 普通……」
姫乃が悪態混じりに猛反論を見せるも、椎菜はやはり気にも止めない。
そんな椎菜に変わり、後ろ姫乃の背後からため息混じりの声が聞こえてくる。
「親指姫。その脳内ゲームバカに何を言っても無駄。ししこはどうせこれも育成ゲームぐらいにしか思ってないんでしょうから」
「姫乃だ! って、それどういう意味だ?」
姫乃が名前を間違えられたことによる怒声と共にばっ、と振り返る。と、その瞬間、全ての毒気も放出したのか、冷静さを取り戻した。
「ごめんなさいね。雪は名前を覚えるのは苦手なの……」
「いや雪那先輩のは、覚えるの苦手なんじゃなくて、わざと覚えねぇんだろうが……」
雪那の決まり文句に、姫乃が力なさげに口の中で呟き終える。
「決まってるじゃない。育成系のゲームは、練習ばっかりやるとケガをする。とはいえ、ケガを恐れて練習をやらないと強くならない。ようは、ケガをしないギリギリのラインで練習するのがコツなの。しののはそんな育成ゲームのやり方で練習に付き合っていた。ただ、それだけのこと。これなら、今日の練習を受けていたとしても、引き際を見誤れば、対した成果を得られない。ようは、来ていない二人にも不利にも好機にもなるってこと……」
雪那のゲームの知識を踏まえた説明に、ゲームの知識が乏しい姫乃は、脳内にハテナマークが飛び交いながらも、半ば理解したように相槌を打つ。
「な、なるほどな……。ってことは雪那先輩は気が付いていたのか!?」
「ええ、そうだけど? それが?」
「ざけんな! なんで言わねぇ!」
「雪とアナタ達は敵同士、敵に大切な情報を与えるバカがどこにいるのよ……」
「う……。確かに…………」
姫乃を完全に論破したところで、ようやく雪那は、腕に抱えていた、いかにもな救急セットから包帯を取り出し、投げ渡す。
「あ、あんがとな……」
「む、かたじけない」
空中で受け取りながら、感謝を伝える姫乃と守晴。
「お礼はケーキで良いわよ……」
いたずらに微笑を浮かべながら雪那が言うと、姫乃が満面の笑みで応じる。
「おう、またモカに頼んどくわ! それより椎菜、これいつなおんだ」
椎菜はわざとらしい考える仕草を取った後に、無邪気な笑み。
「うーん……。うん! 三日間ぐらいかな? 火曜日の体育は二人は見学ね」
「ま、まじか……」